<1>
※本作には、子供や動物に関わる不穏な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
(1)
子供の頃、家の物置に奇妙な「木箱」があった。
欅の身体に黒鉄の角金具の付いた長持を真四角にした様な見た目で、大人一人は入れてしまいそうな大きな木箱だった。
薄暗い板張りのぽかりと空いた所で、いつも和錠を掛けられていたが、それが何か「秘密事」を隠して口を噤んでいる様で妙に不気味だった。
長い間使われておらず中身は空の様だったが、「ふふふ、悪い事をしたら閉じ込めてしまおうか」等と度々父に脅されたので、幼い頃はびくびくしたものだ。
……実際に私が父に閉じ込められる事は無かったが、15歳の頃だったか。
あまり人に言えないが、私は一度だけ、飼い犬をその木箱に閉じ込めたことがある。中々懐かぬ犬に手を噛まれ、お仕置きをしたのだ。
重い木蓋を持ち上げて支え金で止め、キャンキャンと騒ぐ犬を何とか木箱に押し込んだ。蓋を閉じてしまうと、犬も観念したのか大人しくなり、木板の隙間に耳を寄せても何も聞こえなくなった。
そうして半日ほど経ってから木箱を開けてみると……
何故か、躾の出来た「利口な犬」に変わっていたのである――
不思議な事に、以降、飼い犬の扱いに困ることは無くなったのだった。
奇妙な体験であったが、何が、と言い切れるほどの出来事でもなく、また犬を閉じ込めた等と人に言える訳も無い。
私もそのうち――この出来事を忘れてしまった。
(2)
やがて大人になった私は結婚し、既に他界していた両親の遺してくれた家で、妻との生活を始めた。
「いつも寂しい思いをさせてすまないな」
「いいえ、あなたは頑張ってくださっているんですもの」
私の仕事は毎晩日付が変わるまで帰宅できぬほどの多忙ぶりだったが、妻は辛抱強く献身に努めてくれ、幸いなことに息子を一人授かることができた。
妻の両親は息子の誕生を大層喜んでくれ、私も親孝行ができたと胸を撫で下ろした。
しかし、やれ口元が妻に似ている、高い鼻は義父譲りだ……と容姿の整った妻側にばかり似ていると言われ、私は蚊帳の外の気分だった。
「そんなにお前にばかり似ているか。私にも似ていると思うのだけどなぁ」
息子を見てぼやく私を妻は笑ってなだめた。
「ふふ、初孫で浮かれているのですよ、気を悪くなさらないで。眉毛の下がり方なんて、あなたにそっくりですのにね」
「眉毛……? ふふ、そうか、そんなところまで」
私は息子をかわいがり、仕事の合間を縫っては構ってやった。
そのうち初めは整って見えた息子の顔も、日に日に凡庸な私の顔に似ていった。
「ふふ、妻に似たままでいれば美男になれたものを。だが精一杯、育ててやるぞ」
そうしてしばらくは幸せに満ちた生活を送っていたが……生憎仕事の方は多忙になる一方であった。
(3)
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
ただでさえ寝る間も無い中での、息子の連夜の夜泣き。
私の心身はみるみる擦り減り、息子の面倒を見てくれていた妻もまた、次第に参っていった。
「しばらく里帰りしましょうか」
「……いや、駄目だ。お前たちがこの家に居てくれなくては」
「では母に来てもらいましょうか」
「……いや、駄目だ。私の両親がいないからと、高齢の御両親様にばかりご迷惑を掛けては申し訳が立たぬ」
「ではどうしましょう! ああごめんなさい、私ももう、どうしたらいいか……!」
寝室に妻の悲鳴と、息子の泣き声が鳴り響いた。
私はゆりかごから息子を取り上げ、妻をベッドに寝かし付けると寝室を出た。
「……私が面倒を見る。お前は休みなさい」
泣き続ける息子を胸であやしながら、当てもなく廊下を彷徨う。
窓から差し込む月明かりが、足元に心許ない影を落とした。
――時計は深夜の3時を回っていた。明朝は7時の出発だったろうか……
フラフラとする頭の中で考えていた、そんな時である。
ふと「木箱」の事を思い出してしまった。
気が付くと、私は息子を抱いたまま物置の戸の前に立っていた。
カタと開き戸を開けると、廊下から漏れた明かりが、細い筋を作って物置の中へと流れ込み、私を誘うかの様に木箱を差した。
……べつに何かを期待した訳でも、悪意があった訳でもない。
ただ一瞬、ほんの一時でもいいので満足に眠りたいと――その一心で、私は木箱に息子を収め、蓋を下ろした。
(4)
木蓋を閉じてしまうと、あの飼い犬の様に、息子の泣き声はピタリと止んだ。
疲れ果てて寝室に戻ると、妻は顔を歪めながらも、どうにか眠りに就いているようだった。私もぐったりとして、そのまま倒れ込む様に眠った。
数時間後、恐る恐る木箱を開けてみると、息子はただスヤスヤと眠っているだけで、私は胸を撫で下ろしたのだった。
――しかしである。再び奇妙な事が起こったのだ。
不思議な事に、以降、息子は夜泣きをしなくなったのである。
「よかったですね、夜泣きが止んでくれて」
「……」
次第に元気を取り戻していく妻の横で、私は木箱に対する疑念を募らせていた。
「一体これはどういう事か。一度ならず二度までも、まさか、木箱の中に入れたものが、『利口』になったとは……」
単なる偶然か、それとも……
開き戸の隙間から物置を覗くと、木箱は薄明かりの先でただ静かに佇んでいた。
(5)
それからしばらく、木箱の事は思い出さない様に努めた。
だが息子が6つになった頃。再び木箱が脳裏を過った。
「これっ、私の模型に触ってはいけないと……!」
「ぱぱ、ごめんなさぁい。あはは!」
成長するにつれて、激しさを増していく息子の悪戯ぶりに、手を焼くようになったのだ。
「……」
「ぱぱっ……?!」
ガタン、ギギギッ。ドサッ! ギッ、ギッ!
私は走り回る息子を捕まえると、そのまま抱え上げて物置へと向かい、木箱に押し込めた。
「やめて……っ怖いよぉ、ぱぱ……!」
「フウッ、フウッ……!」
……ギギッ! ……
木蓋を閉じ切ると、泣き喚いていた息子の声はまたもや聞こえなくなった。
……今度はいくらか期待していた。
この木箱に入れれば、もしかして――
だが数時間後、再び木箱を開いた時、予期せぬ事態が起きた。
何故か子が、「二人」に増えていたのである。
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