009
「……今更ですが、二人を置いてきて大丈夫だったのですか?」
如何にも迷宮っぽかった床や壁が再び元の建物のものへと戻った通路で、カンカンと足音を響かせながら階段を登りつつ、ミリィちゃんが言う。
「あの場で俺たちがいても戦力にならなかったからね。俺の銃は通常弾じゃ効果が無いし、特殊弾は使用制限がきつすぎて乱発できない。ジェイと対峙するなら温存するしかなかったし、ミリィちゃんの孤華裂夜も切り捨てた溶解液付きの触手が床に残るんじゃ危なすぎる。ジェシカが一人で戦って弱体化させつつ時間を稼ぎ、トドメをタカシが刺すってのは理想的なパターンだと思うよ」
「…………そうですね。極めて合理的な作戦だと思います。思うのですが……」
「二人を見捨てたみたいで納得できない?」
俺の言葉に、無表情のままミリィちゃんが首を傾げる。
「そうなのでしょうか? 正直、自分の人格データが非常に不安定になっているように感じます」
「そっか。でも、それはそれでいいんじゃない? それってつまり、他の誰かの真似じゃなく、『ミリィちゃん』になってきてるってことでしょ?」
「おお!」
ミリィちゃんが、ポンと手を打つ。表情こそ変わらないけれど、こういうミリィちゃんの行動ひとつひとつは笑っちゃうくらい人間臭い。
「流石ドネット。いいことを言いますね。さすドネです」
「さす……? まあいいや。いい男はいつだって言葉の端々にまでその生き様が現れるものなのさ。どう、ミリィちゃん? 惚れちゃった?」
「惚れはしないですね」
「あ、そこはマリィちゃんと同じなんだ……っと、到着かな?」
ほんの数週間程度のことなのに、何だかひどく懐かしく感じるやりとりでいつも通りに肩を落とした俺の目の前には、真っ白な扉。飾り気のひとつも無いその扉に手をかければ、スッと奥へと開いていく。
繋がっているのは、一本の通路。真っ白な壁と天井に、真っ赤な絨毯の敷かれた床。左右の壁には分かれ道も他の部屋への入り口も何もなく、ただひたすら真っ直ぐに奥へと続く道だけがある。
「お? この感じだと、いよいよお出ましかな? じゃ、行こうかマリィちゃん」
言って一歩を踏み出して、そこで俺の足は止まる。
「あー、ごめんねミリィちゃん」
「いえ、気にしていません。それに、あながち間違いでもないでしょう?」
そういうミリィちゃんの瞳は、俺の鞄を見つめている。ああ、確かに間違いじゃない。俺は、俺達はずっとマリィちゃんとも一緒にいる。
「じゃ、改めて。行こうかミリィちゃん?」
「はい。行きましょうドネット」
俺達は3人揃って、2人連れ立ち通路を進む。程なくして行き止まりの扉を開ければ、そこにいたのはやっとのことで望んだ相手だ。
「やぁ、ドネット。遅かった……いや、早かったかな? どっちにしろ、いらっしゃい」
「おう、邪魔するぜジェイ」
先日会ったときと変わらない気楽な挨拶。それを交わすのは先日と変わらぬジェイの執務室兼応接室。部屋の中央にあったソファやテーブルは流石に無くなっているが、逆に言えばその程度の違いしか無い。あれだけ凝った障害の果てに辿り着く場所としては些か拍子抜けではあるが、そこがまたジェイらしいと言えなくも無いだろう。
「それにしても予想外だったよ。まさか夜魔族を連れてくるとはね。あの下賤な藪蚊モドキがいなければ、ここに辿り着くのはもっとずっと後だと思ったんだがね」
「確かに、パレオ無しであの人垣をどうにかするのは骨だったろうな」
実際のところ、あの時パレオがいなければ、俺が取れる手段は紅血弾で麻痺や昏睡なんかのガス弾を生成するくらいしか無かった。次点でジェシカの稲妻で全員を失神させることだが、どちらにしても厳しい札を切らされる羽目になっただろう。
「てか、それを知ってるってことは、やっぱり見てたのか。覗きなんて趣味が悪いぜ?」
「おいおい、そこは情報収集と言ってくれよ。私の品位が疑われてしまうだろう?」
「けっ、言ってろ……だが、見てたなら聞きたいことができた。何で俺たちを通さなかった?」
そう。俺たちを覗き見していたなら、タカシがジェイを殺せる力に目覚めたことも知っているはずだ。自分が死ぬことが目的なら、その後の障害は全部キャンセルして俺たちを迎え入れるのが一番早かったはず。だが、ジェイはそれをしなかった。一度動かし始めたら止められないという可能性はあるだろうが、ジェイが長い時間をかけて用意してきたものがその程度の機能がついていないとは思えない。
「ふむ。そうだね。確かにあのタカシ……異世界の勇者か? あの少年の力なら私を殺すことができそうだ。いやいや、夜魔族もそうだが、彼の存在に対する衝撃は別格だね。まあ魔術の存在そのものが上位世界から溢れてきたものなのだから、異世界の存在はとっくに証明されていたものではあったのだが……まさか我々と同じ姿形をした知的生命体がいて、しかも私を殺せる力があるとは……それを知っていたならば、最初から技術ではなく魔術を集中して研究していたかも知れないな」
「御託はいい。で、何で俺たちを通さなかった? 魔術を根絶なんて物騒なことをしなくても死ねるんだぜ?」
「はっはっ……それについては、酷く簡単な理由さ。どうやら私は、ただ死にたいだけではなく、見届けてから死にたいらしい。少なくとも、辛く苦しく惨めな死は可能な限り避けたいようなのだ」
「……ほぅ」
ジェイの発言は変化ではあるが、心変わりと呼べる程のものではない。それしか手段が無いならタカシに殺される事を選ぶが、他に死ぬ方法があるのなら望みを叶えてから穏やかに死にたい……それはごく普通の感情だ。
「そうしたい気持ちはまあわかるが、アンタの『ささやかな願い』を叶えてやるには、あまりにも代償が大きすぎる。悪いが、ここでケリをつけさせてもらうぜ?」
「ほほぅ。どうするつもり……と聞いてみたいところだが、私は臆病でね。悪いが先手を取らせて貰おう。再接続 『第7の王冠』」
『命令』に従って、ジェイの手の中に銃が現れる。ラッパのように銃口が広がった、金色に輝く銃。おそらくそれこそが、俺やジェシカの動きを止めたジェイの切り札。
「上位命令 『その場で止まれ』」
ジェイが俺たちに銃を向け、言葉と共に引き金が引く。すると一瞬視界に歪みが走り、俺の体が動かなくなる。反射的に腰へと伸ばした手も相棒を掴む寸前で止まり、顔を横に向けられないので確認は出来ないが、おそらくミリィちゃんもまた動けなくなっていることだろう。
「どうだい? 7番目の力は。他者に貸し与えることが前提の他の銃と違って、7番目は特別だ。全てに対する最上位命令権を持ち、それぞれの銃と密接に関係する所有者の行動にすら影響を与える。まさに支配者の銃だよ」
「へっ……そんなもので、王様気取りか…………?」
呼吸や視界、発言までは縛られないのか、挑発するような俺の言葉にジェイは肩をすくめて見せる。
「柄じゃ無いのはわかっているがね。だが、真に信頼出来る人間などというものはそうそういる物では無い。であればこの銃の存在は必要最低限のセーフティだよ。何なら、私が死んだ後はドネットがこれを引き継ぐかい?」
「いい男は……人を縛ったり…………しないぜ……?」
「だが、自由すぎるというのも問題だろう? 現に今、君を自由にしたなら私は即座に敗北するだろう。この上の部屋で行っている作業には、今暫く時間がかかるだろうからね。
……そうだな。このまま君たちを止めたままにし続けるのも些か退屈ではあるし、ここはひとつ君たちのお仲間の様子を見てみるのはどうだね?」
そう言って、ジェイが自分の机の方へ歩いて行くと、何かを操作し始める。すぐに天井から大きく平たい板のようなものが降りてきて……そこには、仲間達の姿が映っていた。