012
「で、どうするの? 家に帰りたかったのなら、すぐに自殺でもするのかしら?」
「女神の事情などどうでもいい」と完全に切って捨てたマリィちゃんの発言に、女神の表情が愕然となる。正直素になった女神に関しては割と親近感を覚えたりもするが、アフターフォローがあったとは言え無理矢理呼ばれたタカシにとっては許すどころか配慮する理由すら欠片も無いし、単に女神が忙しいだけだということなら、俺たちにだってタカシを引き留める理由は無い。
「うーん……あ、いや、その前にひとつだけ聞きたい」
真剣に悩んでいたタカシが、不意に顔を上げて女神に向き直る。
「町が魔物に襲撃されたこと……これは女神様がやったのか? オレを成長させるために、この町は犠牲になったのか?」
真剣なタカシの問いに、女神はゆっくり首を振る。
「違うわ。アタシは起こることの時期を調節してるだけで、起こらないことを起こすことも、起きることを起こらなくすることもできない。貴方が成長できるように時期を調節したけれど、例え貴方がいなくても、この町はいずれ襲われたわ。
だからタカシ。貴方が気に病むことは何一つありません。この町が魔物に襲われる運命を変えることはアタシにだってできないけれど、貴方が……貴方たちがこの場に居合わせたことで、犠牲になる命は確実に減ったわ。守れなかった命を嘆くのではなく、守れた命を誇りに思いなさい。『勇者』タカシ。貴方は間違いなく勇者だったわ」
「……そっか」
厳かに、優しく微笑んだ女神を前に、タカシはスッキリした顔でそう呟き、俺たちの方に向き直る。
「アニキ、マリィさん。決めたよ……オレ、もう少しこの世界に残る。もう少しだけここで頑張って、オレが出来るだけ、人を助けてみるよ」
「いいの? 家に帰らなくても」
マリィちゃんの問いかけに、タカシは笑顔で首を振る。
「いいんだ。帰ろうと思えばいつでも帰れるってわかったし、それにこっちなら、オレは普通の高校生ってわけじゃないからさ。『勇者』として呼ばれたなら、『勇者』として人を助けてから帰りたい。魔王に関しては……まあ、機会があったら、くらいだけど。
だからさ、女神様……オレにある加護を、外してくれないか」
柔らかく笑って言うタカシに、女神はやれやれと首を振り、肩をすくめて答える。
「……はぁ。結局こうなるのね。何で運命の女神の加護を受ける人は、みんなそれを蹴っ飛ばすのかしら……まあいいわ。ハイ」
そう言って女神が指を振ると、タカシの体から光の粒がふわりと浮き上がり、空中で霧散する。
「これでアタシの加護は消えたわ。でも、気をつけなさい? アタシの加護が無くなったってことは、これから先、どうでもいいことでも普通に死ぬってことだから。問題に直面しても都合良く解決法が出てきたりしないし、必要な物があっても都合良く所有者と知り合ったり出来ないし、何より……困ってる人がいたとして、都合良くその人を助けられるタイミングで出会えたりはしないわよ。
死を恐れなさい。己の限界を知りなさい。現実を受け入れなさい。諦めを寛容しなさい。貴方はもう『勇者』ではない。ただのC級掃除人、タカシよ」
「ありがとう。女神様。それじゃ、オレたち……」
「あーはいはい。さっさと行きなさい。まったく、もうちょっとくらい神様の意思を尊重しなさいよね……ブツブツ」
俺たちは女神に背を向け、歩き出す。部屋を出るその瞬間、シッシッと手を振っていた女神の指先からほんの小さな光の欠片が飛び出して、タカシの背中にスッと吸い込まれたのを視界の端で捕らえたが……これは言わぬが花だろう。神様らしく自分勝手で傲慢だが、きっとあの女神は悪い奴じゃないからな。
「ふふっ。神様と言っても、やっぱり女の子なのかしら?」
「さぁねぇ。ま、いいんじゃない? いざって時に暴走気味のタカシには、このくらいがちょうどいいでしょ」
俺と同じく気づいていたマリィちゃんとそんな会話を交わしながら俺たちが地下室から外に出ると、空はもう茜色に染まり始めている。思ったよりもだいぶ長い時間話し込んでいたようだ。あるいは、時間経過をいじられたりしたんだろうか? 相手が神様となると何をされても不思議じゃないが……ここに探索に来た目的は達成できているので、別にこのまま帰還でも問題ない。
「さて、それじゃどうするか。北の方なら一晩過ごせる建物くらいいくらでもあるだろうけど、もうここですることも無さそうだし、避難場所に戻って報告するか?」
「そうね。今から戻れば、日が落ちるギリギリくらいまでにはたどり着けるだろうし、いいんじゃない?」
「了解。じゃ、戻ろっか……って、タカシ?」
歩き出す俺たちに対して、タカシがその場で動かない。下を向いたまま数秒立ち尽くし、上げた顔には、決意が見える。
「あの、アニキ……オレ、ここで別れようと思うんだ」
「それは、臨時パーティを解散して、ソロで活動再開するってことか?」
「うん。オレ、アニキもマリィさんも凄い尊敬してるし、凄く良くしてくれたのわかってるけど……だからこそ、このまま一緒にいたら、きっと甘えちゃいそうだから。だから、オレ、一人で……」
「そっか。じゃ、行くぞ」
「アニキ!? オレは!」
背を向けて手を振り歩き出す俺に、なおもタカシが食い下がってくる。その姿を見て、マリィちゃんが苦笑い。
「あのねタカシ。私たちは3人で『この町の調査』の依頼を受けてるの。だから、貴方が一人で旅を続けるにしても、一度避難場所に戻って調査報告をする必要があるの。わかる?」
「あっ!? ……ハイ、ワカリマス……」
顔を真っ赤にしたタカシが、小走りで俺の横までやってきた。「しまらねぇなぁ」とこぼすタカシの背を、俺はばしっと叩いてやる。
「まあ、若いうちはそんなもんだ。頑張れ青年。『勇者』だろ?」
「いや、オレもう勇者じゃないですよ?」
「馬鹿言え。自分で名乗ったんだから、恥ずかしかろうと分不相応だろうと最後まで名乗り続けろ。人助け、するんだろ?」
「アニキ……」
「運命なんて訳のわからないもんに翻弄されるんじゃなく、自分の意思でそれを選んだんだ。女神も言ってたろ? この町を助けたいと思って動いたお前は、間違いなく『勇者』だった。あとは結果しか見ない奴らを黙らせられるくらい、実力をつけるだけだ。応援してるぜ? 『勇者』タカシ」
「アニキ……はい! オレ、頑張ります!」
押しつけられた『勇者』の男が、自ら選んで『勇者』になった。世間がそれを認めるかはわからないが、世界はそれを祝福しているだろう。道が見えなくなった代わりに、未知が世界に溢れ出す。そんな彼の名が世界にとどろくかは、今はまだ、女神すら知る由の無いことであった……




