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硝煙の幻想郷《ファンタジア》  作者: 日之浦 拓
第五章 悪魔の憂鬱

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001

 動乱の日々から早幾年……とまでは言わないが、ジェシカとの一騒動が片付いてから数週間。今俺は昼間から一人で酒を飲んでいる。勿論、マリィちゃんに棄てられたとかそういうことじゃない。単純に仕事の合間の休養日ってだけだ。

 掃除人に休みなんてものは無い。稼げるときに稼ぎ、働けるときに働けるだけ働いておく。怪我で、事件で、病気で、加齢で。自分や他人や偉い人の思惑ひとつでも、俺たちはいつ身動きが取れなくなるからわからないからだ。


 だが、物事にはいつだってリズムがある。ぽっかりと良い具合の依頼が途切れる日は往々にしてあるわけで、そういうときはこうして各々が自由に休みを取ることにしている。張り詰めているだけの糸は脆すぎるし、そももそ生きるとは楽しむことだ。働くために生きているなんて本末転倒なことは誰だってしたくない。


 ここは依頼の途中で立ち寄っただけの町だ。店も人も何もかもが見ず知らずで、ありきたりな景色すら新鮮味を持って受け入れられる。ふと目に入った良さそうな店に立ち寄ると、俺は一人カウンターに席を取り、グラスを傾け中の琥珀を喉に流し込んでいた。


「隣、いいかしら?」


 背後から、女性の声が聞こえる。もし俺がガキの頃だったら、鼻息荒く振り返って「どーぞどーぞ」なんて進めていたかも知れない。だが、今の俺はいい男だ。焦らず騒がず、ただグラスを持った右手を空いた席の上にやって揺する。氷と硝子の奏でるカラカラという音を了承と取ったのか、俺の隣に一人の女性が腰を下ろした。


「マスター。私にも彼と同じ物を」


 何とも言えず甘ったるい声が俺の耳朶をくすぐる。もう少し深みのある声なら随分と蠱惑的に感じられると思うんだが、いかんせん声が若すぎる。素敵なレディからのお誘いかと思ったが、背伸びをしたいお嬢さんだったのかも知れない。なら、それなりの対応をした方がいいだろう。


「お嬢さん。こいつは大分強い酒だが、大丈夫かい?」


 初めて女性の方に顔を向けた。亜麻色の長い髪に、薄く青みがかった大きな目。淡いピンク色の唇も合わさって、美しいというよりは可愛らしいという印象だ。にも関わらず着ているのは、ボディラインがくっきり解る肌に吸い付くような黒い服。スカートは太もものかなりきわどいところまで短く、胸の部分は大きな切れ込みが入っていて、なかなかのボリュームを誇るであろう双丘の谷間を露骨に強調している。


 俺の言葉に、彼女はニコリと笑みを返す。足を組み替え視線を誘い、出されたグラスに口を付け、ゆっくりと傾けた。唇の端から一筋の滴がこぼれ、細い喉がコクリと酒を飲み込んで……


「げっふぉっ! げふっ! ぐぅぅ……」


 思いっきりむせた。


「お、おいお嬢さん? 本当に大丈夫か?」


 思わず素にかえって背中を撫でてやると、彼女はそんな俺の手を取り、潤んだ瞳で俺を見つめて……


「私、酔っちゃったみたい。何処か休める所に行きたいな……」


「……あー、そうだな。なら早く家に帰った方がいいぞ? あ、それとも宿か? 一人で大変そうなら、警備の役人でも呼ぼうか?」


 これは関わったら駄目な女だ。どう考えてもまともじゃない。良くて美人局、下手をしたら犯罪か何かに無理矢理巻き込まれる可能性すらある。俺はいい男ではあるが、だからといって無条件に全てのお誘いを受けるわけじゃない。あるいは彼女が妖艶な大人の美女で、もうちょっとやり方を考えてくれれば危険を承知で乗ることもあったかも知れないが、この子と火遊びをしたいとはちょっと思えない。


「あの、そういうのじゃなくて、ほら、私酔っ払っちゃったなー! これはもう、お持ち帰りされても文句は言えないなー」


「そうだな。だから大丈夫なうちに早く帰りなさい。まだまだ日は高いんだし、暗くなると危ないぞ?」


 両腕をパタパタと動かす女性に、俺はなだめるようにそう答える。だが、彼女の攻勢は留まることを知らない。席を立つと俺に向かって詰め寄ってくる。


「ちがいますー! そういう心配をされたいんじゃないんですー! 何ですか!? 私の何がいけないって言うんですかー!?」


「何がって、そりゃ……タイミング? いや、出会い方の問題? あー、まあ、とにかく俺はもう行くから」


 マスターにコインを投げて、俺は足早にその場を立ち去ろうとする。が、彼女は俺の腕を掴み、ガッチリとホールドして放さない。


「待って下さいー! 何で私じゃ駄目なんですか!? ほら、おっぱいだって結構あるんですよ!? ほらほら!」


「ちょ、待て、抱きつくな!」


「お客さん……痴話喧嘩はよそでやって下さいよ……」


「いや、違うよ? そう言うんじゃないって。ほら放せ!」


「いーやーでーすー! 私とえっちしてくれるまで放しません-!」


「お客さん……」


「だから違うって! 何だこの状況!?」


 ジト目のマスターと、俺にすがりついて泣き出した女性、数少ないとはいえその場に居合わせた他の客からの好奇と嫉妬に満ちた視線……本当に、何で俺はこんなことになってるんだろうか?


「……何やってるの?」


 そんな俺の耳に、初めて聞き覚えのある声が聞こえる。視線を向ければ、店の入り口に立ってゴミを見る目で俺を見つめているマリィちゃんの姿が!


「た、助けてマリィちゃん!」


「助けてって……私に何をどうしろと?」


「あー! 何ですかその女! はっ!? ひょっとしてお兄さんはああいうペッタンコな人が好きなんですか!? だから私じゃ駄目なんですか!? 酷いです! そんなの酷すぎます!」


「……そう。助けるって言うのは、その女の無駄な脂肪を削ぎ落とせばいいのね? 武装具現化(マテリアライズ) ばく……」


「待って待って待って! それはやり過ぎだから! ほら、そんなもの無くたってマリィちゃんは十分魅力的だし!」


「そんなこと無いですー! おっぱいは怖くないですよ? 柔らかくて優しい物なんです! だから是非とも私とえっちして、その素晴らしさを堪能するべきなんですー!」


「いや、だから胸の大きさの問題とかじゃなく……」


「お客さん! これ以上騒ぐなら詰め所の役人を呼びますよ?」


「……すいません。ホントすいませんでした……」


 マスターの本気の怒りを感じ取って、俺はひたすら謝り倒してからそそくさと店を後にした。俺の隣にはマリィちゃんもいて、何となく流れで二人並んで歩いて行く。だが、問題はそこじゃない。俺の隣に並んでいる未だに俺の腕を放さない彼女の存在が、俺の頭痛を加速度的に悪化させる。


「で、結局その子は何なわけ?」


「いや、俺もわかんない……」


 苛立たしげな口調で問うマリィちゃんに、俺も首を横に振ることしかできない。何せ完全に初対面なわけで、行動の意図どころか名前すら知らない。


「わかんないって……あら?」


 不意に、マリィちゃんが彼女のことをじっと見つめる。小柄なマリィちゃんがそれをやると、普通の女性と変わらない身長の彼女からしたら下から見上げられる形になり、もし二人の立場が逆であったら、マリィちゃんなら喜んで彼女を「お持ち帰り」しそうではあるが……


「え、貴方ひょっとして夜魔族サキュバス?」


 マリィちゃんの口から飛び出したその言葉に、俺も彼女もその場で動きを止めることとなった。

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