006
「や、おはようマリィちゃん」
「あら、おはようドネット」
次の日。部屋から出たところで丁度彼女と鉢合わせし、俺たちは互いに朝の挨拶を交わす。そのまま流れで朝食を一緒に食べることになり、彼女が軽い身支度を済ませるのを待ってから二人連れ立って下へと降りた。食堂で出されたのは、何の変哲も無い普通の朝食。安宿にしてはまあ頑張ってるかな、と思える程度で、不味くは無いが特別美味いというわけでもなかった。
「普通ね」
「まあ普通だよね。いや、こんな宿屋で抜群に美味しかったりしたらそっちの方がびっくりだけど」
「普通で悪かったね! いいんだよ、人間普通が一番さね」
食後の飲み物を持ってきたおばちゃんが、そう言って豪快にカップをテーブルに置いていく。ガツンとおかれて中身がちょっとだけこぼれたが、これは気を悪くしたとかではなく、単純に忙しいからだろう。夕食はまだしも、朝食なんて大体の宿泊客が同じ時間に取る物だしな。
「普通が一番……少し前の私なら鼻で笑っていたかも知れないけど、今の私には身に染みる言葉だわ」
「なに、普通の定義だって色々さ。俺なんかほら、『普通のいい男』だから、その時点で普通の男よりワンランク上だし」
「はいはい、そうね」
彼女は早くも俺のあしらい方を覚えてきたらしく、出会って数日だというのに、始めて会った時の無慈悲なスルーが懐かしいとすら感じる。
俺は珈琲、彼女は紅茶のカップを傾け、その中身を飲み干したところで外に出る。これでもう、俺たちを繋ぐ物は何も無い。たったひとつ、酒の席で交わした約束以外は、何も。
「…………ねえ、本当に一緒に来てくれるの?」
彼女の紅い瞳が揺れている。唐突に、理不尽に、自分の持つ繋がりを根こそぎ持っていかれた彼女にとって、新しく出来たか細い絆が切れることは、どれほどの恐怖なのだろうか? そんなものは知ったことじゃないと、俺は笑って答える。
「当然だろ? 約束だ。俺は君の故郷を奪った原因を突き止める。少なくともそれまでは、俺たちはパーティだ。いや、二人だとパートナーの方がいいか?」
「パートナー?」
「そう。相棒、相方、仲間……まあ何かそんな感じの色々だよ」
「相棒……いいわね」
その言葉の意味をじっくりと噛みしめるように口の中で音を転がし楽しそうに笑う彼女に、俺は右手を差し出した。
「約束しよう。君の望みが叶うまで、俺はずっと共に居る」
「……約束するわ。いつか来るその時まで、私と貴方は一蓮托生の相棒よ」
小さくて柔らかい、おおよそ戦う者の手とは思えないそれが、しっかりと俺の手を握り返してくる。
そう、それは始まりの思い出。俺とマリィちゃんの出会いと約束の物語。何気ないその一言から、そして世界は今へと続く……
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「ふふっ……」
「どうしたのDD?」
とても長かったような一瞬の回想を終え、俺は思わず声をこぼしてしまった。そんな俺を不思議そうに見つめるマリィちゃんの顔は、あの頃と変わらず、だがあの頃よりずっと綺麗に輝いている。
「いや、ちょっと昔のことを思い出してただけさ」
「昔のこと?」
「ああ、マリィちゃんと始めて会った時のことだよ」
「……何故今そんなことを?」
問うマリィちゃんに、俺はニヤリと笑って答える。
「いやぁ、この子ともお近づきになれたら、色々わかるかなって思ってさ」
マリィ・マクミランという人物は確かに存在していた。登録証が再発行されたんだから、それは間違いない。だがこの写真にはマリィちゃんと全く同じ外見をした人物が写っている。しかも、それが事件の元凶かも知れないというおまけつきでだ。
自分と同じ顔をした人間が、町を砂に変えている。なら自分もまた自分の町を砂に変えてしまったのではないか? そもそも自分は本当にマリィ・マクミランなのか? その人物とそっくりなだけで別人なのではないか?
どうでもいい。そんなことは心底どうでもいいのだ。俺の目の前にいるマリィちゃんは、俺が3年間共に歩んできた相棒だ。そっくりの奴が何人いようが関係無いし、本物だとか偽物だとか、それを問うことそのものがナンセンスだ。何故なら今ここにいるマリィちゃんこそが、俺に取って唯一のマリィ・マクミランだから。他の誰かが偽名を名乗ってるのだろうが、実は記憶喪失で自分をマリィだと勘違いしているのだろうが、何もかもどうでもいいのだ。俺に取ってマリィちゃんはマリィちゃん。それ以上でもそれ以下でも、それ以外でも無いのだ。
「この子がマリィちゃんみたいに何も解らないで巻き込まれたなら3人で一緒に旅をするのも悪くないし、逆にこいつが意識してこんなことをしているなら、締め上げて色々聞き出せばいい。その時は、マリィちゃんだって協力してくれるでしょ?」
「……そうね。その通りだわ。勿論協力するわよ。だって私は……私たちは、相棒ですもの」
『自分』という存在を抱きしめるように笑って、スッキリした笑顔でマリィちゃんが答えてくれた。そこにはもう揺らぎは無い。積み重ねた年月、共に死線を潜った経験。笑い、泣き、時に喧嘩をしたりしても、切れることの無かった絆。それら全ては、俺とマリィちゃんだけのものだ。見た目が似てるだけの他人に譲ってやれるほど安い代物じゃない。
「ということで、どうしよう? とりあえず新しく出来た『砂の町』にでも行ってみる? 何かあるとも思えないけど、一応」
3年前から今に至るまで、「砂の町」に関する情報が出てきたことは無い。つまり専門の研究チームとやらが派遣されても、発表出来るような情報は何も得られてないということだ。となれば完全に素人の俺たちが行ってもわかることは無いだろうとは思うが……それでも現地に行くくらいしか手がかりが無いのも違いない。
「そうねぇ……イアンからは追加の情報は無いの?」
「今のところ何の連絡も来てないなぁ。直接訪ねたら違うかも知れないけど、今あそこに行くのはマズいしね」
イアンの「王国」は、今現在軍に包囲されている真っ最中だ。「砂の町」の発生によりいくらか兵士がそっちに回される可能性はあるけど、それでも俺たちが平然と通り抜けられるほど警備が緩むことは無いだろう。魔力を持たないが故に魔力探知に引っかからない様々な機械人を手足の如く使えるイアン自身ならどうとでもなるようだが、俺たちから連絡を取るのは難しい。少なくともこの情報端末に呼びかけて返事が来ないなら、それ以上の方法は無い。
そして、これから警備の兵士が回されるであろうと予想される以上、新しい「砂の町」の方ももたもたしていれば入れなくなる。金や宝石まで砂になるということが判明しているので火事場泥棒のような輩が湧かないため、初動警備が緩いと予測される今ならまだギリギリ潜り込めはするだろうけど、それも時間の問題のはずだ。
「じゃ、急いで新しい『砂の町』の方に行きましょうか。この写真の子がもし私と同じなら、やっぱり砂の上に倒れているかも知れないしね」
「あー、それは確かにあるかもね。よっし、じゃあ明日の朝一で行こうか」
元々この現象が発生することは予測出来ていただけあって、俺たちの準備は万端だ。宿屋の人に明日の昼のお弁当を含む多少の保存食の融通をお願いすると、俺たちはその晩はぐっすりと眠り、次の日には早起きして、足早に目的地に向けて出発した。




