009
「……アタシを騙してたの?」
「騙すなんて人聞きの悪い。私は確かにスカッドレイ嬢の要請に従いましたよ? 情報を集めること、そこで知り得たことものを提供すること……私が個人的に知っていることまで全て教えるなんて言った覚えはありませんね」
反射的にジェシカが腰に手を伸ばす。だがそこにあるべき銃は、今はジェイの手の中だ。
「チッ。再接続 『第5の先導者』!」
「無駄ですよ」
ジェシカの『命令』に、しかし銃は答えない。あの機械に入っている間は、きっと反応しないのだろう。
「返しなさい! これは重大な契約違反よ!」
「だから契約違反ではないと……ふぅ。やはりまだまだ子供ということですか。こういう駆け引きには思慮が足りていない」
「うっさい! いいから返せ!」
「データ収集が終わればちゃんと返しますよ。スカッドレイ嬢が銃を使ってくれなければデータが取れないので教えませんでしたが、もし未だに魂魄再誕機にまで辿り着いていなかったのなら、もうそろそろ教えていた頃ですしね。あれ、実はこの教団の地下にもあるんですよ?」
「ふっざけるなぁー!」
殴りかかるジェシカの拳を、ジェイは避けようとすらしない。そのまま床に組み伏せられ、されるがままに殴打を受け続け……やがてジェシカの息が切れる。
「気が済みましたか?」
ジェシカの攻撃は決して子供の駄々なんてものじゃなかった。指で目を潰し、拳で鼻を折り、締め上げて首の骨すら折った。だがそれでもジェイは死なず、その傷はすぐに癒えてしまう。怒りと殺意をむき出しにして自分に馬乗りになっているジェシカを前に、その表情には一片の恐怖すら無い。
「なんで……何でっ!?」
「ジェシカ……」
振り下ろす拳にもはや力は無く、滂沱の涙を流すジェシカの肩に、俺はそっと手を置く。
「全く、何をそんなに嘆くのか理解に苦しみますね。スカッドレイ嬢とて己の目的のために罪も無い数多の他人を騙し、奪い、時には殺して来たのでしょう? それに比べれば、多少時期が前後する程度で母親が助かるという結果が揺らがなかったという事実に対して、怒りを覚える要素など皆無でしょうに」
ジェイの言うことは正しい。俺たちの手はみんな汚れきっていて、その犠牲になった相手に詫びる方法などありはしない。俺自身が行ったことは何も無いが、ジェイやジェシカの所行を知っていて見過ごしたのだから同罪だろう。
そう考えるなら、確かにたかだか数ヶ月程度蘇生が遅れるだけで結果が同じだったというなら、受け入れて然るべきだ。だが人の心はそんなに単純じゃない。正論がどれほど正しかろうと、それを受け入れる人間はそれほど正しくは生きられないのだ。
「……なあ、ジェイ。お前が最初に情報を提供していても、ジェシカはお前の要望通りに銃を使ってくれただろうし、それなら喜んでデータだって提供しただろう。何故その道を選ばなかった?」
俺のその問いに、組み伏せられたままのジェイが眉根を寄せる。
「何故? ふーむ。強いて言うなら確率の問題か? 情報を与えなければその間に確実に戦い続け、データは蓄積される。だが教えたとしてもそれを恩義に感じて戦い続けてくれるかどうかは未知数だ。それこそ『人形』が相手でもない限り、そんな不確かな方法を選ぶのは不合理だ」
「そんなっ!? アタシは――」
「ああ、別にスカッドレイ嬢個人がどうこうという訳ではないさ。相手がどんな人間であったとしても、私の選択は変わらない。私もまた目的があるのだ。君やドネットよりもはるかに強く、長い期間追い求めてきた目的がね」
その言葉は、深くて重い。その目的を、俺は知っている。いずれ後に続くかも知れない俺に、ジェイは語ってくれていた。
「……アンタの目的って何なの? 聞いたら教えてくれること?」
「勿論。ドネットは知っていますし、スカッドレイ嬢に知られることは特に問題ではないですからね。吹聴されるのは流石に困りますが……」
「言わないわ。約束する」
「ふむ。信じましょう。まあ信じるで済む程度のリスクであるということですが……私の目的は、死ぬことです」
「……………………は?」
あっけにとられたジェシカの顔は、かつての俺の顔そのものだ。その心情を知るからこそ、間抜け面と笑ってやることも、真剣に慰めてやることもできない。
「私が死なない体であることは、もう十分理解されているでしょう? 私も嫌と言うほど理解しています。この体は、死なない。それこそ灰になるまで燃え尽きようとも、一見何も無いところから再生してしまう。そしてその原因は……先ほど説明したナノマシンです」
「それって、昔の人が体に入れてたって奴よね? それを入れるだけで、不老不死になるの?」
「まさか。ナノマシンが現実の物となった時にはそういうファンタジーな発想を持った輩もいましたけど、実際はそんな万能の存在なんかじゃありません。私の体内に入っているのは医療用のナノマシンですが、これはあくまで血管内を移動して手術のできない箇所の病巣を取り除く程度の働きしかなく、動作時間も12時間ほどでした。生分解性の素材で出来ているので動作停止後はそのまま吸収される手間いらずの一品ですが、逆に言えばその程度のものでしかありません。
ですが、魔術の力によって、それは一変してしまいました。大気に満ちる魔力を動力としたことで活動限界が無くなり、後に存在が確認された創世因子の操作を魔術によって行うことで、細胞の無限修復が可能になった。『体を万全の状態に保て』という命令を永遠に実行し続ける悪魔の機械……それが私の不死の秘密ですよ」
「で、でもそれなら、その技術が体に入ってた人……アンタの言う『本物の人間』はみんな不老不死になるんじゃないの?」
「ああ、それは同調率の問題ですね。無限に修復出来るとは言っても、修復するための設計図は必要です。それをナノマシンが把握するために最低限必要な同調率、それを超えてしまうと不死になるのです。そして、普通ならばそれを超えることはありません。ナノマシンに自己学習機能や遺伝子情報の分析機能などというものはありませんから、私のようにプログラムの段階でそれを書き込んでいない限りは、なりようが無いのです。
故に、私しかいません。それまでの汎用ではなく、完全な個人用に調整されたナノマシンの人体実験は、私が世界で最初の被験者でしたからね」
「えっと……つまり、今この世界にいる人がある日突然不老不死になったりはしないってこと? なのかしら?」
「そうですね。よほど特別な補助でも無い限り、今の世界の『人間』の体内にあるナノマシンでは大した影響はありません。精々少し怪我が治りやすいとか、その程度です。例外がいるとすれば、ただ一人……」
そう言って、ジェイが俺の方を見る。それに釣られてジェシカも俺を見て……
「え? まさか!?」
「そう。ドネット・ダスト。彼がこの世界で唯一にして最も不老不死に近い男ですよ」
ジェイの放つ呪いの言葉が、俺の胸に深く突き刺さった。