006
「ふぅ……こりゃ参ったね……」
あれだけ威勢良く啖呵を切ったというのに、俺は今壁を背に床に座り込んでいた。もしこの場に他のみんながいたら……うぅ、考えるだけで恐ろしい。だがまあ、現実として居ないのだから問題無い。いい男は過去を振り返らないものだ。
俺が腰を落としている最大の理由……あるいは誤算は、魔術食いの生態にある。俺の魂魄弾は確かに奴に再生不能の傷を与えているのだが、奴は自分の傷が癒やせないとなると、何と自らの意思で自分の体を捨ててきやがったのだ。
その方法も、トカゲの尻尾切りなんて可愛いものじゃない。奴の口が大きく開かれると、それがベロンと裏返って奴の頭を覆い尽くし、そのままキュッと閉じることで頭の部分がブツリと切り落とされるのだ。その切断面からはあっという間に頭が再生し、後は残った自分の肉片を吸い込み喰らうことで奴は完全な姿と機能を取り戻す。それをもう5回は繰り返されている。
普通の生物がそんなことを繰り返したらあっという間に体が無くなりそうなものだが、奴の場合は未だに地平の彼方まで胴が続いている。自切した分だけ後退してくれるなら俺たちの勝利条件にも適うので根比べとしてはありなんだが、奴は俺に興味津々らしく、ちゃんとこっちに歩いてきている。その歩みは実にのんびりとしたものではあるが、それでも一度の自切で後退した分を次の自切までで進める程度の速度はある。
詰まるところ、このままだと負ける。奴の体の限界は見えないが、こっちの魂の残量はそろそろ底が見えてきた。そもそも魂魄弾は一撃必殺の最終兵器であって、こんな風に連射することなど想定していないのだからある意味当然とも言える。
「はぁ……はぁ……こりゃまた……どうしたもんかね……」
見栄とかそう言うのを抜きにしても、このまま俺が倒れるのは不味い。背後を壁で仕切ってから、まだ大した時間はたっていない。多少の体力回復は見込めるだろうが、このデカブツに対抗出来る手段が構築出来ているとは思えない。俺がやられてここを抜かれたら、普通にさっきまでの戦いの焼き直しになるだろう。
「どうにかしてコイツを……待て、何でまだコイツはここに居るんだ……?」
ふと、そんな疑問が頭を過ぎる。
この閉鎖空間内に、おそらくもう魔術は存在しない。俺の体内にあるナノマシンからも、魔術の影響が抜けているのが感じられる。もっとも今はそれ以外のエネルギーで強化してるから能力が下がってる訳じゃ無いが……いや、そうじゃない。そうじゃなくて……奴は何でこっちに来てるんだ?
魔術を喰いたいなら、もうここには無い。故に反転して自分の世界に帰るというならわかる。あるいはさっき俺が壁を造ったことから学習して、周囲の壁を破壊すれば外に何かあるのではと考えるのも理解出来る。
だが、俺に向かってくる意味がわからない。 俺が脅威だから? ある程度の知能があるなら復讐だの何だの考えることはあるが、野生動物ならエサを食い尽くした状況でわざわざ敵に向かっていったりしないはずだ。普通なら最初は逃げ帰る。追えば反撃してくるだろうし、あるいは既にコイツが致命傷を負っているとかなら生きるために抵抗してくるのはわかるが……というか、そもそもさっきからコイツに俺は攻撃されていない。一方的にダメージを与えられているのに、何故コイツは向かってくる? 何故反撃しない? 何故…………
「……ひょっとして、俺を喰うつもりなのか?」
今の俺は、魂のエネルギーをバンバン撃ち出す存在だ。それは脅威であると同時に、極上のエサでもあるんじゃないだろうか? だからコイツは向かってくる。単純に俺を喰うために。だからコイツは攻撃してこない。間違ってエサを吹き飛ばさないように。
「さっきまでは食事の邪魔をする羽虫だったから叩き潰そうとしたが、今は美味そうな獲物だから多少の怪我は我慢して丸呑みしたいってか? 食い意地が張ってるなぁ」
小さくそう呟きながら、俺は重い腰を上げる。確認のため横移動してみたが、ちゃんと奴の視線はこちらを追従しているようだ。これなら――
『おっと、それはオススメ出来ないぜ相棒?』
「これはこれは……遂にこっちにまで出るようになったのか」
目の前にいるのは、誰より長く一緒にいるのに、誰より見たことの無い姿をした優男。俺とそっくりの顔をした男が、俺の前に立ち塞がる。
『相棒が同調率を振り切ってくれたから、こうして出てこられたってわけさ。まあ相棒にしか見えない、聞こえない存在だから、他人から見たら空中に向かってブツブツ言ってるヤバイ男だろうけどね』
「うわ、本気で誰も居なくて良かったよ……で、何の用さ?」
『そんなの、言わなくたって解ってるだろ? 自己犠牲なんて、相棒らしくないぜ?』
「そんなこたぁ解ってるさ。解ってるけど……でもどうしようもないだろ?」
『チッチッチッ、それこそ解ってないぜ相棒?』
肩をすくめる俺に、コイツはわざわざ舌を鳴らしながら立てた人差し指を横に振ってみせる。こういう仕草がいちいちウザイが……ひょっとして俺もそうなんだろうか? だとしたら真剣に自重を考えてみるべきかも知れない。
『どうしようもない事実なんて、さっき丸ごとひっくり返したじゃねーか。今度も同じさ。世界で一番有効な戦術は、圧倒的な力によるごり押しってね』
「ごり押しったって……俺の魂魄弾じゃ、あのデカブツには大したダメージは与えられないぜ?」
『そこが勘違いさ、相棒。俺たちの目的は何だ? アイツを倒すことか? 違うだろ、そうじゃない』
「ああ、そうだな。確かに、別に奴を倒す必要は無い。元の世界に押し返せばいいだけだ……でも、倒さなきゃ押し返せないだろ?」
『だーかーらー! 前提が違うから手段を間違えてるんだよ! わかるか? 倒すのが目的じゃないんだから、倒す手段を用いることそのものが間違いだ。奴を向こうの世界に戻す……誘導したいんだったら、奴が自分から戻りたくなるように仕向けりゃいい』
「だから、それを俺がやろうと――」
『こーのバカチン!』
目の前の男が、俺の頭に拳骨を振り下ろす。当然それは幻であり、奴の拳は何の抵抗も無く俺の頭をすり抜けていく訳だが、だというのに俺にはしっかり殴られた衝撃が感じられる。
「痛ぇ!? 何すんだこの野郎!」
『馬鹿だから馬鹿って言ったんだよこの馬鹿! お前の手の中にあるのはなんだ? 何が出来て、何をするためのものだ?』
「何って、そりゃ……」
握った手に視線を落とせば、そこにあるのはずっと苦楽を共にしてきた一心同体の相棒、セカンド・シルバーだけだ。
『あの間抜け面の大食い野郎の目的は、俺たちの中にある溢れんばかりのエネルギー! そしてお前の手の中には、どんな物でも詰め込める銃弾を造り、それを撃ち出せる銃がある。ならやることはひとつだろ!?』
「……何か色々ある感じのエネルギーを全部1発の弾丸に詰め込んで、向こうの世界に撃ち出す……!?」
『ザッツ・ライト! やっと解ったかピーマン頭め。俺あの野菜嫌いなんだよね。苦みが中途半端な感じで』
「そうなのか? 俺は結構好きだけど……って、そんな事話してる場合じゃないだろ!?」
『ま、そうだな。今までのは「自分の心の中での会話」みたいな設定だから外部の時間はミリ秒単位でしか経過してないけど、それももう終わりだ。心強いオーディエンスの皆さんも間に合ったみたいだしな』
「何っ!? オイ!?」
瞬間、時間の感覚が元に戻る。思わずつんのめりそうになったのをギリギリ踏ん張って耐え、改めて大食らいのデカブツを睨み付けようとしたところで……俺とデカブツの間に光る板が現れた。