白状
旋風卿から周囲の様子を確かめて欲しいと言われていた白蓮と歌月は、内地への裏街道筋を眺められる小高い丘の草地の中にいた。
白蓮の目の前では歌月が膝をたたんで乾いた固い土の上に補聴器を置いて辺りの様子をうかがっている。
白蓮はその後ろで片手を地面について屈んでいた。白蓮がうつむき加減でいるのは、目の前にある歌月の丸みを帯びた尻に目のやり場に困ったからだ。
歌月は身を起こすと、白蓮に向かってこの辺りには人はいなさそうだと手信号で合図を送ってきた。今度は白蓮が先行して街道筋に近いところを流れている川の方に向かって移動していく。川伝いに身を隠しつつ街道筋にある集落の様子を探るためだ。
白蓮が地面に補聴器を置き動きを探るが、川の流れで振動の有無は良く聞き取れない。だが前にある数件の家を含めて辺りに人の気配らしきものはない。周りを見渡すと川沿いの流れに何か茶色いものが見える。
背後に気を付けながら、草を少しずらしてそこにある物が何か確認すると、普通の町娘の恰好をした風華と年が近そうな少女と、彼女と手をつないだもっと幼い男の子が川岸にうつぶせに倒れていた。
助けなければと思って腰を浮かせかけた白蓮だったが、その背には狩猟用らしき短弓の矢が何本か突き刺さっており、茶色く見えた何かはかなり前にそこから流れ出たらしい血が乾いた跡だった。
その茶色い染みにはすでに蠅がたかっている。すくなくとも死後数時間、血の乾き方をみると殺されたのはもっと前だろうか?
白蓮は、後ろで短弓を構えてこちらを見ている歌月に手信号で、
『危険』、『弓』、『警戒』
と伝えると、民家の影伝いにその軒下まで進んだ。
手に汗がにじむ。見上げると二階の窓は開け放たれたままだ。壁に耳を押し付けて中の様子を伺うが人の動く気配はない。
背中に背負っていた山櫂さんの遺品の小型の弩弓を手に、ゆっくりと裏口の戸の方へ進む。足元でかすかに響く砂のこすれる音がやたら大きく聞こえ、心臓の鼓動が太鼓のように耳に響いてくる。
自分の上を何かの影が横切ったかと思うと、一羽の黒鳥が二階の窓から中に飛び込んでいった。その窓からは小うるさい羽音と共に多数の蠅が外へ飛び出してく。
どうやら中に人の動きはないらしい。かすかにただよう悪臭。胃から何かが胸へとこみ上げてくる。裏口の前まで一気に進んだ白蓮は、歌月に向かって、
『調べる』、『中』、『警戒』
と手信号で送り、左手でゆっくりと裏口の扉を押した。扉はかすかな軋み音を響かせて中へと開いていく。白蓮は姿勢を低くすると中に飛び込んで扉の右手の壁を背にして中を伺った。
濃厚にただよう死臭。中央の食卓の脇にはさっきの少女と男の子の父親だろうか? 中年の男のうつろな目が白蓮を見つめている。
その胸にも数本の狩猟用の短弓の矢が刺さっており、部屋の中は食べ物でもあさったのであろうか、台所の辺りを中心に物がひっくり返されて様々なものが床に散乱していた。
白蓮は息を潜めて二階の様子を伺ったが、黒鳥が床を飛び跳ねるコツコツという音しかしない。白蓮は弩を片手に二階への階段をゆっくりと登った。白蓮の姿に黒鳥が驚き窓から飛び去って行く。
二階を伺った白蓮の視線の先には、顔をこちらに向けて仰向けに倒れた中年女の姿があった。
鳥にすでに食べられたのかその眼球は黒い穴となってこちらを見つめている。穴から蠅が出てきて前足をこすり合わせるのを見た時、白蓮は耐え切れずに胃から何かがのぼってくるのを感じたが、それを無理やり胃へと戻した。
ここを襲ったものだろうか。床には茶色い砂で狩猟靴らしい靴跡が複数残っていた。ここを襲ったやつらは少なくとも3人以上はいたらしい。白蓮は一階に降りると下し窓の隙間から表側を確認し、裏口へと戻って歌月に、
『確保』、『安全』
と手信号を送った。歌月が草の間に身を隠しながらこちらへと走ってくる。白蓮は弩を片手にその背後に何者かがいないかを警戒した。
裏口から歌月の体が滑り込むと、白蓮は裏口の戸を閉めて表側に移動し、下し窓の隙間から再度表側に異常がないか確認した。そして外を見ながら背後で裏口を警戒する歌月に『安全』と合図を送る。背後の歌月から「ふう」というため息が漏れた。
「派手にやったものだね。昨日いや一昨日の夜というところか?」
歌月が周りを見渡して小さく呟いた。
「内地の衛士達でしょうか?」
白蓮の声も小さい。
「衛士達がこんなちんけな矢なんか使うかい。ここの奴らだよ。おそらく逃げる前に金目のものと食い物を奪っていったんだね」
歌月がそこらじゅうに残る足跡を確認しながらやれやれという表情で答えた。
「表の子達もかわいそうに。こいつらがもっと早めに逃げる決心をすれば、生き延びられたかもしれないね。もっとも私も人の事は言えないか……」
最後の台詞を告げた歌月さんの表情は暗い。確かにもっと早く逃げれば、結社のみんなも戦に巻き込まれることは無かったのかもしれない。だが人は神様ではない。何が一番いいなど誰に分かると言うのだろうか?
「表街道だけでなく、裏街道もこのありさまではあの男の言う通り、街道筋は全てだめだね」
「戻ってアルさんと相談しますか?」
「そうだね。これ以上ここに居ても得る物はなさそうだし。それに日が暮れるとやっかいだ」
歌月はもう一度床の死体に目をやると、
「悪いね。せめて燃やしてあげたいのだけど、こちらもそうはいかないんだ」
と告げた。歌月は白蓮の方を振り返ると、
「白蓮、ところであんたは風華の事をどう思っているんだい?」
と唐突に白蓮に聞いてきた。歌月の突然の言葉に表を監視していた白蓮が驚いて裏口から外を伺う歌月の方を振り返った。
「ここには邪魔者はいない。はっきり答えなよ」
歌月がいたずらっ子のように目を輝かせて聞いた。
「ふーちゃんですか? 好きですよ」
表を警戒しながら白蓮はあっさりと答えた。
「まあ、向こうがどうおもっているかは分からないですし、何せ二年前より前の事はまったく覚えてない身ですから、どうしたもんだかという感じです。それに自分の稼ぎだと上前返す分でいっぱいいっぱいで居候させてもらえなかったらとうの昔に飢え死にでした」
ここまで言ったところで白蓮の頭の中にある忘れていたとっても大事な事柄が浮かんだ。
「あっ!」
事の重要さに思わず叫び声まで上げてしまう。
「歌月さん、ふーちゃんに結社の上納の件って話しました?」
白蓮の問いかけに、歌月がなんのことだかという顔をした。
「まずい……。多分、ふーちゃんが上納金の件を聞いたら切れる。いや確実に切れる。歌月さんこの件、ふーちゃんにまだ言わないでおいてください。自分は次の朝日が拝めないような気がします」
白蓮は真剣な表情で歌月に懇願した。
「あんたたちは、本当におもかろい人達だね」
そう告げると、白蓮の真剣な表情に歌月は思わず含み笑いを漏らした。
「あの子が大事ならこうならないように、剣と弓をもっと鍛えるんだね。あんたはマナには頼れないんだ」
さらに歌月は白蓮の胸を指でつくと、
「それとあの女にも気をつけな」
と小声で告げて裏口から外へ身を躍らせた。白蓮はあっけにとられながらもあわてて歌月の後を追いかけた。