無敵
「風華様、起きてください。朝ごはんの時間みたいです」
天井近くの明かり窓から差し込む光が、すでに少し斜めに差し込んでいる。
重い外套を着たまま木の固い長椅子に横たわった体を起こすと、長椅子が耳障りなぎしぎしという音を立てた。私の体からも同じような音が出てもおかしくないくらい、体のあちらこちらがものすごく痛い。
昨日の夜は暗くて分からなかったが、扉の下に拳3つ分ぐらいの幅の横引の差し入れ用の戸があって、その前に金属製の水差しと木の皿が置いてあった。
木の皿には木の匙ともへらとも分からないものが何本か無造作に刺さっている。どうもこれが私たちの朝食らしい。
さすがの世恋さんも、すこしやつれたような表情をしている。なんでも夜中に覗き窓からこちらを伺いに来る衛士達が結構いて、その音でよく眠れなかったそうだ。
すいません。私は世恋さんがいてくれると思って安心して熟睡していました。本当は何かあった時の為に交代で不寝番とかするもんですよね。みんな世恋さんの寝姿でも覗きに来たのかな?
でも世恋さんの超絶美少女さは、一晩程度の寝不足ぐらいでは何も影響を与えていないように見えます。むしろちょっとしたやつれが、美少女さを高めているようにも思えます。
「餌か!どこだ」
椅子を二つ並べて作った寝床から百夜ちゃんがすっと飛び降りる。少し血走った大きな左目をきょろきょろさせると、
「あれか?」
と木皿のところに飛んで行った。相変わらず身軽な動きだ。私が強張った腕一本動かすのに大変な思いをしているのとは大違いだ。
あれ、歌月さんはどこだろう。昨晩は部屋の反対側の長椅子で横になっていたと思うのだけど。私が部屋の中をきょろきょろと見渡しているのを見た世恋さんは、
「歌月様なら、夜明け前にお仕事に行かれました」
と私に告げた。あっ、結社の人達の確認とか昨日兵士長がいっていたやつか。いつ出かけて行ったのか全然分からなかった。歌月さんは大丈夫かな?
あんな性根が曲がった人でも、知った人がひどい目に合ったりしたらとても辛い。
「間もなく戻ってらっしゃるんじゃないでしょうか? まあ、あの方なら大丈夫だと思いますけど」
そうですね。ここにいる中で私以外は決して一般人ではないですものね。
「まずい……。おもかろい妹、核ないとだめか?」
百夜ちゃんが匙を口にしながら赤い唇をへの字にまげて、それはそれはとても悲しそうな顔をしている。たった一日ですけど、私もだいぶ百夜ちゃんの顔になれ、もとい表情が読めるようになりました。
世恋さんは、皿の中の茶色のどろっとした私達の食事をのぞき込むと、
「大麦と小麦をこねて煮たものですかね? 野菜もちょっとは入っているかな? まあ、森での食事に比べればどんなものでも……」
と匙を口に運んだが、盛大にせき込んだ。
「これは、ちょっとひどいですね。緑のこれって野菜じゃなくてその辺りの雑草ですかね? 塩とか調味料も全然入っていないと思います。そういえば、水差しの水も灰がいっぱい浮いていますね」
私はこの朝食はもしかして昨日の夜に天蓋にあつめていた奥様、お嬢様方にでも作らせたんじゃないかと思いついた。
あの人達に作らせたらどんなものが出来上がるか想像もできない。たぶん、あく抜きなんて全く知らないだろうし、葉っぱも根も全部いれちゃいそう。まだ薄味に仕上がっただけでもましな方かもしれない。
誰が命じたか分からないけど、きっと心から後悔しているだろうな。八百屋としてはこの茶色の謎物体の一部にされた野菜たちが不憫でなりません。明日からはぜひ料理する人を厳選してください。
「どこかに核ないか……」
きょろきょろする百夜ちゃんに世恋さんは、
「これは、なんか別の物をお願いしましょう。それにここのお手洗いを使うのはちょっと心苦しいものがありますので、ついでにお願いしてしまいましょうね」
と言うと、ちょっと背伸びして覗き窓のところから
「どなかたいらっしゃいませんか?」
と涼やかに呼びかけた。呼びかけに応じてガチャガチャと甲冑の音をたてて、一人の衛士が面頬を下ろしたままこちらをのぞき込んだ。世恋さんは、両手を胸の前に組んで衛士を見上げると、
「すいません。こちらのお手洗いは女性向ではなさそうなので、どこか女性用のお手洗いをお借りできませんでしょうか? それとできれば麺麭のような食べやすいものをお代わりで頂けるとうれしいのですが」
と告げた。え……ちょっと世恋さん。私達にそんなお願いが許されるんですか?
たしかに兵士長は丁重にと言ってましたけど。本当に丁重に扱う気なら、最初から扱いがもっとましなような気がするんですが?
面頬を下ろしたままの衛士の表情をうかがう事はできない。だが軽く頭を振るとその衛士は、
「出ろ」
と一言、私達に告げた。
尋問室と彼らが呼んでいたこの部屋の重い扉が開けられ、私たちは衛士の引率で本館の方に向かうらしい通路を歩いていく。
最強種のお願い無敵です。あの手を組んで見上げるやり方、今度ぜひ白蓮にも使ってみよう。食後の洗いを全部やってくれるようになるかもしれない。
私達が連れていかれたのは、本館に行く途中にある使用人達の棟の一つらしかった。そこにある女中部屋のお手洗いやら、洗い場やらを存分に使わせていただきました。濡れた布で体を拭けるだけでも、なんて素晴らしいことなんでしょう。
世恋さんは、それだけでなく女中部屋にあった洗濯物から、使えそうな下着類なんかを普通に拝借しています。合うのがないなーなんて言ってましたが。
本当にこの人は「高い国」とかいうところの何とか家のいいとこ出なんでしょうか? 庶民の私よりかなりたくましいです。
百夜ちゃんは洗い場で「これは、よいよい」とか言いながら沐浴を楽しんでいたみたいですが、どうしても視界に入ってしまう、そのひび割れたような体を見るのは、痛々しくてちょっと忍びない感じがする。
ちょっと待ってください。脇腹のあたりに生傷があって血が流れていますよ。私はあわてて洗い場にあった布で彼女の傷を抑えた。
世恋さんが、私の手をどけて百夜ちゃんの傷をのぞき込む。
「刀傷ですか? 傷は浅いですけど、縫わないとだめですね。化膿止めの薬があればいいんですけど」
と言って、棚から裁縫箱やら、灯油やら女中が隠し持っていたらしい蒸留酒をとってくると手際よく傷を縫っていく。
「よいよい。われは食えぬ」
縫われている間も全く表情を変えなかった百夜ちゃんが飄々と答える(でも食えないってどういう意味?)。それにこれってもしかすると昨日、あの薄毛男から投げられた小刀の傷ですか?
「百夜ちゃん、これって昨日の結社の裏手で負った傷?」
私はおそるおそる百夜ちゃんに尋ねた。
「ああ、そっだな。あれは、つまらないな。刺されるとこだった」
「もし、『刺される』していたら?」
「大丈夫、横になるとお前と違って肉ないから刺されない」
かなりやばかったという事じゃないですか!? すいません、私は百夜ちゃんは、小刀が飛んできても絶対死なない無敵な人だと勝手に思ってました。あと私はそれほど肉はついていません(多分)!
「百夜様って、刺されたぐらいでは死なない人だと思ってました」
世恋さんが、私の想像と全く同じ意見を述べてくれました。
「しぬぞ」
百夜ちゃんが、その赤い唇の両端をにやっと持ち上げて見せた。世恋さんもそう思ってました?
よかったです。私ひとりじゃなかったんですね。でもこの人達にはとてもついていけません。白蓮、本当に早く戻ってきて欲しい。
私達は、同じ衛士の後ろについて、また尋問室へと戻っていった。私達が女中部屋であれやこれやしていたうちに衛士が調達してきた、麺麭と赤葡萄酒のお土産付きです。
前言撤回です。世恋様、私はあなたに命ある限りついて行きます。部屋に戻って間もなくすると、相当に疲れた表情の歌月さんが部屋へ戻されてきた。
「歌月様、丁度よかったです。お昼を一緒にいただきませんか?」
歌月さんは、世恋さんの誘いに、卓の上にのった麺麭と赤葡萄酒を一瞥すると、
「あんたら、表にいるやつらよりよっぽどいいものをもらってるね」
と一言告げると、麺麭を口に押し込んで赤葡萄酒の栓を開けて一気に流し込んだ。
「はい。よくしていただいているようです。それより、お戻りをお待ちしていました。辺境伯様のご計画はどのようになっているのでしょうか?」
「計画? 戦にきまってるんだろうがこのお花畑!」
「それは承知しております。私が知りたいのはそれがいつ始まって、いつ終わるかという事です」
「あほかそんな事、私に分かる訳ないだろう。でも内地のやつらはせっかちの馬鹿どもさ。集めたやつらはそのまま城門をでて、まっすぐに塊の街へ向かえだとさ。防具はおろか獲物も何もありゃしない。要するに食い扶持を減らすために、ここの大掃除をするからみんな死んで来いということだね」
「朝からそのまま進軍ですか……」
歌月さんは、世恋さんの問いかけとも独り言ともつかない言葉を無視すると、部屋の隅の長椅子で壁に向かって横になってしまった。
「風華様、ここからその塊の街まではどのくらいでしょうか?」
四領主領はここから南に広がっており、一番手前に塊の街、その奥に二の街、前の街、後の街がある。
復興領で最初に入植されたのは、「一の街」こと復興領直轄城塞だったが、そこから先は灌漑用の水の問題で、たとえ森を切り開いても耕地にむかないところはすておかれ、追憶の森に対して、復興領はありの巣穴のように開拓地を広げていった。
なのでこの最初の入植地の一の街の周りにも、各領主の領地の周りもすぐそばに追憶の森があり、一の街や各街との間は、追憶の森の飛び地や荒れ地で分断された状態になっている。
塊の街は一の街と他の街との中間に位置しており、中継地として四領主領の中では一番栄えている。今では復興領直轄の一の街より、そちらの方が人や物資も豊かかもしれない。
うちの店でも小麦や大麦、蕎麦の実などは、塊の街の問屋経由で仕入れをしていた。
塊の街は子爵領の中でも比較的北側、この街から近い側にあるが、それでも馬車でも急ぎで3日、普通は4日はかかる旅だ。歩けば当然もっとかかる。それに荒れ地を通る街道は決して快適な道ではない。
「馬車で2~3日、歩きだと、相当急いで4~5日、遅いと7日はかかると思います」
「白蓮様やお兄様が戻ってくるまで最低5日はここにいることになりますか」
世恋さんは、ふうと溜息をつくとそう言った。世恋さんでも溜息をつくなんてことがあるんですね。世恋さんだとそれも十分に絵になります。
「これは、あれしかないですね……」
世恋さんはそう私に告げると、指を唇にあてて見せた。あれって、何ですか?
「ここから出るんですか!?」
さすが世恋さん!その最強の力を使ってここを脱出して白蓮や旋風卿の後を追うんですよね!
「だめですよ、風華様。ここから動いたら白蓮様やお兄様と再会する手段がなくなってしまいます。それに私は前にも言いました通り人混みは苦手なので、軍なんかに近づいたら、それだけでもう死んでしまいます」
「死んだふりとか?」
私が間の抜けた提案をすると、世恋さんはにっこりとほほ笑んで、
「恋話ですよ、恋話」
と私に告げた。