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王弟

 先代の王の第六王子、紫殿下。しきたりや立場とかを一切気にしない異色の王弟。


 兄弟の中から次の国王が決まると、その兄弟はそれぞれ色に関する贈り名をもらう。それはもう本来の名前で呼ぶ用事は無いという意味を表している。


 黒の帝国の記憶から内地の者達は暗い色を好まない。普通はもっと華やかな色をもらうのが通例だが、現国王陛下、彼の兄は、彼に「紫」というめったにつけることはない暗い色の贈り名を与えた。それ自体が宮廷での彼の立場を表している。


 でもこの男は、「紫」の贈り名がついたのをえらく喜んだそうだ。あげくに男子たるものが「撫子」なんぞの名前をもらうのは滑稽だと言い放ったらしい。


 もっとも、この男がこの贈り名で呼ばれることはほとんどない。多くの者達が単に「王弟」と呼んだ時には、間違いなくこの男のことを指しているからだ。


 宮廷雀達はこの男のことを「狂弟」と呼んで陰口を叩いている。だがこの男に少しでも接触があった者たちは「恐弟」と呼んでいるらしい。


 「王弟」、「狂弟」、「恐弟」いずれの名であっても、自分の一人息子を死に追いやった男だ。良仙はこの男の前で首をたれながら声をかけられるのをじっと待っていた。


「兵士長」


「はい」


 部屋に招き入れられてからどれだけたっただろうか? 頭にめぐる様々な思考を止めて、良仙はこの男に向かって頭を上げた。


「結局、何が問題なんだ?」


 王弟は華麗な金の刺繍が襟元に入った黒い軍令服の前をはだけて、長椅子の上でどこから連れてきたのか妙齢の女性の膝に頭をのせて横たわっていた。


 黒髪の髪と髭を短く整えた容姿だけを見る限り、都の青大将達よりはるかに軍服が似合っている。もっともそれは見かけだけの話で本人が軍を率いて何かをするのはこれが初めてのはずだ。


「つまるところ、戦とは多くの兵を集めたものの勝ちです」


「四子爵家に軍なんてないか、あっても一握りじゃないのか? 俺は出発前にあのいかれ軍務卿からそう聞いたぞ」


 この男の認識はある意味正しい。宮廷雀の端につらなる軍務卿に軍の何かなど分かるはずはない。分かるのは宮廷内での駆け引きぐらいだろう。それについては、私など彼の足元にも及ばないのも事実だ。


「ここは復興領です」


「兵士長!今は『辺境伯領』、俺のものだ」


 女に頭をなでてもらって、顔をにやけさせた王弟が良仙に訂正を要求した。その声は良仙の反応を面白がっているようにも聞こえる。


「失礼しました王弟殿下。辺境領は『森』を切り開いてできた領地です。『森』を開くという事は、『森』に住むマ者達を排除するという事でもあります。つまり四子爵家領の住人達はみな獲物の使い方に慣れています。奴らはその住民を根こそぎ動員しているようです。今はちょうど刈り取りが終わったところで、農作業にも人手はいりません。彼らは本来辺境領税としての納税分を手元に抑えていて食料もあります。逆に我々は入ってくるはずの税、つまり食料も足りておりません」


 良仙はそう告げると男の顔をじっと見た。男は頭上の女の顔を眺めながら良仙に向かって口を開いた。


「四子爵家領という言葉も気に入らないな。やつらに爵位に足る何か功績などはあるのか?」


 そう言うと、良仙に向かって気だるそうに手を振ってみせた。


「まあいい。だからさっさと来て、さっさと片づければいいのに、あの髭だけ軍務卿が準備が準備がと騒ぐからこうなる。それでやつらはどれだけ動員している?」


 良仙は軍務卿がこちらの進軍時期を遅らせたのは軍務卿、あるいは宮廷の明確な意図に基づくものだと思ったが、さすがに男に向かってそれは口にはしなかった。


(かい)家が1500、他の三家は1000には及ばないかと」


「こちらは?」


「内地から連れてきた兵が800、従卒いれても1000。ここの辺境伯領の衛士隊が約200。この辺境伯領市城を守るだけでも兵が足りません。それにここの者達は内地のものに比べてマナをよく使います。逆に我々が内地から連れてきた兵はマナ酔いに苦しむものが多数現れており、これによる戦力の低下は否めません」


「なんだ、全然足りないじゃないか? そのうえ、なんとか酔いでみんな腰抜けか? 軍務卿が送ると言ってた後続の兵は?」


「なしのつぶてです」


「これだから役人仕事というやつは始末に負えない。おい、卓の上の果物をとってくれ」


 王弟は膝枕をさせていた女性に、長椅子の裏にある食卓の上に置いてあった葡萄を取るように命じた。女は王弟を膝にのせたまま、体をよじって食卓の葡萄に手をのばす。その次の瞬間だった。


「ぎゃ!」


 女の口から声とも悲鳴ともつかない何かが上がった。気が付くと王弟の両手には小さな果物用の小刀が握られ、それが女の喉に深々と突き刺さっていた。


 女の喉と口から赤黒い血が流れ、その下にある男の顔に滝のように降り注いでいる。


 王弟はかすかに痙攣する女の体を長椅子の下に引きずり落とすと、食卓の上から敷布をはぎ取って顔を無造作に拭うと、良仙に男が恋人に見せるような朗らかな笑顔を向けた。


「どうした兵士長。暗殺者の一人が仕事をしくじっただけだぞ」 


 良仙が男にどう答えたものか考えているうちに部屋の隅から進み出た、暗紫色の鎧を着た紫王弟勅任の護衛役の男が女の死体を部屋の隅へと運んでいった。


 素性も何も謎だらけの護衛達。良仙はこの男達が自分の前で口を開いて何かを話すのを聞いたことが無かった。王弟は部屋の隅に引きずられて行った女の手からこぼれ落ちた葡萄を拾うと、良仙の前に放り投げた。


「食うか? うまそうだが毒入りだぞ」


 王弟はそう一言告げると、血だらけの軍服姿のまま長椅子の上に深々と腰かけなおした。そしてその背に身を預けて天井を見つめながら良仙に問い掛けた。 


「それよりこの町の住人は何人程度だ?」


「数年前までは一万近く居たみたいですが、いまは五千を超えるぐらいかと」


 前の代の領主だった男の圧政とこの男への領主交代の混乱で、この一の街は衰退し続けている。


「槍を持てるやつはすべて兵士として徴兵しろ。時間をかけるな、今すぐにだ。そしてここの倉庫にはマ物用に使っていた、腐れかかった槍がたくさんあるそうだから、徴兵したやつらにそれを持たせる。例外は一切なしだ。そしたら二千ぐらいにはなるだろう。こちらの兵と合わせて数だけは揃う。少しはまともなやつらで輜重隊と両翼を編成しろ。役に立たなさそうな奴らは前衛に配置だ。せめて敵の突撃の邪魔か矢除けぐらいにはなるだろう」


 良仙は男の言葉に驚いた。


「輜重というと、打って出るのですか? 軍は動かすだけでも消耗しますが?」


「消耗なんか知るか。減ったら内地からあぶれものをつれてくればいいだけだ。宮廷雀たちも庶民もみんな喜ぶ。明日にも連中を率いて城から出て戦え。鞭でも何でも使って急がせろ。塊家がここから一番近く奴らの中心だろう。あの田舎者の鼻面をひっぱたいてこい。そうすれば他のやつらはこっちに尻尾を振ってくるはずだ」


 やつらが合流する前に、反乱の中心である塊家に奇襲をかけるという事か?


「持っていく食い物も何もないんだから、鼻づら突き合わせてお見合いなんかするなよ。もっとも、やつらはこっちを見たらすぐにでも突っ込んでくるだろう。正義やら、地の利やらは、こちらにあると信じている馬鹿どもだ」


 確かに彼らはこちらを見つけ次第、間違いなく突っ込んで来るに違いない。それに人が減ればこの城の籠城も容易になる。


「了解しました」


「内地の兵500は、こちらに残す。女、子供、槍が持てないやつらはまとめてみんな人質だ。各地区一か所、燃やしても害がなさそうな場所に押し込めて衛士で監視しろ。ただし同じ地区でまとめるなよ。ばらばらにして各地区だ。騒いだら……さすがにどんなやつでも分かるだろう」

 

 王弟は何かを思い出したいらしく、やたら指を手やら足やらに向けていた。だが自分で思い出すのをあきらめたのか良仙に問い掛けた。


「兵士長、手だか、足だか、胸だかに変な印をつけたやつらがいただろう」    


「結社の連中ですか?」


「そうだ結社だ。この街にもあるんだろう。何人ぐらいいる?」


「復興、辺境伯領ですからもちろんいると思います。人数は百前後ぐらいでしょうか?」

 

「俺の威光とやらで全員を従軍させろ。マナ使いにはマナ使いだ。それとやつらからも人質をとるのを忘れるな」


 結社は建前上は国に属しているが、国を超えて動く独立した組織だ。その結社の連中を従軍させるなんてこの男は本気なのか? 皇族だろうがなんだろうが、こんな事をすれば結社はこの落とし前をきっちり要求してくる。つまりは結社の暗殺者から付け狙われるというのに、この男はそれを全く気にしないということなのだろうか?


「街の者と結社の連中はお前が直卒しろ。『勇将の下に弱卒無し』だそうじゃないか。お前の息子は宮廷雀に踊らされるとんだ()()だったが、お前は少しは役に立つところを見せてみろ」


 王弟は良仙に一気にまくしたてると、これで終わりだと良仙に向かって顎をしゃくった。良仙は頭を下げると立ち上がって部屋の外へと通じる扉へと向かった。


 紫の鎧を着た男が自分の一挙一動をじっと見ているのが分かる。護衛の男からすると、どうやら自分は先程の暗殺者よりもよほど警戒すべき存在らしい。


 濃厚な血の香りがただよう部屋を退出しながら、良仙はあの男に対する認識を改めていた。あの男は馬鹿な男でもなければ単なる狂人でもない。私のような普通の人間からは理解できない考えの持ち主、ただそれだけのようだ。


 この男は私をただ殺すのではなく、ちゃんと使い潰そうとしている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] そこにあるかのような情景描写がとても勉強になりました。 私もそこに居るかのようでした。 滑らかな描写を真似してみたいと思います。
2021/10/29 13:02 退会済み
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