ヤドカリ猫と露光るプリズム
『朝は降っていなかった筈なんだけどな。』
休日、行きつけのカフェの玄関口。
雲ひとつない夕空。
降り注ぐ太陽の涙。
傘を持つはずもない私は、独りごちた。
『天気予報ぐらい見ていきなさいよ。』
親の忠告。
そう言えば、右耳から左耳に流してしまったんだっけか。
けれど、どうせ無理だったろう。このお空の気まぐれを予測するのは。悲しみは突然やってくる。涙と一緒だ。
さて、どうしたものか。カフェに出戻りするのは、カラスの行水のようで何かこころもとないし、ここから家までは、健康に良さそうな距離がある。
まあ、浴びていくしかないか。年寄りでなくても冷水になりそうな雨でも、ゲーテも大雨の中踊る人が居てもいいって言っていたからきっと、大丈夫だ。そんな適当なこと考えて、屋根の下から出た。
✼✼✼
雨。アメ。あめ。
いつもより濃い服の色。
いつもより濃い水たまりのぞく顔の疲労。
いつもと違う雨。
太陽を隠さない雨。
『にゃあおぉ。』
足元から猫の声。
頭に今日の夕空を切り取ったバケツ。
容赦せず降る雨。
風呂桶にシャワーの水が当たるみたいな音。
音と認識が混じる。
『にゃあおぉ』
また声。
ヤドカリの猫がこっちに来いと誘ってきているようだ。
猫の白足が雨と夕空に映えるのを眺めながら着いて行った。
✼✼✼
着いた場所は、うらぶれた公園の屋根付きのベンチ。ヤドカシの猫だったか。耐久性に少し不安があるベンチに座り、膝に乗った猫の宿を外して、感謝のひとなでする。気持ちよさそうに猫が鳴いた。
温かい。
さらさらと指につたうようにその温かさに蕩かされる。
目が次第に落ちていくのを感じた。
✼✼✼
いつの間にか眠っていたらしい。
あれほど激しかった雨は露の残滓を置き、空は晴れ上がっていた。
露に光るプリズム。七色に反射して、目に眩しくも心地よい。
あの猫はどこに行っただろう。見渡しても姿は見えず。
これはちょっとした怪異だろうか。
くすりと笑う。
こんな怪異なら悪くない。
雨に洗われた空気はどこか清涼としていて、私はそれを胸いっぱいに吸い込んだ。
気紛れな雨に振り回されたが、ここ数日に溜まっていた心の澱を拭い去った気がする。
今となってはむしろ、天気予報を見ろと言った、親の忠告を聞かなくて良かったようにさえ思う。
雨、は。
鬱鬱とした塵界を浄化する役割も持つのかもしれない。
お前など不要だと、邪険にした人たちの顔が消えてゆく。それらは最早、曖昧模糊として、灰色の塊のようにしか知覚できない。
現れた景色は洗われていて、私の目に新品の玩具のように映った。
私は猫に借りた宿を出て、うんと伸びをして空を仰ぐ。
私は目を閉じる。
そして、雨粒に感謝する