14、ひ弱令嬢は王都に向かう
クレープの試食会を終えた後、サロンでお茶を飲んでくつろいでいるとベル兄さまが「漸く伯爵邸に到着したよ」と言ってサロンにやって来た。調べ物に時間がかかり、2日も遅れてしまったらしい。
「ベル兄さまがなかなかいらっしゃらないから、心配していたの・・・無事に着いて良かった」
「心配かけたね、何とか追いついたよ。でも王都の図書館に行ってもっと調べる予定でいるんだ」
「王都の図書館・・・アンも行ってみたい」
「時間が合えば一緒に行っても構わないよ」
「いいの?嬉しい、楽しみにしているね」
大好きなベル兄さまを見てホッとし、次の約束もできた・・・楽しみが増えたよ。
「途中の休憩を取らずに急いで飛んできたから、食事をしてないんだ」
「そうなの?じゃあ・・・特別ね」
試食会のガレット風クレープとシュガーバタークレープを急いで作って貰うから、ベル兄さま達に食堂へ行くよう伝えた。
ベル兄さまを乗せてきた龍騎士兼護衛も「一緒に食べてね」と言ったら「頑張って飛んできてよかった」と涙ぐまれてしまったよ。
休憩も取らずに飛んで来たから大変だったと思う。もしかしたら・・・ベル兄さまが優しいのはアンにだけ・・・?
護衛の龍へも忘れずに美味しいご褒美をあげてね。
ベル兄さまたちの食事が終わる頃、ちょっと困った顔のお父さまがやってきた。
「私の護衛とノルの護衛が、ユーゴに頼まれて棒を作ったのにユーゴだけご褒美のクレープを食べていたと・・・あの二人にもクレープを出してやってくれ・・・護衛の差別はまずいから気をつけなさい」
「えっ?そうだったのですか?す、すぐ用意します。ベル兄さま達がまだ食堂にいると思いますので、そこで食べて貰うようにします」
「ああ・・・頼んだ」
ユーゴめ、手伝ってくれた護衛がお父さまたちの護衛だったなんて聞いてないよ。直ぐに厨房に行って同じくガレット風とシュガーバタークレープを作ってもらった。夕食後でもお腹に入るなんて・・・太らないのかな?これで関係者は全員食べたよね?
翌朝、伯爵邸を出発する際に、お父さまの護衛とノル兄さまの護衛が「クレープはとても美味しかったです、ありがとうございました!棒が必要な時はいつでも言って下さい」とお礼とクレープ棒職人への立候補までしてくれた。棒はもう少し必要になるから手伝ってくれる人が増えるのはいいことだよね。
ノル兄さまの龍に乗せて貰ってどんどん飛んで行く。あーしあわせ・・・。
休憩を挟みながら子爵邸で1泊し、その次の日は龍舎のある宿で1泊、そして最後の宿泊先の大きな宿に着いた。以前魔力検査の時に泊まった宿より大きかった。
熱はまだ1度も出ていないから、このまま無事に王都に着くといいな。
そんな事を思いながら宿に入ると黒い服を着た執事のような人と従者らしき人が待っていた。宿の人たちの後ろの方には広いホールが見え、突き当りの左に5人並んでも余裕で上がれるほど幅広の階段があった。
「ようこそおいで下さいました、本日もご利用いただきありがとうございます」
「支配人、今回も世話になる。食事は個室に運んでくれ」
「畏まりました、それではお部屋へご案内たします」
今回は王都の屋敷から侍従や侍女が先に到着していて、入り口の横で待機していると聞いた。侍従が荷物を受け取り侍女と共に先に移動する。ホールの奥にある階段にはいかないみたい。入り口から右に行くと大きな扉があり、その扉を開けると奥に同じく幅広の階段があった。
「この階段から3階へ行くよ」
ノル兄さまがそう言いながらアンを抱き上げてくれた。お父さまはお母さまをエスコートして先に進み、ベル兄さまは後ろから来ている。
階段を上がり3階に着くと広く長い踊り場があり、大きな扉が左右と中央の3か所で、今回宿泊する部屋は向かって右側だと案内された。
右側に進み扉を開けてもらって中に入ると左右にいくつか扉があり、侍従や侍女、護衛が泊まる部屋で、中央奥の扉を開けるとアンたち家族の部屋になるらしい。
「1階のホール奥の左側にあった階段はこちら側の通路とは繋がっておらず、行き来することは出来ませんのでご安心下さいませ」と支配人と呼ばれていた人が説明してくれた。
お父さまと護衛がこの宿を利用する時は、王都の屋敷から侍従や侍女を呼んだりしないけど、今回はお母さまとアンがいるかららしい。
着替えを済ませサロンでお父さまたちとくつろいでいると、侍女がお茶とクッキーを出してくれた。
「カジミールに焼いて貰ったクッキーと同じ?」
もしゃもしゃ食べながら首をかしげていると、お母さまは微笑みながらクッキーの端を一口かじってゆっくりと味わってから優雅にお茶を飲んだ。淑女はこんな風に食べて飲むのかと改めて感心する。
「途中で美味しいクッキーが食べたくなると思って、屋敷から沢山持ってきたのよ」
お母さま、カジミールにどれだけの量を焼くように行ったのですか?パトリック伯父さまの所に配って来たし、更に陛下や王妃様の分も持ってきていますよね。
今回はシフォンケーキを持って行かないと言ったお父さまにカジミールは心から感謝しているに違いない。
メレンゲ職人とクッキー職人を新たに雇う相談をお父さまにしようと思って、お父さまと兄さまたちを見たら、目を泳がせながら無言でお茶を飲んでいた。あれ?アンの思考がばれたの?
話題を変えるかのようにお父さまが話し始めた。
「宿の前は王都に続く大きな街道がある。その為王都と北の領地を行き来する貴族や富豪の商人がこの宿を利用する」
「それで階段が別れていて、繋がっていないのですね」
「そうだ、2階は貴族もしくはそれに準ずる富豪が利用し、3階は王族と上位貴族のみが利用できる。ホールの奥の左の階段は富豪の商人などが利用するが2階までで3階はないと聞いている」
1階は庶民や商人も利用できるけど、この宿の料金はそれなりに高いらしい。
アンたちが利用した階段の2階と3階はそれぞれ各階の利用者しか通れないと聞いた。アンが間違って2階に行っても大きな扉は開かないらしい。他の人が開けられないとか凄いね、これも魔法なの?ベル兄さまはどんな魔法か知っているかな?・・・でも、3階の予約した部屋でもあの大きな扉は重くてアンは開けられないよね。
お茶室になっている部屋の窓から外を見ると、遠くに大きな池がありその周りに白や黄色、赤などの花が絨毯のように広がっていた。
大きな池には鳥たちが沢山いるように見える。南に渡るカナールたちかも、ひょっとしたらエリー、マリー、キリーがいるかもしれない。怪我もなく無事に南に渡れますようにとそっと心の中で祈った。
遠くの景色から空に目を移すと、ノル兄さまと龍に乗って見渡した空や森や河を思い出した。龍に乗って見下ろした景色は美しかった・・・もっと元気になって成長して、一人で龍に乗れるようになりたいな。
明日はやっと王都に着く、熱が出なくて良かった。ほっとして部屋の方へ振り向くと、ユーゴがお母さまからクッキーの包みを受け取っていた。とてもいい笑顔で・・・何故だろう?
「アン、ユーゴにいろいろとお仕事を手伝ってもらっていたようね・・・いろいろと」
「いろいろと」って2度も言ったけどユーゴは竹串を作らせたことお母さまに告げたのかな?
「は・・・い、試食を主に・・・」
「試食?・・・ユーゴが私たちより先にシフォンケーキやクッキーを食べていたってことかしら?」
「えっと・・・ど、ど、毒見をお願いしまして・・・」
ユーゴは龍騎士兼護衛兼竹串職人兼試食担当+クレープ棒職人に毒見担当と言う仕事が増えた瞬間だった。
焦るアン・・・無言で一礼するユーゴ・・・。
ユーゴの両手にはクッキーの包みがしっかり握られていた。お母さまはにっこり笑ったまま、固まっていた。さすが立派な貴族は驚いても顔は作れるみたい・・・見習わなくては。
お母さまは無言でクッキーを1枚まるごと口に放り込んだ。さっきまでチョビチョビかじっては紅茶を飲んでいたのに・・・お母さまはこんな食べ方もできるのですね。
お父さまが急に「ひ、日が沈みかける頃、屋上で見る夕日はとても綺麗なのだ。見に行こう」と言い出した。夕食前だけど、みんなで一緒に行くことになったよ・・・。
お母さまが怖いからではないですよね。
屋上に出ると窓から見るよりもっと遠くまで見える。池の周りには細い道が続いて、人が通れるようになっているらしい。
鳥たちが遠くからやってきたのか、池の水面に降りようとしている姿がぼんやり見える。日が沈む前に餌を食べるのかもしれない。
「あっ!」
ユーゴが驚いた顔で池を見ていた。その後、アンの顔を見て「アン様」と池の方を指さした。
「「「えっ」」」
お父さまとノル兄さま、ベル兄さまが池の方を見て驚いている。
「何があったの?」
「今、来ますよ。アン様」
じーっと池の方を見ていたら、こっちに向かって鳥が1羽飛んできているのが見える。
「グワワッグー!」
「え・・・キリー?」
屋上にキリーがやって来た・・・。
キリーは紫のチェーンを揺らすように首を前後に動かしている。紫のチェーンが目印とわかっているらしい。でもそのチェーンがなくてもその太くてきりっとした眉でわかるよ・・・キリー。
「キリー、アンたちがここにいるって良く判ったね。これから南に渡るの?」
「グワァ」
「エリーとマリーは一緒なの?」
「グワァ」
キリーは池の方を見た。
「一緒なのね」
「グワァ」
「キリーは一人?じゃなくて1羽?番はいないの?」
「グワグ」
「相手が見つからなかったの?・・・南に行ったら素敵な相手が見つかるといいね」
「グワッ?」
ふと視線が気になって振り向くと、お父さま、お母さま、兄さまたちはアンとキリーの会話と思われるやり取りに何とも言えない顔をしていた。
ユーゴは「本当に南に行くのでしょうかね?」と言っている。南に行かないのならどこに行くの?
「キリー、暗くなる前に池に戻った方がいいよ」
「グワァ」
キリーは素直に返事をして池の方へ飛んで行った。お父さまとお母さま、兄さまたちはホッとした顔をしていた。
「・・・冷えてきたわね、お部屋に戻りましょう」
お父さまと兄さまたちが無言で頷き、夕食を摂るための個室にそのまま向かった。
今日のお料理に牛肉はなかった。あの仔牛の親戚が今日は無事だと信じたい・・・。そして・・・生き物の命を頂くこと事にもう一度感謝をした。
夕日を見るために屋上へ行ったのに、キリーが来て驚いたから夕日をじっくり見る事ができなかった。元気なキリーの姿を見たからいいけど・・・。
ちゃんと南に行けるのかな?もし寄り道ばかりしてたどり着けなかったら・・・なんだか心配になって来たよ。北の領地から南下して王都を通過し、南の領地に行けば大きな湖や海もあると地図で見たけど・・・遠いよね。迷うことなくたどり着ければ、もう来年の春まで会えない。ちょっと寂しいかも・・・。
背中の卵はいつ孵るのかな?・・・もう孵らないの? 身体から離せないから寝る時以外は背負うか、抱いているけれど・・・孵ってほしいな。
キリーのいない寂しさのせいで背中の卵につい期待をしてしまう。
いつもより早く寝たせいか今朝はスッキリと目覚めた。ベッドから出て急いで窓の外を見ると、池の鳥たちの数が少なくなっている。朝早く飛び立ち、南に飛んで行ったのかもしれない。
「エリー、マリー、キリー、元気でね。必ず春には帰って来て・・・待っているからね」
池に向かって呟いた。
朝食を済ませ王都の屋敷に向かうための支度をし、龍舎に向かいそれぞれの龍に乗って飛び立つ。前方はお父さまの護衛が2組、その後ろはお父さまとお母さまが一緒に乗っている。その後ろにノル兄さまとアン、アンの右横はユーゴ、左横はベル兄さまと護衛、後ろはノル兄さまの護衛と龍騎士隊・・・大所帯だけど、東の丘で見た訓練部隊みたいでカッコイイ。
見下ろすと街道は馬車や人が多く行き来していた。
「ノル兄さま、もうすぐ王都に着く?」
「アン、身体を余り動かさないように、落ちてしまうよ。もうすぐ着くからね。屋敷に着いたら1日休んで、先ずは大神殿で魔力検査だね・・・検査が終わったら街に行きたいかい?」
「うん!行きたい!」
「見るところが沢山あるから、全部は回りきれないと思うよ。行きたいお店はいくつか決めておいた方がいいかもしれないね。王都にはおしゃれなお店がたくさんあって雑貨屋やお菓子屋やパン屋なども並んでいるよ・・・本屋に行くのもいいかもしれないね」
「すごく楽しみ、でも・・・ノル兄さまはお父さまたちと王太子様の結婚の儀に参列された後、用事はないの?ベル兄さまは図書館に行くでしょう。アンはみんなの用事が終わるまで屋敷でお留守番になるの?」
「父上たちと日程の相談をしないといけないね」
そんな話をしながらも行きたいお店を考えてみる。可愛い雑貨屋さん、お菓子屋さん、パン屋さん、それから・・・喫茶店と言うものはあるのかな?
茉白にはお気に入りの喫茶店があった、その店で美味しい焼き菓子を食べていたという記憶。喫茶店があれば行ってみたいな、今後のお菓子作りの参考になるかも。茉白の世界のふわふわパンは王都にはあるかな?北の屋敷にはなかったから。
休憩を挟みながら王都の屋敷の上空まで来た。北の屋敷よりは小さいけど、周りの屋敷から見れば庭も広く大きいな屋敷だった。
屋敷の正面の道を真っ直ぐ馬車で進んで行くと、王城があるとノル兄さまが教えてくれた。
記憶はそこまでしかない。
・・・龍に乗ったまま熱が出て気を失ってしまったらしい。
目が覚めたら見慣れない部屋にいた。
壁紙は白地に薄い桃色の小花模様、ベッドの布団とカーテンは薄い緑の植物の葉のような模様だった。
王都の屋敷の上空にいたところまでを思い出した。楽しかったけど、疲れていたのかもしれない。
初めての遠出だから・・・仕方ないよね。
「アンジェル様、お目覚めでございますか?」
侍女と思われる人が声をかけてきた
「・・・はい」
「侍女長のエメリーヌと申します」
「・・・はい」
「只今医者が参りますのでそのままお待ちくださいませ」
「はい」
『はい』しか言えなかった。
北の屋敷で侍女長をしているブリジットのような柔らかさはなく・・・キリッとした感じの侍女長・・・。
戸惑っていると再びエメリーヌが医者を連れてやって来た。
熱は下がっているし疲れが出ただけなので、今日1日休んでいれば問題はないだろうと言われた。
「あの・・・エメリーヌ、アンはどのくらい眠っていたの?」
「2日間でございます」
「そう・・・お父さまたちは?」
「陛下のところにご挨拶に行っておりますので、戻られましたらアンジェル様のお部屋にいらっしゃる予定でございます」
「そう・・・ありがとう」
「何かお召し上がりになった方がよろしいです・・・ミルク粥を準備させます」
「・・・うん」
「後ほど、侍女が持って参ります」
そう言ってエメリーヌは下がって行った。
起き上がってもフラフラしなかったので窓の外を眺めようと、ベッドから出てガウンをはおりテラスのある大きな窓の方に向かった。
「うわっ!・・・キリー!」
首を前に曲げて嘴を下げてあの太眉と目だけで窓ガラスに張り付くようにして部屋を覗きこんでいた。
「グワワッグー!」
「キリー!・・・どうしたの?南に向かう途中なの?・・・それよりも何故アンのいる場所がわかったの?」
大きな宿でもキリーに遭遇したよね。
後ろでドアがノックされ「失礼します」と言う声が聞こえた。振り向くと侍女が「キャーッ!」と悲鳴あげミルク粥を落としていた。
侍女が走って行ってしまったよ。まぁ・・・驚くよね。
「キリー、庭の池で待っていて。アンは着替えてから食事なの・・・お粥は床に落ちているけど」
「グワァ」
キリーは飛んで行った・・・庭の池に行ったと信じたい。
エメリーヌが先程の侍女を連れて慌ててやってきた。
「アンジェル様、お怪我はございませんか?」
全身を確かめるように見ている。
「・・・大丈夫」
そう答えながら床のミルク粥を見て・・・早くお粥が食べたいなと思った。
「侍女の教育が行き届かず申し訳ございません。本来であればアンジェル様をお連れして部屋を出るべきなのに、一人では飛び出すなど・・・」
「も、申し訳ございません!」
侍女が身体を折り曲げて頭を下げている。
「大きな鳥がいたので驚いたのよね、アンは大丈夫だから」
もう叱らないでねと願いを込めて侍女とエメリーヌを見た。
「怪しい大きな鳥がいたと聞いておりますが?」
「怪しくはないけど・・・と、鳥はいたよ。北の領地にいる鳥で南に行く途中ここに立ち寄ったの・・・今は庭の池にいる、よ?」
慌てて言い訳をしたらなぜか語尾が上がってしまった。侍女長は何とも言えない顔をして、先程の侍女は床の掃除を始めた。
「キャァー!」
外から誰かの悲鳴が聞こえてきた。
うわぁ・・・なぜ王都の屋敷に来たの・・・キリー。
「お父さま早く帰って来て」と心の中で叫ぶと同時にお腹が「ギュルル」となった。
次回の更新は12月13日「15、ひ弱令嬢は大神殿に行く」の予定です。




