002
「そう……これがそうなのね……」
その日の夕食後。マリィちゃんが落ち着いたのを見計らって、俺は例の写真を見せた。宿屋の部屋にてしばし無言でそれを見つめていたマリィちゃんが、ようやくにしてそれだけ声に出す。
「ねえ、DD?」
「何、マリィちゃん?」
「これ、何なのかしら?」
「さあ? それを調べるためにこれからどうしようかって話だから、今は何とも」
「そう、そうよね……」
肩をすくめて答える俺に、マリィちゃんは力の無い声で呟くのみ。
「ねえ、DD?」
「何だい、マリィちゃん」
さっきよりも少しだけ声を震わせ問うマリィちゃんに、さっきよりも少しだけ優しい口調で俺が答える。
「ひょっとして……私もそうなのかしら……?」
「さあ? それは俺にもわからないけど……でも、大丈夫」
俺は椅子から立ち上がり、膝の上で小さく震えていたマリィちゃんの手に自分の手を重ねる。
「約束は必ず果たすさ。俺たちは相棒だろ?」
そう言って笑いながら、俺はマリィちゃんとの出会いの時を思い出していた……
******
それは、3年前の出来事だ。当時ソロで活動していた俺は、体の内側から感じる妙な違和感に引き摺られるように、とある町を目指していた。理由は特にない。強いて言うならその時丁度何の依頼も受けておらず、金銭的にも多少の余裕があったからだろうか? 勘や好奇心に従って動いても問題の無い状況だったからこそ、俺はそこに足を運ぶことが出来た。
実際、勘というのは決して馬鹿には出来ない。積み上げられた経験が言葉になる前の段階を勘と呼ぶ……なんて考え方もあるくらいだし、ある程度以上熟練の掃除人なら、勘を馬鹿にする奴はいない。
そして、当時は今よりずっと人間だった俺にとって、体の中の違和感は勘と呼ぶ程度のものでしかなかった。そんな頼りないものを頼りとし、俺はひたすら草原を歩いて行く。
季節は春。気候は穏やかでゴブリンの気配すら無い。最低限の警戒は残しつつも散歩気分で歩いていた俺の目の前に、突如として違和感が広がった。
「なんだこりゃ……」
小高い丘を越えてみると、その向こうに広がっているのは砂漠だった。砂、砂、砂……一面の砂。草の一本、石ころひとつすら混じっていないような、純粋な砂の海。砂漠に行った経験は無かったが、それでも目の前に広がる物がおかしいということくらいは感じられた。完全に単一の物質で構成された世界なんて、自然に存在し得るわけが無い。
足下に目を落とせば、まるで線を引いたように突如として草原が砂漠になっている。少しだけ砂を掘ってみれば、土と砂の境界線はまるで切り取られたかのようにくっきりと分かれており、自然にこんな風になるとは思えない。
明らかにおかしい。だがそれでも俺は足を進めた。この時引き返していれば、俺は未だに一人で活動していたかも知れない。だがそうはしなかった。何故そんな怪しい場所に踏み行ったのかと言われれば……何となく「呼ばれた」ような気がした。その程度の弱くて曖昧な理由だ。だがそれすら「今思えば」という話であって、当時の俺は何の疑問も抱くこと無く謎の砂漠の中心に向けてザクザクと足を踏み込んでいった。
何も無い……本当に何も無い砂漠を、俺はひたすら歩いて行く。周囲にはいかなる生き物の気配も無く、空気の味すらちょっと違うと思える。そんな砂漠をひたすら歩いて進んでいくと、遂に俺の目に砂以外のものが映った。
人だ。人が倒れている。黄金の絨毯の上で一際目立つ、赤い髪の女。俺は慌てて駆け寄ろうとして、砂に足を取られて思わず転びそうになった。ここなら転んでも痛くは無いだろうが、別の意味で痛いので慌てて踏ん張り、その後は大きめに足を踏み出しつつしっかりと砂を踏みしめることで前進して、程なく女の側へと辿り着いた。
小さな体にフラットなスタイル。ひょっとしたら子供かも知れない。だが服装は掃除人や旅人の着るような旅装だ。周囲に他の人影は無いから、少なくともここにいるのは彼女だけなんだろう。であれば子供であっても子供扱いはするべきではない。
ぱっと見で外傷があるようには見えない。衣服に乱れも無いし、切れたり破けたりしている箇所も見当たらないので、襲われたとかでは無さそうだ。呼吸も落ち着いているし、もしここが草原だったなら昼寝していると言われたら納得してしまいそうになる。まあこんなところで無防備に寝る馬鹿などいるわけが無いが。
であれば、頭部に衝撃を受けたなどで気絶しているのだろうか? 可能性としてはそれが一番高く、そうなると下手に揺すって起こすのは怖い。外傷じゃないなら回復薬も意味が無いだろう。気付けを使ってもいいが、見渡す限りの周囲には俺と彼女以外の存在は無く、日もまだ十分に高い。切迫している状況でないのなら、様子を見て自然に起きるのを待つのがベストだと判断した。
勿論、ここが本物の砂漠だったらそんな判断はできないが、あくまでも地面が砂になっているだけで、ここの気候はさっきまでいた草原と何も変わらない。昼寝をしたくなるくらいのぽかぽか陽気であれば、体調を心配する必要も無いだろう。
俺はその場に腰を下ろし、地面の砂に穴を掘って使い掛けの固形燃料を放り込んで火を付け、その上に蓋をするようにして小さな手鍋を置いて水を満たす。こうすれば石で簡易竈を作れないような場所でも簡単に湯を沸かすことができる。人の体を動かすのに熱が必要な以上、よほど暑い真夏などでない限り可能であれば湯を沸かして飲むのは掃除人の基本だ。
「んっ……うぅん……」
幸いにして、手鍋の湯がふつふつと沸く程度の時間で彼女は目を覚ました。仰向けのままぼーっと宙を見ている彼女に、俺は声をかける。
「お目覚めですかお嬢さん?」
「…………貴方は?」
「俺かい? 俺はドネット・ダスト。通りすがりのいい男さ」
「………………」
惚れられるのでも馬鹿にされるのでも構わないが、無言は流石にきつい。その無垢なまなざしには、俺のグラスハートが耐えられない。
「あー、問題掃除人協会のB級掃除人だ。で、お嬢さんは?」
「私? 私は…………」
ただそれだけ言って、彼女が口ごもる。その視線は宙を彷徨い、まるで何かを探っているかのようだ。
「おいおい、まさか記憶喪失なんて言わないでくれよ? いくら何でもお約束すぎるぜ?」
「そんなのじゃないわよ。私はマリィ……そう、マリィ・マクミランよ。貴方と同じ、協会のB級掃除人……のはずだわ」
シニカルな笑みで軽くおどけて見せた俺に、彼女はマリィと名乗った。だがその物言いはどうにもふわふわしている感じで、言っている彼女自身がそうであることを納得していないような気さえする。
「はずって言われてもなぁ……まあいいけど。掃除人なら、登録証は?」
「あるわよ。ここに……」
そう言って彼女が自分の懐を探る。登録証があるなら間違いなく掃除人だろう。ランクも名前も記載されているから、見れば一発でわかる。
「……どうした?」
が、目の前の女性はなかなか登録証を見せようとしない。というか、さっきからポケットやら鞄やらをごそごそと探っている。これはもしや……
「……無いわ。見つからない」
「おぉぅ、そうなんだ……」
うーん。これはまた一気に胡散臭くなってきたねぇ……




