5、2人の視点
目を開けても、意識はぼんやりとしています。徐々に意識がはっきりしてくると見慣れた天井?・・・ベッドの中?
「えっ?・・・あっ!」
一気に意識が戻りました。
「アンジェル様!」
慌てて起き上がろうとしたら、肩をそっと抑えられてしまいました。
「ソフィ・・・目が覚めたのね。魔力枯渇で2日間も眠っていたのよ、身体は辛くない?」
ブリジットさんはここにずっといてくれたのでしょうか・・・?
「・・・も、問題ありません」
「そう、良かったわ・・・でも随分と無茶をしたのね。今回は何事もなく済んだけれど、命にかかわるような事なのよ。ソフィに何かあればアンジェル様も悲しむのですよ」
アンジェル様・・・も・・・?
「申し訳ございません・・・アンジェル様は?・・・アンジェル様はご無事でしょうか?」
「幸い怪我はなかったわ、ソフィのお陰かしら?・・・でも、まだ眠っていらっしゃるの・・・貴女の打撲と擦り傷は救護隊の方が癒してくれたけれど、身体はかなり負担がかかっているそうよ。2、3日は安静にするようにとお医者様が仰っていたわ・・・それと旦那様がソフィの体調が落ち着いたら、崖から落ちた時の状況を聞きたいそうよ。今は目覚めたことだけ先に報告しておくわね」
「あ、明日から動けます、アレクサンドル様のご都合が宜しければ何時でもお会いできますので・・・」
「無理をしなくてもいいのよ、貴女には一週間の休暇が出ているわ」
休暇?しかも一週間も?アンジェル様をお守りできなかったせいでしょうか?
「・・・いえ、大丈夫ですが、一週間のお休みとは・・・?」
「ソフィを心配しての事なのよ。ゆっくり休んで元気になったらまた、侍女見習として頑張ればいいの。旦那様には明日以降でとお伝えするわ」
「・・・はい」
「何かお腹に入れた方がいいわね、今日は部屋で食べるといいわ。ベッドサイドに置いてあるお薬は食後に忘れず飲んで・・・今はゆっくりと休む事、いいわね」
「・・・ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「旦那様は良く守ってくれたとおっしゃっていたわ。ソフィの辺境伯家に対する忠誠は騎士と同等だと驚かれていたけど、貴女が動いたことでノルベール様も守られたのよ。誇る事はあっても謝る事ではないわ。でも・・・もう、無茶はしないで・・・凄く心配したのよ」
ブリジットさんの目が揺れ少し伏せられています・・・。
7歳の時に両親を事故で亡くし、8歳の時にブリジットさんに引き取られました。その時から辺境伯様のお屋敷でお世話になっています。今ではアンジェル様の侍女見習いをさせていただけるようになったのです。
とてもお世話になったブリジットさんに迷惑をかけてしまいました。きちんと自分の気持ちを言わなければいけません。
「・・・あの・・・ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
「ええ、もちろんよ。旦那様にご都合を伺ったら知らせるわね」
「はい」
ブリジットさんが去った後、先輩侍女のフォセットさんが来て、パン粥と果物をワゴンに乗せて運んで下さいました。お礼を伝えゆっくりと食事を取り、薬も飲んでまた眠ることにします。
翌日の朝、ブリジットさんが2日後の午後からアレクサンドル様の書斎に行くようにとおっしゃいました。
明日でも構わなかったのですが、私の身体を気遣って下さったのでしょうか・・・?
「・・・ソフィ、です」
緊張しながら扉をノックして声を掛けると、扉が開かれバスチアンさんが出迎えてくれました。
「旦那様がお待ちです、こちらへ」
既にアレクサンドル様は机の横にあるソファーに座っていらっしゃいました。
「今日は座って構ない」
「恐れ入ります」
お言葉に甘え、アレクサンドル様が目線で示したソファーに座らせて頂きました。
「もう動いて問題ないのか」
「問題ございません、この度はご迷惑おかけして申し訳ございませんでした。あの・・・アンジェル様にお怪我はなかったとブリジットさんから伺いました。もうお元気になられたのでしょうか?」
「怪我はないが、魔力が枯渇しかけたせいでまだ眠ったままだ・・・ソフィも大きな怪我はなく何よりだったな。早速だがあの時の状況を覚えている範囲で構わない、教えてくれるか?」
お目覚めになっていないアンジェル様が、心配です・・・。
「はい・・・激しく揺れた馬車から飛び出されてしまったアンジェル様を守ろうと、私も馬車から飛出しました。アンジェル様を抱え、落下する勢いを少しでも抑える為に風魔法を使いましたが、魔力がもたなくて最後まで維持する事が出来ませんでした。アンジェル様は気丈に振舞われ堪えておられました。震えるアンジェル様の身体を抱え地上まであと数メートルかと思う所で、突然目の前が眩しく光り出し、目を瞑ると身体にぶつかるような衝撃がありました。その後のことは記憶にございませんので、その時にアンジェル様と離れてしまったのだと思います。私は・・・私はアンジェル様を・・・最後までお守り出来ませんでした」
膝の上で両手をきつく握りしめ俯いてしまいました。申し訳なくて顔を上げる事が出来ません。
「落下する二人の速度を抑えることは、相当な魔力量と制御が必要だ。騎士でも繰り返し訓練が必要なのだ。それを侍女見習いのソフィがあの状況で風魔法を使えたとは・・・それだけでも立派なことだ」
「・・・いえ」
「・・・命をかけて守ってくれた事を、アンジェルの父として心から感謝する」
アレクサンドル様の言葉に驚きと同時にアンジェル様を大切に思う親の心が暖かくも羨ましいと感じてしまいました。
「もったいないお言葉です」
そう言ってまた顔を伏せてしまい・・もうどんな顔をしていいのかわからないのです。
「だが、これ以上無理をしてくれるな、アンジェルの命を守るのは我々と護衛の仕事だ。侍女の仕事ではないぞ・・・それにソフィに何かあればステファニーにブリジット、そしてアンも悲しむ。自分を粗末にするな、わかったな」
アレクサンドル様の言葉が亡くなった父と重なり、本当に心配をして下さっているのだと感じ、目の奥が熱くなりました。
こんな私にも労いの言葉をかけて頂き・・・只々感謝です。
「お気遣いいただきありがとうございます・・・8歳からこちらでお世話になり、学院にも通う事が出来、読み書き計算以外にも魔法の基礎を教わる機会まで与えていただきました事をずっと感謝していました。まだ見習ですが侍女としての仕事も与えて頂きましたので、これからも・・・もっとお役に立てるよう努力致します」
「そうか、あまり無茶をしない程度に頑張れば良い・・・まずはゆっくり休みなさい。今日はご苦労だった」
「あの・・・アレクサンドル様、アンジェル様がお目覚めになられましたら、また担当をさせて頂けるのでしょうか?」
「変更の予定はないが?」
「はい!ありがとうございます。それでは失礼いたします」
深く一礼して書斎を後にしました。
アレクサンドル様に叱られる事もなく、心配され労われた事に少し心が暖かくなりました。
事故で両親を失い、直ぐに父方の叔父一家が「ソフィが成人するまでの代理だ」と言って私が住んでいる屋敷にやって来ました。自分の子供に男爵と言う爵位を継がせる為にやって来たと、侍女たちが話しているのを聞いてしまいました。
でも爵位は母方のもので、父は婿だと聞いたような気がします。叔父の子供はそれで本当に継げるのでしょうか?
いずれにしても私はとてもお邪魔だったようです。物置小屋のような部屋に移され、少ない量の食事が部屋に運ばれるのですが、時々その少ない食事も抜かれていましたから、いつも空腹でした。
母方の親戚のブリジットさんが、男爵邸に叔父一家が勝手に住み込んでいる事を知り、私を心配して屋敷に来てくれたのです。
叔父は「ソフィは病気で臥せっているので、会えない」と言ったそうです。
ブリジットさんは「わざわざ呼び出さなくても、私がソフィの部屋に行けばいいだけの事です!」と仰って、叔父を振り切って突進したそうです。もちろん、私はソフィの部屋と言われている所にはいません。他の部屋も全て叔父一家が使っています。
「ソフィ!ソフィ!何処にいるの?・・・ソフィ!」
薄暗い部屋の床でシーツを被って丸まっていた私の耳に「ソフィ!」と呼ぶ声が聞こえました。叔父たち家族の声ではありません。ずっと前に聞いた事があったような母に似た声です・・・そっと扉を開けて顔だけ出して廊下を見ました。
「ソフィ?ソフィなの?・・・覚えているかしら?ブリジットよ。あなたのお母様の従妹よ・・・ああ、こんなに痩せてしまって、もっと早く迎えに来れば良かったわ・・・ごめんなさい。辛い思いをさせて、うっうう・・・ごめんなさい・・・」
両膝を床に付け私を抱きしめてくれたのですが、酷く泣かれてしまいました。
「・・・ブリジット・・・叔母さま・・・?」
私を見つけて下さったブリジットさんが、救い出してくれたのです。すぐに屋敷を出て、ブリジットさんが泊まっている宿に行きました。
宿の部屋に入ると、すぐにお風呂に入れてくれました。ずっとお風呂に入れず、布を水に浸して拭いていただけなので、お湯がとても気持ちが良かったのを覚えています。
それからゆっくりと食事をしながら、この1年間の話をしました。
部屋から出ても居場所がなかった事。
普段の食事の量が少ない上、食事が貰えない日もあった事。
寒い時でも水しか使えず、身体を拭くのが辛かった事。
新しい洋服は取りあげられ、身体に合わない侍女の服しかなかった事。
お母様が春になったら履くようにと買ってくれた靴は、取り上げられないように隠していたけど、もう小さくなって履けなくなっていた事。
お父様とお母様に会いたいと思った事・・・この言葉はブリジットさんを困らせるだけだったと後から気づいて後悔しましたが・・・。
ブリジットさんにまた大泣きされてしまいした。あの時はお風呂に入って綺麗になり身体が温まっていて、そしてお腹が一杯なのと、ブリジットさんの優しさにホッとした事で、何もかも話してしまったのだと思います。
食事が終わると近くのお店で、水色の小鳥の刺繡が袖口の周りとポケットに縫われているワンピースと小鳥と同じ色の靴を買って頂いたのです。お母様が買ってくれた靴と同じ色です。
思わず「嬉しい」って声が洩れてしまったのですが、ブリジットさんは何故か目に涙を浮かべていました。
「明日の朝は私が仕事をしている屋敷へ戻るので、一緒に馬車に乗って行きましょうね。これからは毎日キチンとご飯も食べられるわ、部屋から出て散歩をして、学院にも行きましょうね。もう怖いことはないのよ、安心してね」
ブリジットさんはそう言って頭をなでてくれました。
「・・・はい」
もう我慢しなくていい・・・部屋から出ても大丈夫なのだと思ったら涙が溢れて止まらなくなったのです。
ブリジットさんが突然私を抱きしめました・・・ブリジットさんは暖かかったです・・・。
「ううっ・・・うわぁーん!」
ブリジットさんにしがみついて声を出して泣いてしまいました。ブリジットさんは何も言わず、私が落ち着くまでずっと抱きしめてくれていました。
翌日もご飯をお腹いっぱい食べて、ブリジットさんと一緒に馬車に乗りました。生まれた領地を離れ、初めて見る外の景色は空も山も畑もとても新鮮に見え、この先に安心と言う幸せがあるのだと・・・気がついたらポケットの水色の小鳥を撫でていました。
馬車から降りると、お屋敷の裏と思われる所でしたが、そのお屋敷の大きさに驚いて口あけたまま見上げてしまった事を思い出します。絵本で見たお城のようでした。
「今日から辺境伯様の所で暮らすのよ」
ブリジットさんはそう言って微笑えんでいました。あの暖かい微笑を今でも忘れません。
仕事をしている時は「ブリジット伯母さま」ではなく「ブリジットさん」と呼ぶようにと教わりました。
今は辺境伯爵様のご家族の方やブリジットさんにも優しくしていただきとても幸せです。
安心という温かい幸せを頂いきましたので、今度は私が病弱でお部屋からほとんど出る事が出来ないアンジェル様の為に尽くす所存です。
男爵領はアレクサンドル様の補佐の方が監視をして下さり、うまく運営されていると聞きました。
私が成人したら男爵領は継げるそうです。でも出来ればお婿さんを迎えた後に引き継いだ方が良いらしいです。
叔父たちが横領した両親の財産は少しずつ返済されています。まだ男爵領には住んでいると聞きましたが・・・。
私は爵位に未練はないので、このまま辺境伯様の下で仕事をして行きたいと願っています。
今年で15歳になり成人しました・・・ブリジットさんを通して辺境伯様にご相談させていただくつもりでいます・・・「男爵の位は国に返上したい」と。
叔父たちは元の暮らしに戻ればいいだけの事ですから・・・ね。
◇ ◇ ◇
ソフィとの話を終え、直ぐに茶室に向かった。
部屋に入るとソファーにゆったりと座ったステファニーが微笑む。
「お待ちしておりましたわ、アレクサンドル様」
「ああ・・・今は熱い茶が飲みたい」
「直ぐに用意させますね」
侍女が見るからに熱そうな湯気の立った紅茶をテーブルに置いた。
一気には飲めないがこの熱さが心地よい。少し身体が冷えていた、いや・・・肝が冷えていたのかもしれないな。
ソフィは私たちに感謝していると言った時に、ソフィの生い立ちを思い出した。1年間苦労したが、ご両親に愛情深く育てられたのだと思う。
「ソフィから話を聞いてきたが、突然目の前が光り出し眩しくて目を瞑ると、身体に衝撃があったと言っていた・・・恐怖に陥ったアンが魔力を暴走させた可能性が高い・・・二人ともよく無事でいたものだ」
「そう・・・ソフィの体調は戻ったのかしら?」
「ああ・・・顔色も悪くなかった。風魔法で落下速度を抑えようと奮闘したらしい・・・騎士でも大変な操作なのだが・・・小さい時に苦労したせいか、何かに必死になる傾向はあるようだ、無茶はしないように伝えた」
「ソフィの心の傷はいつか癒えてくれると良いのだけれど」
「そうだな・・・アンはまだ目覚めそうにないのか?」
「ええ、魔力はかなり回復しているとモロー女医から聞いているけど・・・体力がないので、もう少し時間が掛かると言っていたわ」
「そうか・・・アンはあの時・・・なぜ穴の中で擦り傷一つなく卵を抱えていたのか・・・判らないままだ。しかも卵と共に光っていた・・・光属性を持つアンの影響なのか・・・いずれにせよ回復したらアンを連れて大神殿に再検査に行かなくてはなるまい。その前に陛下に話を通しておいた方がよさそうだ・・・卵の件もあるからな」
「アンは生まれる時も、その後も不思議な事ばかりだったわ」
「あの小さな体で色々と・・・いや、色々あるから小さいのか・・・今は眠っているだけで熱は出ていないと聞いたが」
「ええ、今のところは・・・気になるのはあの白い卵ですわね」
「・・・」
何も言えずもう一度お茶を飲んだ。冷めて飲みやすくなったのに、何故か味がわからなかった。
アンは精霊巫女候補になるのか?王都の神殿で暮らす事になるのか?
辺境伯には女児があまり生まれない。輿入れに来た母が最初に産んだのが女児で、大層喜ばれたと聞いている。
何代かぶりで生まれたのがリシェンヌ姉上で、しかも光魔法持ちだった。
元々いらっしゃった精霊巫女のイザベル様の光魔法の方が優れていたので、精霊巫女にはならずに済んだが・・・。
何度か大神殿に行ってイザベル様の手伝いをしていた程度だったが、その数回でユルリッシュ陛下にお会いしたらしい・・・まさか妃になるとは誰も思っていなかった。おおらか過ぎる姉上のどこが良かったのですか・・・陛下?
私の代でも4番目の子が女児だと姉上に知らせた時は大層喜んでくれたが、虚弱な為まだ1度も会せていない。今回、王都の行った時に会せる事が出来れば良いが・・・。
「もう1杯いかがかしら?」
考え事をして黙り込んでいたが、ステファニーの声で我に返った。
「いや・・・もう充分だ。私は書斎に戻ってユルリッシュ陛下に手紙を書いてくる・・・近々王都に行かねばならない」
「そうね・・・何だか忙しくなるような気がするわ」
何も言えず頷くだけだった。
次回更新は10月24日の予定です。