010
「あー……何て?」
ビィナ嬢の言葉は、勿論はっきり聞こえていた。聞こえていたが、それでも尚聞き返さずにはいられない。それくらいあり得ない……俺の中では、いっそ幻聴だったと言われた方が納得出来るくらいの言葉だったからだ。
「だから、私がボウヤの子供を産んであげましょうか? って話よ。まあ育てるとなれば私たちの実家に預けることになるから、ボウヤが出来るのはそこに通うくらいだけど……あ、それともいっそ実家に住む? そうすればママが絞ったボウヤの精気で自分の子供を育てられるわよ?」
「うぇ、ビー姉ちゃんマジですか? こんなヘニャチンと身内になるとか……てか、流石のママもドネット相手じゃ絞りようが無いんじゃないですか? いくら赤ちゃんだって、日に1発こっきりじゃ全然足りないですよ?」
「ああ、それもそうね。となるとやっぱり母親である私も精気集めに尽力すべきよね。町の男を何人か見繕って……」
「……待って。待ってくれ。思考が全く追いつかない。頼むから待ってくれ」
彼女たち姉妹と関わって、こうやって置いてけぼりをくらうのはもう何度目だろうか? いや、それが何十だろうと何百だろうと、今ほどの困惑を味わう事は無かっただろう。それほどまでに俺は混乱の極みにある。
「せめて……そう、順番に。順を追って説明してくれないか? まず、その……赤ちゃん? 俺の子供を産んでもいいって、そんな簡単な話じゃないだろ?」
「そう? それほど深刻な話でも無いんだけど……とはいえ、ボウヤのお願いってことなら、夜魔族の子作りのことから説明してあげるわね」
そう言って、ビィナ嬢が天使のような微笑みを浮かべる。それはとても魅力的だが、愛おしそうにお腹をさする仕草だけは何とか辞めていただきたい。そうなるに足る行為にまでは間違いなく及んでいないのに、何だか酷いプレッシャーを感じてならない。
「そもそも、夜魔族の子作りは人間のそれとは全く別物よ。貴方達が子作りとして行う行為は私たちにとっては食事であって、あれで妊娠することは絶対に無いの。何せそのための器官が体の中に存在しないのだから。妊娠しようが無いわ」
「へっ!? そうなの!?」
「そうですよ? だから私たちには生理が無いのです。危険日というドキドキシチュエーションも一緒に無いのが残念ですが、年中無休で生でヤリ放題なのです!」
間抜けな声を上げた俺に、何故かパレオの方がどや顔でそう解説した。この時小さな声でマリィちゃんが「羨ましい……」と呟いたのが聞こえたけど、そこは華麗にスルーする。
「じゃあどうやって妊娠するかって言うと、体内に蓄えた精気の量が一定を超えると、それを凝縮することで新しい夜魔族を誕生させることができるのよ。つまり夜魔族にとって、妊娠は不意に訪れるものじゃなく、明確に意識して狙って発現させる現象だってことね」
「そして精気は男だけじゃなく女だって持っています。つまり私がお姉様の赤ちゃんを産むことだってできるのです!」
「へぇ。つまり、他の奴の精気が混じる余地も無いほど猛烈に抱き続ければ、純粋に俺だけの精気で子供を作れる……つまり俺の子供になるってことか?」
「そうね。まあ正確には妊娠用に使う精気のみを溜めておく器官があるから、生命維持の方はその他の人に任せて子供の方にだけ精気を注ぐってことになると思うけど。それなら回数の出せないボウヤにもできるでしょ? 混ぜ物の方も人間相手になら影響はあるけど、精気として吸収して使うなら関係無い話だし」
「混ぜ物? 何の話ですか?」
「なるほど……で、その場合産まれてくる子供は人間と夜魔族のハーフとかになるのか?」
「いえ。純粋な夜魔族になるわ。というか、人間のこぼした精気を材料にしてるってだけで、人間としての要素は入っていないのだから夜魔族以外にはなりようがないじゃない」
「そうなのです! そんなことも気づかないとか、本当にドネットは頭までヘニャチンですね!」
「まあ、そうだな。しかしそうか……本当に夜魔族ってのは、人間とは『見た目が同じだけ』なんだな」
俺の言葉に、ビィナ嬢が少しだけ表情を曇らせる。
「そうです! 私たち夜魔族はお前達と違って選ばれた高貴な存在なのです。さあ崇め奉るです!」
「そうね。あらゆる種族を孕ませて同族を産ませるオークすら、生殖行為は人間と変わらない。そんなオークすら私たちを孕ませることは出来ないし、私たちもまた相手の『命の螺旋』を受け取って子を成すことはできない。
言葉を交わし、体を交わし、心を交わし……それでも決して交わらない。それが夜魔族という種族。半人半魔と言われる私たちの宿命なのよ」
「ビィナ……」
俺は思わず、ビィナの体を抱きしめた。昨夜彼女がしてくれたように、今度は俺が彼女の背中に腕を回す。大きな胸がひしゃげるほどに力を込めて抱き、その鼓動が……間違いなく俺たちと同じ命の脈動が俺の体に伝わってくる。
「うぅ、お姉様……ドネットの糞もビー姉ちゃんも私を無視するのです……」
「はいはい。わかったからちょっとこっちに来てなさい」
「ふふっ。そんなに深刻にならなくてもいいわ。要はそういうことだから、気に入った相手がいると意外と気軽に子供を作っちゃうっていう、それだけの話よ。勿論妊娠するために必要な量の精気を単独の相手から調達するには、ボウヤだとそうね……1年くらいは一緒にいて毎日絞らせて貰う必要があるけど」
「1年ねぇ……その後は?」
「出産は人間と変わらないけど、産まれた赤ちゃんには精気が必要だから、それを調達するために私はそれまで以上に色んな男と寝ないと駄目ね。でもその間は当然子供の面倒が見られないから、現実的には実家に帰ってママの協力を仰ぐことになるかしら? 子育て経験が無いボウヤが一人で面倒を見られるほど、赤ちゃんの世話は甘くないわ」
「そっか……」
ビィナ嬢は、随分と具体的な話をしてくれた。つまり本気で俺の子供を産んでもいいと思ってくれてるってことだ。俺が望んだ形とは大分違うけど、それでも一応俺の子供と言える存在。童貞を棄てるなんてどうでもいい目標の先にあった、俺の願いの結末のひとつ。それを今、目の前の女性が叶えてもいいと言ってくれている。
「ビィナ嬢が1年一緒にいて毎晩抱かせてくれる辺りとか、実に魅力的な提案だったけど……ごめんよ」
だからこそ、俺は断る。見栄を張った、格好をつけたと後に後悔することがあったとしても、今この提案を受けることはできない。
「……理由を聞いてもいいかしら? あ、一応言っておくけど、お金とか父親の義務とか、そういうのを気にしてるなら何の心配もいらないわよ?」
冗談めかして言うビィナ嬢に、俺は軽く笑ってそれを否定する。
「そんなことじゃないさ。そうじゃなくて……まあ、あれさ。今はまだ立ち止まれない、ってところかな?」
俺の視線の先には、いじけるパレオを適当な感じでなだめているマリィちゃんの姿がある。そう、俺は彼女との約束をまだ果たしていない。なのに今ここで立ち止まって、俺だけ夢を叶えるわけにはいかない。
「あらあら、これは本格的に振られちゃったかしら? これでもお誘いを断られたことなんて数えるほどしかなかったんだけど……残念だわ」
言葉とは裏腹に、ビィナ嬢は笑っている。だから俺も笑い返して、すっかり遅くなった……最早昼の方が近いくらいの時間だったが、ようやく俺たちは二人して朝食を食べ始めるのだった。




