28、ひ弱令嬢の思いつきは止まらない
「着替えたら私の書斎に来るようにね、母上と一緒に話を聞くよ」
街での買い物も終えて屋敷に戻ると、ノル兄さまが目を細めてにっこり微笑んで言った。
そうか・・・ノル兄さまにも専用の書斎と言う部屋があると・・・?知らなかったよ。いずれアンも書斎と言う部屋を貰えるといいな。
「・・・アン?」
ノル兄さまが怪訝な顔をして顔を覗き込んできた。
「はい?」
「聞いていたかな?私の書斎だよ?」
「は、はい!着替えたら行きます」
「じゃあ後でね」
ノル兄さまは手をひらひらと振って行ってしまった。書斎のことを考えていたら返事をするのを忘れていたよ。
部屋に戻り、ソフィに着替えを手伝ってもらいながら、思いついたことを一つずつ片づけていこうと頭の中でいろいろと考えてみる。
うん・・・することがいっぱいある。
「ソフィ、お願いがあるの」
「なっ、何でございましょう?」
なぜ驚くのかな?
「明日の午前中はジェローに会いたいの。カジミールには姫ポムを使った時に残った皮と芯は、捨てずに干してと伝えて。明日の午後から厨房に行く事も伝えてね。それからノル兄さまが着替えたら書斎に来るように言われているの。お母さまもいらっしゃるから、今日買ってきた布とリボンを持って行く準備もお願いね」
「畏まりました。明日は午後からポランが馬車職人を連れきますが、カジミールの所にはその後で行くと伝えてよろしいですか?」
「うん、それでお願い」
「では、布とリボンを用意いたしますが、刺繍糸も用意いたしますか?」
「刺繍糸?あるの?」
「はい、アンジェル様のリュックやエプロンに刺繍した時の糸がまだございますので、用意いたします」
ソフィはそう言うと、準備をするため部屋を出て行った。
ソフィが戻るのを待っている間にお母さまやノル兄さまに見せる為に、車いすや歩行器、クッキーを入れる袋とケーキを入れる木箱の絵を描いていた。
ソフィが籠を抱えて戻って来たから、絵を描いた数枚の紙も籠に入れてもらい、ノル兄さまの書斎に向かった。
書斎には既にお母さまが来ていた。
「お母さま、ノル兄さま、報告と相談に来ました」
「ええ、ノルから聞いているわ、私の横にいらっしゃい」
「はい」
お母さまが座っている三人掛けのソファーに並ぶように腰掛け、向かいにはノル兄さまが座っていた。
「報告は2つあります。相談はお店と鉱員や騎士たちに関わる事です」
「色々ありそうだね。その報告の中にドッグセラピーと言うのもあるのかな?」
「はい、ノル兄さま。それは報告の方になります。ガスパールさまのお宅に訪問した目的はバリアフリー仕様にされた屋敷の事が気になったから・・・でも今回は・・・聞き忘れました」
「そう・・・話に出さなかったのは忘れていたからと?」
「はい・・・窓のレースやホールや応接室の絵画に見とれ・・・そしてダニエルさまやランベール夫人の話を聞いているうちに・・・すっかり忘れてしまいました。ごめんなさい・・・次回伺った時に忘れずに聞きたいと思います」
「・・・諦めたわけではないのね」
「はい・・・また遊びに来ても良いと言って下さいましたから」
にっこり笑って答えると、お母さまとノル兄さまがそっと息を吐いていた。これが溜息と言うものだろうか?
「そうか・・・では2つ目を聞こうかな?」
ノル兄さま・・・笑顔なのに目がちょっと怖いよ。
「ふ、2つ目は車いすや歩行器、そしてドッグセラピーの事です。車いすや歩行器の形は紙に書いてきました」
お母さまに紙を渡すと、不思議そうに紙を見て首を傾げた。
「椅子に車輪がついているのね」
お母さまは首を傾げたまま、紙をノル兄さまに渡していた。ノル兄さまはじっと紙を見つめ、何か考えているように見える。
「この椅子もアンの友達の世界のものかな?」
「うん、椅子もセラピードッグのことも」
「医療が進んだ世界なのだろうね」
「でも魔法はないと言っていたの」
「魔法がない・・・?」
「魔法がなくても蛇口と言うものからお水とお湯が出たり、部屋を明るくしたり、病気や怪我も全部ではないけど治せるみたい」
「凄い世界だね」
「うん、アンもそう思う。車いすもその世界にあるから、試作品を作ってみたいと思ったの・・・ポランの知り合いの馬車職人が、明日屋敷に来るから聞いてみるつもりなの」
「明日?・・・話を進めていると言うことかな?」
「作れるかどうか確認しないと、ガスパールさまに伝えられないもの・・・車いすがあれば、歩けない人が座って部屋の移動もできるし、誰かに押してもらう事で庭へ散歩にも行けるかもしれない・・・ガスパールさまの家はバリアフリーだから車いすが利用しやすいと思って・・・」
「そういうことか・・・わかったよ。明日の馬車職人の件も報告するようにね」
「・・・はい」
「次はドッグセラピーだったね」
「はい、ドッグセラピーと言うは元気がなくなってしまった人の心を犬が癒し、少しずつ元気にしていく事なの」
「心が元気に?」
「犬と一緒に遊んだりおやつを上げたり、そのうち犬のお世話をもっとしたくなって、毛並みを整えてあげたりしているうちに、少しずつ心が元気になっていくの。心が元気になるともっと動きたい、もっと何かをしたいって思うようになるから、ずっと寝ていた人もちょっとずつ元気になると思うの。移動は車いすや歩行器があれば、本人だけじゃなくてお世話している人も楽になるよ。その最初のお手伝いを犬がするの。それが『セラピードッグ』なの」
「そう・・・アンなりに考えてくれていたようだけど、相手がどう思うかだね。先ずは、車いすや歩行器の製作が可能かどうか職人の確認。それとこの件はガスパール様にきちんと伝えて了承を貰わないといけないよ。車いすの安全性と『セラピードッグ』の必要性も伝えないとね。いきなり犬を連れて行っても受け入れられない事もあるからね。もう会えない人や、可愛がっていた犬を思い出すのが辛い人にとっては、塞がっていない傷に触れるようなものだからね」
「・・・もし・・・もし了承をもらえたらミラを連れて行ってもいい?」
「ミラを?・・・いいのかい?ガスパール様がミラを気に入って、買い取りたいと言われた場合は断れないよ・・・犬が欲しいなら違う犬をどうぞとは言えないからね」
「うん・・・ミラは大好き。でも、アンは育てられないと思うの。学院があるし、2年で卒業を目指すつもりだから。2年目は王都に通うことになるでしょ。それにお店もあるし、キリーや背中の白い卵もあるもの。ミラと一緒にいる時間が凄く少ないと、寂しい思いをさせてしまうよ・・・それにミラは身体が小さくて救助犬には慣れないのでしょう?・・・でも、セラピードッグにはなれるかもって思ったの」
「そう・・・アンなりに考えての事なのだね。もしミラがセラピードッグになるとしたら、訓練は何か必要なのかな?」
「救助犬のような訓練はいらないと思います。人に攻撃的な行動をとらない事、穏やかで人懐こい事、環境にすぐ馴染める事だけだったかな・・・一緒にいる人たちが気をつけるのは、犬の生まれ持った性質をわかってあげて、ミラに無理をさせない事です」
「難しい訓練はいらないようだね・・・まだ躾は完全ではないけど、ミラは温厚で人懐こいからね。先ずは明日アンと職人の話が終わった後で、私の方でガスパール様に連絡をするよ、それでいいかな?」
「はい、お願いします。えっと・・・次は、鉱山の鉱員や騎士たちの、保存食についてお話をします」
「保存食?」
「はい、冬になると吹雪で下山できなくなった時に、避難小屋で食べられる保存食を作ろうと思ったの」
「日持ちのする食料か・・・それは貴重だね」
「ビスコッティと言って、パンの代わりになるの。少し硬いけど保存は1ヶ月位出来るはず、だから避難小屋に置いたり、皆さんがリュックに入れて持ち歩いたりしてもいいかなって。試作品はこれからカジミールに頼んで作ってもらう予定なの」
「それが可能なら凄く助かるよ・・・試作品が出来たらすぐに報告して欲しい」
「うん、わかった・・・次はお店の事です。お母さま、クッキーを袋に入れて可愛いリボンを結んで売りたいです。袋やリボンにお店のしるしになる刺繍も入れたいです」
「いいわね、北の領地らしい色の布かリボンを使うのはどうかしら?庭にあるグラデーションのローズを1輪だけ刺繍しても、素敵だと思うわ」
「ローズがお店のしるしになるのはいいですね。布は薄いピンク色にしてリボンは少し太めで領地の色の紫色はどうですか?今日用意した布とリボンにその色があります」
ソフィは持ってきた籠から、薄いピンクの布と濃い紫のリボンを出してくれた。
「素敵ね、リボンの先にも刺繍があってもいいわね」
「はい、試作品を作ってみます」
「ええ、楽しみにしているわ。でもアンばかり頑張っているけど、こちらでお手伝いできることはないのかしら?」
「これから相談する事が出てくると思います」
「その時は遠慮なく言ってちょうだいね。家具や食器はお父さまと相談しながら、進めているから安心してね」
「ありがとうございます、お母さま」
「私も出来るだけ協力はするよ、でも必ず相談と報告を忘れないようにね」
「はい、ノル兄さま。明日また報告します」
ノル兄さまとお母さまはにっこり笑って頷いたから、報告は大丈夫だったみたい。
無事報告が終わり二人に挨拶をして書斎を出た。
翌朝起きたら、机に薄いピンク色の袋と紫のリボンが置かれていた。袋の端とリボンの先端にグラデーションのローズが1輪刺繍されていた。
うわぁ・・・ソフィの仕事、はやっ!
刺繍が好きだから作ってくれたのかな?・・・凄く綺麗にできている。
お母さまに見てもらって、いいよっておっしゃったら沢山作ればいいよね。
「おはよう、ソフィ」
「おはようございます、アンジェル様」
「袋を作ってくれたのね、ありがとう。すごく素敵、明日お母さまに見てもらうね」
「お恥ずかしいです。勝手に作ってしまったのですが・・・見本になればと思いまして」
「うん、見本にさせてもらう。凄く綺麗に出来ているもの」
ソフィは恥ずかしそうに微笑んでいたけど、こういう作業には積極的だよね。アンは出来ないから頼むつもりでいたから助かったよ。
「今日は先ずジェローのところに行くね」
「畏まりました。」
今まで、育てては種を取っていたラディが、3回目以降から1週間で種が取れるくらい成長が早くなってしまい、明日の5回目の種取りを最後にしばらくお休みすることにした。
種を入れていた瓶がいっぱいになったので大きめの壷に移し替えていたけど、その壷もいっぱいになってきた。
どこに植えるか考えないと・・・春の開店までにノールシュクレは沢山いるからね。それと姫ポムも・・・。
春の開店までに材料を用意するのが大変だよ・・わがまま王妃さまめ!
お父さまも店の改装と人材、よその領地からの材料の仕入れで奔走していると聞いている。アンも頑張らないとね。
庭の奥に行くと小さな植木鉢が沢山並んでいた。
ジェローも王妃さまの犠牲者かな?・・・これはたぶんローズだと思う。
半分はアンのせいかな・・・?ううん、ローズはお母さま愛の強いお父さまのせいだよ。
「おはようございます、アンジェル様」
植木鉢を見ていたら後ろからジェローが挨拶をしてきたので慌てて振り返った。
「おはよう、ジェロー・・・これはあのローズ?」
「さようでございます。春にお店の庭へ植える予定ですが・・・何せこれから冬になりますので、どこまで育ってくれるか・・・雪が降る前に小屋に運んでから、枯れないように藁などで囲います。今年は小屋に少し暖を入れる許可も貰いましたが・・・なんとか無事に育って欲しいと願うばかりです」
「ジェローも苦労しているのね。春の2の月がオープンだから1の月には移動させないとね」
「はい・・・考えられる事は全て準備するつもりです」
ジェローは疲れているようだった。
「ジェロー安心して、苗が枯れていなければ大丈夫だから」
「枯れていなければ・・・?ですか?」
アンは頷いてにっこり笑った。
魔法で育てるよ、だから安心して・・・声に出しては言えないけど。
「今日は少し大きな鉢に土を入れてほしいの。また3つお願いしてもいい?」
「もちろん構いませんが、1週間前にお渡しした鉢の土の交換はよろしいのですか?」
「うん、あれはからになるの。明日返すね」
「から?ですか・・・?わかりました。では用意してきますね」
首をかしげながらジェローが鉢を取りに行っている間に、ローズの鉢にほんのちょっと成長させる魔法をかけておいたよ。
お店はきっとすごく素敵なローズの庭になると思う・・・ジェローもその目で確かめたらいいよ。
頑張れ・・・ジェロー。
鉢を持って戻ってきたので、サロンのテラスまで運んでもらった。
ジェローにお礼を言ってそのままサロンのテラスの扉を開けて中に入ろうとしたらソフィがアンの腕にそっと手を置いた。
「アンジェル様、テラスの扉は鍵が掛かっていますので外からは入れません。今日はホールの横から来ましたので、ホールまで戻った方がよろしいかと・・・」
「は・・・い」
そうか・・・戻るのが面倒と思ったけど駄目だった。次回からはサロンから出るようにしようと固く誓う。
昼食後は商人用の応接室で車いすの打ち合わせをする予定。まだ少し時間があるから、部屋で本を読もうと思っていたら、ポランが馬車職人を連れてやって来たと連絡が来た。
少し早く来たみたい・・・慌てて応接室に向かった。
「初めましてアンジェルと言います」
「ファブリスと言います。馬車を作っていますが・・・ポランから車輪のついた椅子を作りたいと聞きました」
「足の不自由な人が座って、誰かに押してもらう事で移動できる『車いす』と言うものを作って欲しいの。紙に絵を描いたから見てもらえる?」
「・・・確かに車輪のついた椅子ですね。背もたれと、車いすを押す時の持ち手を付けて車輪はあまり大きいと座っている人の手を挟む可能性もあるか・・・カバーを付けるかもしくは車輪を小さくするとか・・・車輪を止める部品もつけた方がいいのか?・・・坂道で動かないようにして、いや室内用?外にも出てもいいようにした方がいいのか?・・・うーん・・・少し時間をくれますか?面白そうなので挑戦してみますが・・・おそらくできると思います。歩行器は小さい車輪が木だと持たないかも知れない・・・これは鍛冶職人に頼んでみるか・・・」
ファブリスの話はアンに質問しているのか、独り言なのかよくわからなかった。
「あの・・・今は室内と庭に出るくらいで・・・いずれ外出用もあればいいと思うけど、出来ると言うことでいいの?」
「えっ?あっ・・・すみません。絵を見て頭の中で勝手にどう作るか考えていました。一先ずめどが立てば連絡します。試作品は・・・出来れば1か月くらい時間が欲しいです」
「1か月ね、歩行器も併せての期間と言う事?」
「歩行器は身体を支える部分は木で作るけど、つなぎと車輪は鍛冶職人次第だな。それほど時間はかからないと思うけど・・・それと高さ調節があった方がいいですね」
「え?はい・・・使用する人の背丈がどれだけあるかわからないから、調節できるようにしてほしい」
この人の癖かな?独り言と質問が交互に来るよ。
「わかりました」
「金額はどのくらいになるの?」
「車いすで小金貨3、4枚でしょうか。歩行器も小金貨1枚位はかかると思ってください。後日改めて連絡をいれますので」
「はい・・・」
小金貨・・・それなりに掛かるらしい。相場がわからないから取りあえず返事をしてみたよ。
「ポランにはブラノワを注文したいの。収納箱の蓋に彫り物無しで1セットお願い。名前はガスパールといれて、年配の方なので落ち着いた色の箱でお願い」
「わかりました。御注文を承りましたので、この場で注文書を書かせていただきます」
「ちゅうもん、しょ?」
「はい、注文を受けたら書くように言われています。数が多くなっても間違いがないようにお互いが書面で確認し合うためだそうです。ノルベール・テールヴィオレット様から用紙を頂きました」
「そうだったの・・・紙を見て確認できる」
そんな事になっていたの・・・知らなかったよ。でも間違いがないし、金額もわかるからいいね。
さすがノル兄さま。
ポランからちゅうもんしょ、と言う紙を受け取った。
紙に発注者、アンジェル・テールヴィオレット様、ブラノワ1セット。収納箱に彫り物なし。落ち着いた色合いの木箱。箱裏と板裏の名前はガスパール様、領旗:北、金額:小銀貨2枚と記入されていた。
これからは字が書けないと職人になれないね。
ポランとファブリスとの話が終わったので、真っ直ぐ厨房に向かった。
昨日のうちにカジミールに連絡をしていたから、わざわざ部屋に戻ることがなかったから良かったよ。予定を伝えておくって大事だね。
厨房に行くと、昨日伝えていた姫ポムの皮と芯が入った容器が、台の上に用意されてあった。
「カジミール、今日はポムの紅茶とビスコッティを作って欲しいの。ビスコッティは保存食になるから・・・それからビスコッティを冷ましている時間に蒸しパンを作って欲しいの」
「ポム茶とビスコッティ・・・?と蒸しパン?ですか?」
カジミールは疑問だらけの顔になっているけど、口の端が少し上がっている。新しいお料理作りは楽しいよね。
「そうなの。姫ポムの皮はもう少し乾かした方がいいかな。ソフィ風魔法でもう少し乾燥させてもらえる?」
「畏まりました」
「カジミールとコンスタンにはビスコッティの作り方を説明するね。あっ・・・コンスタン、先にくるみ・・・じゃなかった、ノワィエとアマンドを炒ってもらえる?」
「はい、わかりました」
「カジミールは水にラム酒を少したらして、干しレザンを戻しておいてくれる?蒸しパンにも入れたいからレザンは大目にね」
「わかりました」
「アンジェル様、姫ポムの皮はこんな感じでいいでしょうか」
「ありがとう、ソフィ。そこにある姫ポムの芯から種を取ってくれる?持って帰るから容器に移してね」
「畏まりました」
「カジミール、これからも少しの間、皮と芯の中の種は取っておいて欲しいの。皮は乾燥させて・・・」
「わかりました」
「コンスタン、軽く炒ったら冷ましてね」
「はい、これから冷まします」
「先ずビスコッティの説明をするね。小麦、ウッフ、ノールシュクレ、酵母、ノワィエとアマンドと干しレザンを使うの」
「すぐ準備できます」
「材料が揃ったらウッフとノールシュクレをよく混ぜてそれから小麦と酵母、ノワィエとアマンドと水分を拭きとった干しレザンも入れて混ぜたら、楕円の形に整えて窯で焼いてくれる?窯は先に温めておいてね」
「既に窯は温めてあります」
「流石・・・コンスタンは楕円の成型が終わったら、5人分の紅茶のお湯と蒸しパンに使うお湯も沸かしてね」
「はい」
カジミールの仕事は早いけど、コンスタンも仕事が早くなった。もう成型に取り掛かっている。
「成型が終わりましたので、窯にビスコッティを入れます」
コンスタンから声が掛かった。
「ありがとう、じゃぁ次に蒸しパンね。小麦とウッフとミルク、ノールシュクレと食用オイル、そして酵母、残りの干しレザンにあと小さいココットを5個用意してね」
「はい」
「さっきと同じで、ウッフとノールシュクレをよく混ぜて、次にミルク、オイルを入れて混ぜるの。最後に小麦とレザンを入れてよく混ぜて、それをココットに入れたら蒸し器で蒸すの。蓋に布を付けて水滴が落ちないようにしてね」
カジミールとコンスタンは頷きながら、どんどん作業を進めて行く。
「ビスコッティが焼き上がって粗熱が取れたら、薄く切ってもう一度焼いてもらうけど、最初の時より温度は低めでね。時間は短めで大丈夫だと思うの」
コンスタンが頷いたから、ビスコッティを切る担当かな?次々とみんなで作業をして順調に進んでいる。
ユーゴまで蒸しパンに使う蒸し器に水を入れ、コンスタンの補助をしていた。コンスタンはユーゴが高速でメレンゲを作って以来、ユーゴの腕に憧れているらしい。力仕事を手伝ってもらう時は、恐縮しながらも目をきらきらさせているよ。
料理人の憧れなの?アンにはよくわからないけど・・・。
「ソフィ、蒸しパンがもうすぐ出来上がるから、姫ポムの皮を入れた紅茶を入れてくれる?」
「畏まりました」
「ユーゴ、5人で試食よ!」
力強く握り拳を上げようとしたら、紅茶の準備をしているはずのソフィの掌が、そっと握りこぶしの上に乗せられた。握りこぶしは突き上げてはダメだったらしい。
でも・・・なぜ気づいたのかな?不思議だよね・・・?
「はい、よろこ・・・いえ、謹んで試食担当を引き受けさせていただきます」
「喜んで」と言おうとしたよね、ユーゴ。それにしても、ソフィは冷静だよね。
今日も試食は楽しく美味しい。
蒸しパンはラム酒が気にならずレザンの甘酸っぱい味が聞いていていい感じ。
「アン様、このビスコッティはカリカリして美味しいです。蒸しパンとは対照的ですが、どちらも美味しいです・・・でも蒸しパンを食べるとミルクが飲みたくなります・・・なぜでしょうね?」
ユーゴの悩みはアンにはわからないよ。
「ビスコッティはユーゴや騎士たちと鉱山で働く人たちのためにと思って作ってみたの。冬は吹雪で動けなくなった時に避難小屋で食べられるし、保存期間が1か月もあるから・・・でも1か月も持ち歩かないでね。2週間くらいで食べてもらって、新しいものを持ち歩くようにしてもらうつもりなの・・・それから蒸しパンにミルクは相性がいいからじゃない?」
「相性がいい?・・・そうだったのですね」
悩んでいるから相性がいいと適当に言ってみたけど、確かにミルクが欲しい・・・なぜだろう?
取り敢えず今日はビスコッティにナッツやレザンを入れたけど、干したポムやフレーズもいいよね。
茉白の世界ではフレーズは苺になると思うけど、大きさが違うからちょっと不安になる。色々な果物を干していろいろなビスコッティを作ってみればいいかも。風魔法が大活躍するね。
「カジミール、蒸しパンとビスコッティと姫ポムティーは明日の朝食で一緒に出してもらえる?それと・・・お父さまが帰ってこられたらお父さまにもお出ししたいの」
「はい、戻られましたら準備致します」
試食会も無事終わり厨房を出て、そのままノル兄さまの書斎に向かった。お父さまが不在の為、屋敷の仕事も代わりにこなしていると聞いていた。
忙しいのにアンのことも気にかけてくれて手伝ってくれているから、なるべく迷惑をかけないようにしないと・・・。
「ノル兄さま、報告に来ました」
「アン、ソファーに座って待ってくれるかな?これだけ終わらせしまうからね」
「はい」
ノル兄さまの侍従が、お茶を入れてくれたと思ったらミルクだった。さっきミルクが飲みたいと思ったから、すぐに飲んでしまったよ。
ミルクを飲みながら部屋を見渡すと、棚にきれいな羽ペンが飾られていた。
赤い羽に持つところが金色でちょっと高そう、ノル兄さまの色だよ・・・どこで買ったのかな?アンも欲しいな・・・。
「アン、待たせたね」
ノル兄さまがアンの向かいのソファーに腰かけた。
「平気です。ノル兄さま、あの赤い羽ペンはどこで買ったの?綺麗だからアンも欲しいです」
「どこかな?王都じゃないかな?頂き物だよ」
「その人に聞いたら買えるかな?」
「えっ?・・・うーん・・・どうかな?・・・王都に行った時に雑貨屋で見て来たらいいと思うよ・・・と、ところでアンは報告に来たのだろう?」
そうだった・・・。
「うん・・・今日は馬車職人のファブリスに会って話をしたの。車いすは出来るかどうか組み立て方法を考えてみるけど、多分できると思うって、試作品を作る期間は車いすと歩行器を併せて1か月くらい・・・木だけではなく、車輪の一部分やつなぎ部分は鍛冶職人に依頼するから、後日連絡をするという事だったの」
「そう、分かったよ。可能性はあると言うことだね。出来ると回答が来てからガスパール様に連絡をした方がいいかな?期待を持たせたあとで出来ないとなったら、信頼関係にかかわるからね。出来れば父上が戻られたからの方がいいと思う。店のこともあるし、今月最後の週か来月の冬の月の初めには孤児院の子たちや料理人など沢山の人が来るからね。準備も併せて予定を組まないといけないよ」
「うん、気をつける・・・それと車いすの価格は小金貨3,4枚くらいで歩行器が小金貨1枚はかかるだろうって」
「人が使うものだし初めての試みだから、価格はもっと高くなる可能性はあるよ。アンは車いすが出来たらその後はどうしたい?」
「車いすは足腰が弱った人が使うものだから、今後は専門の人に任せた方が良いと思うの、でも値段が高いとみんなが使えないかも」
「そうだね・・・医療関係の人に任せる方がいいと思うよ。まだ時間はあるから価格のことも含めてもう少し考えようね」
ノル兄さまの言葉に頷きながら、ふとちゅうもんしょの事を思い出した。
「あっ、そう言えば・・・ガスパールさまにブラノワをプレゼントしようと思って、ポランに1セット頼んだら『ちゅうもんしょ』と言うものを貰ったの・・・見やすくていいね」
「そうだね、書面を見て確認する事で間違いが減るからね。彫りものや石の色など人によって内容が異なるし、今は注文が多いからね。ところでガスパール様にブラノワをプレゼントする理由は何かな?」
「え・・・?」
「目上の人が7歳の子から理由のないプレゼントというのは、受け取りにくいと思うよ。受け取ってもらう理由を考えないといけないね」
「そこまで・・・考えてなかった」
「それもこれから考えようか?」
「・・・はい」
ノル兄さまの言う通りだ・・・家族じゃない・・・考えが足りなかったよ。
「ところでビスコッティは出来たのかな?」
「うん、美味しいのが出来たと思うの。それとレザン入りの蒸しパンと姫ポムのフレーバーティーも作ってみたから、ノル兄さまとお母さまに明日の朝食で食べてみて・・・あっ念の為、シャル兄さまの分もいるね」
「フフ、シャルの分もいるね。今頃厨房にいるかもしれないよ」
「うん、シャル兄様はいると思う・・・お父さまの分は帰られたらビスコッティの試食できるように、カジミールに伝えてあるの」
「わかったよ、今日もアンは忙しくしていたようだね」
「うん、でも大丈夫。あっ・・・あと一つ。姫ポムの種を3つ鉢に植える予定なの。姫ポムは沢山使うから・・・」
「え?種から?」
「うん!ちょっと魔法をかけたら春に収穫できないかな・・・なんて」
「ハ、ル・・・?そ、そう・・・?デキルトイイネ・・・こ、これで報告は終わりかな?」
「うん、これで全部」
「わかったよ・・・アンはもう部屋でゆっくり休んだ方がいいね。今日も随分頑張ったようだから」
ノル兄さまがとても疲れた顔している。忙しそうだから今日はこれ以上お邪魔しちゃいけないよね。
「じゃぁそろそろ部屋に戻ります・・・ノル兄さまおやすみなさい」
「ああ、うん、おやすみ」
ノル兄さま大丈夫かな?無理しないでね。
部屋に戻ってから、今朝サロンのテラスにジェローが鉢を置いたことを思い出して、慌ててユーゴにアンの部屋まで運ぶよう頼んだ。
運ばれてきた大きな鉢には姫ポムの種を一粒ずつ植えて水をかけて、大きく育つように魔法もしっかりかけた。
春までに実がなるといいな・・・楽しみ。
明日の朝はラディの種をチマチマ取り、ラディの大根部分は厨房に持って行ってノールシュクレにしてもらう。
空いた鉢はジェローに返さないとね。
◇ ◇ ◇
アンが去ったあと、書斎で思わず大きなため息が漏れた。
アンは次々と新しい物を考え料理人や庭師、そして鍛冶職人や木工職人を動かし、今回は馬車職人まで動かしている。
車いすが出来れば今度は医療関係者を動かすことになるだろう。
しまいには魔法を利用して姫ポムを育てると言い出した。「春に収穫が出来れば」と嬉しそうに言っていたが・・本来は冬に収穫するものだ。
そんな事をしてもいいのだろうか?すぐに回答をせず父の帰りを待つことにした。
まだまだ終わりそうにない仕事の書類を前に、再びため息漏れる。
今回王都へはベルではなく私が行くはずだったが、突っ走るアンの監視も含めて領地に残るように父上から言われた。
「春からはノルベールが暫く王都にいてもらうことになる」と・・・ベルが1年間不在になるため王都の商会は暫く私が管理することなる。
「・・・春か」
机の横の棚に飾られている、赤い羽ペンに目が行くと、またため息が漏れた。
次回の更新は3月7日「29、ひ弱令嬢のお店の準備と図書室の本」の予定です。
よろしくお願いいたします。




