始まり
―――― 復興領 一の街 三日月通り 午後
雨上がりの午後に、その二人は店先に突然現れた。縁に金ぴかのついた緑と赤の制服を着た徴税士と、皮の鎧の前紐を緩めてだらしなく着崩した太鼓腹の衛士だ。
明らかに客ではない二人を見て、店の手伝いをしていた白蓮が代わりに話を聞いている。私はそれを店の棚の陰に隠れて覗いていた。
「金貨十枚!」
話を聞いていた白蓮が、徴税士に向かって大声をあげた。その声に彼らを避けて通りの向こうを歩いていた人々も、思わず足を止めて白蓮の方を振り返って見ている。
白蓮の前へと進み出た衛士が、手にした剣の鞘で白蓮の頬を小突いた。後ずさった白蓮の口から赤い血が滴り落ちるのが見える。
『何て事をするの!』
思わず通りに飛び出しそうになったが、唇を噛み締めて我慢した。ここで私が飛び出していったら、白蓮が代わりに出て行った意味がなくなってしまう。
「きたねぇな。鞘がよごれたじゃないか」
そう呟くと、衛士はだるそうにしながら、白蓮の顔に鞘をこすりつけた。
「間違えるな、一人十枚だ。この地は復興領から、めでたく辺境領に格上げされた。辺境伯になられた王弟殿下は、この地に秩序と平和を欲していらっしゃる。我々は殿下に対して忠誠を捧げると同時に、その正義を支える義務があるのだ!」
徴税士はそう声高に宣言すると、目の前の白蓮と言うより、この狭く曲った坂沿いの「三日月通り」に向かって、枯れ枝のような腕を突き上げた。
三日月通りの残り少ない住人、出ていくには年を取りすぎている、あるいは行く当てもない人々が、じっと息を潜めて事の成り行きを見つめている。
「すべての店は主人、奉公人を含めて一人十枚だ」
徴税士は再度白蓮にそう告げると、フンと鼻をならして見せた。そして人数を確かめるつもりか、店の中に入って来ようとする。上着の内衣嚢から出した止血布で口元の血を拭った白蓮が、徴税士の前へ立ちはだかった。
「私は結社の者でして、住居に勝手に入られるのは困ります――」
だが白蓮が何かを言い終わる前に、衛兵が白蓮の灰色の髪を引っ張ると、その顔を徴税士の前へと引きずり出した。もう我慢などできない。棚の影から飛び出そうとした私に向かって、白蓮が後ろ手に店から出るなと合図を送ってきた。
徴税士はちょび髭を手でしごきながら、地面に倒れた白蓮の顔を上から覗き込む。
「お前のような青白が結社の人間? 入りたてか? それでこれから森に死にに行くところか?」
そう言って笑い飛ばした徴税士に向かって、衛士が目配せをした。はだけた白蓮の上着の隙間から、結社の者の証である、特殊な染料で描かれた目の紋章がかすかに見えている。
「王弟殿下の御威光の前では、結社だろうが何だろうが、何者も逆らえないぞ!」
徴税士はそう高飛車に声を上げたが、その顔には少し考えるような表情も浮かんでいた。結社の顔役は街の有力者と繋がっている。きっと結社の人間と揉め事を起こすと、面倒な事になるかもしれないと考えているのだろう。
「服がちょっとよごれちまったようだな」
衛士がわざとらしく、白蓮の背中を乱暴に叩いた。余計なことは何もするなと言うことらしい。
「明日までに用意しろ!」
徴税士は興が覚めたらしく、衛兵に向かって顎をしゃくると、三日月通りから大股に去っていった。
「白蓮!」
通りから徴税士の姿が消えたのを見て、私は白蓮の元へと駆け寄った。
「大丈夫、ちょっと口の中を切っただけだよ」
白蓮は口の辺りに手をやりながら、私に向かって答えた。だがまだ血は止まっていないらしく、その指先は赤く染まっている。
「ああ、でも明日は腫れるかも。ふーちゃん、腫れてもあんた誰とか、真顔で聞かないでくれよ」
まだ軽口は叩けるらしい。安堵すると同時に、あのちょび髭鼠顔の徴税士や太鼓腹の衛士に対して、猛烈に腹が立ってくる。私が彼らに向かって、思いつくだけの呪詛の言葉を吐く前に、白蓮が私の腕を掴んだ。
「ふーちゃん、連中は本気だよ。正直なところ、僕の蓄えはほとんどない。ふーちゃんのほうは?」
「蓄え?」
今うちにあるお金は父が何かの時の為に残してくれたお金、それもだいぶ減ってしまったお金しかない。それも金貨5枚ぐらいだ。金貨10枚なんて大金などない。
金貨一枚もあれば、普通の家なら二か月は余裕で暮らせる。それにすべてのお金を持っていかれたら、仕入れも何も出来ない。私が頭を振った時だった。誰かが通りに走りこんで来る。三軒隣の金物屋の息子だ。
「臨時徴税の件は聞いたか? 金が払えない奴は全員兵役だそうだ」
彼は店の入り口に立つと、中に居た父親に向かって真っ青な顔で叫んだ。それを聞いた三日月通りの数少ない住人達は、家から出てくると金物屋の周りを取り囲んだ。
「兵役って、まさか俺のような年寄りなんか……」
金物屋の親父も青ざめた表情で息子に答えた。彼の年は私の父親より年配で50を優に超えている。確かもう60に手が届くはずだ。
「金が払えない奴らは全員だと言っていた。衛士の詰め所で見習いをしている、幼馴染に聞いたから間違いない。もう出口のところでは、無理やり出ようとした奴らが何人も切られているそうだ」
「衛士って言ったって、同じ街の人間だぞ!」
住人の一人が金物屋の息子に向かって叫んだ。だが彼はその男に対して頭を横に振って見せた。
「今は内地から来た連中が仕切っているらしい。奴らは俺らを虫か何かぐらいにしか思ってねぇ」
「あんた!」
それを聞いた金物屋の奥さんが、旦那に向かって金切り声を上げた。
「さっさと逃げるしか……」
「だめだ。街の出入り口は完全に封鎖されている!」
「やっぱり先月に出て行けばよかったのさ。あんたがもう少し準備がって――」
その後は集まった人々が口々に叫び始めて、辺りは騒然となった。道にへたり込んで泣いている女性もいる。そんな時だった。誰かが逃げるにせよ隠れるにせよ、食い物だと叫んだ。
その声にそこに集う人達が顔を見合わせる。そこからはあっという間の出来事だった。この小さな店に多くの人々が殺到すると、わずかに棚にあった野菜や乾物を奪い合う。
ただそれを呆然と見ていた私の手を、白蓮が強く引っ張った。白蓮は私の手を引いて店の奥へと進むと、綱を外して、防火用の落とし戸を下ろす。
「大丈夫?」
震える私の両手を力強く握りしめると、白蓮は私にそう一言告げた。