初詣は杭全神社へ行きまた考える
今年の初詣は、地元平野郷の杭全神社に行った
大阪市平野区にあるその区の由来ともなっている平野の民の氏神様で夏祭りには地車が9台出て町内を練り歩く
私が元々この辺りへ引っ越ししてきた時は大阪市東住吉区だった
それが1974年に東住吉区と新たに平野区とに別れた
平野区は大阪市24行政区の中で人口が一番多い
もっと昔のことを言うと、摂津一宮の住吉大社がある住吉区から東住吉区と阿倍野区に別れてできて、さらにその東住吉区から平野区が別れてできた
区としての最初は住吉区らしい
まあそれは良いとして
もともとは同じ東住吉区だった今の平野区の住民として過去より疑問に思っていたことがあった
東住吉区に育和地区というのがある
ところが育和小学校はあるのだが、育和という地名はない
はて?何故に育和という名がついたのか?
まあ、育和という名前から和を育むとか教育を推薦する所か?と思っていたら経緯が分かった
ほんとネット社会はこういう時は良い
何でも興味がある者には助かる
この育和地区は杭全神社の夏祭りに出る地車9台とは別に育和という地車を所有している
杭全神社に宮入はしないが、確か杭全神社の夏祭りの一週間前ぐらいにこの育和地区を練り歩くのを見たことがある
そして杭全神社の夏祭りの時に吊るされる各地域名の赤提灯にも10個目の育和として吊るされる
もともとは杭全神社を有する平野郷の散郷だったようだ
大阪市に編入されて育和尋常小学校という名前になったらしい、当時の校区は現在の東住吉区の今川、桑津、杭全、今林だったとか
で、何故育和という名前と関係するか?
今川の「い」、桑津の「く」、杭全の「く」、今林の「い」そう頭文字が「い×2とく×2」でありその「いとくが和むように」ということで育和という名前になったらしい
桑津地区にはもともと桑津小学校があったらしく、当初は育和地区ではなかったが途中で桑津小学校を吸収合併したいきさつがある
その少し後にこの小学校は設立したことになっている、現在はまた桑津小学校が存在しており桑津地区はそちらへ通学している
杭全はよく難読地名に取り上げられる
確かに知らないと読めたもんじゃない
今でこそ杭全神社は平野区で、杭全の地名自体は東住吉区のままで不思議な気もするが、もともとは同じ区であり同じ文化なのだろう
それで言えばこの平野区に大阪市立摂陽中学校という中学校がある。
しかし摂陽言う地名はどこにもない
昔の摂津国の南側(陽)にあるからということらしい
この名前もいろいろあって決まったらしい
ほんと名前には色々歴史があって面白いものだ
で、杭全って?・・・今川の氾濫を止めるために杭を打って全て出来上がったから・・・とかいう説も一つあるらしい
ようわからん