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硝煙の幻想郷《ファンタジア》  作者: 日之浦 拓
第八章 青い人
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006

「えぇと……そう、私は久しぶりに実家に帰ってきてたのよ。大きめの依頼をひとつ片付けて、お金に余裕もあったし近くに寄ったからってことで、お母さんに挨拶をして……で、お母さんに頼まれて地下室の片付けをしていて、それで……」


 他人事のように頭に流れてきた事実が、言葉にすることで私自身の経験へと変わっていく。それは不思議な感じだったけど、こんなところで倒れているくらいだから、一時的に記憶が混乱した影響だろうと自分で勝手に判断した。実際にそれ以外の理由など無い。そんなものは、絶対にあって・・・・・・はならない・・・・・


「ごめんなさい。その後は覚えてないわ。というか、私ここに倒れていたの?」


 故に、無意識に私はそう誤魔化した。本当の最後の記憶も、「私」がここに倒れていた理由も、そんなものは存在しない。してはならない。「私」がマリィであるために、それは記憶の端へと無理矢理に押しやられた。「私」でさえ自覚できないほどに。


 その後は、その男と適当な雑談をした。怪我をしてないかと問われ、この場所のことを問うた。ここが町だと聞いた時は本当に驚いた。その知識は、「私」にも意外だったものだから。

 町が、家族が、一瞬にして砂になって消えた。思い出が、痕跡が、私が私である証拠が、何一つ残すことなく綺麗さっぱり消失した。その事実はあまりにも衝撃的だった。


 自己を肯定するのはそれを観察する他者だ。他人に見られ、認識されることで始めて自分は自分という存在を形作ることができる。

 なのに、マリィを知る全ての存在が消えた。なら、誰が私をマリィだと証明してくれるのか? 目の前の男? 明らかに初対面の男が私の何を知っている? 冒険者ギルドの記録? そんなものはただの文字の羅列にすぎない。私の経歴を書き殴った紙があるだけで、私という存在を知っている人がいるわけじゃない。


「何も無い……誰もいない……私だけ……? 何で私だけ……!?」


「なぁ、お嬢さん……」


「…………お願い……少しだけ、一人にして…………」


 私は泣いた。ただひたすらに、不安で泣いた。私を私だと言ってくれる人はもうこの世にいない。掃除人として旅をしたから知人程度なら幾人もいるけど、そんなものは似た顔の他人を連れてきても同一人物だと判断される程度の奴ばかりだ。ならば私は誰なのか? 「私」は本当に、マリィ・マクミランなのか?


 名前を呼んで欲しい。父さんや母さん、絶対私を間違えない人に、私の名前を呼んで欲しい。誰か、誰か私の名前を呼んで。私を、マリィをどうかこの世界に肯定して……


「…………え?」


 うつむく私の目線の先に、不意に影が落ちた。一瞬あの男がこっちに来たのかと思って顔を上げれば、そこにいたのはあの優男とは似ても似つかない巨大な猿。本来なら剥がれ落ちるはずの垢を体毛の間に蓄積し、かさぶたのように重ねて防御力を高めている醜悪な魔物。そいつが私を見ている。


「あっ……ぁ…………」


 怖かった。目前に迫る暴力よりも、猿の目が、路傍の石のように私を見ている猿の視線が怖かった。何者でも無い私をただ世界から排除するように振り上げられた手が、とても怖かった。


「きゃーっ!」


 まるで小娘のように、私はその場に倒れ込んで悲鳴をあげてしまった。掃除人としての私にとって、その猿は決して強敵というわけじゃなかったのに。少なくとも、見られるだけで怖じ気づくような存在では無かったはずなのに。


「マリィちゃん!」


 その時、男が私の名前を呼んだ。始めて「私」をマリィと呼んだ。この男の中で、私は間違いなくマリィなのだ。さっき会ったばかりの他人ですら、私をマリィだと認めたのだ。その事実が私の存在を急速に安定させていく。何もかもが曖昧だった「私」が確固たる存在として、今まさにマリィ・マクミランになった。


 その後は、男の……ドネットの奮戦が続く。どうやら彼の武器は銃のようだ。実力は彼の方が高そうだが、武器の相性から有効なダメージが与えられないらしい。とはいえ、この様子なら遠からず勝負は決まるだろう。このままなら――


「ねえ、来てる! ドンドン来てるわよ!?」


 私の目に映ったのは、はるか後方から砂煙を上げてこちらに向かって走ってくる猿の群れ。1匹でも苦戦しているのに、この数に合流されたら流石に勝ち目が無い。私が戦えれば対抗できるだろうけど、流石に素手じゃどうしようもない。小盾で受けて剣で突く私の戦闘スタイルでは、回避を失敗して足手まといになるのが精々だろう。


 そんな事を考えていたら、不意に猿が爆発した。少しだけ苦しそうに顔を歪める彼の様子からすると、消費のきつい爆裂系の魔法弾だろうか? 顔を歪めるということは、事前に弾を用意するタイプじゃなく、その場で詠唱して魔法を込めて撃ち出すタイプ? どっちにしろ、あまり連射できる感じには思えない。そうだったならとっくに勝負は付いているはずだから。


 状況を見守る私の前で、2度目の爆発が起こる。彼の消費はかなり辛そうで、これだともう1発くらいが限界なのかも知れない。

 そして悪いことに、残った2匹の猿が彼から私にターゲットを移してこちらに向かってきた。


「マリィちゃん!」


 また名前を呼ばれた。その声は私を認めるようだった。私という存在を。私の持つ実力を。そんな風に名を呼ばれたら、応えずにはいられない。私はそっと、懐の一番奥にしまって置いたに手を添える。


 戦うには武器が必要だ。でもいつもの剣と盾じゃ、彼の戦い方の邪魔になる。ならば大きい武器がいる。相手の攻撃を受け止められるほど大きくて、相手の体を吹き飛ばせるくらい強い武器。


 一般にイメージするなら、それは大剣だっただろう。でも私には斧のイメージが浮かんできた。それは木こりだった父さんが斧を振るい、大きな木を切り倒していたのを思い出したからかも知れない。ちゃんと・・・・親子の繋がりを思い出せて、私の心に安堵と力が湧き上がる。


 武器は大斧。でもただの斧じゃつまらない。もっともっと強く出来る。なら何がいい? 強い力の象徴……爆発だ。彼が使った爆発こそ、私が目にした最も強い力。ならば斧にその力を加えよう。


 武器の名前は何にしよう? 名前はとても重要だ。その物を表す、そのモノだけの名前。爆発斧? 何となく響きが悪い。爆裂斧? 何かがちょっと足りない。この斧は敵を倒すもの。敵に恐れられるもの。ならば名前は……そう、爆裂恐斧がいい。


 形も力も名前も決まった。だったらあとは変えるだけ・・・・だ。武器の形を、能力を、手触りを、重量を、頭の中で明確に思い描く。それは確たるイメージとなり、手の中の銃は、それを現実として再現する。


武装具現化(マテリアライズ)爆裂恐斧(ばくれつきょうふ)!」


 想像と寸分違わぬ姿形に偽装したそれを、私は本能の赴くままに振るう。ひと振りごとに動きが最適化され、まるで最初から斧使いだったかのように私の動きが洗練されていく。慣らし運転が終わる頃には勝負は既に決しており。


「吹き飛べぇ!」


 最後の訓練の終了と共に、全ての敵が跡形も無く消し飛んだ。


「マリィちゃん。今のは……大丈夫だった?」


 彼が何かを聞きたそうな口をしたけど、それ以上は続けなかった。

 助かった。聞かれたって私にも解らない・・・・・・・のだ。気がついたら斧を手にしていて、まるで長年使ってきたかのように使いこなせた。そんなことを正直に説明しても信じて貰えるとは思えない。彼からそういう目を向けられるのは、何だかとても嫌だ。


 何となく、彼が気になった。これが有名な吊り橋効果と言うやつだろうか? 恋愛感情とは違うと思うけど、彼から信頼されたい、認められたいという気持ちが確かに自分の中にあるのを感じる。だから私はその第一歩として、彼にニコリと微笑みかける。


「言ったでしょ? 私は貴方と同じB級の掃除人だって」


「ああ、これなら納得だ」


 互いに武器をしまって歩み寄り、両手をあげる。


「「いぇーい!」」


 始めてしたハイタッチは、とてもとても良い気分だった。

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