○月△日(夫side)
……夫は、間違いなくヤバい人です。
――――○月△日
今日もシアは最高だ。
彼女と過ごせる毎日が、僕を幸せにしてくれる。
「今朝なんて、近衛の制服を着た僕に四回も話しかけてくれたんだよ。これまでの最高記録だ! すごいよね?」
「……答えづらい質問をするのは、止めてください」
僕の言葉に仏頂面で答えるのは、この部屋の主で、僕が護衛する対象の王太子。
「え~? 乗りが悪いなぁ。ここは『そうだね!』って賛同してくれるとこだろ。……まあ、でもいいか。シアのいいところは僕だけわかっていればいいんだから」
むしろ他の奴はいらない。
あ~あ、世界にシアと僕だけならいいのにな。
ついさっき別れたばかりのシアを思い出し、頬がゆるむのを感じながら僕はソファーに寝転んだ。
「……仕事をしてください」
「しているだろう? 僕の仕事はお前の側にいることだ」
僕の言葉を聞いた王太子の眉間に深いしわが寄る。
「書類も手伝ってください! ……私は、まだ上がってくる政策の半分も理解出来ないんですよ! 元々王太子になんてなる予定はなかったんですから! ……あなたが教えてくださるお約束でしょう! ――――兄上!」
王太子の口から『兄上』という言葉がでた途端、僕の心は急速に冷えていく。
王太子の顔は、みるみる青ざめた。
おそらく、僕の表情が抜け落ちてしまったのだろう。こうなったときの僕は、見る者を怯えさせるほど冷酷に見えるらしい。
「兄と呼ぶな。『私』はもう王籍から抜けたし、王位継承権も返した。ここにいるのは、ただの近衛騎士のアレスで、他の誰でもない。――――『前王太子アレクサンダー』は、病に倒れ廃人となって離宮で療養中だということを忘れるな」
ちなみに、復帰できる見こみは永遠にない。少なくとも近衛騎士アレスが、ここにいる限りは。
「どうしてそこまで――――」
悲痛な顔で声を絞りだした王太子は、僕が笑ったのを見て言葉を途切れさせた。
「決まっている。……シアは、イケメンが嫌いだけど、きっとそれ以上に『王太子』という人種が嫌いだろうからね。それに繋がる王族だって厭うに決まっている。……そんな『奴』要らないんだよ」
シアに嫌われる要素は、僕には不要だ。捨て去ったことに、なんの後悔もない。
なにせ、アレクサンダーのお忍び姿だった『アレス』でさえ、シアは拒絶したのだから。
『王太子アレクサンダー』は、アレス以上に美しく、神々しいまでの美貌を持つ人物だった。――――それこそ、前世のシアを死に至らせた元凶となった『婚約者』を彷彿とさせる容姿なのだ。
そんな、シアにとって嫌悪の対象でしかない『男』は、存在ごと消すしかないだろう。
「シアを不快にさせる『モノ』は、必要ないのさ」
僕は、嗤いながらそう言った。
王太子は、いたましいものを見たかのように目を逸らす。
――――そんな顔をすることなんてないのにな。
今の僕は幸せだ。
嘆き狂うしかなかった前世の『私』とは、比べるべくもないほどに。
――――そう。僕には前世の記憶があった。
心の底から愛していた婚約者を、小賢しい策を弄したばかりに喪って、失意のどん底に落ちてしまったという愚かな『男』の記憶だ。
最低最悪な記憶が蘇ったのは、近衛騎士に扮して街を視察していたときのこと。
偶然シアを見かけて、爆発的な記憶の奔流に『私』は呑まれた。
前世の自分の悔やんでも悔やみきれない記憶が……引き裂くような痛みを伴い責めたててくる!
だけど、それさえ目の前のシアに比べればどうでもいいことだった。
シアは、『私』が喪った公爵令嬢の生まれ変わりだったから。
どうしてそんなことがわかったのか……だって?
当たり前だろう。『私』が彼女を見間違うなんて、あり得ないんだから。
『私』は、その場で倒れそうになる自分の体に鞭打って、すぐに彼女の後を追った。
同時に、泣きたいような叫びたいような自分の感情を宥めるために、ちょうど手に触れた胸の階級章を握り締める。――――黒い軍服に映える白地に青い剣を象った階級章は、近衛騎士のものだ。
『私』は、彼女に声をかける寸前で、自分が近衛に扮していることを思い出した。
……彼女は、自分の前世を覚えているだろうか?
……だとしたら、前世の死因となった『王太子』に好意を持つはずがない。
「君っ! ……あ、突然すみません! 僕は近衛騎士のアレスといいます。あなたに一目惚れしました! 僕と結婚してください!」
直前で、自分の正体を偽れたことは、上出来だったと思う。
あのときの自分を、心から褒めてやりたい。
危惧したとおり、シアは『王太子』はもちろんのこと、彼を想起させる『イケメン』までも嫌いだった。
アレスの姿でも嫌われたのだ。本当の自分の姿と身分がわかったら、二度と会ってもらえないに決まっている。
その後、自分は似非イケメンなのだと嘘をつき、強引に次の約束を取りつけてその場を離れた。
本当は、そのまま彼女を連れ去って監禁し、自分のものにしてしまいたかったけれど……そんなことをしたら、未来永劫彼女の心を失ってしまうことは、確実だ。
――――それは、最終手段にしよう。
そう決意する。
僕は、急ぎ城に帰り『王太子』の地位を捨てた。
当然両親や、繰り上がりで王太子になる弟をはじめ重臣たちも大反対したが……僕の心は揺るがない。
廃王太子され王籍を抜けられないのであれば、持てる力のすべてを使ってこの国を滅ぼしてやるとまで脅し、なんとか要求を押し通す。
最後まで弟がごねたせいで、新王太子の近衛騎士となり手助けする約束をさせられてしまったが……まあ、多少の譲歩はやむを得ないだろう。
その後、あらためてシアに会い、押しに押して口説き落として、無事に結婚できた。
今の僕は、毎日天上にも昇れるほどに幸せなのだ。
――――だからこそ、この現状を崩しかねない王太子の発言は、無視できなかった。
「今の僕には、シアがすべてだ。シアが世界の中心で、彼女と一緒にいるためならどんなことでもできるし、必ず実行する! ……だからといって、僕を動かすために彼女になにかしようものなら、ただでは置かないからな。シアをほんの僅かでも煩わせるモノは、絶対に許さない!」
僕の言葉を聞いた王太子は、真っ青な顔で首を縦にふった。
そうそう。そうやって素直にしているのなら、多少なら手伝ってやらなくもないのにな。
仕方なくソファーから立ち上がった僕は、王太子に近づくと彼の手から書類を奪った。
「ああ、これは――――」
書類の内容を説明し、処理のやり方を教えてやる。
面倒くさいが、僕とシアの平和な生活のために必要なことだから仕方ない。
片手間に政務をかたづけながら、僕は勤務終了後のことを考えた。
帰りに花束を買っていこう。
今朝のお詫びだと言って渡せば、シアはいやそうにしながらも受け取ってくれるよね。
そしたら、即行でシャワーを浴びて似非イケメンになって、シアに甘えるんだ。
シアは、不細工な僕には優しいから、くっついて匂いを嗅いでも許してくれるはず。
……でも、僕に匂いを嗅がれて恥ずかしがるシアは、とてつもなく可愛いから気をつけないと。
今朝も感動のあまり魔法が解けて、素の顔に戻ってしまった。慌ててうつむいて隠したけど、僕が本当はイケメンだなんて知られたら離婚されてしまう。
それだけは避けないと!
「この政策案は却下だ。これとこれも。理由は――――」
気をつけて匂いを嗅いで……キスをして、舐めてもいいかな?
タイミングを間違えると叱られるかもしれないけれど……それさえ僕にはご褒美だから。
シアの匂いと温かな体を思い出した僕は、だらしなく笑み崩れる。
「こちらの政策は見直しが必要だな。修正案を上げさせて、ダメなら廃棄を――――」
シアのことを考えながら王太子に指示していけば、机上に山と積み上がっていた書類は、あっという間にかたづいた。
この程度の書類処理など仕事のうちに入らない。
それ以上は特にやることもなく、僕はまたソファーに寝転びシアのことを考えた。
今日の僕も、とても幸せだ。
一旦完結とします。
徒然日記なので、そのうちまた書けたら更新予定です。