冥闇卿
「お久しぶりねアル君。まだ起きているでしょう? ごまかしてもだめよ」
誰かが頬をつつく感触に旋風卿は薄目を開けた。ぼんやりとした視界の中に黒髪の少しふくよかな女性の姿が映る。ああ、この人がここで私達を待っていたのか。どうりでこちらが何の気配も感じられなかった訳だ。
「『冥闇卿』? なるほどあなたが居たのなら納得ですな」
旋風卿の答えに女性がにっこりとほほ笑んだ。
「あなたが眠る前に少し聞いておきたいことがあるの。いいかしら?」
「だいぶ眠くなってきましたからね。ご期待に添えるかどうか……」
「真面目に答えないと妹の首を今ここで切り落としますよ」
この人の言葉に冗談は無い。
「月令様は?」
「森で結社の者を救うために犠牲になりました」
「月令様の最後を見ましたか?」
「最後は見てません」
「分かったわアル君。答えてくれてありがとう。私としてはこれまであなた達の事はどうでもよかったの。他の人達が言うほど気にする必要はないかなって。でも今回はだめ。あなた達が月令様を利用したことはどうにも許せない」
『冥闇卿』はその白く長い指で旋風卿の額を軽くつついた。
「妹さん共々、あの世でしっかりと反省してきて頂戴」
あなたは私達が彼を導いたと考えているんですね。私達の周りでは何でこうも事実が歪んでしまうのだろう。たとえそれが私達が望んだことで無くても。
旋風卿は周りが漆黒の闇に包まれていくのを感じていた。これは自分の意識が遠のくからなのだろうか? それとも彼女の力によるものだろうか? いずれにせよどうでもいい話だ。
『泉恋、約束を守れなくてすまない。私は至らぬ男だよ』
* * *
「おばさん、まだ殺すな。誰が殺していいと言った?」
冥闇卿は声のした方を振り返った。
「あらあら多門君。誰に向かって言っているのかな?」
そこには普段、彼女が見せる和やかな表情はどこにもない。
「あんただよ『冥闇卿』。俺の前で規則を無視するのはやめてくれ。無視するなら、俺があんたを規則に基づき処罰する」
男がいつもと変わらぬ口調で答えた。
「あーちゃんはどうしたの?あなた一人だと役不足だと思うけど?」
男は受付の先の扉を指さした。
「向こうで外の奴を取り逃がしたことの反省文を書かせている。あいつはそういうところが足りないのが問題なんだ。よく分かっているだろう? それにあいつじゃあんたの相手は無理だし、そんなことをしたらあいつの姉に取り殺される」
「多門君、あなたなら出来るの?」
男の表情は変わらない。
「出来る出来ないの問題じゃない。必要があるかないかの問題だ。それにそれを決めるのは俺の主観じゃない。規則だよ『冥闇卿』。規則を守るやつがいなくなればこの世はマ者に滅ぼされる。ただそれだけだ」
冥闇卿は、自分の横まで歩いてきた男の顔を見上げた。
「多門君」
「その指をどかせ、今すぐだ。審判が終わった後に死刑と決まったら、あんたを執行人に指名してやる。好きなやり方で殺せ。それで我慢しろ」
冥闇卿は、旋風卿の額から指を放すと立ち上がった。
「それと泣くなら俺の居ないところで泣いてくれ。鬱陶しい」
男はそう告げると、彼女に一枚の手巾を差し出した。




