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せいかい

モアイ像。教室の一番廊下に近く、その列の1番後ろの席から反対の窓に映る青空を眺める時、僕の視界に立ち並び鎮座している彼、彼女らは、いつぞやのモアイ像を彷彿とさせる。まだ入学して五日も経たずに始まった授業。このモアイ像らは、背筋を伸ばし、手は膝の上に置き、緊張と羨望を持った眼差しで教卓を見つめている。が、一ヶ月、二ヶ月と時が経つ事に、背筋は将来が杞憂になるほどぐにゃりと曲がり、手の住居は顔、机、ポケット、など何からの束縛も受けず、順次お引越しを開始する事だろう。緊張は弛緩し、教師なんてたいしたやつじゃないと気づいたモアイ像達は、かつて尊敬の色を浮かべていた瞳を、当初の黒色に戻すだろう。もしかしたら、その瞳は瞼を落とし、睡眠負債を返すためぐっすりと眠りに入ったりするかもしれない。この光景を見られるのは今だけなのだと思うと、なんだか貴重な時間な気がしてきたから、大事にしようと思う。

 ひら。僕の机に一枚の紙が置かれた。前の席のやつがノールックで渡してきたもんだから、紙の半分は机から逃げ出そうとしていて、その紙の様相から何かの作文用紙だということは分かるのだが、肝心な題名は見えなくなっている。この絶妙に落ちるか落ちないかの均整を保っている紙に、どこか美を感じてすぐに題を確認できない僕は、やはり美術から逃れれないようだ、この紙のように。感傷的な気分になっている自分がアホらしくなって、僕は紙を机の真ん中に連れ戻した。その紙には、将来の夢について、と書かれていた。僕の履き潰した靴下より使い古されているこのお題を、恨めしく思う。僕の十五年という短い人生のうちに何度も突き立てられたこいつの答え方を、僕はいまだ知らないから。

 「これ、一週間後にみんなの前で発表してもらいますからね。」と告げた教師の印象はもう悪い。この学校は芸術に力を入れている学校だから、クラスの半分以上は美術部や演劇部に在籍している訳で、そんな大同小異な僕らの夢なんて、似たり寄ったりになるに決まってるだろう。そして、もし自分より優れているやつと同じ夢を発表してしまった時、今度こそ僕は折れてしまうだろうと思ったからだ。とくにあいつ、あいつだ。このクラスを座標で表すと僕の席は(四.-四)ってとこだ。そいつは、(一.-二)ら辺の席に座っている女で、髪は胡桃色、目はぱっちりとしているが、鼻と口は小さく、秀麗な容姿をしている。そいつは去年の自画像コンクールで大賞に輝いており、自他共に認める天才だ。僕はあいつに仄かに抱いていた自分への天才かもという期待を、ポッキリとへし折られている。だが僕は、そんな彼女の中に秘めた狂気があることを知っている。それは、きっと僕しか知らない。この愚鈍なモアイ像達では気づけない。

 この一番右隅という席からはクラスの人々を一望できる。だから、この女の事もよく観察していた。別に、可愛いからとかじゃ、ないからな。どちらかと言えば、妬み嫉み、とかの方だ。まぁそれがあって僕はよく彼女を観察していたのだが、ちょうど昨日、見てしまった。彼女の手首の下ら辺に、リストカットがある事を。彼女は、死にたい、という願望の狂気を秘めた「自殺志願者」だったのだ。僕が喉から手が、いや喉から心臓を出して差し上げてでも欲しいセンスを、才能を、彼女は持っていると言うのに。

 小学生の頃は、自分を本気で天才と思えていた。きっとそれは、母のおかげであるのだが。僕は周りより成長が遅く、立つのも、喋るのも、一人でお留守番ができるのも、自転車を漕げるようになるのも、他の子より年単位で遅かったのだ。そんな僕を母はノロマだなんだと言わずに「あーくんは、ゆっくりな性格なだけだから、急がなくていいんだよ」といつも頭を撫で、宥めてくれていた。その時の母の手は何よりも大きく感じ、やはり母という生き物は偉大であるということを、ここに書き留めておく。

 そんなノロマな僕だったから、保育園の頃は仲良くできる友達は居なかった。少しおままごとに混ぜてもらっていた時期があったのだが、自分の役が便器だったということに気づいたのがトラウマで、それからは誰とも関わりを持たず送った、何とも虚しい幼少時代だった。今思えば五歳になっても話せないやつに、なんの役もこなせないかとは思うが。けどちょっと便器は酷くない?犬とかでいいじゃんね。そんないつも一人だった僕は、暇さえあれば絵を描いていた。というか絵を描く以外やることがなかった。そして僕も小学校にあがり、二年生になった頃にやっと周りの子と同じくらい話せるようになって、一人で絵を描いている僕に興味を持ってくれた子をきっかけに、わらわらと友達の輪を広げていった。それからは普通に友達と遊べるようになったが、絵を描くことをやめることは無かった。もう既に僕の生活の一部となってしまっていたから。そんな僕は、絵を描くこと、と子供の世界への飽くことのない探究心が結びつき、休みの日は外に出ては絵を描いて、授業中でも先生の事を描いて、気になるあの子のことなんかも描いたりした。とにかく描きまくっていたおかげで小学生六年生になる頃には、僕が絵を描いていたら席の周りにちょっとした人だかりが出来たりもした。その時の心の高揚を今でも覚えてる。みんなに見られている緊張と期待の眼差しを受けながら、さっさっ、と普段のノロマな僕からは想像出来ないくらい俊敏に鉛筆を動かす。そんな僕の一挙手一投足をみんなは見逃すまいとまじまじ見ており、完成した絵には混じり気のない賞賛を送ってくれた。その中に気になる子が居たことも、はっきりと覚えてる。そんな時期に本で「アインシュタインは喋り始めるのが遅かった?!」なんてものを見てしまったから、僕は自分を天才なのでは?という青く、イタイ勘違いをしてしまった。アインシュタインは芸術家じゃないのに。

 程なくして僕は中学生になった。臆病者でもある僕は、美術部に入らずとも絵は描けるなんてことを言って頑なに美術部に入ろうとはしなかった。そんな僕を、賞賛していた内の一人が「じゃあ、俺と一緒に入る?」と言ってくれ、僕のささやかな悩みは解消されたように思えた。その悩みとは、僕の通っていた中学校は三つの小学校から集められていたため、知らない人達と部活で一から人間関係を築くのは僕にはハードルが高いというものだ。だから知っている人が同じ部活にいるという事は、僕にとってとても心強く、彼のその言葉は僕の背中をばちこーんと大きく押してくれた。正に、魔法の言葉であった。そして僕は密かに貰ってはいた入部届けにシャーペンを走らせ、志望理由欄に「芸術家になるため」と書いた。僕は中一にして既に厨二病であった。

 そして初めての部活動の日、僕は誘ってくれた男の子のことを呼びに行こうと勢いよく席をたった。彼とは普段から仲良くしている訳ではなく、家が近所ということで、帰り道ばったり会うと他愛も無い話をしながら一緒に帰るくらいだった。だが、そんな仲でも彼はとても話しやすくて、いつでも僕の欲しい言葉を言ってくれる、大人びたやつだった。だからそんな彼とこれから三年間共に美術部に通えると思うと、なんだかくすぐったい気持ちになった。ノロマな僕の足も自然と軽く動いた。そして僕が素早い動きで隣のクラスまで着いた時、そこにはサッカー部の部着を着た彼がバッグを漁っているのが見えた。時が止まった。文字通り、僕は身動きが取れなかった。だが体とは裏腹に、あの時の僕の脳内は未だかつて無いほど急速に回転していた。なんで?え?サッカー?美術部は?え?え?え?。夥しい数の疑問符が僕の頭に浮かび、急速に僕の脳みそを掻き回していった。ノロマな僕が、彼が裏切ったという事に気づくのには少し時間が必要だった。いや、裏切ったというのは余りにも非人道的かもしれない。その直後僕は彼と目が合い、数秒間見つめあっていた。その間、彼は最初はなんの事か分かっていないようだったけど、自分の言った事を思い出したのか、途端に駆け足でこっちに寄ってきた。そして申し訳なさそうに「ごめん、俺、先輩に誘われて」。違う、僕が欲しいのはその言葉じゃないよ。結局僕は何も言わずその場を去ってしまった。彼からすると、いつもの様に友達の悩みを解決するために、欲しい言葉をかけてあげただけだったのかもしれない。彼にとってその行動は、ペットの餌やりとと同じくらい、ありふれたものだったのだろう。だから、僕との約束も忘れていたんだろう?僕にとっての魔法の正体は、彼の優しい嘘であった。

 初めての部活はちゃんと行った。人間関係を築く自信が無い僕に、初めての部活をサボれるなんて勇気、さらさらあるはずがなかった。美術部の先生は二人いた。一人はいかにも芸術に身を捧げてきましたという風貌をしている真城という男だった。この男は細身、ロン毛、猫背、と僕の描く芸術家像においてはパーフェクトだった。だがその先生は見ためからは思いつかないほどパワフルな声をお持ちで、ユーモアに富んだいい先生であった。そんな先生もいたお陰で、地獄になるだろうと思えた初めての部活もなんだかんだ楽しく終えれた。不思議なことにその日帰る足取りは隣のクラスに行く時と同じ位軽かった。ちなみにサッカー部の彼とは帰り道にばったり会っても、学校でも、口を開くことは三年間一度もなかった。人間関係は積み上げるのは時間がかかるのに、ほんの些細な出来事で崩れてしまう。なんとなく僕は母と海辺で作った質素な砂の城を思い出した。

 もう一人は、メガネ、常々スーツ、背筋ピーン、の僕の描く芸術家像とは真反対の、屋代という男であった。だが驚くことに、屋代は芸大卒であるらしかった。自嘲まじりに自分が芸大卒であることを話していたが、尊敬せよ、という念が節々に隠されていたため、あまりいい印象ではなかった。だが芸大といっても、どこの芸大かによっては尊敬せざるを得ないな、とも思っていた。仲良くなるきっかけに、後で真城先生に聞いてみようと思った。けれど、そんな僕の打算的な行動が実行されることは無かった。なぜなら、冬は鼻水を垂らしてそうなズボラな部員が、「東京藝大ですかぁ?」と屋代に聞いたからだ。その時、よく言った!と思ったが、瞬時に場の凍りつくのを感じた。一瞬だけど、長い一瞬、空調の音が良く聞こえる、そんな一瞬をおいて、「あなたは芸大といったら東京藝大しか思いつかないのですか?」とムキになって屋代は返した。ちょっと早口だった。明確な答えを聞かなくとも答えが分かった僕は、安堵と落胆の混じったため息をひとつ、こぼした。この時は屋代の劈く様な態度が、これから長きに渡って自分に向けられることを、僕はまだ知らなかった。

 美術室は週六、土曜日以外は毎日空いてるが、義務的に来る日は月、水、金の三日だけであった。そんな制度の部活だったため、緩くやりたい、アニメの絵を描けたらそれでいいやという、仮にも芸術家を目指していた僕からしたら「意識の低いやつ」が多い部活であった。少し期待していた先輩らも、大半はそれと同じであった。僕は心の中でそいつらをメダカ、と呼んでた。多分昔見たメダカの学校の漫画のメダカ達が、あまりにも呑気なことを、頭の片隅に記憶していたからだと思う。そしてこの頃からだろう、内心周りを見下す癖がついてしまったのは。だがそれは、僕の心を保つため、環境に適応するため生物が進化するように、至極当然の事だったんだろうと今は思う。

 僕らの代は、偶然美術部員の数が多かったため、二つある美術室の片方は僕らの代のみで貸切状態で使えることになった。メダカ達はそんな美術室の後ろの列の席を陣取って生息地とし、あのアニメキャラがどうのこうの、時には美術に何の関係もない恋愛話に花を咲かせていた。そして真ん中の列には、分類するなら「意識高いやつ」の女子四人組が陣取っていたため、僕のテリトリーは自然と一番前の席になった。最初の二週間は、僕の隣の席をひとつ空けて、残りの男子部員三人が居たのだが、いつの間にか後ろのメダカ達に吸い込まれていた。彼らは、メダカらが好きなアニメキャラのイラストを書いて、プレザントしていたみたいだった。そんな同じ部員に媚びを売るような事をしている彼らを、僕は心の中でメダカ達より低い序列をつけていた。多分彼らの中では、僕が一番下だったのだろうが。そんなこともあって、一番前の席は僕一人になったのだが、僕は使えるスペースが広がって良かったよと言わんばかりに、一番前のテリトリーを大きく使った。ほんとはちょっと寂しかった。だけどそれでも美術部に行ったのは、真城先生のおかげである。今思えば、一人ぼっちの部員を可哀想がって相手してくれていただけなのだろうが、真城先生は僕につきっきりで美術の事を教えてくれた。厨二病の僕が、それを自分に才能があるから真城先生も目をつけてくれているんだと勘違いしていた事は、今思い出しても恥ずかしくて叫びたくなる。

 一年の冬、市内の美術部員一、二年全員参加の「命の尊さを知れ」という絵画コンクールがあることを先生の口から知らされた。僕はそのコンクールに対して、激しく心を躍らせた。やっと、自分の才能を示せる、と思ったからだ。夏にもコンクールはあったのだが、その時は造形作品を提出するものだっため、あまり気乗りせずチャチャッと終わらせた。そしてその通称「夏コン」にメダカのリーダー格みたいなやつが入賞し、まるで下請け会社が接待するかのように、餌を与えられたメダカが群がるように、部員達はそのメダカリーダーを持ち上げ崇めたてた。それを見て、手を抜いたのを少し後悔した。メダカ達に崇められたかったのではなく、手を抜いたとはいえ、見下してたメダカより下だったというのが、僕のプライドに触れたからだ。そしてその夏コン優勝者が、僕と同じ一年の「花園 華」後の自殺志願者である彼女であった事も、僕を大いに刺激した。この出来事は、一年ながらに優勝した彼女を尊敬すると共に、一年で優勝したやつがいるなら僕にもできるな、あのメダカで入賞できるんだ、それなら俺はもっと、と僕の厨二病を更なる高みへと昇華させた、何とも苦い思い出になった。そして中一の時点で、直接とは行かずとも、僕は彼女と脳内で邂逅していたのである。

 冬コンの結果は「入賞」であった。真城先生に結果を告げられた時、部員達の手前平静を装ったが、僕の内心は正に狂喜乱舞であった。僕が入賞した事を知った部員たちの驚いた表情を背に、緩みそうな口角を必死に筋肉で押さえつけ賞状と作品を受け取り、高鳴る心臓の音が周りに聞こえないよう、皆と少し距離をとったところで、賞状の概要を読んだ。その時の僕の顔を見た人には、下劣な妄想をしている変態だと思われたかもしれない。けれどそんな事気にならないくらい、冴えないやつが急に覚醒する漫画の主人公になった様な気持ちに、どっぷり浸っていた。ただその後メダカリーダーと意識高い組の内の一人も受賞した事を知り、部員達の視線が僕から分散されたことは残念だったが。

 相変わらずメダカリーダーは子分メダカ達に持ち上げられていたが僕はちっとも羨ましくなかった。僕には部員なんかより何より、僕を応援してくれた母にこの事を伝えたかったからだ。僕にとって「命」とは母から賜った何より尊いものと同時に、何よりもありふれたものであるという解釈をしていた。ただそこに自分の命と他の命とでは確かな境界線があって、自らの命の輪郭を知覚できるのは世界で自分と、自分を宿した母だけということを表す、そんな絵を描いた。まだへその緒の繋がった自分と母を描き、そこを囲むようにへその緒の繋がってない多くの親子を描いた。審査員にこの意図が伝わったか否かは分からないが、入賞したということは、少しは期待していいのだろう。そして母なら、深く理解してくれるだろうと思っていた。だからその作品を受け取った日は、誰よりも早く学校を出て、早足で帰路を駆け抜けた。顔に張り付く様な寒さもその日は心地よく、透き通る青空も、僕を祝福してくれている様に見えた。家に帰ると、案の定母は僕の絵を絶賛し、「あーくんは天才だね」と泣いて喜んでくれた。作品に母が描かれていることを伝えずとも、母は分かってくれていた。

 冬コン受賞から三日経って、僕は自らのテリトリーにその作品を広げ修正を加えるふりをしていた。あくまで入賞を悔しがっているというアピールと、誰か話しかけてくれないかななんて思いも少しはあったかもしれない。少しね。だけど段々恥ずかしくなって作品をバッグになおそうかと思った瞬間「それ、屋代先生に見せない方がいいよ」後ろから女の子の声で、ヒョイっと飛んできた。自分に言ってるのか確信できない僕は、時計を見ふるりをして後ろを振り返った。すると僕と同じく入賞の意識高い組の一人が立っていた。突然の出来事にあわあわしている僕に「私屋代先生にボロくそ言われたから。二年生が誰も受賞してないからって、八つ当たりしてるんだよ、あいつ」と吐き捨て、どこかに行ってしまった。確かに屋代は隣の美術室の二、三年を受け持っているが、そんな子供じみたことするか?と思っていた。けれど彼女の忠告は見事に的中することになる。しばらくして屋代が来て、僕の前で立ち止まって僕の作品をじぃーっと見ていた。何を言われるのか気になるのと、褒められる自信があった僕は数秒後に放たられるであろう屋代の言葉を、全神経を耳に集中して待っていた。その時僕の手は、無意識にドラえもんを描いていた。「だめだな。」ドラえもんを書く手が止まった。一瞬これは僕の作品に向けられたものか?と思ったが、屋代の低い冷たい声から、憎くも自分の作品に向けられているものだと分かった。「この作品は題を全く理解出来ていない。こんなものは作品とは言えない」屋代の言葉はよく覚えてないが、概ねこのような内容で、僕の作品を愚弄する言葉であったことに間違いは無い。だが覚えていることもあって「これはお題に沿ってない。これでは正解とは言えない」と言った屋代に対して「美術に正解があると思ってるんですか?」と返したことだ。今思えばとんだ生意気小僧だが、作品を貶されるのは、作品に映っている母を貶されるのと同義で、当時の僕を怒らせるのに、屋代の軽率な発言は十分だった。そしてその僕の皮肉った返しに何も言い返せなかった屋代は、用事を思いだしたかのように去っていった。僕は怒りと恐怖で震えている手でシャーペンを持つと、まだ手足のないだるまのドラえもんが僕を見つめていた。そして心でこう呟いた。たすけて、ドラえもん。

 その日からだ。屋代の僕に対する嫌がらせが始まったのは。屋代は僕らの美術室にくると、メダカ達に混ざり、自身の芸術に対する見解をペラペラと述べ、その節々に誰かを馬鹿にする言葉を織り交ぜていた。誰か、は言わなくても分かるだろう。後に、対象の周りから味方につけ、対象を省くというやり方は、魚の水槽でも同じことが起きることを知り、彼らをメダカと名付けた自分に拍手喝采を送った。だが大の教師がそんな子供じみたことをするという事実に、悔しさと怒りで吐きそうになった。それでも真城先生は僕の味方をしてくれ、真城先生がいる間は屋代が来ることは無かった。当時の僕は流行りの服より、テストの点より、好きな子の連絡先なんかより、勇気が欲しかった。同じ教師なのにこの差はなんだと、お前より情けない教師はいないぞと、そう言える勇気が。だが悪いことばかりでなく、メダカ達は屋代を慕っていたが、意識高い組は屋代を毛嫌いしており、共通の敵を見つけた僕らは徐々に仲良くなっていった。この時僕は、仲良くなるコツは好きな事を合わせることじゃなく、嫌いなことを合わせる事だということに気づいた。現に同じ美術が好きな僕とメダカらの間に、友情らしいものなど微塵も無いのだから。

 そして事件は起きた。二年も終わりに近づき、夏コン、冬コンと僕はどちらも入賞し、花園の事も意識し始めていた時だった。美術室には一人一人ロッカーがあるのだが、そこに置いていた僕の冬コンの賞状と作品が、びりっびりに破られた状態で、僕のテリトリーに置かれていたのだ。そして破れた紙一枚一枚全ての裏に、僕に対する悪口が書かれていた。それを見た僕の心は、それと同じくらい無雑作に、だがはっきりとした痛みを伴って、ちぎられていった。その中に「盗作は犯罪です」と書かれた紙を見つけた。僕はあの時のようにまた、無数の疑問符が脳内を巡った。だが今回はいくら時間が経っても答えは出なかった。ただ、悪口が書かれた紙の文字が全て違った事から、メダカ達の仕業であることだけは分かった。そして席に着くことを忘れ棒立ちしている僕の横を、「最低だな」と呟きメダカ達が通って行った。そしてその中心には目を腫らしたメダカリーダーの姿があった。その時分かった。屋代は作品作製の時、やけにメダカリーダーに肩入れしてると思ったが、僕の作品に似るよう助言していたんだという事を。そして、メダカリーダーが落選し、僕が入賞すると、その周りのメダカ達の怒りの矛先は僕に向くことを、屋代は知っていたのだ。僕が先に作品を作ったとしても関係ない。真実なんて彼らにとったら、今日寝ている間に雨が降っていた事なんかよりももっと、どうでもいいことだった。

 その日から僕は美術室に行くことを辞めた。真城先生に相談し、特別に籍だけは残してもらい、毎年三年の秋に行われる「自画像コンクール」に出品することを許して貰った。勉強をして来なかった僕は、ここで成績を残さないと美術推薦で高校に上がれないからだ。それくらい「自画像コンクール」は、三年間で一番大事なコンクールだった。そして三年に上がった僕は、二ヶ月前の八月から作品構想に取りかかった。自画像、と言っても、自画像+αみたいなもので、何か工夫をしなければ入賞さえできないといったものだった。だから二ヶ月前から始めることは、なんら特別早くはなかった。そしてコンクール一週間前、荷物を受け取りに行こうと僕は半年ぶりに美術室に足を運んだ。メダカ達は僕を一度見たきり、何も見なかったようにいつもの談笑を始めた。何も言われない、と一瞬安堵したが、僕はここに立ち入った事を後悔する。まさかのメダカリーダーの製作してるコンクールの絵が、瞳に映った自分を描く、という僕と全く同じ案の作品を作り上げていたのだ。また犯罪者呼ばわりされるのかと恐れたきり、それからはあまり覚えていない。いつの間にか家に帰り、完成間近であった作品を僕は、黒く塗りつぶしていた。ただ所々黒が滲んでいる箇所が、ぽつぽつ、と段々増えていった。そして気づくと僕は、新しい作品制作のため腕を動かしていた。ふっきれたのではなく、高校にいくためか、それともメダカらを見返す作品を作るためか、のいずれかを原動力に、今の部屋で一人孤独である自分を表していた。それから夜中まで閉じこもり作品を完成させ、死ぬように床に眠った。次の日は土曜日だったため、昼過ぎまで目覚めることは無かった。だが目覚めると、僕はベッドの上にいた。母が運んでくれたと思うと、張り詰めていた心が緩み、朝から枕を濡らした。二日連続で泣いた自分に、涙腺じじいじゃん、と笑った。僕はベッドから降り、新しい作品を見つめた。びっくりするくらい酷く見えた。これは誰しも経験があると思うが、時間が経って自分の作品を見ると客観的に見れるからか、なんで自分はこんな作品で満足したんだろうと思うことがある。そして僕はかつてないほどのそれをこの作品から感じ、もう美術は辞めようと思った。自画コンの前日まで作品に一切手を加えず、僕はやったことの無い勉強をしていた。あれだけ嫌っていた勉強より美術が嫌いになることがあるんだと、自分でも驚いた。そしてたまたま流れていた地域特集番組に花園が取材されており、ライバル視していたやつは、手の届かない所にいた事を知った。その悔しさから、しまったはずの作品を取りだし、乱暴に色を塗りつけた。いや、塗りつけたというより、ぶつけた。僕の思いと、怒りと、悔しさを。それは寒色で表現され、いい塩梅に作品内の孤独な僕を包んでくれた。すると途端にこれが芸術なんじゃないか?と思えて、急に自信が湧き、不安だった自画コン前日はよく眠れた。

 そして出品日になり、僕は作品を真城先生の元に持っていった。昨日は自信があったのに、やっぱり時間が経つと少し劣って見える。だがこの作品を真城先生は大絶賛してくれ、これなら最終候補に残るかもと言ってくれた。自画コンは、七作品が最終候補に選ばれ、一週間後一室に集まって自らの作品を紹介し、審査員が大賞を決めるというものであった。だから屋代なんかより百倍信用できる真城先生のその言葉には、随分勇気づけられた。そして僕の作品は、見事最終候補に選ばれた。それを伝えに来てくれた真城先生は既に泣いており、僕も一緒になって泣いた。多分人生で一番泣いた一週間だった。送られてきた他の最終候補の中に、花園の作品があったが、なんの工夫もされておらず、ただ自らの美貌をありのままに描いただけの作品で、僕は安心とともに、こんなもんか、と思った。他にもメダカリーダーじゃない生徒が描いた、瞳の案の作品もあった。

 そして一週間後、僕らはある公民館に集まった。ただ花園を除いて。なんと花園は一週間の間に新しい作品をつくり、直前まで制作に取りかかっていたため、遅刻するというのだ。彼女は五人目が終わってもまだ来ず、順番的に言えば彼女の番なのだが、前倒しで僕が小さいステージにあがろうとした瞬間、やってきた。「すいません、絵、描いてて。」彼女はやけに疲れていた。ここまで全速力で飛ばしてきたのだろう。そして彼女は僕に軽く頭を下げ、当たり前の様にステージにあがった。つったていたぼくは、恥ずかしくなって急いでステージを降りた。けれど座った途端怒りが湧いてきて、つまらない作品だったら許さないからな、という気持ちで彼女の作品を待った。だがそんな考えがいかに浅はかだったかを数秒後思い知らされる事になる。彼女が作品を出した瞬間、悪寒がして、ありとあらゆる毛穴が開くのを感じた。彼女の自画像の中で、彼女は口から生々しい血を流し死んでいた。そこでは顔しか描かれていないのだが、その目は光が一切なく、口角はにやりと不気味に裂け、その口からは黒々しい血が垂れており、先程塗ってきたのが分かる様に、光を吸収していた。だがその笑った顔は、彼女の顔とは、とても思えなかった。イワン雷帝とその息子の様に、芸術とは何よりも見者を引き付け、時にそれは恐怖を覚えさせるものである。花園は齢十四十五にして既にそれを体得しており、芸術とはこういう事だ、と皆に教えてくれた。ただ、その後に出す僕の気持ちを、少し考えて欲しかった。

 まぁ結局この功績が決め手となり、僕は今この高校に通えているのだが。いけない。寝てしまっていたから、いつの間にか教室からは誰も居なくなってる。いや、花園だけ未だにバッグを漁っている。皮肉な事に、皆が認める天才花園さんは、僕よりノロマだった。僕は席を立って、ゆっくり、彼女に近づいていった。何故あんな絵が描けるのか。何故そんなに死にたいのか。僕を覚えているか。色々聞きたかった。僕は大きい深呼吸をして、「ねぇ、僕のこと覚えてる?」と聞いた。彼女は振り返ってキョロキョロして自分?と指さしたが、部屋には僕らしかいないだろう、とつっこんだ。その反応からして、覚えていないことは分かったが。僕は自画コンで同席していた事を伝え、ついでのように「なんで死のうとしてるの」と聞いた。本題はこれだ。彼女はキョトンした顔を変えずじーっと僕を見つめた。僕は気まずさと目力に負けて、彼女の手首を指し「それ」と言った。すると貼っつけたような爽やかな笑みを浮かべ、「違うよ、去年の秋についちゃって、まだ消えてないだけ」と言った。「なんだ、自分でつけたんじゃないんだ。安心した。僕、卒業までに君に勝つから、死なれちゃ困る」狂人じゃなかった彼女に、一瞬安心した。けれど 「いや、つけたのは私だよ?」 

 ブゥーン。「え?」空調の音が聞こえる。また、僕の頭が急速に回転を始める。去年、自画コン、自殺ではない、だが自分で、秋、生々しい血。そして、ひとつの答えを導き出した時、僕は血の温度が下がり、血液の速度が落ちるのを感じた。

 「ねぇ、あれ、本物?」 口にするにはあまりに恐ろしく、僕はあれ、という言葉にすげ替えた。すると爽やかな笑みから一変。彼女は「せーかーい」と教えてくれた。僕は二つの事をその時分かった。一つは、あの自画像はやはり彼女であったこと。そしてもう一つは、きっと一生、僕はこいつに勝てないってことだ。僕の血は、平凡な赤だから。

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