010
「こりゃまた、酷いな……」
ヴォルガノエイプの襲撃から3日後。俺たちは、荒れ果てた町に戻ってきていた。
周囲には、未だ人影は無い。とはいえ、これは当然だ。中途半端な実力の奴らが戻って、もし町にまだヴォルガノエイプが残っていたら、自分たちが餌になってしまう。餌が残っているとなれば猿共が町に滞在する期間が延びてしまうので、万一敵に遭遇した際に「殲滅」できることが、町の状況を調べるための最低条件だからだ。このさい「撤退」じゃないのは、下手に逃げて避難場所まで魔物を引っ張ってきてしまったら、さらに被害が拡大する可能性が高いからだな。
「生き残りは……いないわよね……」
マリィちゃんの呟きに、答える者はいない。生き残り……餌がいるかぎり、ヴォルガノエイプが撤退することはない。そして、今この町に、ヴォルガノエイプは1匹も見当たらない。つまりは、そういうことだ。
「タカシ、大丈夫か?」
「うぅ……ああ、うん。大丈夫……うぉぉ……」
青白い顔で、タカシが口を押さえてうめいている。多くの建物が焼け落ち、あるいは崩れ落ちているが、それでもなお、この場所には死が……血と肉の匂いが満ちていた。大食らいの猿共のおかげで、形がわかる肉片は落ちていない。だが、大地に染み込んだ大量の血と、踏みにじられた肉の破片はそこかしこに溢れており、戦場に慣れた者であっても、決して気分の良い場所とは言えないだろう。おそらくこういう場所が初めてであろうタカシが3度吐いてなお付いてこられているのは、むしろ賞賛に値する。
「それなりに大規模の魔物討伐とかも参加したことあるから、もうちょっと平気かと思ったんだけど……ちょっと現実を舐めてたよ……」
瞳を閉じて天を仰ぎ、呼吸を整えたタカシが、おどけるように言う。気持ちを強くもつのは、精神を安定させるには有効だ。それを不謹慎なんて罵る馬鹿は、当然ここには一人もいない。
「それにしても……この辺は酷いもんなのに、通り一本挟むと、かなり被害が違うんだな」
そう言うタカシの視線の先には、比較的無事な建物が並んでいる。実際、町の被害は南側に集中しており、北側の方はそれほどでも無い。勿論、町の4割近くが壊滅状態になるくらいだから、全くの無傷というものはほぼ無いが、それでも多少補修すればすぐに人が住める状態の建物と、瓦礫と呼ぶしか無い黒い塊では雲泥の差だ。
「北の方は役場とか商会とか、金持ちが住んでたからな。建造物そのものが堅牢だし、防衛戦力もあった状態で、ヤバイと思ったらさっさと金目の物を持って逃げたんだろ。餌がいなくなりゃ、ヴォルガノエイプが積極的に暴れることは無いしな」
「じゃあ、南の方は……まあ、予想はつくけど」
「そうだな。スラム街だ。ちょっと叩くだけで建物が壊れて、中からは無抵抗と変わらない人間がわさわさ出てくる。守ろうとする厄介な奴もいないとなれば、猿共には理想的な餌場だったろうな」
俺の物言いに、タカシの拳が硬く握られ……だが、すぐに力を抜く。そういうクソみたいな割り切りをしなければ、全てを背負うことになる。それはいずれ『勇者』になる男には必要かも知れないが、今『勇者』ではないタカシに背負わせるには、ちょっと重すぎる。少しくらい肩代わりしてやったって、罰は当たらないだろう。
「おーい! 誰かいないのかー!?」
まるで気分を変えるように、不意にタカシが大声で呼びかける。
「いや、流石にこの状況で生き残りはいないだろ……」
「そうかな? 俺の知ってる展開だと、こういう時は地下の隠し部屋みたいなのに生き残りがいて、そこからイベントが発生したりするんだけど……」
「ヴォルガノエイプの嗅覚を欺けるほどの隠し部屋があって、そこに数日分の水や食料が備蓄されてて、この瞬間までたまたま誰にも発見されず、私たちの声を聞いて出てくる可能性……まあ、常識で語るのはもう諦めたしね。探してみる?」
苦笑するマリィちゃんに俺も肩をすくめて答え、タカシに付き合って声を上げながら、その辺の瓦礫を適当にどかしてみる。と言っても、あるのはせいぜい血にまみれた屑銭やら、猿が人間と間違えて囓ったであろう半分になった人形やらの、ガラクタばっかりだが……
「お、なんだコレ。おーい! 二人とも!」
タカシに呼ばれて、俺たちはそっちに歩いて行く。指摘された場所にあるのは――
「扉、ねぇ」
床の上に、蝶番の付いた扉があった。周囲の残骸からして、おそらくは教会だった場所だろう。ちなみに、正規の教会はちゃんと町の方に形が残っているので、こちらは打ち捨てられたというか、放置された教会であった可能性が高い。
「うぉぉ! 忘れられた教会に、謎の地下室! これはもうイベントしかあり得ないだろ!」
興奮気味のタカシをなだめ、扉を開けて地下へと降りる。遺跡の調査の時の嫌な思い出が蘇り、また面倒なことになるのか……と思ったが、今回は変な仕掛けも無く、普通に階段を降りるだけだった。目の前の扉を開け――何故かタカシにしか開けられなかった――中に入ると、特になんて事の無い、実に教会っぽい作りの部屋の中心に、見たことの無い女神像が立っている。その両手が胸の前で何かを抱え込むように交差しており、その中心には何かはまりそうな……
「ああ、ここでコレを使うのか。よっと」
一切の躊躇無く、タカシが遺跡の最奥で拾ってきた虹色の四角い奴をそこにはめ込むと、女神像からぶれるように人影が浮かび上がり、俺たちを見下ろす位置まで上昇すると、その口を開いた。
「世界を救う勇者とその一行達よ……貴方たちが『真の勇者』であるなら、町を救ってこの場所を教えられたことでしょう。もし力及ばず瓦礫の下から見つけたとしても、嘆くことはありません。これより先、貴方たちが力をつけていけば、いずれ必ず『真の勇者』に……」
その辺りで俺は完全に興味を失って、女神っぽい何かから視線を外した。その後もそいつからは、どうでもいい……本当にどうでもいい、世界がどうだの神がどうだのという話が語られていたが、俺は本気で興味が無い。タカシは真剣に聞いているようだし、マリィちゃんも一応聞いているっぽい……いや、あれは聞き流してる顔だな。一見真面目そうなのに、意識が全く女神に向いてない。永遠と自慢話ばっかりする貴族を相手にするときに、今晩何を食べようかとか考えてる時の顔だ。
とりあえず、俺も一応空気を読んでおとなしくしておく。タカシがいないなら無視して出て行っちゃっても良かったんだが、俺たちが退室したせいでタカシが話を聞けないのは可哀相だからな。俺はあくびをかみ殺しつつ、リューちゃんへのお土産を何にしようかとか、次はいつ頃サンティとクソ親父に会いに行こうかとかを考えていて……
「この世界のために、戦っていただけますか?」
「…………」
「この世界のために、戦っていただけますか?」
「…………」
「あ、あの、アニキ?」
「んぁ? ああ、終わった?」
「いえ、そうじゃなくて、その、女神様が聞いてるっていうか」
「女神様の話? ああ、聞いてた聞いてた。すげー聞いてたよ」
隠すつもりも無い圧倒的に適当な俺の言葉に、タカシが困った顔をする。
「いや、そうじゃなくて……」
「この世界のために、戦っていただけますか?」
「あー? ああ、ああ! そういうことね。うん、わかったわかった」
納得して頷いた俺を見て、浮かんでる女神がちょっとだけホッとしたような気がした。
「では、改めて……この世界のために、戦っていただけますか?」
「ああ、勿論、お断りだ」
ニカッと笑って会心のナイスガイスマイルを浮かべた俺に、何故か女神が驚愕の表情を浮かべていた。




