千夏
「美明さん、お呼びですか?」
「あんたはまだマナ除け気分が抜けていないね。ここでは姐さんと呼ぶんだよ」
「はい、美明姐さん」
「もう、本当にしょうがない子だね」
美明さんが僕らの前に立った女の子に向かって、僕を指し示した。向こうで歌を歌っている、真ん中辺りを紹介した方がきっといいと思いますけど……。
「こちらは白蓮さん。探索組の新人さんだそうですよ。この子は千夏という子でここの新入りで、私が面倒を見ている子なんです」
見ると、髪は肩を超えるぐらいに揃えている。美明さんと同じ黒髪の子だ。年はふーちゃんと同じくらいだろうか? それほど差はないはずだ。
「はじめまして白蓮と申します」
とりあえず立って、彼女に向かって頭を下げる。それから右手を差し出した。挨拶は大事です。ふーちゃんの座右の銘ってやつですからね。
「千夏、何をぼうっとしているんだい?」
「あ、千夏といいます。よろしくお願いします」
くりくりした大きな目がこちらを見た。油灯でよく分からないけど、目の色も黒かな? 一応紅をさしているらしいが、他の人と比べたら、ほとんど化粧をしていないと言ってもいい。あの花輪ちゃんが大きくなったら、きっとこんな感じだっただろう。
「あのね、ここは酒場なの。組の挨拶じゃないんだけどね。お願いだから、次に力の紹介とか始めないでください」
美明さんがあきれたように僕らを見た。
「千夏、何をつったっているんだい。お客さんが座れないじゃないか?」
「美明さん、私は……」
「姐さん!あんたは本当にマナ除け気分が抜けていないね」
「あ、姐さん、私は……」
「千夏、いいのかい? 私がとっちゃっても。この人はついさっき、森で新種を狩って帰って来た人だよ」
「新種!? 本当なの?」
「たまたまですよ。たまたま」
このネタはずっと続くのかな? 面倒くさくなってきた。もう無限さん辺りが狩ったでいいんじゃないですか? この件じゃふーちゃん受けするとは思えないですしね。多分、「あ、そう。ふーん」ぐらいで終わりですよ。
「どんな奴」
あれ? 千夏さんとかいう子が、いつの間にか横に座っている。美明さんはどこに行ったんだ。あの、何ですかその口元に手をやって、息を吹きかけているのは? そんな手信号無いですよね? 意味わからないんですけど。
「ちょっと、こっちに集中してください。あなたは新種を狩ったんでしょう?」
千夏さん、ちょっと顔が近いですよ。さっさと説明して終わりにしよう。
「蜥蜴もどきですね」
「蜥蜴もどき?」
「大きな蜥蜴ですよ。うろこは細かくてほとんど目立たないから、ぱっと見は胴が太った蛇に手足をつけたという感じですかね?」
「大きさは?」
「そいつは尻尾の先までいれれば、12杖(12m)くらいですかね。もしかしたらもうちょっと長いかも。でも頭から後ろ足までは、5〜6杖あるかないかぐらいかな?」
千夏さん、顔が本当に近いですよ。だいたい手が僕の太ももに思いっきり乗って居ます。勘弁してください。
「他に特徴は?」
何だかな。もう監督官を前に調書を書いている気分になって来た。
「鱗の地の色は真っ白です。でも生きているときは、周りの色に合わせて色が変わっていましたね」
「色が変わるの?」
「ええ、鏡みたいなというより、うろこの一枚一枚の色を、周りの景色に合わせて変えている感じかな?」
「そいつの目と、舌の色は」
「血のような赤」「血のような赤」
二人の声が重なった。この子はあれに会ったことがあるのか? なら話は簡単だ。新種だというのは無限さん達の勘違いだ。いまや彼女の片手は、僕の膝の上で体重を支えて、もう片手は僕の胸元で体を支えている。彼女の顔は僕の目の前だ。
「ああ、新種ではないという事ですね」
「いや、新種よ。誰も見たことはないはず。私も話に聞いただけ」
彼女の僕を見る目が怪しい光を帯びている。何だろう、このうっとりとしたようなよく分からない目は。
「今の話は私の祖父から聞いた、黒の帝国時代からの伝承。私は『壁の国』の人間で、それを確かめたくて国を出て冒険者になったの」
なるほど、そう言う事か。
「けれど私の実力では城砦に入ることが出来なかった。でも城砦じゃ無ければ確かめようがない。それでここで働くことにしたの。でも、冒険者として諦めた訳じゃない。ここなら色々と伝手も出来るって聞いているし、いつかは必ず嘆きの森に潜ってみせる」
彼女が僕の目をじっと見ている。勘弁して下さい。そんな目で見られたら、耳の後ろが熱くなるじゃないですか。
「ありがとう」
この子は何を言っているんだ? それに何で彼女は泣いているんだろう。彼女の大きな目から涙が一粒、二粒と頬を伝わって落ちていく。
「あなたは祖父が言っていたことが本当だと証明してくれた。私以外は、誰もおとぎ話だと言って信じていなかった」
彼女の顔というか、唇がもう当たりそうなほど近い。何やら柔らかい物が胸にあたっている。これは無限さんじゃなくてもむらむら来そうなやつだ。だが彼女には聞かなくてはいけないことがまだ残っている。その前に機嫌を損ねられるのはまずい。
「千夏さん、あなたの祖父は蜥蜴もどきの急所がどこか知っていましたか?」
「前足の間の中央」
一気に酔いが覚めた。この子は本物だ。今の城砦にとって、この子の知識は二つ名持ちなんかよりよほど重要だ。
無限さん、仁英さん、何で二人とも床に転がっているんですか。とても大事な事が分かったんですけど。
あれ、ちょっと何も見えないじゃないですか。千夏さん、前が見えない……唇を塞がないで……息が出来ない。
本当に勘弁してください。




