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妄想行脚  作者: きのめ
2/5

地獄の湯

駅舎のホールの出口側の扉は、外の雪風のせいでたまにガタガタと音をたてていたが、ふいにその音が止んだ。


と気づいたやいなや、ドアの外がなにやら明るい。夕焼けのような濃いオレンジが、ドアの隙間から差し込んでいる。駅舎の中は薄暗いから、それが一際目立って異様な光景である。


私も、記者の男も、物書きの青年も、恐ろしい光景におののき、お互い顔を見合せる。


「なんだあれは」


ややあって、扉の錠がひとりでに開いた。錠の開く、カァン、というさほど大きくもない音が、駅舎のホールに響き渡った。


「見に行ってみましょう」


かかんにもそう言ったのは物書きの青年だった。彼を筆頭に、じわじわと扉に近づくと、そこに見えるは地下へ続く石畳の階段。底のほうから、ぶわりと熱風が吹いてきた。


「階段のようですね」


熱風に目を眇めながら、物書きの青年は言った。



「そのようですな」


記者の男もキョロキョロと辺りを見渡し、頷いた。



石畳の階段の先は妙に明るく、熱風と共に漂ってくるのは微かな硫黄の香り。



「降りてみましょう」



そう言って、物書きの青年はゆっくりと階段を下り始めた。あまりに果敢な言動にぎょっとした我々だったが、一番の年下が言うのだ、ここでしり込みしては格好悪いばかり。意を決して、そろそろとあとに続いた。



熱いくらいの空気と、時たま硫黄臭い熱風がふく。長いこと下り階段を下りたと思ったが、ふいに開けた場所についた。



底についてみれば先ほどの熱風もさほど感じられない。何故か、春のような陽気だ。

ふと見上げれば茜色の空に、石畳の小路。そして藪に囲まれた、大きな大きな湯屋が目の前にあった。


振り向けば降りてきた階段はある。しかし、その先の小さく見える駅舎の扉の風景の他は、夕暮れ間近の茜空。先ほどまで、駅舎の外は雪が降りしきり、小さな火鉢を囲んでいたというのに、まるで理解が追い付かぬ。


しばらく、あまりの様子に黙り混む。

が、大の男三人、宿の前であっけにとられていると、やがて中から中居と思われる女が出て来た。 中居の女は入り口の行灯に火をつけると、我々に気付き驚いたような顔を見せた


「おや、人の子とは珍しい。ここ、『地獄の湯』に迷い込まれましたか」


女のは額には小さな角がある。鬼と呼ばれるものだろうか。


聞かれたので、私はここに至った経緯を簡単に話した。



「左様でしたか。雪の夜など、地獄と常世が繋がることも珍しくありませんから、きっとそれでしょう。なに、ここは宿にございますから、お代さえいただければお入りいただけます。お寒かったでしょうし、さ、どうぞ」



夕べ宿を取れなかった事実が効いていた。あまりにも宿に飢えていた我々は、顔を三度見合せ、腹をくくって宿に入ることにしたのだ。















罠ではないか、入った瞬間食べられてしまうのでは、という心配は杞憂に終わった。



中に入ってみるとそこは常世の湯屋とそう変わらぬ、赤い布に大きく『おんな』と書かれた入口と、黒い布に大きく『おとこ』と書かれた入り口がある。



われわれは靴を脱ぎいそいそと財布を握りしめ、我先にと番頭に並んだ。


常世料金の一円を払うと、番頭はなれた様子で番号の降ってある木片のような鍵を取り出して渡してきた。


「いろはにほへと、ですね。ここも常世と変わりませんね」


物書きの青年の鍵は『ぬ』、記者の男の鍵は『ゑ』、私の鍵は『ろ』であった。


脱衣所に入って、指定の鍵の扉を探す。

すると、記者の男がちょい、とこちらを見るよう促してきた。


「見てくだされ、『し』がないのですよ。地獄も縁起を担ぐのですな」


なるほど、これは興味深い。死者が住まう地獄でも、いや、だからこそか。


「『く』も無いんですね。地獄とは罪人を苦しめる場所ならば、そこで働く鬼たちも、きっと大変なことでしょう」


物書きの青年がしみじみ言う。なんだか、先ほどの中居の鬼といい、人と暮らしぶりはそう変わらぬのかも知れぬ。


さて、服を脱ぎ、借りた手拭い一枚を持って風呂へと向かう。硝子戸を抜ければ、そこでは沢山の鬼たちがめいめいに寛いでいた。


広い広い石造りの風呂は温泉のようで、湯の成分か白く濁っている。 屋根はなく、暮れてきた紺色の空には星が少しずつ瞬き始めた。 洗い場はさすがに地獄だからだろう、様々な大きさの鬼たちに対応できるよう、大小色々に広く作られている。



我々はそのなかでも、一番多い人程の大きさの洗い場で其々に体を洗った。


「もし、人の子、ここの風呂ははじめてかの?」


石鹸を泡立てていると、ふいに隣にいた老人の鬼に声をかけられた。


ここに来た経緯を話すと、老人はそうか、そうかと笑い、良いことを教えてやろうといった。



「ここの湯は薬効が高いからの、洗い流さずにいくことじゃ。風呂から出てしばらくすれば、人の子の肌などスベスベになっていよう」


ふむ、男の身の上にスベスベなど無縁であったが、風呂上がりが楽しみだ。

お礼を言うと、老人は「ゆっくりしていきんさい」と言ってしっかりした足取りで去っていった。


私も、頭も体も石鹸一つで洗い、件の温泉へと向かう。着いてみれば、物書きの青年も記者の男も、すっかりくつろいだ様子で湯に浸かっていた。


「ようやく来ましたか、ここの湯は然程、熱くなくて良いですな」



記者の男が片手を上げて手招きをした。

物書きの青年は目を閉じてじっとしている。

私もそろそろと湯に体を沈め、二人のところまでいくと足を伸ばした。


湯は40度くらいだろうか、ぬるくはないが熱くもない。ちょうど良いくらいだ。

そして、足の裏の感触から、どうやら底には泥が溜まっているようだ。泥はキメが細かく、手に掬ってみれば白くまるで牛の乳のようでもある。


きっと、この源泉の乳白色の色は泥によるものだろう。これが肌に良いといういわれだろうか。


「人の子よ、驚かれたか。それはこの源泉に含まれる泥だ。」


またしても、ふいに声を掛けられた。湯けむりの向こうから現れたのは、なんとも大柄な赤鬼だった。



声をかけられて、記者の男は「おお!」とその場を飛び退き、物書きの青年は驚きで閉じていた目を見開いた。


「やぁやぁ、大きな御仁で!いや、驚いた」


記者の男の明け透けな言葉に、赤鬼は気を悪くするでもなく豪快に笑うと、どっかりとその場に腰を据えた。


(それがし)など、大きいうちに入らんよ。ここは地獄、様々な鬼がいるのさ。某の二倍もある鬼もいるぞ」


なんとも、それは見てみたい。いや、恐ろしい、やはり見たくない。


赤鬼は気性の明るい鬼のようで、私の顔色から言わんとすることがわかったのだろう、またしても豪快に笑った。そして、今日は某が一番大きいから、心配するな、と肩を叩かれた。


「あいつらはもっと大きい湯船に浸かりにいくのさ、ここでは浅いからな」



そう言って、赤鬼は大きな声で湯殿の端にいる従業員らしき鬼に声をかけた。

なんでも、ここでは飲食が湯の中でできるらしい。なんだそれは、御大尽じゃないか。驚いてみていると、赤鬼はなれた様子で従業員の鬼に酒と肴を注文した。



「ここで飲む酒はうまいぞ、貴殿らも頼むと良い。酒も肴も常世のものだ。某も長いこと生きているが、人の子の生み出すものにはいつも驚かされる。特に、原酒に鯵のなめろうは最高だな。いつもこれが某の肴さ」


ちびちびとやりながら、つまむのだという。間違いない、そいつはいい、最高だ。

記者の男もいける口らしく、同じものを頼んでいたので、私は、酒を滴取り、肴を鮎のうるかにした。



「うるかも合いますなぁ」


記者の男と半分ずつにすることにした。いや、豪勢な酒の席になってきた。


ならば物書きの青年は、と見たが、彼はは下戸(げこ)らしく、「雰囲気だけいただきますよ」と残念そうだ。

するとそれを見た赤鬼が、気を聞かせて酒でない飲み物を頼んでくれた。


「ならばこれがいい。檸檬の香りをきかせた水だ。よく冷えてるぞ」


出てきたグラスに入っている水に、薄く切った檸檬が浮かんでいる。グラスは言った通りよく冷えているようで、結露が浮いて見た目にも涼しい。

くん、と青年は香りを見、そろりと口をつけた。


「これは、美味しいですね」


檸檬の香りが火照った体によい、水と檸檬だけで、こんなに美味しいのかと、青年は驚いたようだった。

それを見て、よかったよかった、と赤鬼が笑い、そこに我々が頼んだ酒と肴が揃った。


全て乗った盆が、流れてきたのである。



「そういえば、この盆はよく浮きますね、酒と肴を乗せて全く沈まない」


物書きの青年が不思議そうに盆をつついている。



「ああ、それだけは地獄の木で出来ているのさ、名前は」



赤鬼は木の名前を教えてくれたが、不思議と一向に覚えられぬ。その事を言うと、赤鬼は「そういうものさ」と笑った。



「では、良い温泉と地獄での出会いに、乾杯」


記者の男が調子よく音頭をとり、我々は小さくグラスとおちょこをあわせた。



そのあとは、他愛もない話で盛り上がった。酒の席だ、多少羽目をはずしても構うまい。


まわりも同じように賑やかだ。誰も彼も笑っている。居心地の良い、いい風呂だ。


常世の舞台、人々の暮らし、流行りの歌、服装、いい女の決め手、話は多岐にわたったが、実のある話などなかったように思う。記者の男がおどけ、赤鬼がそれに乗っかり、私がそれに呆れ、物書きの青年はくすくすと笑う。

だが赤鬼の、 酒呑童子と対峙した話には全員が固唾を飲んで耳を傾けた。

なんでも、若かりしころ、腕試しで勝負を申し込んだところ、相手が強すぎて諌められたあげく、見逃してもらったそうだ。


「某が敵うような御仁ではなかったが

、奴を倒した源頼光は一枚上手だったようだな」


なんとも、それは平安時代の話だ。この赤鬼、いったい幾つなのやら。物書きの性分か、青年は赤鬼を質問攻めにしている。記者の男は「こうでございますか、いや、こうでございますな!」と、身ぶり手振り、赤鬼の話を体現しているようだ。



そのあとも楽しい酒の湯だったが、腹もくちくなって、湯中り(ゆあたり)を起こしそうなほどになってきた。



「貴殿ら、某と同じくらい赤くなってるぞ。さあ、そろそろ湯を出て、冷たい牛乳でも頂こう」



赤鬼に促され、下戸の青年以外はふらつく足を叱咤しながら温泉を出た。


借りた手拭いで体を拭き、ざっと服を着る。そしてまたも我先にと瓶入りのよく冷えた牛乳を買い、並んでそれに口をつけた。



「ああうまい、我らを率いる牛頭(ごづ)馬頭(めづ)も、牛乳には目がないのだ。まぁ、そうだろうな」



赤鬼はまたしても豪快に笑うと、これは奢りだ、と土産の酒饅頭を持たせてくれた。



「貴殿らと話せて楽しかったぞ。次に会うときは地獄に落ちたときか」



我らがぞっと顔をひきつらすと、冗談だ、と笑った。


「天国と地獄は繋がっているのさ。貴殿らは天国に行くと良い。まぁ、日頃の行い次第だが、そうそう地獄になんぞ落ちんさ」



だと良いが。記者の男など、少し自信が無さそうに苦笑いをしている。


家路につくという赤鬼を見送り、我々もすっかり着替えをして、追加料金の二円を支払う。出口まで行くと、中居の鬼が見送りに来てくれた。



「今宵はよう来てくださいました。ご縁があればまた来られましょう、その時は、お待ちしておりますよ」



このような良い湯屋なら、何度だって来たいものだ。これからは日々、少しはましな行いをしよう。この温泉があるなら、天国を目指すのも悪くない。


















あれよ、と思う間もなく、気づけば我々は火鉢を囲んでいた。回りの風景も、すでに見慣れた駅舎の中だ。


が、ほろ酔いの私も記者の男も、駅舎の冷たい空気が心地よいほどに火照っている。


こころなしか、肌も10程若返ったように滑らかだ。


「いや先生、面白い話でしたな。地獄の湯とは、本当に行ったような心地ですな」


記者の男は五徳から沸騰したヤカンを取り上げると、其々の湯飲みに白湯を注いだ。


「即興など得意ではないのですが、そう言われるとありがたいです」


湯飲みをふぅふぅ、と冷ましながら、物書きの青年は照れたように笑った。


私も、まるで風呂上がりのような心地で先ほどの話に思いを馳せた。うるか、うまかったなあ。

私は、傍らの鞄をあさり、そこから一つの紙袋を出した。


「おお、それは酒饅頭」


記者の男は何故か中身を知っていたようだ。私はそれを取り出すと、空いた五徳に順に並べた。


さて、これらを炙って食べたいが、まだ少し時間がかかる。

時刻は深夜2時、まだまだ夜も更けようもない。


「では、次は私めが」


記者の男はそうおどけると、なにやら地図を広げ出した。


「これは世界地図でございます。先日取材で海を渡りましてな、そこの国が大変美しかったのです」



彼が指を指すのは遥か南の海、噂に聞く、 布哇(ハワイ)という国だろうか。(余談だが、国ではないことを後に知った)



記者の男は勇ましく立ち上がると、芝居めいた様子で朗々とのたまった。


「さあさあ行きましょう、目指すは南国、『砂浜の湯』でございます。上着は脱ぎ捨てて行きましょう、暑うございますよ」

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