57、辺境伯令嬢の出発前日
昨日キリーが帰って来た。エリーとマリーも一緒だったらしい。
今日は朝食を済ませた後、久しぶりにエマキ池に行く事にしたの。エリーとマリーに会うのは1年ぶりだから、すごく楽しみ。
食堂に行って、先に来ていたお父様とお母様と兄様たちに挨拶をしてから席に着く。
うん・・・予想通りシャル兄様がいる。
朝食はマシロパンとポトフーだから、抜かりなく情報を得ているようだね。
カジミールにカツサンドのソースを作って貰う時に、コンソメを作って欲しいと頼んでいたの。
牛すね肉と野菜をいためてから水を入れて煮込み、ブイヨンと言うものを作ってもらう。
野菜の皮や端など捨てる部分と細かく切った牛肉、ウッフの卵白と言う部分を入れて煮る、卵白が固まってきたら真ん中を開けるように穴を開ける。臭みと蒸気の逃げ道を作るためだよ。
弱火で煮るから時間がかかるけど、時間が経つと濁りがなくなり、スープが透き通ってくる。
別のお鍋に布を掛けてからそっとスープを移し、自然にスープが落ちるのを待つ。細かく切った肉を押したり絞ったりすると、濁りや臭みが移るからね。
布でこしたスープにお塩を入れて、半透明のコンソメスープが出来上がる。
濃い色のコンソメスープにする場合は、最初に牛すね肉と野菜を焼いて焦げ目をつけ鍋に付いた焦げも水に溶かして混ぜ入れると琥珀色のコンソメスープになる。
カジミールが時間をかけて仕上げたこのコンソメスープで、ポトフーを作ってもらったの。ソーセージや牛肉、そして野菜が沢山入っている。
「今日も新しいメニュだな」
お父様が言うと、みんなが一斉にアンの方を見た。
「ポトフーといいます。カジミールに頑張って作ってもらいました。スープを作るのはとても時間がかかるから、昨日から作っていたはずです。カジミールは凄いのです」
カジミールはまじ優秀だからね、思わず胸を張ってしまったよ。
「うちの総料理長は元々優秀だから、何を作っても美味いな」
思い切り自慢したけど、カジミールは辺境伯の料理人であって、アンの料理人ではなかった・・・。
お父様の勝ち誇った顔がちょっと悔しいと思う。
みんな無言で食べているけど、美味しいのかな?シャル兄様は食べるのが早い、もうおかわりをしている。
スープと具材で、お腹がかなり膨れるよね。
「これはお店で出すのかしら?」
「はい、でも出すのはお食事のお店です」
「食事の店は、ま、まだ先のはずだが?」
アンの話にお父様が慌てて口を挟んできた。そんなに驚かなくてもいいのにね。
「まだ先の話です」
「そうか・・・いや、そうだな・・・それなら問題はない」
お父様がホッとした顔をしている・・・なぜお母様や兄様たちもホッとしているのかな?しかもシャル兄様まで。
・・・シャル兄様に何かお願いをした事はなかったはずだけど・・・おかしい。
食事を終え、お茶がテーブルに並んだのを確認した。今のうちにキリーの話をしないと・・・。
「昨日キリーがエリーとマリーと一緒に帰ってきました。あとでエマキ池に行ってきます」
「キリーたちの事は聞いている。長時間の外出は控え、明日の出発に差し支えないようにしなさい」
「はい・・・あの、王都なのですが、キリーに乗って行きたいです」
「キリーに?」
お父様の目がまん丸になった。そんなに驚くとは思わなかった。
「父上、アンがキリーに乗っても問題はないと思います・・・私は暫くの間、王都に滞在する予定です。帰りの事を考えれば、キリーに乗った方がいいのではないでしょうか。キリーは既にあちらこちらで目撃されていますから」
ノル兄様が賛成してくれたけど、あちらこちらで目撃って、キリーはどこを飛んでいたのかな?
「・・・そうだったな」
お父様が顎に手を当て何か考えているようなしぐさをしている。
「キリーは聖獣だとわかったのですから、問題はないかと思います。アンに従う聖獣と認識した方が、後々エディット第二王妃やランメルト第二王子に献上を希望されずに済むかと思います」
献上?陛下の第二王妃や第二王子に?・・・なぜ?
「そうだな、仕方ない・・・許可する。だが隊の列を乱すことなく飛ぶ事を、決して忘れてはならない。わかったな、アン」
「は、はい、気をつけます。あの、エマキ池へ行くのもキリーに乗っていいですか?」
「いいだろう」
「あの・・・献上を希望されるとはどういうことですか?」
「キリーは心配ないと思うが・・・珍しいものを集める趣味がおありだ。しかも第二王妃だけでなく、第二王子もだ・・・欲しいと思うものを献上させようとした事が何度かあったのだ。物であれば献上も致し方ないと諦められる事もあるが、生き物は無理だ。特に龍は魔力を受け入れた者以外には従わない。いくら欲しがっても献上どころか購入もできない。聖獣もまた然り。キリーは聖獣だから心配はないが、念の為にアンに従えていると認識させた方がいいだろうと言う事だ」
「そうだったのですね」
「アン、心配しなくても大丈夫よ。フフフ・・・キリーは真っ直ぐな性格のようだから。あの時も、シャルルを乗せなかったのでしょう?」
「そうでした、龍と同じで誰でも乗れないのでした。お母様は知っていたのですね、シャル兄様の事を」
「ええ・・・そうそう、今日はこれからエマキ池に行くのでしょう?飛行用に着る服を沢山作ってあるのよ。好きなものを着たらいいわ」
「・・・ありがとうございます、お母様」
いつの間にかたくさん作っていたらしい、ソフィに準備してもらわないとね。
それにしても王妃様たちが欲しがるなんてちょっとびっくり、ネージュは大丈夫かな?
「あの・・・ネージュも見つからないようにした方がいいですか?」
「屋敷から出さないのが一番いいのだが、そう言う訳にもいかないだろう。ただ店の表には絶対出さないようにした方がいいな」
「屋敷からお店へ移動する時も、隠した方がいいですか?」
「そうだ、馬車の乗り降りなども人目に付かないようにしておいたほうがいい」
「・・・わかりました」
部屋に戻るとネージュはソファーに座って、また口の周りやお腹を真っ赤にしてフレーズを食べていた。割烹着が大活躍をしている。
まるごと食べるフレーズはそんなに美味しいのかな?
ネージュは少しずつ大きくなってきているから、おんぶや抱っこを長時間する事が出来なくなってきている。
アンが食事や厨房などに行く時は、フォセットが部屋で見ていてくれているけど、お出かけの時はどうするか考えた方がいいね。
ネージュがフレーズを食べ終えて、フォセットに口の周りを綺麗にしてもらっていたら、ソフィが飛行用の服を奥の部屋から持ってきてくれた。
空の色に近い青の飛行服だ、晴れた日に着ると青空とお揃いの色になる。ちょっとワクワクした。
立襟が付いた前開きの服は、木のボタンがお花の形になっている。そして右ポケットにはクリーム色の小鳥が刺繡されていた・・・この刺繍は必要なのかな?
また・・・ソフィが刺繍したの?
ズボンは腰回りがゆったりとして、座っても楽なようになっているらしい。靴は足首まであって、薄いクリーム色に青い紐、服に合わせて用意してくれたみたい。
なんと、ネージュの服もあった。
服と言っても背中の空いたスモックみたいな感じ。服の色とボタンと刺繍がお揃いだったよ・・・可愛い。
ソフィに飛行服を着せてもらってから、同じく飛行服を着たネージュをおんぶ紐で固定する。
「うっ、ちょっと・・・重い」
「ピィ?」
「大丈夫、でももう少し大きくなったらおんぶや抱っこは出来ないかも。背中の羽が大きくなって飛べるようになるといいのにね」
「ピィ?」
首を傾げて何?と言っているのかな?返事も可愛い。ネージュは鳥かな?まさか龍?生まれた時はまん丸だったけど、今は楕円ように少し縦長の白い毛玉になり手足の先も少し見える・・・もし、ネージュが空を飛べるようになったら、アンを乗せてくれると嬉しいな。ちょっと楽しみにしていよう。
ユーゴとマクサンスとジュスタンと共に庭に行くと、キリーが待っていた。
「キリー!」
「グワァ」
「ピッー!」
返事をしながら嬉しそうに走って来るキリー。ネージュも久しぶりだからなのか凄く嬉しそうに声をかけている。
近くまで来たキリーの頭や羽に精霊さんが乗っていた。
「アーン」「おでかけー」「キリーもー」
「精霊さんたち、久しぶりね。アンたちはこれからエマキ池に行くの」
「エマキ」「みんなでー」「行くー」
「みんなでエリーとマリーに会いにエマキ池へ行こう。キリーに乗っても良いって、お父様に許可を頂いたの」
「グワッ?」
「どうしたの?」
キリーがアンの服とネージュの服を交互に見ている。
「・・・グワグ」
キリーがなんだか悲しそうにしているけど・・・もしかして飛行服かな?
「キリーもお揃い服が欲しいの?」
「・・・グ、ワ・・・」
「キリーは服を来ても飛べるの?」
「・・・グ、ワ」
目がウルウルしている。
「えっと・・・そうだ、ソフィ」
「何でしょうか?」
「飛行服と同じ生地とボタンはある?」
「はい、生地もボタンも予備で保管してあります」
「わかった。あとでどうするか伝えるね・・・キリー今日は準備できないから、もう少し待っていてくれる?ちゃんと用意するからね」
「グワァ・・・グワッグッ」
キリーはちょっと元気になったのか、すぐに背中を向けてきた。気が変わらないうちに鞍をユーゴに付けてもらわないとね。
鞍を付け終わると、姿勢を低くしてアンが乗りやすいようにしてくれる。
キリーがネージュを見て、服を欲しがるとは思わなかったよ。今度からキリーの分も忘れないようにしないとね。
ようやくユーゴ達も待たせていた龍に乗って出発をする。龍に乗るユーゴ達が羨ましいけど、空に向かって飛べるから今はこれで我慢しないとね。
今日はすぐ戻るから、ソフィはお留守番になった。
精霊さんたちも一緒に行くつもりらしい、ネージュの頭とキリーの頭に乗っている。
可愛いけど飛ばされないの?
「出発するよー」
「グワッー」
機嫌の直ったキリーは飛び立つ前に、アンとネージュの周りに風魔法で壁を作ったのがわかった。
そう言えばユーゴも精霊さんにぶつからないように鞍をかけていたけど、見えるようになったのかな?あとで聞いてみよう。
キリーにせっかく乗れたのに、もうエマキ池が見えてきた。もうちょっと飛んでいたかったな・・・。
あれ?エマキ池にエリーとマリーはいないね。
「湖の方に行ったのかな?」
以前カナール邸と名付けた小屋の近くに降りてもらい、念のため小屋をそっと覗いてみた。
中にはエリーとマリーと2羽のカナールがいた。
エリーの番と思われる白いカナールと、マリーと一緒にいるカナールはエリーより少し色が薄い。目の周りは黒ではなく灰色、頭から背にかけて薄い灰色から青に近い緑のグラデーションだった。エリーは緑が濃いからね。
今までみんな同じ色のように見えていたけど、近くで見ると少しずつ色が違うとわかる。
エリーの番とマリーは卵を温めているのか、藁に上に座って動かない。卵はいくつあるのかな?子供たちが沢山いると賑やかになりそう。
近くでエリーとマリーの番がウロウロしているのがちょっと面白かった。
する事がないのか・・・それとも警備しているのかな?
音をたてないようにそっと小屋の中に入ったはずなのに、4羽が一斉にアンを見た。
「エリー!マリー!おかえり。番も一緒に連れて来たんだね」
「クワックワ」
「クワックワ」
エリーがこちらにやって来ると、マリーもやって来た。マリーの温めている卵が3個見えた。マリーの番が慌てて卵の上に座り温め始めた。
マリー・・・卵は温めなくていいの?声を掛けない方が良かったかも。
「クワックワ」
「クワックワ」
「覚えているの?うれしい。元気そうだね、また、会えてよかった」
しゃがんでエリーとマリーの頭をなでるとじっとしている。番達は動かないでこちらを見ているけど、慣れたら近くまで来てくれると嬉しいな。
「クワックワ」
「クワックワ」
足元に寄って来たエリーとマリーは去年よりも少しだけ大きくなり、逞しくなっていた。南に渡り、そして北に戻って来る距離を考えたら、身体が大きくなるのは当たり前だよね。
明日は王都へ出発だから、帰ってきたらエリーとマリーの子供たちが生まれているかもしれない。戻ってくる楽しみも出来たよ。
「グワ?」
振り向くとキリーが扉から顔だけ出してじっとカナール達を見ていた。すっかり大きくなったから中には入れないね。
「キリーは1羽で帰って来たの?聖獣に番はいないの?」
「グワッ?」
「ピッ」
首を傾げて、きりっとした眉でアンを見つめるキリー。
・・・番はいないらしい。
そしてネージュがいないよと肯定しているように返事をした。うーん・・ネージュはキリーの言葉がわかるの?言葉は違うけど通じて合っているのかもしれない・・・。
見た目は変わっていないように見えるけど、ネージュは成長をしているようだ。
「アン様、エリーとマリーを確認したのですから、そろそろ戻りましょう」
ユーゴはキリーと同じように、顔だけ小屋の中に入れて声を掛けてきた。もうキリーの顔はなかったけど・・・押しのけたの?ちょっとびっくりしたよ。
でもせっかくここまで来たのだからもう少しゆっくりしたいな。
「お願いがあるの」
「えっ!」
「そんなに驚かなくてもいいのに」
「・・・何でしょうか?」
「帰りは湖を周ってから、屋敷に戻りたいの」
「湖の周りには降りませんが、よろしいでしょうか?」
「うん、周るだけでいいの」
「わかりました」
「では、行きましょう」
エリーとマリーとその番達に「またね」と声を掛けて小屋を出た。
キリーに乗って飛び立つと、右にユーゴ、左にジュスタン、後ろはマクサンスで固められていた。
・・・信用されていないらしい。
飛び立つ前にユーゴがマクサンスとジュスタンに目を合わせていたから、あれが合図だったと思う・・・アンを囲めと。
キリーが信用されていないのかもしれない。キリー、真面目に飛んでね。
湖には沢山のカナールたちがいた。並んで浮かんでいるのは番だよね・・・まだ卵は産まれていないのかな?
湖の横の草むらにもカナールたちがいる。こっちは卵を温めているのかもしれない。
今年は卵が放置されていませんように。ユーゴが湖には降りないと言ったから、もう卵を拾う事は出来ないからね。それに拾ったとしても王都に行くから、温める事も出来ないよ。
考えなしで行動してはいけないと、去年から沢山学んだ・・・でもやりたいことは諦めないからね。
エマキ池から戻ってきたら、庭にお父様がいた。
キリーはお父様から明日以降の飛行について、コンコンと注意を受けているせいで、ずっと無言で首を縦に振っている。
だいたい何を言われているか想像がつくよ。勝手に列を外れるなとか、アンが何か言っても聞いてはだめだとか・・・アンを落とすな、『グワグワ』と歌うなとか・・・。
お父様・・・沢山注意事項をキリーに伝えても、全部覚えられないと思います。後ろでお母様と兄様達が苦笑していますよ。
「失礼します」
あっ、セブランさんだ。
「ああ、セブランか、よく来た。今回もよろしく頼む」
「はい、お任せください。明日は初飛行になりますが訓練は充分にしていますから、安心してください。それと今日は妻も一緒です」
「お久しぶりございます。辺境伯様」
「ああ、久しいなウラリー夫人。世話になるが、よろしく頼む」
「こちらこそ喜んで、お受けいたしますわ」
「えっと・・・こんにちは」
「これはアンジェル様、お久しぶりです。ますます美人さんになりましたね」
「ふぇ・・・あの、あ、ありがとうごじゃいま、す。シェブ・・・セブランさん」
また噛んだよ・・・。セブランさんは前にも美人さんと言ってくれて、うれしかったけど、ちょっと恥ずかしい。
「初めまして、セブランの妻のウラリーと申します。ウラリーとお呼び下さい」
「初めまして、ウラリー様。アンジェルと言います。アンジェルと呼んで下さい」
「ありがとうございます、アンジェル様」
龍の宅急便で、今回初めて人を乗せる事になったの。普段は人を乗せる事はしないけど、お店やアンに関わる時と、緊急の移動が必要になった時だけ人を乗せる事にしたと聞いた。
今回の初飛行にはソフィとカジミールが乗るの。
宅急便の話をした時に、ソフィは冷静に「畏まりました」と言いい、カジミールに至っては目をキラキラさせて嬉しそうに「喜んで騎乗させて頂きます」と言っていたよ。さすが、カジミール。恐れを知らないらしい。
でも騎乗って言っていたけど龍の乗る場合は何て言うのかな?龍乗・・・?うーん・・・まぁいっか。
ソフィが急に行く事になったのは、アンのお世話に慣れたていない侍女が、責任を取って辞めると言い出さないようにするためだって。キリーのこともあったしね。
前回はエメリーヌと数人の侍女がお詫び状と一緒に辞職届が添えられていて、お母様が慌てて説得してくれたらしいの。辞めるほどの事ではないと思うけど、王都の侍女達は物事に忠実過ぎるのかもしれない。程々がいいのにね。
カジミールのお仕事はお店や王都店の料理の最終確認と、王族の料理人が屋敷に研修に来るので、パンやクレープの作り方を伝授するらしい。
プレオープンだけでは満足できないから、普段の食事に取り入れたいと王妃様たっての願いとして、数枚の便箋に渡って書かれた手紙が届いていと聞いているよ。
シフォンケーキやバターケーキはお店で買って、売り上げに貢献してくれるって・・・どんどん買ってね。
プレオープンのお土産で配るチョコレートと言う罪な味を知ったら、王妃様はきっとたくさん買いたいとおっしゃると思うの。グランドオープンまでには沢山用意しおかないとね。
それと今日ウラリー様も一緒に来てもらったのは、龍の宅急便のお仕事以外にセブランさんたちに用事があるからなの。
◇ ◇ ◇
数日前、急いで仕事を片付けていると扉がノックされ、バスチアンがやって来た。
「アレクサンドル様、エタンが看板を完成させたとのことです」
「2枚目も出来たと言う事か?」
「左様でございます」
「わかった、この書類を片付けたら見に行こう」
「畏まりました」
もうすぐプレオープンの為、王都に向かわねばならない。
今回はノルベールが暫く王都に滞在し、ベルトランは王都に行った後は南の大領地に1年間行く。
仕事は出来るだけ片付けておかなければならない。
ここに残るのは執務の補佐をしているものだけになるが、龍騎士団の方は騎士団長がいるから問題はないだろう。
仕事の合間を縫ってエタンのところに急いで向かい、看板を確認後王都の店の分はすぐに龍の宅急便で送るようにバスチャンに伝えた。
エタンが描いた店の看板は2枚。
『シャルダン・デ・ローズノール本店』と『シャルダン・デ・ローズ王都店』と大きく飾り文字で書かれている。
文字の周りと背景にグラデーションのローズと精霊が描かれていて、とても美しい看板だと思った。
現在精霊が見えるのはティオドール第三王子とアンだけだ。誰も実態を知らないから、あのような姿をしているのかと感動をした。
その後魔力を増やした家族や騎士団の中で、精霊を完全に見る事が出来るようになったのはベルトランだけだった。
商会で販売しているブラノワやリュックと、ガスパール殿やエミール殿の商会で扱う車いすや歩行器の取扱説明書は、ベルトランがコピーと言う魔法で数百枚も作った。その努力の結果、魔力が増えたと聞いている。
更にエタンが春のメニュを完成させると、それも色付きで100枚以上もコピーした。
ベルトランの努力にはいつも驚く。もともと天才肌で、何でもそつなくこなし要領がいい。しかし努力を惜しまず着々と積み重ねていく、その勤勉さはなかなかまねできないと思う。
私や龍騎士団は仕事の忙しさもあり、まだまだ魔力を増やし切れていないのが現状だ。もっと精進しなくてはならない。
それでも魔力増加訓練に参加した者は、ぼんやりと見えるようにはなっている。
そう、これからだ。せめて店のプレオープンを終わらせ、再びグノーム様のところへ訪れるまでには、何としても魔力を増やしたい。
グノーム様のお姿を拝見し、会話を成立させねばならないからな。
そう言えばアンが、取扱説明書を『トリセツ』と言っていたな。言葉を略称しているのだと思うが、これも夢の世界では普通に使われている言葉なのかもしれない。
それと今日セブラン夫妻が来たのは、人を乗せる飛行の話の他にもう一つ、エタンの事があったからだ。
エタンは事務仕事を学びながら絵の勉強の為、教師を付けている。
幼少時から父親の絵を見て育ったせいか、とても感性が良いと教師が言っていた。
才能ある画家になっても、今は庶民でましてや未成年だ。このまま画家として売り出したら、貴族に利用される可能性が高い。
元々エタンの母親は男爵の出だったのだから、絵が売れ出すと養子にすると言い出すかもしれない。絵を描くのなら引き取らないと言った親族が、金儲けのために養子にするのはエタンにとって気分のいいものではないだろう。
エタンに絵の才能があるとわかった時から、セブランとエタンには養子の話を打診していた。何度か顔を合せる機会を作ると、ウラリー夫人がすっかりエタンを気に入り、ぜひうちの息子になってほしいと願ったようだ。
エタンにその話をした時には「安心して絵が描けるなら嬉しいお話ですが、ご迷惑をお掛けすることになるかもしれません」と不安になっていた。
しかし遠慮をしていたエタンだったが、ウラリー夫人の優しさとセブランのおおらかさに安心をしたのか、やっと首を縦に振った。
我々が王都に向かう前に、漸くセブランとエタンの養子縁組の手続きをする事になった。領地や財産などの相続権は一切ないが、エタンの母方の貴族や他の貴族からは守られる。
セブランは元龍騎士団の副団長まで務めた男だ、心配はしていないはずだ。それどころか3人目の子供ができると、ウラリー夫人とともに喜んでいるのだから問題はないだろう。
王都に行く前に、憂い事は片付けてられてよかった。
◇ ◇ ◇
エマキ池から帰ってきて、部屋に戻るとすぐにソフィに声を掛けた。
「ソフィ、お願いがあるの」
「な、何でしょうか?」
そんなに構えなくてもいいのに・・・。
明日は王都へ出発するから準備で忙しいとは思うけど、ソフィにしか頼めないからしかないよね。
「飛行服の事だけどね。アンとネージュがお揃いでしょう?」
「・・・左様ですね」
「キリーが拗ねたの・・・だからお揃いで作って欲しいの」
「鳥に?いえ・・・キリーに飛行服ですか?」
「えっと・・・服は無理だと思うから生地とボタンは同じで、デザインを変えて欲しいの・・・もう明日には出発だから・・・その・・・すぐには無理だと思うの。王都に着いてからでもいいから・・・お願いしてもいい?」
「わかりました、荷物に生地とボタンや材料を入れておきます」
「うん、ありがとう後で紙に形を書いて渡すね」
「かしこまりました」
遂に王都へ出発する日となった。
それぞれ出発の準備をして、皆が庭に集まっている。
ソフィとカジミールはアンたちが出発したら、龍の宅急便に乗って後方からついて来るらしい。
龍の胸より少し下に窓のついた箱が固定されていて、中は一人ずつ仕切られているけど、ソファーのような広い椅子になっている。ベルトが付いていて揺れたりした時に、椅子から投げ出されないようにするためなの。茉白の世界の車と言う乗り物の椅子についていた、シートベルトのような感じのもの。お父様に言って着けてもらったの。安心安全でしょ?
そろそろ出発するらしい。
お母様はお父様の龍に同乗し、ベル兄様は護衛のクレマンに同乗している。クレマンはベル兄様と共に南の大領地に一緒に行くことになっている。
「婚約者もいないので身軽な身ですから」と笑って言っていたけど、ベル兄様の大切な護衛兼友人だと聞いている。
アンも大切なお友達がいつかできたらいいな。学院では同じクラスにマリエル・クラメールという子がいたけど、悪意しか感じなかったよ。なんだか面倒そうだし、かかわらないでいたい。
学院には月に一度しか行かないけど、何でも気軽に話せるお友達が出来たらいいな。
ベル兄様には1年間会えなくなるから、刺繡をしたハンカチを3枚用意しているの。
ペリドットの色の刺繡糸で『ベルトラン』と名前を刺し、名前の下に蔦の模様を囲むように濃い緑色の糸で入れたのが2枚、もう1枚はプラターヌの葉を型取りして葉の中に名前を入れてある。
王都に着いたら渡す予定なの。気に入ってくれたらいいな。
あっ、キリーがやって来た。
「キリー、おはよう」
「グワッグッ」
すぐに乗ってと背中を向けてきた。
「キリー待って、飛行服があるの。ソフィが夜に1枚だけ作ってくれたの。今着せてあげるね」
「グッワァ」
「飛行服とはいえないかもだけど、可愛くしてあるからね」
ソフィが夜中に頑張って作ってくれたのは、アンの飛行用の服と同じ空色の生地で出来ているの。中心にお花のボタンが一つ、その下には使わないけど小さなポケットが付いていてクリーム色の小鳥が刺繍されている。
「グワ?」
「アンとネージュとキリーのお揃いの飛行服だよ。同じ生地で出来ているからね。ソフィ、キリーに付けてあげて」
「畏まりました」
ソフィが幅広の紐をキリーの首に回して、紐の先についているお花の形のボタンで止めた。
そう、これは茉白の世界にあった赤ちゃんの涎かけに似たものだけど、キリーには涎掛けとは言わないでおこう。
キリー専用のエプロン風の飛行服と言えばいいよね。
「グワグゥ」
「うん、いいね。似合うよ」
「ピィー」
キリーとネージュと一緒に喜んでいたら、お父様とお母様の口角は上がっているけど目が笑っていないかった。
ユーゴは目が点になっているし、マクサンスとジュスタンは横を向いたままこちらを見なかった。
・・・なぜだろう?
「アン・・・キリーの、その・・・首についている布はなんだ?」
お父様が遠慮がちに聞いてきた。あれ?見てもわかないのかな?
「こ、これはキリーの飛行服・・・のようなもので、アンとネージュとキリーのお揃いにしたのです」
「・・・そうか」
「ア、アレクサンドル様、時間ですから出発の準備をお願いします」
お父様の護衛のイヴァンが声を掛けてきたけど、アンたちをちらっと見て、すぐに横を向いてしまったよ。出発の準備で忙しいのかな?
「では出発をする・・・キリーは列を離れるな。アンもよそ見をしないように」
「「「はっ」」」
「グワァ」
「は、はい」
お父様がみんなに声を掛けたけど、キリーとアンはまた注意を受けてしまった。信用されていないらしい。
列を乱したら馬車以外は乗せないと前に言われているから、今回はおとなしくついて行かないとね。
最初に護衛が乗った龍が2体飛び立ち、次にお父様とお母様が乗った龍、右に護衛のイヴァンを乗せた龍、左にもお父様の護衛と龍が飛び立った。
そのあと、ベル兄様が同乗しているクレマンが乗った龍が飛び立ち、次はユーゴ、その後ろにキリーに乗ったアンとネージュ。右にマクサンス、左にジュスタン。後ろがノル兄様と護衛のレーニエ。
次はソフィとカジミールが乗った龍の宅急便で、最後尾は護衛の乗った龍たち3体。龍15体と聖獣キリーが飛ぶ軍団だよ。
皆が同じ速さで飛んで行く。
前を見てから横を見る。そして後ろを振り返っても、列は間隔を均等に開けて飛んでいた。
「・・・なんてステキなの」
思わず呟いてしまった・・・7歳の時に東の丘で龍騎士団の訓練を初めて見て、龍に憧れたけど、今は一緒に飛んでいる。アンは龍ではなくキリーに乗っているけど、いつか龍に選ばれて再び空を飛びたい。
早く10歳になりたいと思った。
次回の更新は9月12日「58、プレオープン前の準備」の予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。




