初恋百合
――その人に初めて会ったのは、丁度私が高校に進学したばかりの時だった。
入学式を終えて、私は一人校舎裏にある小さな山へとやってきていた。
ヘッドフォンをつけて、音楽を聴きながら――他に何も聞こえない世界にいたかったんだと思う。
(高校って言っても、何も変わんないよね)
正直に言ってしまえば、私は人との付き合いに興味がなかった。
いわゆるぼっちというものなのかもしれない。
――かもしれない、というのは本当に孤独を求めているか分からないから。
だって、孤独でいたいのなら何かを探してここまでやってこない。黙って家に帰ればいいだけだ。
小学校の頃からそうだ。
人付き合いが苦手で、一人でいるのが好きだった。
友達という友達がいるわけでもなく、かといっていじめられるわけでもない。
何より特徴のなさすぎる子だったんだと思う。
それは今も変わらない――そう思っていた。
(……? 誰かいる?)
桜の散る山道を抜けていくと、その先に人陰が見えた。
学校の裏なのだから、別に誰かいるのも不思議なことじゃない。
けれど、何だか私は期待してしまった。
何か不思議な出会いがあるんじゃないかと。
実際、不思議ではないけれど――私の人生を変える出会いであったことには違いない。
美しい長い黒髪を風になびかせて、その人はそこに立っていた。
私と同じ学校の制服に身を包み、静かに桜の木を見つめていた。
頬を伝う涙が、何より印象的で、私はその人に釘付けになってしまっていた。
(なんで、泣いて――っ!)
その人が、私に気付くのにそこまで時間はかからなかった。
それはそうだ――ここまで一本道でつながっているのだから。
頬の涙を拭い、その人は私の方へと向かってくる。
私は少し迷った――逃げるべきだろうか、と。
あるいは、見ていて申し訳ないと謝るべきか。
「あ、えっと……」
「――」
その人が口を開いたけれど、私にはその声が聞こえなかった。
手を伸ばして、私の耳元に触れる。
びくりと、反応するように身体が震えた。
「ごめんなさい、ヘッドフォンで聞こえていないみたいだったから。君、新入生?」
「そ、そうです」
言葉から察するに、先輩なのだろうということはすぐに分かった。
ヘッドフォンをつけているから声が聞こえなかったのは当たり前で、それを外すというだけで怯えた仕草を見せてしまったのは少し恥ずかしい。
顔が火照るのを感じる。
そんな私の様子を見て、くすりと笑いながら、
「私は久遠映奈、二年生よ。君は?」
「あ、わ、私は……芝宮、玲です」
「芝宮、玲……いい名前ね」
「え、ありがとう、ございます?」
名前を褒められるとは思わず、返事が曖昧になってしまう。
そんな私を見て、また久遠先輩は笑顔を見せた。
「新入生がこんなところで何してるのかな?」
「探検、ですかね」
「探検って……あははっ。子供みたいなことするんだね」
「こ、子供じゃないですっ! 色々見てみたかっただけで!」
「ごめんごめん、別に馬鹿にしてるわけじゃないんだよ。ただ、かわいい子だなって思って」
「っ」
面と向かってそんなことを言われたのも初めてだった。
どうしてだろう――久遠先輩と話していると、何だか不思議な気持ちになる。
彼女の、泣いている姿を見たからだろうか。
「あの……」
「んー、何かな?」
「久遠先輩は、ここで何してたんですか?」
私は何を聞いているんだろう――そう思いながらも、聞きたくなってしまった。
きっと聞いてほしくなかったことなのかもしれない。
だって、泣いている姿なんて私も見られたいとは思わないから。
けれど、久遠先輩は少しばつが悪そうな表情を浮かべながら、
「あははっ、ちょっとね……失恋しちゃって」
「え……」
「あ、そんな深刻な話じゃないよ」
泣いていたというのに、深刻ではないというのは嘘だろう。
私はここで、久遠先輩に理由を聞いたことを少し後悔した。
色恋沙汰に関わることなんて、私が一番苦手なことだ。
「えっと、その……何ていったらいいか……」
「いやいや! 気を使わないでったら! 思い出すとまたちょっと、ね」
少し涙目になりながら、久遠先輩はそう言った。
私はまた動揺する。
慌てて懐からハンカチを取り出して、久遠先輩へと手渡した。
「ど、どうぞ」
「ありがとう、芝宮さんは気が利くのね」
「いや、その……私が聞いたせいなので」
「うん、気にしないよ。私が勝手に好きで、それで失恋しただけだから」
「え……? それって告白してないってことですか?」
「……できなかったよ。だって、好きな人って先生だもの」
「っ!」
そんな久遠先輩の言葉を聞いて、私はまた驚く。
そういうこともあるのだろう――好きになる人が、決して同じ年齢の人とは限らない。
そして、
「それに女の人、だしね」
「……え」
性別が異なるとも、限らなかった。
ハッとした表情で、久遠先輩が取り繕う。
「あ、いや! あははっ、何でかな……そこまで言うつもりなかったのに。初対面でいきなりこんなこと……ごめんね?」
「い、いえ……その、女の人が好きって、恋愛的にってこと、ですか?」
「まあ、そうなるかな。学校の先生でましてや同性なんてさ、ちょっと高望みだったかなー、なんて。引いちゃった?」
「そういうわけではなくて、女の人を好きになるって、どういう感じなんだろうなって……」
私の率直な感想だった。
そんな話に興味を持ったこともないし、そういう人がいると聞いたことはあっても実際に会ったのは初めてだった。
ただ、抵抗があるわけじゃない。
むしろ、久遠先輩の話に少し興味があった。
だから、私は聞いたのだ。
久遠先輩は少し悩んだ表情をしながら、
「んー、どういう感じって言っても普通に変わらないと思うよ?」
「その普通って言うのが分からなくて……」
「その人と一緒にいると胸がドキドキするっていうのかな」
「ドキドキ……」
久遠先輩の言葉を聞いて、私は胸の鼓動を確かめる。
いつもはヘッドフォンで音楽ばかり聴いている私が、心臓の音をまともに感じようとするのは久しぶりだった。
――ドキドキしてる。
何でだろう、理由は分からない。
けれど、久遠先輩の姿を見た時から、ずっとそうだった。
緊張しているからなのかもしれない。
「どうしたの?」
「えっと、その……私には人を好きになるっていうのが、どういうことか分からなくて」
「それはまた大きな悩みね……」
「でも、今の久遠先輩の話を聞いて確認してみたんです。先輩を見た時から、胸が少し、ドキドキしてるなって……」
(私、何言ってるんだろう……?)
初対面なのに、私は積極的に久遠先輩に関わろうとしている。
思えば、先輩に泣いていた理由を聞いた時もそうだ。
私は今――この人と関わろうとしている。
何がそうさせたのか分からない。
泣いていたから興味が持てたのか、同性が好きだから興味が持てたのか――そんな私の様子を見て、久遠先輩は少し驚いた表情をしていた。
「それって、私に恋したってこと?」
「え! そういうわけじゃ、ないと思うんですけど……」
「……試してみる?」
「た、試すって――」
久遠先輩が、私の顎を掴んで持ち上げた。
久遠先輩の方が、私より少し身長が高い。
吐息のかかる距離に、久遠先輩の顔があった。
整った顔立ちをしていて、とても綺麗な――見ていて、美しいと思った。
「あ、あの……」
「このままキスとかしてもいいかなって思えたら、私のことが好きなのかもね」
「キス……!?」
「あははっ、冗談だよ。真に受けないで――」
そう言って久遠先輩は私のヘッドフォンを戻してしまう。
何か言っているのが見えたけれど、私には届かなかった。
その日が、初めて久遠先輩と出会った日だった。
***
その日から、私は放課後になると定期的に学校の裏にある小さな山を登っていた。
春先ではまだ桜が綺麗で、時折他の生徒の姿を見ることがある。
二年生だと言っていたから、教室にいけば会えるだろう。
それでも、私はここで久遠先輩と会うことを選んだ。
何だかここで出会ったから、ここで会うことが特別な気がしたから。
別に約束をしていたわけではないけれど――一週間くらいして、久遠先輩と出会った。
「あれ、また来たんだ」
「久遠先輩も、ここで何してるんですか?」
「私は毎日ここに来てるよ」
「え、そうなんですか? 見たことないですけど」
「ふぅん……? ――ということは、君は毎日ここに来てるんだね」
「――」
鎌をかけられたということがすぐに分かり、私は動揺してしまう。
別に、ここにやってくることが悪いわけではない。
責められるようなことは何もしていないはずなのだけれど、久遠先輩に言われると何だか悪い気がしてしまった。
「す、すみません」
「別に謝るようなことじゃないよ。でも、どうして毎日ここに来てたのかな?」
「それは……」
また久遠先輩に会いたかったから――そう答えるのが恥ずかしくて、言葉を詰まらせてしまう。
誰かに会いたいと思うのは、初めての経験だったから。
これも、久遠先輩の話を聞いたからだろうか。
「私に会いに来たのなら、素直にうれしいと思うけど」
「えっと……はい、そうです」
「え、本当に?」
「うっ、そうですよ! 悪いですか!?」
「いやいや、全然悪くないって。むしろ嬉しいくらい。そう言えば、今日は音楽聞いてないんだね」
そう言って、久遠先輩が私の頬に触れる。
ヘッドフォンをしなくなったのは、久遠先輩の言葉を聞き逃したくなかったからだ。
どうしてだろう――少ししか話していないのに、私はこの人のことが気になってしまう。
近くにいるだけで、心の中がもやもやとする。
思い出すのは、久遠先輩の言葉。
――このままキスとかしてもいいかなって思えたら、私のことが好きなのかもね。
「……っ」
確かめたいとは思う。
それが私の思い違いであるのなら、それでいいと思ったからだ。
けれど、私から切り出すことはできない。
その勇気が、私にはなかったからだ。
「……大丈夫?」
そんな私の様子を見て、久遠先輩は優しく微笑んだ。
この人の笑顔を見ると、何だか安心する。
「はい、えっと、すみません」
「あははっ、何で謝るのかな。何も悪いことはしてないんだからさ」
「あ、いえ、その……すみません」
謝る必要はないと言われても、そんな風に謝ってしまう。
人とあまり接してこなかった弊害が出てきたらしい。
久遠先輩は苦笑しながら、改めて私に問いかける。
「それで、私に会って何かしたいことがあるのかな?」
「!」
核心を突く問いかけだった。
私のしたいこと――それは、久遠先輩とのキス。
確かめたいことがあるから、キスをしたい。
そんなこと、恋人同士でもなければお願いできることではなかった。
ましてや、久遠先輩と会うのはこれで二回目だ。
――私から言えるはずもない。
「じゃあ、せっかく会えたから私からしたいこと言ってもいいかな」
「あ、はい。何かあれば……」
「キス、したいな」
「――」
久遠先輩からの申し出は、私が求めていたものだった。
もしかして、気付かれたのだろうか。
ドキドキと高鳴る鼓動を抑えるように深く呼吸をして、私は問い返す。
「ど、どうしてですか?」
「あははっ、勘違いしないでほしいんだけど……誰にでもこんなこと言うわけじゃないよ。ましてや、この前失恋したっていう話したばっかりだしね。それなのに、何ていうのかな……君を見たら、その、したくなった」
恥ずかしそうにそう答える久遠先輩。
キスをしたくなる――そんなことを、迷いながらも言えるのはすごいことだと私は思う。
私にはその勇気がなかったから。
そんな私に、久遠先輩は続ける。
「何ていうのかなあ。一目惚れってやつなのかな。それを確かめたい。嫌なら断ってくれても――」
「い、いえ……いいですよ」
「え、ほんとに?」
私の言葉を聞いて、驚きの表情を浮かべる久遠先輩。
私自身、ハッとして口元を抑える。
自然と答えてしまったものだった。
――私にも、そういう気持ちがあるのだろうか。
確かめるのなら、今がチャンスなのだ。
「いい、ですよ」
同じ言葉を繰り返して答える。
久遠先輩は私の答えを聞いて、静かに頷いた。
私は、その時に備えて目を閉じる。
こんな時こそ、音楽を聴くべきだったのかもしれない――久遠先輩の息遣いが、耳に届く。
そのたびに、すごく緊張する。
キスをするというだけで、こんなに緊張するのだろうか。
――そうだ、私は……。
その事実に気付いた時、柔らかい感触が唇にあった。
実際の時間にしたら、ほんの数秒にも満たない時間だったのだろう。
けれど、唇を合わせた瞬間から離すまでの時間がとても長く感じられて、離れる瞬間は切なかった。
「……どうかな?」
少し顔を赤くしながら、久遠先輩が私に問いかける。
私は今、どんな顔をしているのだろう――そう思いながら、私は答える。
「えっと、よかった、です」
「えっ?」
「……え」
お互いに顔を合わせて少しの静寂。
「……あははっ、なに、よかったって!」
「……! し、仕方ないじゃないですか。そういう感想しかなかったんですから!」
「いやなんか、キスしてよかったって聞くと変態っぽい」
「……っ! も、もう知りません!」
私はそう言ってそっぽを向く。
久遠先輩が申し訳なさそうな表情で謝ってきた。
「いや、ほんとごめんね。でも、私もその、気持ちよかったっていうか……」
「……そっちの方が変態っぽいです」
「ほんとだね。でも、すっきりした」
「……私もすっきりしました」
「え?」
「久遠先輩、私も――」
あなたに一目惚れをしました――そんな告白を初めてしたのだった。
こういうお話から延々と百合百合したお話がみたい(願望)




