覚悟
「ひじは体に自然に引き付けるようにして下さい。あまり力を入れないで自然にです。力がはいると動きが硬くなります」
八百屋の一人娘こと風華は、もっか世恋さんからの熱烈指導を受けています。でも世恋さんが私の腕や腰、肩の角度などを修正する度に、その豊かな胸が黄金の髪やらが私の背中やうなじに触れて、女の私でもなにやら変な気分がします。これ、白蓮がされたらきっと悶絶もんだろうな~。
「風華さん、集中、集中ですよ」
いけない、いけない。怒られてしまいました。
「肩の力を抜いて、ひじから先の腕を自然にまっすぐ伸ばす感じで投げてください。持ち手も軽く握る感じで力をぬいて。一番大事なのは、ひじを体に自然に引き寄せて、腕を体に平行にまっすぐ伸ばすことです」
言われた通りに投げてみた。小刀が飛んで、五杖(5m)ほど先の的に向かって飛んでいく。なんとそれは中心よりちょっと右にそれたところに当たってくれた。
おーー、これは結構行けているのでは?
「風華さん、才能ありますよ」
ほめられちゃった。最近は塩味がどうのと文句ばっかりいう輩といたのでちょっとうれしい。
「上体をちょっと振りすぎですね。腕で投げるのではなく自然に肩を回す感じで……」
「的を見るのではなく、的に当たったのを想像する感じで……」
「足は必ず的の方を向けて、腰をつかって体重が自然に後ろ足から前足に移動するように……」
世恋さんの熱血指導のおかげで、かなり的にしかもまっすぐ当たるようになりました。世恋さんが言うにはそこは結構重要で、斜めに刺さる様だとはじかれたりして致命傷にならないとか。ちょっと物騒な事を言っていました。
世恋さんが言うようにこの小刀はなかなかのもので、私のような下手が扱っても先端が欠けることも、刃こぼれすることもない優秀な品です。お父さん、普通の包丁でこういうのを残しておいて欲しかったです。
その代わりいつぞのお風呂効果はどこへやら、筋肉痛がとても酷く、体中からぼきぼきという音がしそうです(多分しているのかな?)。しかも日々の労働は待ってはくれません!
修行とやらをはじめて二日後の午後辺り、だいぶ日が陰ってきた頃には当たるだけでなく、かなりいい音を立てて深く刺さるようになりました。
抜くときにも力がだいぶ必要になって、手が豆だらけでとても痛いです。それに今日は皆さんの戻りも遅いようです。
「風華さん、とてもお上手になりました」
世恋さんからのお褒めの言葉。これで免許皆伝でしょうか?
「では、次は動いている的を狙えるようになりましょうか?」
そう言った瞬間、世恋さんが手にした小刀を林の茂みの方へと放った。その動きと投げられた小刀の速さは私とは全く比べ物にならない。超絶美少女だけど、やっぱりこの人も冒険者なんだ。
世恋さんが放った先を見ると15杖(15m)ほど先の茂みの近くで何やら茶色いものが動いている。冬ごもりの支度中の茶色から白へと毛が変わりかけの一匹の野兎だった。
野兎は足に小刀を受けてそこから血を流している。その傷は深く、必死に逃げようとしているがその動きはまるで這うようだ。
「風華さん、あの兎にとどめをさしてください」
私は世恋さんの顔と、必死にこちらから逃げようとしている兎を交互に振り返った。
「とどめですか?」
「そうです。基本的に木の的を狙う時と同じです。ただ動いているので、動いた先で当たるのを想像してそこに向けて投げてください。今いる位置に体の軸を合わせてそれを追って投げては駄目です」
私は小刀を振り上げて、必死に茂みの方へと這って行く兎を見た。這った後には失血の赤い線が残り、その目と髭が悲し気に、そして必死に生き残ろうと震えている。
「世恋さん。かわいそうで……私にはちょっと」
世恋さんが私が振り上げてそのまま止めていた腕をつかむと、私の顔をじっと見つめた。
「風華さん、あなたは強い人です。身を挺して私を守ろうとしてくれました。でも間違いです。あなたはまず自分を守らなければなりません。自分も守れない人が他人を守れる訳がありません」
そう告げる世恋さんの表情にはまったく笑みはない。
「あなたがこの小刀を使う時、その相手はマ者か『人』です。その時には慈悲の心など必要はありません。あなたが失われることで悲しむ人だってたくさんいるんです。それを決して忘れないでください」
その目は真剣だった。
「つまらないやつだな」
いつの間にか私の横に現れた百夜ちゃんはそうつぶやくと、手にした小刀を野兎に向かってひょいとなげた。小刀は兎の頭を直撃し絶命させた。
「それに、あれは餌だろ?」
私の方を振り返る百夜ちゃんは、よだれをたらさんばかりの表情をしている。私が何かを言い返そうとした時だった。野兎が倒れた茂みの辺りで何かが『がさがさ』と音を立てた。
びっくりして私達三人は茂みの方を振り返る。
「百夜様!」
「あれは、分からん」
茂みの中から数匹の野犬が現れると、こちらに向かって低い唸り声をあげた。後ろの茂みにはまだ何頭か潜んでいるらしい。一匹が野兎の匂いを嗅ぐと、こちらに向かって走って来る。
私は慌てて手にした小刀を向かってきた茶と白の斑の犬に投げたが、小刀は犬の脇をかすめただけで地面へと突き刺さってしまった。
向こうで馬の嘶きが聞こえる。まずい、ここで馬があばれでもしたら、その鳴き声が誰かに聞かれてしまうかもしれない。そもそも犬に馬がやられてしまったらどうやって移動するんだ。
頭の中が恐慌状態になりそうになる。世恋さんが、自分の腰の帯革に指していた小刀を放ち、こちらに向かっていた数頭の犬を仕留めた。でも犬達はまだこちらに、特に一番小さい百夜ちゃんに向かって来ている。
私は百夜ちゃんの体を引き寄せるとその手を引いて野営地の中心まで走った。世恋さんも野営地の中心に向かって走って来る。犬達は耳障りに吠えると私達の後を追って来た。
一匹の野犬が私の大外套の裾に噛みついた。その顔を後ろ脚で蹴飛ばして前へ進む。ここで倒れたら野犬の餌食だ。
野犬の中でも大型の一匹が百夜ちゃんの背中を狙って跳躍した。私は熾火にさしてあった薪を拾うとその顔に向けて赤く光る先を押し付けてやった。犬がきゃんきゃんという情けない鳴き声をあげて後ろに飛びのく。
私はくべてあった別の薪を拾うと、それをその後ろの犬めがけて投げつけた。それは火の粉をちらしながらまともに犬へと命中し、犬が後ろへと飛ばされ別の犬に衝突する。世恋さんも熾火の穴を背後に犬達に向かって細身の剣を構えている。
私は百夜ちゃんを後ろに、火のついた薪を犬達の前へと差し出した。来るなら来い。八百屋の娘をなめるな!それにこの火のついた薪の方が庶民の自分としてはしっくりする。
犬達はそんな私の迫力にか、それとも火に恐れをなしたのか、世恋さんに仕留められた数匹の屍骸をおいて茂みの向こうへと消えていった。
思わず腰から力が抜けて地面にへたり込む。でもだめだ、座り込む訳にはいかない。馬もなだめなくちゃいけないし、煙もばればれかも……。
旋風卿になんていわれることか。何とか立とうとしていた私の手を世恋さんが引っ張ってくれた。
「風華さんは、やっぱりお強いですね。でも……」
世恋さんは、百夜ちゃんの方をちらりと見ながら、
「自分の身をまずは守ってください」
と笑いながら告げた。
「おもかろくないぞ……」
百夜ちゃんが、ちょっと拗ねた(拗ねているんですよね……)表情で世恋さんを見上げる。
「風華さんは、煙が流れるのを止めてください。私は馬をなだめます」
馬の方に駆けて行く世恋さんの後姿を見ながら、私は自分がいろいろと勘違いしていたことを理解した。私は城壁の外にいて、自分の身は自分で守らなくてはいけない。
旅とはそういう覚悟が必要なものなのだ。決して『はいほ~』と行けるものではない。




