診療所ベッドにて
「生きている…生きているのだな……」
私がそう呟くと、すぐ隣の寝台から声が返った。
「ふふ、ですね…
あの様子じゃ、私たち二人とも死んだと思われてもおかしくないです」
隣で寝ていたわかばが、ゆっくりと目を開けていた。
「…よく喋れるな、お前もかなりの傷を負ったはずだ」
「喋るだけなら…多少は…うぅ、でも寝返りは地獄ですね…」
「…そうか」
「ふふ、でも、2人して本当に死ぬかと思いました、ギリギリでしたね…」
目を閉じ、あの戦いを思い出す。
黒い炎、ナイフ、アークの叫び。
「…お前がいなければ、私は死んでいた、礼を言う」
「いえいえ、私も…フォルテ隊長の最後を、ちゃんと看取れて…よかったです」
わかばは天井を見ながら、静かに目を細めた。
その瞳に滲むものは、きっと光ではなかった。
しばしの静寂。
私は少し顔を向けて、切り出した。
「…わかば、お前の実力で、番付が序ノ口というのは理解に苦しむ。
それに、2年前にはすでに入隊していたのだろう?」
わかばは、目を閉じたまま笑った。
「…あはは…」
「最初から怪しいとは思っていた、妙に慣れた手付き、躊躇のなさ、構え
とても新兵とは思えなかった」
「……」
「で、どういうことだ?」
彼女は静かに、少しだけ体を起こす。
「…ごめんなさい…私、第五部隊の副隊長です…」
「…副隊長、か、それなら納得だ、銃の扱いも、無駄のない動きも…新兵の動きではなかった、わざとらしい口調だしな」
「ありがとうございます…って、口調は素です!!」
わかばは拗ねたように頬を膨らませてから、ふっと笑った。
「でも、階級のことは、言えなかったんです、騎士団の中でも、私の役職や過去を知ってるのは一部の幹部だけ、ほとんどの兵士は、私のことをわかばってだけしか知らないんですよ」
「なぜそんな真似を?」
わかばは少し目を伏せた。
「私は、第五部隊の再建任務のために、意図的に番付を偽装して送り込まれたんです。
内偵に近いですかね、組織の今を知るための…」
「なるほどな」
私は納得する。
第五部隊は、かつての隊長フォルテと、その副官コイキが率いていたという。
だが、フォルテの失踪以降、第五部隊は長らく事実上の空中分解状態にあったはずだ。
「フォルテさんの下で訓練を受けていたあの頃、私はまだただの兵士でした
でも彼が任務で戻らなかったあの日から、色々あって…昇格したんです」
「…そうか」
「フォルテ隊長の行方を追うのも任務の一つでした…
まさかあんな形で、再会するなんて…」
その言葉の後、また、しばし沈黙が落ちた。
外では子どもたちの遊ぶ声が聞こえている。
ようやく、村に平穏が戻ってきたのだ。
「…わかばお前の本当の階級は?」
「…十両八枚目です
でもそれも、番付表には出ない非公開の存在なんです」
「二つ名の霧雨も…妙に納得出来る名だな」
「…名付け親はコイキさんです」
「…そうか」
話が、すべて繋がっていく。
わかばが背負っていたもの。
隠していた過去。
そして、彼女が戦場で見せた覚悟の重みも。
「…バラしたついでに、何でも聞いてください
佐介さんには、命まで預けたわけですしね」
わかばはそう言って、痛みをこらえるように笑った。
私はその笑顔を見つめたまま、ゆっくりと目を閉じる。
「…私に妙に近づいてきたのは?やはり怪しい浪人の私を探るためか?」
「…佐介さんと出会ったのは本当に偶然です、でも…」
「…でも…?」
「佐介さん、私のお姉ちゃんに雰囲気が似ていましたから…死んじゃいましたけど…」
「…姉がいたのか」
わかばは、遠い目をしながら言葉を継いだ。
「お姉ちゃんは、強くて、かっこよくて、優しくて…私はずっと、その背中を追いかけてました」
「その姉が…亡くなった理由は?」
「4年前、国境沿いの村で起きた、妖魔の襲撃です、村人を逃がそうとして、最後まで残って…」
言葉が詰まった。
わかばの拳が、布団の上で小さく震えていた。
「…その時、私には何もできなかった、剣も握ったことがなかったのに、お姉ちゃんみたいになりたいって、それだけで…」
「だからお前は、剣を取ったのか」
「ええ、無茶な道だとは分かってましたけど…せめて、誰かを守れるくらいにはなりたくて」
「……」
「でも、実際は守るなんてこと、全然できませんでしたね、今回だって、フォルテさんも、佐介さんも、傷だらけにしちゃって…」
「違う」
「え?」
「お前は、私を助けた、命も、戦いも、分け合った、それは立派な騎士のすることだ」
「…ふぇ…佐介さん…」
わかばは、もう何も言えずに、ただ泣いた。
涙が、静かに頬を伝った。
「副隊長様とあろう者が、少々涙腺が弱すぎるようだな」
鼻をすすりながら、わかばがふくれっ面を作る。
「佐介さんが大人過ぎるんです〜絶対私より年下なのに〜…ていうか佐介さん、何歳ですか?」
「…16ほどになる」
「ええっ!?」
わかばの体がビクンと動いた。
傷に響いたのか、すぐに呻き声を上げる。
「いてててて…!お、思ってたより若い子…まだ、子供じゃないですか…私よりも3つも違う…」
その言葉に、私は静かに眉を動かす。
「…子供、か」
「えっ、あっ、ご、ごめんなさい!別にバカにしたわけじゃなくて…その…」
わかばが慌てて手を振る。だが私はそれを止めるように、目だけで制した。
「…私は、子供ではない、少なくとも、子供でいられる時間は、もうとっくに終わった」
わかばは言葉を飲み込んだ。
「そう…ですか…」
しばらく、沈黙が流れる。
「…でも、佐介さんが子供の時にどんな人生を送ってきたのか、少しだけ分かる気がします」
「何故そう思う?」
「私も似たようなものだったから…だから、最初に会ったとき、どこか放っておけなかったんですよ…佐介さんの方が余程悲惨な目に遭われていますが…」
「なるほどな」
私は目を閉じたまま、わかばの言葉を静かに噛み締める。
「それに…やっぱり、佐介さんは侍って感じがします、剣に生きてるというか、芯がある」
「…ありがたい評価だな」
「…それに、カッコイイし」
「…?」
「いえ、何も〜」
痛みをこらえながら、わかばがくすっと笑う。
その笑顔は、先ほどの涙を拭った後とは思えないほど、柔らかく穏やかだった。
わかばはベッドに横たわったまま、私を見つめてふと呟く。
「佐介さんは…侍なんですね、やっぱり、どこか他の人と違います」
私はしばらく沈黙してから、目を伏せた。
「…そうだ、私は侍だった者たちに育てられた、もうこの国にはほとんど残っていない…滅びた民族だ」
「でも、佐介さんが動くと、分かるんです…なんていうか、信念がある、自分の剣に迷いがない、だから、それもあって私…着いていきたいって思ったんですよ」
わかばは言いながら、うつむいて笑った。
「ほんとはね、副隊長だって立場もあるし、部下だっているし…こんな感情、持っちゃダメなんですけど」
「…感情に、良いも悪いもない、誰かを守りたいと思ったなら、それだけで、十分だ」
わかばはまた少しだけ涙を浮かべた。
「侍…滅びたなんて言わせたくないですね、だって佐介さんも、別部隊の隊長、閏間さんも生きてるんですもん」
(そう、侍の魂は、まだ残っている…私の中に)