005
戦場では、一瞬の油断が命取りになる。そんなことは誰でも知っていることで、誰もが口にする言葉だ。だがそれを自覚し、実戦し続けられる人間なんてそういるものじゃない。誰だって一瞬くらいは気を抜いたり、油断したりすることくらいはあるだろう。そして大抵の場合その一瞬に何かが起こることは無く、結果として「一瞬の油断が命取り」なんてのは、言葉だけの教訓になる。
だが、世の中にはいつだって運の悪い奴というのは居る。ごく稀にいる不運に愛された奴は、その一瞬に丁度良くつけ込まれる。意識してなら狙ったって狙えない、瞬きする程度の意識の隙間。まるで天に放ったコインが縦に立つくらいの確率でそこを突かれ……そして、怖いくらいあっさりと人は死ぬ。
今、俺の目前には死が迫っていた。それは回避など出来るはずの無いタイミングであり、今俺が生きているのは、単にまだ死んでいないだけということでしかない。確定した死は動かない。ただそれを待つだけの時間。そういうもののなかに俺は存在している。
これが普通の……魔術で満たされた外の世界であれば、人間を捨てることで助かる可能性もある。が、今ここは望まぬ不死を究めさせられたジェイが死ぬために作り上げた世界の中だ。俺がにわかに不死に目覚めたところで、死の運命は変わらない。
せめて脳天を貫く致命傷でなければ、せめて活動可能な仲間がいるなら、せめてもう少し魔術が濃く残っていれば、せめてもう少しだけ幸運であったなら……
僅かな希望は、いつだって届かない。あがく物に与えられるのは、精々より強い絶望程度だ。なればこそ、今の俺の目の前には、最悪の絶望が飛び込んできた。
弾丸だ。それは見覚えのある……実際にはそんなにマジマジと見たわけではないが、それでも見間違えようのない弾丸が、俺の眼前に跳んできた。
何故これがそこにあるのか? 勢いよく体を起こした時に鞄から飛び出した? 一番奥底に大事にしまっておいたのに、どうやって?
理由などわからない。理屈ではあり得ない。でも間違いなく、俺と触手の間にマリィちゃんの全てが詰め込まれた弾丸が割って入ってくる。
触手が、弾丸を貫き切り裂く。それでほんの少し軌道がずれて、触手は俺の脳を貫くことなく、抉るように額を切り裂いていく。深い傷だ。だが致命傷じゃない。皮膚は切り裂かれたが、おそらく頭蓋骨をギリギリ掠めるくらいの距離を貫いていった。
代わりに、弾丸は真っ二つになった。鋭利な切断面が、キラキラと光を放っている。
そう、光だ。光が見えた。弾丸から漏れ出した光は、人の形をとって見えた。見覚えのあるその人は、さっき倒れた女性とうり二つの顔で微笑んでいた。
何故?
言葉として発することなどできない、思考の中だからこそ辛うじて許される刹那の問いかけ。額からしぶく血の雨すら止まって見えるほどに引き延ばされた時間の中で、しかし彼女は確かに言った。
私がDDを助けるのは当然でしょう? 私達は相棒なのだから
夢か、幻か、願望か。人の形を成した魂の輝きが、そのまま宙へと溶けていく。きっとそれは、もう2度と戻らない。
ああ、美しい光景だ。仲間は皆倒れ、新しく出来た妹分は腕の中で動かず、最も大切な相棒と引き換えにこの身は守られた。ここから覚醒でもして目の前の糞をぶちのめせば、悲劇の英雄譚の完成だ。真っ二つになった弾丸を、形見としてネックレスにでもするのもいい。そいつにキスしながら「俺は頑張って生きるぜ」みたいなことを空でも見上げて呟けば、実にいい男に見えるだろう。
だが、そんなものが何だ。そんなものに何の価値がある? 世界も運命も、魔術がどうとか俺が死ねなくなるとか、ありとあらゆる全ての全てがどうでもいい。ただひとつ、たったひとつ。今目の前にあるこの現実は、どうしようもなく歪めようもないこの事実、他の全てを犠牲にしてでも受け入れられないそれだけは――
「通すわけっ! ねぇだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
身を裂き、心を砕き、魂さえも震わせる咆哮。相棒を握る手を、俺は天高く掲げる。
「起動せよ『第2の銀』! 魂魄同調 限界突破!」
それは「命令」とは違う酷く乱暴で、だが根源的な「願い」。それを叶えるために相棒の銃身が光り輝き、俺の全身の血が燃え上がる。赤から青に、青から白に、それは沸き立ち燃え上がり、俺の体を根本から置き換えていく。
「物質完全再現生成 世界の全てを騙し尽くせ!」
マリィちゃんの弾丸が、その形を取り戻してく。傷ひとつ違えること無く、塵ひとつ見逃すこと無く。姿も、形も、魂さえも。共に過ごした時間も、積み重ねた経験も、見える物も見えない物も、存在していた物も存在していなかったモノですらも。
ここにあるのは、完全な新造品。だがそれは、壊れなかった未来の世界に存在しうる間違いの無い本物。神が見たって解らない、世界すら己の選んだ選択を勘違いするほどの、究極のまがい物。
かつて一度だけ発動させた、その力とリスクの大きさに二度と使うまいと心に決めていた、死者の蘇生すら可能にする俺の最後の切り札。
弾丸の再生は完璧。次いでミリィちゃんの体の再生も終了。ジェシカはまだしもタカシやパレオは下手に直すと問題が出る可能性があるので誰の修復も行わないが、それももう問題無い。俺は目覚めたミリィちゃんの手の中に弾丸を押しつけ、その体を俺の背後に突き飛ばす。
「っ!? ドネット!? 何を!?」
「物質完全再現生成 世界を区切る壁を成せ!」
俺と他の奴らの間に、この部屋の外壁と同じ素材の壁が生まれる。それは当然両端、天井までを隙間無く埋め尽くし、今この瞬間ジェイの作った「小さな世界」とやらには、俺と魔術食いしか存在するモノは無い。
これで少なくとも俺がいる限りは、向こう側へ攻撃が通る心配は無い。魔術食いも空間の穴の影響も壁の向こうへは通らないのだから、一端下の階に降りるか、あるいはその扉を開きっぱなしにでもしておけば全員が復調するのは時間の問題だろう。
なら、後の問題はこのデカブツを処理する方法だけだ。いぶし銀から輝く白銀へと姿を変えた相棒の銃口を、俺は躊躇うこと無く魔術食いに向ける。
「魂魄弾 生成開始 六連生成 連続斉射!」
立て続けに放たれる6発の弾丸が魔術食いの体に食い込み、その部位を消し飛ばす。魂を材料にした対消滅弾。相手が生きている限りいかなる手段でも防ぐことができず、壊れた部位は絶対に回復しない。
だが、その代償は甚大だ。敵の魂を打ち砕けるだけの量、自分の魂を込めなければならない。使いすぎれば心が死ぬ。今の俺の場合なら、不老不死の肉体とスカスカになった空っぽの魂の入った肉袋になるだろう。想定されうる最悪の未来だが、ここで出し惜しみをして二度と大切なモノを危険にさらすつもりは無い。
「さあ、根比べと行こうぜデカブツ。図体だけのお前の魂と、いい男である俺の魂。果たしてどっちが強いのか……最後まで付き合ってもらうぜ?」
ニヤリと笑う俺の言葉に耳をつんざく咆哮で答えた魔術食いに対し、俺は迷わず次の弾丸を発射した。