013
「ジョ、ジョシュア氏、こちらの方は?」
流石に予想しきれなかった展開に、俺はしどろもどろになりながらも何とかそれだけ口にする。
「いやぁ、こちらのジェシカ嬢は、僕の研究に興味を持ってくれたということで、資金提供を名乗り出てくれたんです。研究というのはいつだってお金がかかります。せっかく素晴らしい研究材料が手元に来たのに、遺失技術研究会から降りてくる予算だけではどうにも心許なかったところなので、まさに渡りに船というやつですよ! いやぁ、僕は本当に運が良い」
「そ、そうですか。それは確かに僥倖ですね」
「いやぁ、ええ全くです。僕の日頃の行いの賜物でしょうね!」
ぼさぼさ頭をガリガリと掻きながら笑うジョシュア氏に、俺は最早返す言葉も無い。ちなみにマリィちゃんはいつものすまし顔だ。正確には驚きすぎてそれ以外の表情を取れないからこそのすまし顔なんだろうけど。
「博士。それよりも早く新しい研究の内容を教えて下さいませ。それによって提供する研究資金の金額も検討しなければなりませんもの」
「いやぁ、博士だなんてそんな、僕はまだ全然……ああ、研究の方ですね。あ、せっかくだからドネットさんたちも一緒にどうです?」
「それは俺たちが見ても平気なものなんですか?」
「いやぁ、全く問題有りませんよ。これを見たからってどうにか出来るものでもないですし、逆に見て貰うことで得られるものもありますから」
「そうですか? ならまあ、お言葉に甘えて。マリィちゃんも見るよね?」
振り返って声をかけると、マリィちゃんの目が3回ほどぱちくりして、意識がここに戻ってくる。
「え? ええ、見るわよ。そうね、見た方がいいわね」
……まだ戻りきってない感じだけど、まあ平気だろう。俺はジョシュア氏の方に向き直ると、その手には俺が運んできたブローチ、その中身であった茶色い小箱が乗せられていた。付いていた錠前は既に外されているのか見当たらない。つまり、中身は既に確認済みってことだ。
「いやぁ、ではこちらをご覧下さい」
そう言ってジョシュア氏が箱の蓋を開けると、中に入っていたのは大量の緩衝剤の中に埋もれた硝子の小瓶。さらにその中には、小さな四角い紙切れのようなものが入っていた。
「……紙?」
「いやぁ、違いますよ。これは人間の皮膚です」
誰かの漏らした呟きにジョシュア氏が反論し、驚く俺たちをよそに小瓶を持って研究机の方へと歩く。付いていった俺たちの前で瓶の中から慎重にそれを取り出すと、机の上に皮膚片を置き、横にあった刃物でスッパリとそれを切る。
「良く見てください……わかりますか?」
言われるまでも無く見つめていたが、言われたことでさらに注意深くそれを見つめる。すると3分の1程の大きさになった方は何の変化も無いのに対し、3分の2ほどの大きさの方は、ゆっくりと、だが目で見て確認出来る程の速度で復元していくのがわかる。
「これは……!?」
「これがこの皮膚片の秘密です。切っても焼いても溶かしても、どんな手段で傷つけても必ず元の大きさに復元し、そしてそれ以上にはなりません。また再生能力を持つのは常に一片のみで、切り分けて増えたりすることもありません。例えば今再生しているこの皮膚片を細かくみじん切りにしたとしても再生するのはそのうちの一片のみで、それ以外は何の変哲も無い普通の人間の皮膚になります」
「それは持続再生型の回復魔法がかかっているのとは違うのかしら?」
マリィちゃんの疑問に、ジョシュア氏は首を横に振る。
「魔術による回復魔法は元々の体にある回復能力を活性化させるもので、要は人が持っている自然治癒力を早回しして治していると言えます。でも、これには魔術の反応が一切無いので、まず魔法じゃありません。しかも、この皮膚片を研究した他の研究員のレポートからすると、どうやらこれは目に見えないほど小さな何かが、極小の新しい皮膚片を次々と作り出してはくっつけることで再生しているようなのです。これは再生というより修理に近い。故にこれは、技術によって人体を直すための何らかの手段なのではないかと言われているんです」
俺の心臓がドクンと跳ねる。その現象に心当たりが……いや、自らを誤魔化さずに言うなら、正解を知っている。勿論、原理がどうだとかの技術的なことは何も解らない。だが、そう言う現象を起こす存在のことを俺は誰よりも身にしみて解っている。
だが、ジェーンすらいるこの状況で動揺を表情に出すことはできない。俺はあえて視界をぼやかし、意識的に彼の会話を聞き流すようにする。これなら一見真剣に聞いているように見えるだろうし、後で何か言われたら「難しくてわからなかったのでぼーっとしてた」と言い訳も出来る。
その後もしばらくジョシュア氏の説明は続いた。幸いにしてジェーンはそれを真剣な表情で聞いていたので俺には目もくれなかったし、マリィちゃんは一瞬いぶかしげな表情を浮かべたけど、その後は普通にジョシュア氏の話を聞いていた。そして当のジョシュア氏は自分の話を真剣に聞いてくれるのが嬉しいのか、終始上機嫌で説明を続けていた。その結果、30分ほどで、ジョシュア氏の講演会は終了した。これが長々と語っていただけなのか実のある話だったのかは意図的に聞いていなかった俺には判断しようが無いが、ジェーンが満足そうな顔で笑っていたので、おそらくは実のある話の方だったのだろう。とにかく一区切りついたと判断し、俺は自ら言葉を切り出す。
「さて、それじゃ面白くてためになる話も聞けたし、俺たちはそろそろ帰ろうか?」
「……そうね。あまり長いするのも研究の邪魔になるでしょうしね」
やや唐突ではあったが、俺の言葉にマリィちゃんも合わせてくれる。こういう時に何も言わずとも察してくれるのは、本当にありがたい。とにかく一瞬でも早くここから出たくて、俺はそそくさと扉へと向かい――
「あーら、ちょっとお待ちくださる?」
呼び止められれば、振り向かざるを得ない。もっと広い場所なら聞こえなかったふりをしてそのまま帰る、というのもできただろうが、流石にこんな狭い部屋では不自然過ぎる。何より相手が相手なのだから尚更だ。
「何かご用ですか? ジェ……シカ嬢?」
頭が未だ冷静さを取り戻し切れていない。思わずジェーンと呼びそうになった俺を、彼女は楽しそうな笑みを浮かべて見つめている。
「貴方たち、掃除人なんでしょう? 私、貴方たちのような方のお話にとっても興味がありますの。良ければ是非お話を聞かせてくれませんこと?」
「あら、私たちの話なんてお嬢様が聞くようなものじゃないわよ? お伽噺と違って、実際の掃除人は血なまぐさいことばかりですもの」
俺の代わりに、すかさずマリィちゃんが答えを返してくれる。だがそれでもジェーンの笑顔が消えることはない。
「そんなことありませんわ。貴方達お二人のお話は、とっても楽しそう。それに……貴方達にとっても、後でお話するよりも、今の方が都合が宜しいんじゃなくて?」
それはつまり、今逃げても後でまたやってくるってことだ。そんな脅し方をされたら、ここで逃げる選択肢は選べない。「いつか」なんて曖昧な表現でジェーンとの再会を予定させられたら、ストレスで頭が禿げそうだ。いい男ならスキンヘッドも様になるけど、俺はまだ頭髪と決別するつもりはない。
「わかりました。ご期待に添えるかわかりませんが、俺たちの話をお聞かせします」
心配そうな顔をしているマリィちゃんにちらりと視線だけ送ってから、俺たちは3人連れだって研究所の敷地を後にした。その後はジェーンに先導され、表通りにある比較的大きな、かつ高級そうな食堂へと辿り着くと、そこの個室に通されて3人で丸いテーブルを囲む。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……少なくとも稲妻が飛んでこないことを祈るばかりだ。




