表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
330/440

憂患

「もうくたくただね」


 監督方が手配してくれた馬車から降りると、白蓮は思わず愚痴を漏らした。もっとも漏らした相手が百夜である事を考えれば、この愚痴には意味があるとは思えない。


「つまらんやつらのつまらん話ばかりだ。そんなことより我は腹が減ったぞ」


 百夜ちゃんの機嫌はすこぶる悪い。馬車の中でも腹が減ったとうるさかった。最後は僕の腕に噛みつこうとしたくらいだ。


「あれ、灯がついてないね」


 旋風卿と世恋さんの屋敷には、すでに暗くなっているのに灯りがついていない。世恋さんを訪ねて以来の旋風卿のお宅だ。確かふーちゃんと実季さんは先に帰っているはずだ。それに歌月さんも監督方でよく分からない報奨金の説明と書類への署名で、長時間拘束されていた僕らより先に帰ってきているはずだ。


 もしかして、女子会と称してもう酔いつぶれて寝てしまっているのだろうか? だとすると、百夜ちゃんの食事は僕が作らないといけない。じゃないと本当に彼女に食べられてしまう。


 庭の入り口から玄関へと向かう。気のせいか庭が荒れているように見えた。落ち葉が散らばったままだ。玄関の叩き金を叩こうとして、扉がかすかに開いたままになっているのに気が付いた。やはりおかしい……


『警戒』


 背後でぶつぶつ文句を言っていた百夜ちゃんに向かって手信号を送る。彼女はかなり夜目が効く。この暗さでも手信号に気が付くはずだ。


「なんだ白男。おもかろい兄とおっぱい女がいるだけだぞ」


 百夜ちゃんが僕の横を通り抜けると、玄関の戸をおもむろに開けて中に入る。


 中には覆いを落とした角灯が一つ、来客用の卓にぽんとおかれていて、覆いの隙間から漏れる黄色い灯りがかすかに部屋の中を照らしている。そして長椅子に背を丸めて座る大きな男と、食卓の上に瓶と瑠璃の杯を置いた女性の影を浮かび上がらせていた。


「アルさん、歌月さん!一体どうしたんですか? またふーちゃんが何かやらかしました?」


「白蓮に百夜か? やっぱりあんた達は無事だったんだね。どうするでかいの? あんたから説明するかい? それとも私から説明する?」


「そうですな。歌月殿から説明していただいた方が冷静に聞けると思いますな」


「そうかね? 私はだいぶ酒が入っちまったよ。まあいい、私から説明する。白蓮、百夜、こっちにおいで」


 二人とも明らかに様子が変だ。それにふーちゃんに、実季さんはここに戻ってきていないのだろうか? それに世恋さんは? 三人でどこかにでかけた?


「率直に言う。世恋、風華、実季の三人が人質に取られた」


「人質!?」


 ふーちゃんが人質……


「どこのどいつですか!」


 卓の向こう側に座る歌月さんに詰め寄る。何処のどいつだろうが関係ない。何があろうがすぐに助けに行く!


「落ち着きな白蓮。すぐに何かされるわけじゃない。3人を拐かした相手も分かっている。それにそいつの目的もね」


「それならなおさらです。すぐに助けに行かないと!」


「白男、慌てるな。それですむなら、おもかろい兄もおっぱい女もここにはいない。そうだろう、おっぱい女?」


「そのおっぱい女と言うのはやめてくれないか? 白蓮、とりあえずあんたも一杯やりな。少しは落ち着く」


 歌月さんが瑠璃の杯を僕の方へ差し出して、そこに瓶から赤葡萄酒を注いだ。


「そんな暇はありません」


「残念ながら私達にあるのはその時間だけなんだ。先ずは最後まで話を聞きな。それが約束でき無いなら何も話すことは無い」


 歌月さんの目は真剣だ。


「分かりました」


「三人を誘拐したのは月貞結社長。私の叔父さ。あんたも今日会っただろう」


「結社長がふーちゃん達を?」


 歌月さんが僕に頷いて見せる。


「目的は穿岩卿達が限界線の先で見つけた、奴が穴と呼ぶ物の探索だ。それにそこのでかいのと、白蓮、あんたと百夜を行かせるためだ」


「それなら何もふーちゃん達を人質にとる必要はないじゃないですか? 行けと言えばいいだけです」


「そうは行かないんだ。穿岩卿達はその穴を見つけた際にみんな死んじまった。これは箝口令がしかれている話らしいが、あんたは探索組だ。小耳にぐらいは挟んだんじゃないか?」


「はい。(とばり)の蝕に会ってみなさん亡くなられたと聞きました」


「大店の若手二人だけが生き残ったらしいね。それを助けたのはあんただっていうのは本当かい?」


「はい。僕も関わりました」


「あんたもいつの間にか見違えたね。その穴にあの男はどうしてもたどり着きたいらしい。だけど普通に考えれば、大人たちでさえあっさり命を落としたんだ。行くのは自殺行為さ。そこに潜る組長にそこのでかいのを指名してきた」


 歌月さんが、長椅子に背をまるめて座る旋風卿を指さした。


「もちろんでかいのも断った。だが奴は妹を、世恋を人質に取っていると言ってきた。それだけじゃない。白蓮、あんたと百夜も一緒に潜らせると言ってきたのさ。それでその保険として、風華と実季を預かっていると言ってきた」


「それで世恋さんとふーちゃん達が返ってくるというなら話は簡単です。アルさん、百夜ちゃん、すいませんが僕とそこまで行ってください。今から結社長のところに行って、彼女たちを返してもらうように交渉してきます」


 こちらが逆らうつもりがないことを説明する。返してもらえなくても、ふーちゃんの命の危険は減るはずだ。


「白蓮君。残念ながら話はそう単純ではないのだよ」


「アルさん、どういうことですか?」


「あの男は用心深い。私達が確実にそこに行くだけじゃなく。そこで彼が望む何かを見つけて確実に戻ってくることを、そしてそれを誰にも漏らさずに秘密にすることを期待しているのだよ。世恋や風華嬢や実季嬢はあの男にとってその保険のつもりなのだ。事実この件を漏らせば世恋たちの命は危うくなる。いや私達共々確実に始末されるだろう」


「どういう事ですか? 結社長は僕らをそこに行かせたいのではないのですか? 僕らを消したら意味がないのでは?」


「その通りだ。そして私や君や、百夜嬢がそこに行くことが最善だと彼は思っている。そしてもっとも制御が効く人選だともね。だけどそれは最善であって絶対ではないのだ。彼は私達が言う事を聞かない、あるいは彼にとって危険だと思えば、躊躇なく別の手段を取るはずだ。その時にも世恋たちは私達に対する彼の手札になるのだよ」


「つまり……」


「今の私達には選択肢などないのだ。とりあえずあの男の望むまま穴とやらに行くしかない。そしてそこから生きて戻ってくるのだ。死んだら人質達の価値がなくなってしまう」


「百夜?」


 歌月さんが、百夜ちゃんに目配せした。


「おもかろい奴らか? この近くには誰もいないな」


「ここは一軒家だからね。来客を見張るのに近くに居る必要はないということか……」


 アルさんが歌月さんの言葉を引き継いだ。


「歌月殿を含め、私達にかかわりのありそうな人達はおそらく全て監視される。私達は結社長に、いや城砦に逆らってまで私達に協力してくれる人たちを探さないといけない。あるいはその穴とやらで、人質の解放の引き換えにできるような何かを見つけるかのいずれかです」


 歌月さんが僕らに向かって首を振って見せた。


「正直なところ前者は無理だね。こちらから接触した時点で警戒される。下手したら消される。こちらが漏らしたとばれたら、その時点で私達もあの子達もお終いかもしれない。つまりあんた達が穴で、あいつが望む何かを見つけて帰ってきてくれることだけが望みという訳さ」


 つまり僕らは彼の望むままに、穴に行くしかないということか。


「城砦の全力で色々やっているみたいだが、まだそこまでの半分の探索路も全然できていない。おそらく潜りに入るまで一月弱から一月強程度の時間はあるだろう。その間にせいぜい穴とやらに行っても死なない為の準備と、奴の目的が何なのかを探る。それが私達にできる事なのだよ」


 そう言うと、アルさんが百夜ちゃんの方を見た。


「百夜嬢、悪いですな。貴方にも付き合ってもらうほかはない」


 百夜ちゃんが、不機嫌そうに卓の上で指をとんとんと鳴らした。


「我の餌に手を出すとは許せん。我の気分が悪かった訳だ。だが安心しろ、お前の妹はまだ生きているぞ」


「そう願っていますよ」


 旋風卿が溜息をつきながらつぶやいた。


「願い? 分からんな。まだ生きていると言っているのだ。あれは我の下僕だからな、死んだら我には分かる」


「何処にいるのか分かるのかい?」


 この子ならどこに監禁されているか分かるかもしれない。


「さあな、場所は分からん。それに今は意識もないらしい。繋げんからな」


「ふーちゃんや実季ちゃんと一緒かな?」


「赤娘か? おそらく生きてはいるが、おもかろい妹の近くではない。あれは……あれから繋いでこないと我には分からんのだ。だが死んではいない。死んだらそれも我には分かるはずだ」


 世恋さんについての話と違って、ふーちゃんに関しては百夜ちゃんの歯切れが悪い。


「とりあえず、希望はあるという事か……」


「希望? どうでもいいがさっさと行って戻ってくるぞ。そして我の餌に手を出した報いをあのにやけ男に与えるのだ」


 百夜ちゃんがそのやけに赤い唇の端を上げてニヤリと笑った。


「せいぜい、ゆっくりと食べてやることにする」


 そう言うと、舌でその唇をぐるりと嘗め回した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ