氷の侯爵様ってどこいきましたの?
結局、イルンザは流行することなく、お母様も無事病気を治して家に戻ってきた。
「お母様ぁーーーー!」
「おかえり、デバンガ」
「ただいま、コレハ、ヤルコット」
ふんわりとゆるく巻かれた薄紫色の髪。悪役令嬢の母親らしいキツイ目つき。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる美女。抱き着けばふんわりと上品なラベンダーの香りがする。
この美女こそ、コレハ・ナイアトホテプの母にして、本来は疫病イベントで死去していたはずのデバンガ・ナイアトホテプである。
「デバンガ。体調は大丈夫かい?」
「ええヤルコット。コレハの薬草のおかげでもうすっかり元気よ……とても苦かったけれど。あの味は何とかならなかったの?」
「ならなかったのかい、コレハ?」
「あの苦味が薬効なので、どうにもなりませんわね!」
「良薬口に苦し、ということねぇ……」
ほぅ、とため息をつくデバンガ。その仕草は大変艶っぽい。
将来コレハは間違いなく美女になる。その確信が持てる母親である。
「さて、それじゃあコレハ。お母様はお父様と大事なお仕事があるから、名残惜しいけれどもう行くわね?」
「あら、私だってもうお仕事できるのですわよ? お手伝いしますわ!」
「うふふ、ダメよ。コレハに閨教育はまだ早いわ。せめて10歳になってからね」
そう言ってヤルコットの腕をとり密着するように抱き着くデバンガ。ヤルコットの顔は珍しく赤くなっている。
あっ、とコレハは察した。なるほどこれは両親にしかできない大事なお仕事(跡継ぎクリエイト)だ。
「あの、デバンガ? 病み上がりなのだしあまり無理はしない方が。あとまだ昼……」
「行きますわよヤルコット」
「……はい、行きます」
まるで肉食獣と獲物である。
どうやら今日は両親の寝室に近づいてはいけないようだ。
「……私、今日は畑の方でお仕事してますわね!」
「よろしくってよコレハ」
この調子ならやっぱりクルシュが兄になることはないだろうな、とコレハは思った。
さて。母が生存している。
ということは、ストーリーが大きく変わったという事である。
父ヤルコットも宰相でないし。ゲームとの違いが多い……
「これでは『氷の侯爵』が誕生しませんわねぇ」
「? なんですかその『氷の侯爵』って」
サマーが不思議そうに首をかしげている。
「お父様のあったかもしれない未来の話ですわ。氷、というのは冷徹な様を表す言葉でしてよ」
「そうなんですね。てっきり氷属性の話かと思いました」
「それも相まって、かもしれませんわねぇ。ウチの家、水属性多いですし」
母を失って心を止めた結果氷属性に目覚めたとか、そういうのもありそうだ。
とはいっても、今となっては既にあり得ない話だ。母は生存したのだから。
「それで、氷の侯爵様と今の侯爵様、お嬢様はどっちの方がいいとお思いで?」
「まぁ……今ですわねぇ」
ゲーム『かお☆みて』の中のコレハは、我儘は許されていた。
が、今のように愛されているとは言い難かった。
「なら別にいいじゃないですか? 他の人がどうなろうと、お嬢様の幸せが一番なんですから!」
「……そうですわね! サマー、あなた良い事言うじゃない。褒めてあげるわ」
「えへへ! ありがとうございます!」
頭を撫でるとニコニコと笑うサマー。犬の尻尾が見えるような気がした。
「……強制力で別の要因での死亡とかないですわよね?」
そうなると、様子見のために当面は家から出ないで大人しくしてほしい……
……
……
「うん! 大丈夫ですわね!! しばらく家から出ないに違いないですわ!!」
両親の仲良しっぷりを思い出し、コレハはそう結論付けた。
むしろヤルコットの衰弱死の方が可能性ありそうだと思った。