助け
結局、私達は橋のたもとで一夜を明かした。だがそろそろここも移動しないといけない。堀にそって歩道があり、遠く反対側の歩道をあるく人たちが見える。
昨晩の白蓮の聞き込みは成果が無かったらしい。この商人の街にはあまりに多くの酒場があるらしく、店の名前だけでは、誰もそれがどこにあるのかは分からなかったそうだ。
父の知り合いの冒険者がはじめたような店なのだから、こじんまりとした大きくはない店なのだろう。
百夜ちゃんは何度か目を覚ましたが、大丈夫だと本人が言っていても体の調子がいいようには見えない。そもそも朝になっても、「餌!」とか言ってこない時点で十分おかしい。
白蓮と話して街の中心ではない、庶民的なところを探そうという事にはしていた。だけどどこから始まるかもはっきりしないこの大きな街では、どこから手を付ければいいのか全く思いつかない。
白蓮が私の袖を引いた。橋の下の歩道を誰かが歩いてくる音がする。白蓮が私に目配せした。私は私達の膝の上に寝ていた百夜ちゃんを抱き上げて、なるべく自然に立ち上がろうとした。早朝に親の目を盗んであいびきしてたぐらいに思ってくれないかな?
「君たち」
男の人の声が響いた。白蓮が私の前に出る。
「あ、いや別に君たちの邪魔をしようというんじゃないんだ」
橋の下から現れた男は、30過ぎぐらいの瘦身の男だった。茶色い上着に黒い短外套を着て、頭にも黒いつば広の布の帽子をかぶっている。理知的な感じがする男性だった。
「そのお嬢さんだけど、その足の肌、彼女は何かの病気なのだろうか?」
こちらに害意が無いという事を示すためか、男が手の平を前にゆっくりとこちらに近づきながら語った。
「これでも私は医者でね。そちらのお嬢さんのような症状は見たことがない」
「生まれつきですよ。はやり病とかではないから安心してください」
白蓮は彼にそう語ると、
「もう朝食の時間だから戻ろうか?」
と私に声をかけて来た。
「いや、僕もはやり病とかとは思ってないんだ。騒ぎ立てる気もない。近くで小さな診療所をやっていてね。少しでいいから私に見させてもらえないだろうか? こう見えても内地の医学院を出ててね。未だに学究癖が抜けていないんだよ」
「いや、何度も医者には見せているので……」
白蓮がそれとなく断りの話をしようとしている。
『百夜?』
私は抱き上げた百夜ちゃんの額が熱いのに気が付いた。この子熱がある!
「お医者様ですか?」
「ええ、小さな診療所ですけどね。申し遅れました。私は弥勒と言います」
「『赤音と申します。この子は、『黒子』です」
「僕は、『白亜』と言います」
いずれも、事前に決めていた偽名だ。これなら百夜が私達を呼んでもばれないはず。
「この子、今朝から少し熱があるみたいなのですが、みてもらってもいいでしょうか? 昨日の夜に酔漢にけられてしまって、具合が悪いみたいなんです」
ここに医者が現れるなんてまさしく神の助けだ。白蓮の顔にしょうがないという表情が浮かんでいる。勝手に決めてごめん。だけどこの子の具合を確かめるのがまずは先でしょう?
「こんな子をけるなんて、どんな奴でしょうね?」
彼はそう言うと、自分が着ていた短外套を脱いで土手の上に広げた。
「こちらに彼女を寝かせてもらえますか?」
白蓮が私から百夜を受け取ると、その短外套の上に彼女を寝かせた。弥勒と名乗った男が百夜の頭に手を置いて熱を確認している。彼は軽く頷くと彼女の首元に手をやった。
「節は腫れてはいないか……蹴られたのはお腹かな? それとも胸かな?」
「おなかだと思います。蹴られたときに吐いてしまいました」
「確かに、服に少し吐しゃ物がついているね」
彼はそれを指につけて匂いを嗅いでいる。
「出血は無いか。お嬢さん、起きているかな?」
その声に百夜が、左目をうすく開けた。
「黒、大丈夫お医者さんよ。熱があるから見てもらっているの。気分はどう?」
「良くはない。体が重いぞ」
百夜が答えた。目の前にいる男について特に驚くような事はしない。さすがだ……。
「どこか痛いところはあるかな?」
「腹と背中が少し痛いな」
「この肌はなんだろうな? 一部硬化している。生まれた時からと言ったね。ああ、すまないね。それは後だな」
彼が百夜の上着の紐をほどいていく。
「お腹をみせてもらうよ。ああ、腕にも皮膚の下で出血があるね。黒くなっている。蹴られたのはここかな。これから少し強く押すから、痛いときは痛いと言ってもらえるかな?」
彼は、両手の人差し指を揃えると、お腹をゆっくりと押す。
「ここは?」
百夜が首を振る。
「ここは?」
同じく首を振る。
「ここは?」
「ちょっと痛いな」
「うん、内臓は傷ついていないようだね。両腕も黒くなっているから、直接お腹じゃなくて腕をけられたのがあたった感じかな? とっさにかばったんだね。腕を少し動かすよ、痛かったら言っておくれ」
彼は百夜の腕を取ると、ゆっくりと動かして見せた。百夜が首を振る。よかった。腕でお腹をとっさに守るとはさすがは黒娘だ。
「胃は少しあれているようだ。少しでも消化にいいものを食べた方がいいね。熱はどうだろうな? 何か変な虫とかにさされたのでなければいいのだけど」
彼は、私達の方を見上げた。
「君の妹かい?」
「彼女の妹です」
「ご両親とかは?」
「しばらく前に亡くなられました。僕も天涯孤独の身でして、彼女と一緒に復興領から避難してきたばかりです。正直なところ、この街は右も左も分からないところです」
「それは大変だったね。色々噂は聞いているよ。よかったら彼女を僕の診療所までつれてこないかい。ちゃんと見て薬をあげた方がよさそうだ」
「こんな早朝からご迷惑ではないでしょうか?」
「いや、本音を言えば見させて下さいだ。確かにはやり病ではないようだ。彼女の症状は見たことが無くてね。少し見させてもらえればとてもうれしいのだよ。どうかな?」
白蓮が私を見る。私は彼に向かって頭を下げた。
「どうか、妹をよろしくお願い致します」