とび森
「新人の時以来か、皆がこの森に来るのは?」
長が声を落として皆に問うた。
「いや、白蓮は違うと思いますよ」
薄毛の男が白蓮を指さしてにやりと笑って見せた。
「どれだけ動いている?」
長がさらに声を落として探知持ちのマナ使いに聞いた。
「探知持ち全員で探りました。奥からこちらに来ています。多すぎて数は正確には分かりませんが、まだばらばらでまとまってはいません。一番近い集団は右手300杖(300m)ぐらいには来ています」
「一番左の探索路を使って南に進む。先頭は探知持ちと撃ち手だ。撃ち手は前方に出たマ者を排除しろ。撃ち手はどれだけ獲物を残している?」
「さっきので結構使ってしまいましたが、まだ各自4、5の手は残しています」
長の問いに薄毛の男が答えた。
「旋風卿、君には先陣で撃ち手の支援をしてもらう」
長は旋風卿にそう告げると、今度は白蓮の方へと向き直った。
「白蓮、今ではお前がこの森に一番詳しい。探知持ちが探知したやつらを極力迂回して姿を隠せるように皆を誘導しろ」
「分かりました。右手の探索路の脇のくぼ地の端を回ります。こちらが上ですので何か右からくれば確実にわかるはずです」
白蓮は長に向って真剣な表情でうなずいた。これまで組に入れてもらえずに居た自分にとって、これはある意味初の大役だ。
「案山子使いや閃光使いはその後ろ、可能な限り群れを牽制しろ」
案山子使いは、マナを使ってマ者にそこに人がいるかのような幻影を見せることができる者だ。組に居ればマ者を確実に撃ち手の方へと誘導することができる。
「ここからも誰が倒れようが助けは一切無しだ。森を抜けることだけを考えろ」
長のその言葉にあらためて周りを見ると、風使いの者たちを中心にすでに10名程度のものが欠けている。彼らは自分の身を犠牲にして他のものを隠してくれた。
彼らのためにも生き延びてふーちゃんを、結社の人質に取られている人たちを開放しないといけない。
「まだまだ走るぞ。お前たちの冒険者としての粋を見せてもらおうか。行くぞ!」
冒険者たちが一斉に動き始める。その動きは先ほど戦場をかけた時よりはるかに俊敏だ。
木々の間に適切に距離を取りながら、木々の間の藪より低い姿勢で、落ち葉だまりで無駄に音を立てることや、苔で足を取られ足りすることなく、小動物の集団が森を駆けていくかのように動いていく。
「2刻(4時方向)、200、黒10」、「未刻(0時の方向、100、黒5」
探知持ちがこちらに向かってくるマ者の方向、距離、数、種類を知らせる。白蓮は彼ら前衛の速さに遅れないよう必死で先頭近くを走りながら、後続の者達を誘導するために手と指を使って進む方向と、それがどのような地形なのかを知らせた。これらは結社で共通の符号、手信号だ。
白蓮はマ者たちとの距離を極力維持できる方向かつ、こちらが素早く動け、マ者の姿が確実に取られられそうな開けた地形へと皆を誘導した。今日はこちらが姿を隠す意味はない。
「全光、1半(3時)、3、3」
閃光使いの声が響いた。右から来る奴の牽制に、最大級のやつを1半(3時の方向)に3砂(秒)後に、3回放つという意味だ。普段は手と指で知らせるがこの人数だ、今日は新人の研修の時のようにすべての指示を声で飛ばしている。
「止めるだけでいい、撃て!」
襲撃の姿勢で前方にいた全長2杖(2mほど)黒犬の集団に対して、必殺のマナ使い達の小刀が飛ぶ。いつもは急所を狙うが今は時間がない。今は狙いやすく動きを止められる場所、目であったり、鼻先あたりに小刀が突き刺さった。
一瞬ひるんだ黒犬だったが、それでも横を駆ける白蓮達の方へとびかかってこようとする。風の唸りが聞こえたかと思うと黒犬の巨体は旋風卿の槍に弾き飛ばされ、ただの肉片へと変わっていった。
「未刻(0時方向)、100、黒10」
「全置き、2刻(4時方向)、50」
案山子使いの声。4時方向、50杖(50m)にはっきり分かるおとりを置くという意味だ。前方の黒犬の群れをそちらに誘導するつもりらしい。だが今日のこちらは集団だ。どれだけ効果があるかは分からない。
「3刻、1000、黒30いや、もっとだ!山ほどいる!」
探知のマナ使い達のひっ迫した声。普通はそんな距離は探知できない。それが分かるほどの群れがいるのだ。恐れているものが来た。マ者の集団での襲撃、『崩れ』だ。この集団に追いつかれたら終わりだ。だが魁の街の本陣の位置まではまだまだ距離はある。
後方に火の手が上がった。炎の使い手たちが火を放ち炎の壁を作っている。生き残りの風使い達がその炎を風で巻き上げ一体に火の手を散らした。
本来森の中でこれだけの炎を振りまくのは禁忌だが、今はそんな事を言っている場合ではない。うまくいけば奴らを迂回させて距離を稼げる。
「1半(3時方向)、100、1……なんだこいつは……針熊か!くそ『迷い』がいやがった!」
迷いとは本来そこにいるはずのないマ者である。このとび森には針熊は長い間確認されていない。いるとすれば本森からここに移ってきた『迷い』という事になる。普通は森の外を超えてマ者が移動してくることはほとんどない。
針熊は大きなものでは3杖(3m)を優に超えて成長する熊ににたような顔、形をしたマ者でだが、熊とは大きく異なるのは、その背に相当する部分が長いものだと1杖弱になる針で覆われている。針というより細身の投擲用の槍という感じだ。
この針をマナを使って針熊は周囲に飛ばすことができる。その最大射程距離は100杖を優に超える。大型の奴だと150杖から200杖ほどになるらしい。
この針は鋼鉄なみに固く先は鋭い。かっての『黒の帝国』は針熊の針を投擲槍に加工して使っていたという話もあるくらいだ。
この針は普段は寝かせていて、それは何重もの鎖帷子のごとく針熊の体を覆い、すべての斬撃をしりぞける。本森を含めこの辺の森ではもっとも強力なマ者だ。
腹の部分には針はない、子持ちの針熊は何かを襲う、あるいは襲われたときには腹の下に子供を隠してその針を放つ。その狩の形態から子持ちを除き何匹かが群れになることはない。
本森では針熊は群れで狩をする黒犬の天敵で、10頭以上の群れが針熊の一撃に一瞬で全滅させられる。逆にまだ針をとばせない、あるいは針熊の子供にとっては黒犬は天敵であり、その狩の対象になる。
天敵のいないこのとび森で増えた黒犬に引き寄せられたのだろうか? いないはずの針熊がここにいた。
針熊を倒すには、基本的に巨木の多い森のようなやつらの針が使えないところに誘い出して、何とか腹を出させるか腹を狙える位置に撃ち手を配置し、胸の中央の急所をねらわないといけない。だが子持ちでもない限りやつらが腹を見せることはない。
そして今は黒犬のマナを使った跳躍による奇襲、それは時として10杖以上の距離を一瞬で飛んでくるのを避けるために、わざと見通しのいい平坦な場所にいる。
唯一の障害はまばらに生える木程度で、こちらの身を隠してはくれない。まさに針熊の恰好の餌食だ。せいぜいうつぶせになって避けるぐらいしか方法はない。
だがそんな事をすれば、後ろから来る黒犬の集団にすぐに捕まる。いや全速でかけていても、捕まるのは時間の問題だ。そしてやつらは森の外に出てもこちらを追ってくる。ここで死んでは単なる犬死だ。
「針が来るぞ、伏せろ!」
探知持ちの声。結社の皆が木の根などをせめてもの盾に一斉に身を伏せた。耳には地面を通じて後ろから来る黒犬の足音が、まるで太鼓のように響いてくる。
もはや探知のマナを使うまでもない。次の瞬間泡入り葡萄酒を連続して開けた時のような発砲音と風切り音が響き、あたり一面に死の針がまき散らされた。
針に撃ち抜かれた木々が大きく揺れ、『黒きの森』マナを含む森特有の裏が黒く変色した葉が辺りに散らばった。うつぶせのまま動けないでいる者達の耳に針熊の咆哮が響く。
今や針熊はくぼ地の向こうに姿を現し、獲物の姿を直接とらえようとしている。針を前に傾け次の一撃を放とうとする針熊の姿に、このまま動けなければおしまいだと思った瞬間、今度は針熊の苦痛にもだえる叫び声が上がった。
「お前の相手はわしだよ」
針熊の右目に、針熊自身の針が深々と突き刺さっていた。針熊は怒りとともに声の方を向いて針を打ち出す。月令は手にした槍で針熊の針を叩き落しつつ、くぼ地の中へと駆け降りていく。針熊は刺さった針を引き抜くと月令の後を追った。
「皆の者、先を急げ」
くぼ地の下から月令の声が響いた。結社のもの達は長の言葉に従うべく素早く起き上がると、再び全速で駆け始めた。
黒犬の足音はすぐ背後まで来ている。