008
俺とビィナ嬢が連れ立って俺の部屋に入る。流石に昼間の情事からは時間が経っているし、きちんと窓を開けて換気もしておいたので残り香のようなものは無い。隣の部屋はとんでもないことになっていそうだが、声はともかく流石に臭いまでは壁を越えて伝わっては来ないだろう。
先にビィナ嬢を部屋に入れてから俺は後ろ手に扉を閉め、俺自身はベッドに座って……だがビィナ嬢は、何故か椅子の方に腰掛けた。
「ねえボウヤ。する前にちょっと話をしない?」
「話? ああ、別に俺は構わないけど」
ビィナの様子は、行為の前の前哨戦としてのトークを求めているという感じじゃない。自分から誘っておいてそんなことを切り出すということは、つまり俺と二人だけで話したいことがあったってことだろう。なら断る理由は無い。
「昼間。私がボウヤの出したのを飲んだのは覚えてる?」
「あ、ああ。覚えてるけど……?」
「あれね。実は……凄く不味かったの」
「それは……申し訳ない……かな?」
そんなことを告白されても、どう答えていいかすら良くわからない。やむなく曖昧にそう謝る俺に、だがビィナ嬢が静かに首を横に振る。
「そうじゃないの。夜魔族にとって、アレは生命維持に絶対必要なものを、最も効率よく摂取出来る体液なの。だから個人によって甘かったり苦かったり、塊みたいに粘ついたり水みたいに薄かったりの違いはあっても、それを不味いと感じるなんてことはあり得ないのよ」
ビィナ嬢が続ける。「それは人間が水を不味いと思うようなものだ」と。確かに人間にとって必要不可欠な水が不味かったら、俺たちは随分と生きづらいだろう。水分摂取は必要不可欠なのにその都度不味いものを無理矢理飲み干すとなれば、その苦痛は計り知れない。
「だから私はあの時ずっと調べていたの。口の中で舌で転がし、飲み込んだ後は体内で反応を調べた。勿論魔法を使ってね。知ってるかしら? 夜魔族は質のいい体液を出す人を見分けるために、ソレ専用の分析魔法があるのよ?」
「へぇ。そうなんだ。それは凄いね」
俺は単純に感心する。人間の価値観で考えるから異質に見えるが、それは俺たちに当てはめるなら水や食料の鮮度やら栄養素やらを調べる魔法ってことだ。それなら納得がいくし、その有用性は考えるまでも無い。が、今はそんなことはどうでもいい。続きの言葉が何よりも気になる。
「そして、わかったの。ボウヤの体液……変な物が混じってるわよ? 知ってたかしら?」
「いや、それは……」
心当たりは、ある。俺の体に俺の体では無いものが混じってることは、もうずっと前から知っている。だからこそ俺は抵抗を続けてきたんだ。まさか夜魔族の魔法でそれを見分けられるとは思わなかったけど……でも、流石にその詳細まではわからないはず。そうであるなら、俺もまたそれを話すつもりはない。
知られたくない。他の誰にも。
「……ふぅ。いいわ。じゃあ順を追って話しましょうか」
表情を硬くした俺にビィナ嬢が小さくため息をついて、話を仕切り直した。でも、順を追って? 何を――
「マリィから聞いたんだけど、ボウヤって未だに童貞なのよね?」
「うぐっ!? それは、まあ、そうだけど……?」
いきなり致命傷を与えられて、俺は思わず表情を崩す。だがビィナの顔は俺をいじめて楽しんでいるという感じじゃない。あくまで真剣に……俺を見つめている。
「それっておかしいわよね? だって、今まで散々娼婦を買ったりしてきてるんでしょう? なのに何故まだ童貞なの?」
「いや、それはだから、いつも前技で暴発しちゃってるって言うか……」
「嘘ね」
俺の言い訳を、ビィナ嬢がバッサリ切り捨てる。
「最初の1回や2回ならわかるけど、何十回も同じ事を繰り返すの? そこまでして前技に拘る理由は何? 唾でもつけて突っ込めば、それだけで童貞卒業できるじゃない。なのに何故ボウヤはそれをしなかったの?」
「いや、だから、それは……流れを大切にしたいというか、ほら、俺っていい男だから、女性を優しくリードする義務が……」
上滑りする俺の言葉に、ビィナの視線は揺るがない。俺の軽口にただ首を横に振り続けるだけだ。
「違うわ。そうじゃない。ボウヤがそこで踏みとどまっていたのは、それ以上進んでしまったら相手を確実に孕ませるからよ」
その言葉に、俺の口が凍り付く。どんな軽口も言い訳も、もう俺の口から滑り出しては来ない。
「今のご時世回復魔法を使えば、堕胎による体の負担は大したことないわ。お金はかかるけど一度妊娠してしまえばしばらくは絶対妊娠しないのだから、よっぽど運が悪くなければ収支がマイナスになることはない。
でも、自分の子供を殺すという事実を重く捉える人だって沢山いる。悩んで苦しんで、心を壊してしまう子だって珍しくないわ。だけど、それはあくまで女性の話。男にとってはそれが自分の種かどうかなんて知る方法は無いんだから、お気に入りの娼婦の堕胎に心を痛める人なんて滅多にいないわ。
でも……でもそれが、確実に自分の子供だとわかるなら? 抱いた女性の数だけ命を産み出し、そのほとんどが無為に殺され、稀に産まれた子供だって辛く苦しい人生を自分の知らないところで送るなら? そう考えたら……とても本番なんてできなくても仕方ないわよね?」
顔を下に向け、拳を握りしめる。だがそれでも、俺に突き刺さってくるビィナ嬢の視線から逃げることは出来ない。
「ここからは推測だけど……ボウヤが暴発すると変な性格になるのは、ボウヤの体液にその混ぜ物を補充する時間が必要だからじゃない? 混ざっていない状態でそういう行為に及ばないように、わかりやすく体が警告してる……だから精神的にも落ち込むし、肉体的にも夜魔族の魔法ですら復活しないようになってる。
だからボウヤは探してる。その状態で自分を奮い立たせてくれる相手や方法を。
混ぜ物の無い状態で、本当の自分の子供を宿してくれる相手を……違うかしら?」
「…………まいったな」
長い長い沈黙の末、俺はようやくそれだけ口にした。誰にも……マリィちゃんにだって言えなかったことを、こうも完璧に言い当てられるとは思わなかった。ここまで言われたら……認めるしか無い。
「夜魔族ってのは凄いんだな。いや、それともビィナ嬢が凄いのか? パレオは何とも言わなかったんだけど……」
「あの子は、まあ、あんな子だから……」
「あー、まあなぁ」
眉根を寄せて言うビィナ嬢に、俺も思わず苦笑い。
「悪い子じゃないのよ? あれで意外と面倒見が良かったり家族思いだったりするのよ。それにあの明るい性格は、夜魔族にとって救いだわ。体を重ねることを軽く純粋に楽しめるのは、夜魔族にとって理想だもの」
「そっか。まあ確かに幸せそうだしな。ちょっと意地悪な姉に苦労してるようだけど」
「あら、酷い。そんなこと言うボウヤには、私もお仕置きしちゃおうかしら」
ビィナ嬢が椅子から立ち上がり、俺の方へと歩いてきてそっと唇を重ねてくる。俺はそのまま彼女の背中に腕を回し、引き倒すようにベッドに寝かせた。
「……解決出来る宛てはあるの?」
「いや。全く。でも……諦めるなんてできないからね。俺はほら、いい男だから」
いい男は女性に対する引き際は弁えていても、自分に対する怯懦は持ってない。だから俺はまだ諦めていない。諦めて足を止めるなんて、できるわけがない。人として生き、人として死ぬ。一番大切なその当たり前を、俺は相棒の中に置き去りにするつもりはない。最後の最後の最後まで、抗ってみせる。
「そう。いい子ねボウヤ……いえ、いい男よ、ドネット。ならせめて、一夜限りの安らぎを貴方に……いらっしゃい。私が全て受け止めてあげるわ」
その夜、俺は最後までビィナ嬢に抱きしめられていた。勿論いつも通りに暴発はさせていたが……どん底に落ち込んで尚俺を優しく包み込む温もりに、いつもなら独り起きたまま過ごしていた夜が、初めて安らかな眠りで幕を閉じた。




