表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

橘華アカツキ短編集

二つの考察

作者: 華月紅陽

Side:A (Phase:1)

 ──人が死んでいた。つい昨夜、一緒に酒を酌み交わした相手が、今は目の前に倒れている。彼とは昨日初めて会ったばかりで、深い思い入れや想い出があったわけでもない。ただそれでも、少しでも自分と関わった相手の死体を見るのは率直に堪えた。普通の神経をしていれば、それが普通だろう。

 医者ではない自分には、はっきりとした死亡時刻や死因は分からない。取り敢えず目立った外傷は見当たらないし、毒殺? いや、ミステリー作品の見過ぎで思考回路がその向きに寄っているだけで、実際は事故死とか自然死かもしれない。ほとんど知らない相手だから、実は深刻な病気を患っていた可能性だって否定はできないのだ。

 だが、仮にこれが殺人だったとしたらどうだ。考えるまでもなくマズいことになる。既に面倒な事態には陥っているけれど、そういうことではなく、より差し迫った問題があるのだ。自身の生命そのものに直結するような。

 唐突に思われるかもしれないが、クローズドサークルという言葉をご存知だろうか? ミステリーではテンプレートな単語だけれど、そういった作品に触れる機会が少ない方にはいまいちピンと来ないかもしれない。要は、絶海の孤島や大雪に鎖された山荘のことだ。もう少し丁寧に言うと、外部との連絡手段を絶たれた状態。警察を呼ぶことも外へ逃げることも出来ない、ミステリーでは定番の状況設定。外部犯の可能性を否定する意味もある。

 何故こんな話をするか、言うまでもない。今この状況がそのクローズドサークルだからだ。

 昨日この場所に集まったのは三人。その内の一人は殺されて、残った二人はその傍らに佇んでいる。人間の「死」の生々しくも非現実的な感覚を受け止めきれず、何も出来ず立ち尽くしているだけ。

 ……何も出来ず? 死者に何もしてやれないのは、誰でも等しく同じなのに? どんな名医だろうと死人の命を取り戻せるわけじゃない。何もできないまま立ち尽くすなんて、そんなのは普通のことだ。自分は何も悪くない、だってこれが普通だ。普通で悪いはずがない、そうだろう?

 それよりもっと、考えるべきことはある。悼んで彼が生き返るのであればいくらでも悼むが、生憎そういうわけでもない。そんな余裕も無かった。

 三人いて、一人が死んだ。残った二人の片方は自分で、そして自分は彼を殺めていない。さっきも言ったように、まだ事故死や病死の可能性もある。けれど仮にこれが殺人事件だったら、残った一人が犯人なのは自明の理だ。証明も要らないほどに。

 動機? そんなものが重要か? 人を一人殺すのに、深い理由なんて必ずしもあるとは思わないが。

 それでも強いて考えるなら、この場にいる三人は昨日が初対面だったから、怨恨ではないだろうな。初対面を演じてた、ってのはやっぱりミステリーの読み過ぎとして、そうだな、突発的な犯行なんじゃないか? それなら深い動機も必要無いし。きっと昨夜、二人の間で何かしらあったんだろう。時計の針が頂点を回る頃まではこのリビングルームで殺された彼と飲んでいたが、それ以降は知らんからな、自分の部屋に戻ったし。彼は「まだ飲む」と言って部屋に残ったから、その後に彼女が降りてきて何かの拍子に口論になり、勢いで殺めた。雑な粗筋ではあるが、これなら筋は通るだろう。

 しかし、これで事件解決とはならないのが残念な所だ。犯人と動機が分かっても、何も解決しない。

 簡単な話だ。俺は彼女が犯人だと見抜いた。それは誇れることでもなく、普通の思考回路を持っていれば誰だって分かることだ。ならば彼女は、「彼女が犯人だと俺が見抜いた」ことに気付いている。

 ならば、彼女は次に何をするかは想像が付く。口封じの為にもう一人を殺めるのだ。偶発的だろうが事故だろうが、一人を殺めた人間は二人目を殺めやすい。二度目は初体験より抵抗が少ないからな。そしてクローズドサークル故に、俺に逃げ場は無い。

 相手は女だ。それだけで侮るのは時代に逆向しているが、しかし単純な基礎体力や体格の問題で、正面から襲われた場合の反撃は可能だと思う。身体を鍛えている甲斐があった、別にこんな状況を予知していたわけでもないけれど。

 ただ、彼女が武器や毒物なんかを持っていたり、寝込みや油断している所を襲われた場合は、その限りではない。と言うか普通に殺される。刃物や銃器の前で、少々鍛えただけの素人に何ができる。さしたる抵抗もできずに終わりだ。彼の死因も分かっていないことだし、警戒は解くべきではないだろう。


Side:B (Phase:1)

 ──人が死んでいた。彼と出会ったのはつい昨日のことで、一度聞いただけの名前も覚えていなかったけれど、ピクリとも動かない彼の身体を見ていると、やはり胸が塞がる思いだった。昨日の夜中一時頃にこのリビングに降りたときはまだ生きていたというのに。酔い潰れて眠っていたから、取り敢えず毛布を掛けたのをはっきり覚えている。

 実はこれがドッキリや冗談の類だったなら、趣味は悪いけれど、今なら笑って受け流せたかもしれない。だが、彼が起き上がる気配もなければ、物陰から仕掛け人が登場する様子もなかった。私の隣で同じ様に死体を見て驚いている彼も、その表情に嘘はなさそうだった。彼は心から男の死に驚いて、疑いもせず心を痛めている。なら、彼も仕掛け人側ではないんじゃないかな。そんな気がする。根拠としては薄いけど、驚きようが演技には思えなかった。まあそもそも、気心の知れた仲ならばともかく、昨日出会ったばかりの相手に仕掛けるドッキリでもないんだけど。なら、彼は本当に命を落としたのか。そう認識して、また胸が痛んだ。

 三人いて、一人が死んだ。残った二人の片方は自分で、そして自分は彼を殺してなんかいない。それを証明できる客観的な根拠は残念ながらないのだけれど(確か、アリバイとかいうんだよね。推理小説とかはあまり読まないし、ミステリードラマも見ないから、そういう専門用語は知らないのだけれど、そのくらいなら普通に聞いたことがあった。あ、でも死亡時刻が分からないんだから、そもそも意味がないか。夜中から朝方、だけじゃあ範囲が広過ぎて絞り込みようもないよね)。更に言えば、これは専門用語で何と言うのかは知らないのだけれど(ミステリーサークル、は違うよね……)、ともあれ状況的に外部犯は有り得ないって、それは断言できる。

 こうなると、容疑者は残っていない。なら、これは事件ではなく事故、或いは自然死なのかな。持病の発作とか? 彼に持病があったのかは、知る由もないんだけれど。生きている方の彼も、死んだ彼の名前は覚えていなかったし(一度聞いただけで簡単に覚えられれば苦労は無い)、現状では実質、身元不明の遺体だ。

 所持物(遺品)から特定できるかもしれない。そう思って、合掌した上でポケットや鞄を探らせてもらったけれど、結果は芳しくなかった。携帯には当然のようにロックが掛けられていたし(まあ、そんな気はしていた)、免許証や身分証明書の類もなかった(こっちは想定外)から。実質ではなく完全に、彼は身元不明の遺体になってしまったわけだ。

 ちなみに、見るからに高そうな素材の財布の中には大量の紙幣が入れられていて(勿論、全て一万円札。数える気が起きないほどの量だった)、彼の正体を調べるのが少し不安になったりもしたのだけれど、それはまた別の話。ここで重要なのは、そのお金が抜き取られてなかったこと。殺人の目的は金銭だけではないけれど、もしこれだけの富豪が殺されるとすれば、その動機には金銭が絡んでいると見るのが筋だ、と思う。勝手に。なら、財布の中身がこうしてちゃんと残っているのは、これが殺人事件でないと判断する一つの根拠にしてもいいかもしれない。やっぱり弱いけど、探偵でもないのだから、そんなに神経質に気にしなくてもいいと思う。

 しかし、これで事件解決(事件ではないという判断を下したのに、この言い方だと事件だったみたいだ)とはならないんだよね。厄介なことに。普通に考えて、事件性が無いって判断したら、警察も撤収して、容疑者も家に帰って、後は事務手続くらいしかすることないんじゃないの(想像)? これが事件じゃないって判断する根拠をくれたミステリーサークル(じゃ、ないんだっけ?)が、今度は別の問題を突き付けてくるせいで。

 種を明かせば簡単な話で、外部犯が有り得ないこの状況じゃ、この場を離れることすらままならないってこと。もし「これは事件、殺人だ!」って思ってたら、「次に殺されるのは自分かもしれない」とか考えて大変だっただろうね。いや、まだ別に事件だって可能性が無くなったわけじゃないんだけど。自分の直感を信じて、疑わないことにするよ。


Side:A (Phase:2)

 どうしてこうなった、と自問するも、残念ながら満足のいく自答は返って来なかった。全く、我ながら何を考えているのか理解に苦しむ。殺人犯疑惑のある彼女と二人きりで行動を共にするなんて。

 その提案をしたのは彼女の方だ。彼の死体を見てから割とすぐに、彼女はそんな提案をしてきた。彼女は、彼の死を事件だとはあまり考えていないようで、事故死や病死なのでは、と言っていた。これから一週間はここで警察を待たねばならないわけで、ならば一人より二人の方が生活がしやすいと考えての提案だ──という白々しい演技をしていた。実際は、そうやって接触して二度目の殺人を犯すだけだろうに。それにしても、どうせ嘘を付くなら、もっと信憑性のあることを言えばいいのに。これはきっと殺人だ、一人でいるのが不安だ、二人でいた方が安心だ、とか言われた方が納得できるだろう。

 しかし自分の名誉のために、その提案に乗ったのはちゃんとした考えがあってのことだ、ということをきちんと主張しておく。打算と言ってもいい。自分の命が掛かっている状況なのだから、悪賢くもなるさ。簡単に言えば、彼女に対して不必要に怯えたりしている様子を見せたくなかったのだ。ここで彼女の誘いを断れば、彼女は「彼女を避けようとしている」と思うだろう。その理由が「彼女を殺人犯だと疑っているから」だとも分かるだろう。そうなれば、それはつまり、彼女が二人目を殺す理由がより強固になってしまうということだ。逆に、ここで彼女の提案を飲んだことで「彼女を避ける積もりはない」と思わせるのだ。「彼女を殺人犯だと思ってなんかいない」と。自分の身に迫っているかもしれない危機に気付いていない、馬鹿の振りをするのだ。

 だが、そんな確率の低い賭けのためだけに彼女の誘いを受けたのだと思われるのも心外だ。当然、狙いはそれだけではなく、他にも目論見はある。自分を狙う相手と行動を共にしていれば、警戒も容易くなるという話だ。何処で何をしているか分からない相手を警戒し続けるのに比べれば、ずっと。

 クローズドサークルの解消まで、恐らくはあと一週間ほどが必要だ(クローズドサークルは通常、嵐が止んだり電話線が復旧したり警察が到着したりすることで解消される。もっとも、ミステリー作品ではその前に探偵が真相に辿り着いて事件は解決するのだが。しかしここに探偵はいないし、仮にいたとしてもこの状況では真相も意味を持たないが)。

 とにかく、何としてでも生き残ってやる。絶対に殺されてたまるか、ましてや口封じの為に。


Side:B (Phase:2)

 どうしてこうなった、って訊くとしたら、その相手は天にまします神様くらいのものだけれど、聴こえていないのか、或いはこっちが聴こえていないのか、空からの反応はない。どっちでも構わないけどね、結果としては一緒だから。そもそも、別にこの状況をそこまで悲観してるわけでもないし。

 彼の「警察を呼ぶ」という提案に乗ったのは、そこまで深い理由があってのことではない。これが事件って可能性は残ってるから(それが無くなったのは、あくまでも自分の中だけだし)、勿論、普通に考えればそうすべきだろうしね。素人に何が出来る訳でもないから、専門家を呼ぶのは正しい。ついでに言っておくと、彼がこの提案を持ち出したこともまた、これが事件じゃないって判断する新しい材料になっている。自分の罪を隠したい犯人だったら、「これは事件だ」って主張しないと思うから。だって不利になるでしょ? うん、最初の直感はやっぱり正しい気がする。

 ともあれ、これから警察が来るまでの一週間、ここで彼と二人きりで生きていかなきゃだよね。幸いにも水や食料の備蓄は充分にあるみたいだし、まあ死ぬ心配はないけど。あ、でも、仕事を分担したりできるし、単独でいるよりも一緒にいた方が何かと楽だよね。そう思って誘ってみたら、彼も快諾してくれた。死体を見た後だし、差し迫った危機は今のところ無いとは言っても不安だったのかもね。或いは、本当に不安だったのは彼じゃなくって──なんてね。


Side:A (Phase:3)

 一週間の後、無事に生還した。それは望みが叶ったということで、喜ぶべきことだった。もっともこれは、襲って来た彼女を退けたという訳ではない。この一週間で命を落とさなかったどころか、掠り傷すら負わなかったし、そもそも命の危険を感じることさえなかった。慣れない料理で少し指先を切ったり(毒物を盛られる可能性を危惧して、彼女一人に任せるられなかったのだ)、本を読んでいて紙で指を切ったりはした(彼女のことを警戒していないというポーズの為に読んでいる振りをしていたのであって、内容は全くと言っていいほど頭に入って来なかったが)が、今はそんな些細かつ事件性のない怪我は考えなくていい。ここで大事なのは、彼女から何も被害を受けなかったということだ。どころか、指先を切ったときには絆創膏を巻いてくれたし、本を読んでいるときは音を立てないように気を遣ってくれていたほどだ。

 結果から言って、彼女は殺人犯ではなかった。と言うか、殺人犯なんて最初からいなかった。到着した警察が調べた結果、彼は持病の発作で死んだと結論付けられたのだ。疑ってしまって、彼女には悪いことをしてしまった。親切にされているときも何か裏があるのでは、油断させようとしているのでは、と警戒していたことも懺悔したい。

 いや、或いは彼女の側も同じような疑いを持っていたかもしれないな。互いが互いを殺人犯だと疑って、互いに警戒していたとか。決して有り得ない話ではない。行動を共にする提案も、俺と同じ理由だったりして。仮にそうだったならば、俺だけが悪いのではなくお互い様だったのだ、とも言えるか。ならば許されるという話でもないが。


Side:B (Phase:3)

 一週間は意外なほど呆気なく過ぎ去った。危険な状況になることも特になかったし、ましてや命を落とすこともなかった。怪我すらしてないもの。強いて言えば、彼は多少の怪我を負った。まあ、とは言っても、血が少し出たくらいだけど。あれは怪我の内に入らないかもしれない。いっそかえって拍子抜けではあるけど、生きて家に帰れたのは素直に喜ばしいかな。懐かしの我が家。一人暮らしだから、誰かが出迎えてくれたりもしなきけれど。

 あ、一人暮らしと言えば、大学生になって下宿したときから現在まで続けている自炊が、今回はかなり役に立ったよ。どうも彼は料理なんてしたことなかったみたいで、見ててすっごく危なっかしかったからね。でも、無理にやらなくてもいいよって言ったら「いや、手伝わせてくれ」って言うんだもん。背伸びする子どもみたいで、何だか見てて微笑ましかったよ。子どもができたらこんな感じなのかな? だけど、本を読んでて紙で指を切ったりもしてたから、単に鈍臭いか、不器用なだけなのかもね。

 危機的状況を共にした男女は恋に落ちやすい、っていうのが吊り橋効果なんだよね、確か? んー、彼に対して持ったのは、これは母性だよね。まあ、そのおかげで退屈しなかったけど。一週間を早く感じたのは、そのせいだったりして。いつかする日が来るかもしれない子育ての、変則的な予行演習だと思えば良いのかな。

 そんなわけもあって、警察が到着した頃には、事の発端とも言える死体発見のことなんて、もはや頭の中からすっかり抜け落ちていた。死んだ彼に対しては、かなり失礼な話だけれど。「警察を呼んだのって、何でだっけ?」と口にしかけて、その時にようやく思い出した。危ない危ない。

 そして、専門家による本格的な捜査の結果、彼の死が病によるものだったと判明したのだった。直感を信じて正解だったね。それにしても、死んでから一週間が経ってもそういうのって分かるもんなんだなあって、素直に驚いちゃったよ。そう言えば警察の人も、夏じゃなくて良かったって言ってた。暑かったらもっと腐ってたのかな。かと言って勝手に処分したら犯罪のはずだし、どうすることもできなかったけど。取り敢えずこの一週間は「リビングには入らない」って決めて過ごしてたんだけどね。

 それにしても、事件じゃないって分かったときの彼の驚きようは凄かったなあ。ずっと不安で張り詰めてた緊張の糸が切れて、ってのもあるんだろうけど、それだけじゃないような気もした。何となく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ