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妄想行脚  作者: きのめ
1/5

プロローグ

大正時代くらいの話と思ってますが、辻褄の会わないところはご容赦ください。

恐ろしく寒い夜になった。


夕暮れからみぞれが降りだしたと思ったら、すぐに雪に変わり辺りを瞬く間に真っ白に染め上げた。


大通り界隈のガス灯は明るいが、もう夜も遅く、雪の白の他に見えるは馬車の通りすぎた小汚い(わだち)くらいだ。


時たま通りすぎる紳士淑女も、家路を急ぐのか歩が早い。襟巻きをぐるぐると巻き付け、風を入れるまいと外套の襟を詰寄せている。私もそれにならい、負けじと歩を進める。が、彼らと違って私に今夜の目的地などない。私は心のなかでそっと、何度目になるかわからない悪態をついた。


出先から、本日最後の汽車に飛び乗ったのがつい一刻(約二時間)前、得意先の紡績工場にちょっかいをかけている同業の商人がいるとのたれ込みが入り、飛んで訪ねてきたのだ。


この大口を失うと手酷い損失になる。そして、訪ねてみればなるほどきな臭い、主人の気持ちが揺れ動いてるのがわかる。そこからは接待、交渉、接待、交渉…情に訴え、長い付き合いの主人をようやく説得し、取引の直しを手に社に戻るため、意気揚々と汽車に飛び乗ったのだ。


が、あれよあれよと雨がみぞれになり、みぞれが雪になり、雪に弱い汽車はついにあと一駅、というところで黒い煙を吐くことをやめた。


なんということだ、唖然としてるうちに何時のまにやら汽車をおろされた。

そして、私は鞄ひとつ抱えて、知らない駅の入り口にポツンと佇んでいたのである。



仕方がないので、町を大通り沿いに歩きはじめた。今日はここで宿を探す他あるまい。


一駅と言っても恐ろしく距離はある。歩いて行ってしまおうなんてとんでもない。まして、この雪道である。

馬車ももうない。

宿に泊まって、熱い風呂に入って、熱いポン酒でも引っ掻けて、不貞腐れて寝てしまおう。

そうだ、そうしよう。

そうと決まればなんてことはない。あとは宿を見つけるだけ。


が、現実は残酷だ。なぜなら、そう考えたのは私だけではなかったのである。









3軒目の宿に満室を告げられたところで、宿を取るのをあきらめた。



この街に降る忌々しい雪は湿っていて重たく、しかし容赦なく体の先の方から凍てつかせていく。

爪先が冷たい。寒い、なんて生ぬるいものではなく、冷たい。凍ったナイフで切りつけられているようで、しかし熱した(はがね)を押し付けられているようでもある。


風呂が恋しい。熱い湯に浸かって、この凍えた手足を暖めたい。柚子など、柑橘の果物を入れて、香りの良い湯に肩まで浸かりたい。温めの湯に長く浸かるのも良い。浮かべる桶にはよく冷えたポン酒、そして肴。肴は刺身が良い。今だったら寒ブリか、ハマチか、はたまたコハダを酢でしめたのもいい。そうしたら露天がいい。雪を眺めながら、だらだらと長いこと浸かりたい。



さて、いよいよ感覚がなくなってきたようでもある。

しかたない、今夜は駅舎の中に入れてもらおう。いましがた想像したものは1つもないが、吹きすさぶ雪の下に立ち尽くすよりも何倍もよい。









駅舎までつくと、同じく宿を取り損ねた間抜けがポツポツといるようだった。

なんともなしに気まずく、しかし目が合えばお互い同じ境遇、苦笑いを交わしながら、駅舎が用意してくれた火鉢に手をかざした。


駅舎にいるのは私を含めて3人、一人は身なりの良い青年、もう一人は恰幅の良い勤め人といった風情である。


お互い他人同士、だが同じ火鉢を囲めば親近感もわいてくるというもの。特にここにいるということは、皆すべからくこの雪に立ち往生し、そして運も悪く宿も取れなかった経緯のはずであった。


最初に口を開いたのは恰幅のよい勤め人風の男だった。


「それにしても、ひどく吹雪いてしまいましたな」


鼻をすすり、苦笑いでどちらに問いかけるでもなくそうごちる。


「ほんとうに。まったく、参ります」


次に口を開いたのは身なりの良い青年だった。火鉢の火だけでは暖が足りず、腕をさすって寒そうな様子だ。


私も「ええ、」とだけ相づちをうち、寒そうな青年のために火鉢に用意された炭を足した。

ほんの少し火の威力が強まっただけだが、それでも青年はほっとした表情を見せた。


「ありがとうございます。行き先の駅に迎えを呼んでいたので、油断しました。まさかこんな寒いところで足止めを食らうとは」



それはついてない。

迎えを呼ぶとは馬車のことだろう。なるほど、身なりの良さからも、きっと良いお家柄の子息に違いない。



それをこの仕打ちとは、このような不便にも慣れないだろうに、なかなか可哀想である。



「火鉢だけでは皆寒いでしょう。駅の者に、何か借りられるものがないか訪ねてきましょう」



そういって立ち上がったのは最初の勤め人風の男だ。彼はここで待つようにいうと、小走りに薄暗い構内に消えていった。



なるほど、私とて、この様なところに一晩中では火鉢ひとつで耐えられそうもない。駅の者も、間抜けな我らを憐れんで、施しのひとつでも寄越してくれるかもしれない。



ややあって、大荷物で戻ってきた。

上機嫌の彼が持っていたのは、毛布、五徳、湯飲み、そして水の入ったヤカンだった。


「ちょうど、我々のためにいくつか用意してくれていたようですぞ」


寒さとひもじさに困窮していた我々は、小さくだが、やんや、やんやの歓声を上げた。



毛布があれば、だいぶ寒さが凌げる。ひとまず安心だ。そして五徳にヤカンはよい。白湯を飲めば、何倍も暖まる。



さっそく、勤め人風の男は五徳を火鉢にかけ、ヤカンを上に乗せた。湯が沸くのはしばらく先だが、毛布を被れば凍えることはない。


あとは朝を待つばかり。無事夜を過ごせそうな目処がたってようやく、我々はほっと一息をついた。


「いや、これでひとまずは暖まりますな。ただ、寝てしまったら風邪でも引いてしまいそうだ」


などと勤め人風の男、


「ええ、これも何かの縁。まず、人がいるのがありがたい。話の一つ二つでもしていれば、朝などすぐでしょう」


これは青年。

確かに、このまま寝てしまえば風邪を引いてしまいそうだ。寝ると体温が下がる。雪山等でも、寝ずに朝を迎えるのが定石と聞く。


「そういえば、皆さんはどういう経緯でここにいらしたのですか?」


毛布を手繰り寄せながら、青年はこんどは私に聞いてきた。


みな似たり寄ったりだろうが、私はここまで来た経緯をかいつまんで話した。


やはり、全員宿が取れなかったようで、吹きすさぶ雪の中さまよいここに戻ってきたようだ。


勤め人風の男は記者だと名乗った。とある女優のゴシップを追っていったものの、ガセネタだったようで意気消沈で帰りの汽車に揺られていたらしい。

さらに汽車が止まり、宿も埋まり、踏んだり蹴ったりだ、と男は肩をすくめた。



青年は物書きだと名乗った。執筆中の書き物の取材で、遠くの街まで出向いていたのだという。しかし慣れない一人旅、どうしてよいかわからずに右往左往しているうちに宿が取れなかったらしい。

一人だとなにもできないんですよ、と苦笑いを浮かべる。



しばらく、お互いの苦労話を慰めあっていたが、やおら記者の男は恰幅の良い体をぶるりと震わせると困ったように笑いながら言った。


「外の寒さを思い出すと、なんだかまた寒くなってきた気がしますな」



私と物書きの青年は顔を見合せ、なるほど確かに、と頷いた。皆寒空の下をここまで歩いてきたのだ。そんな話をしても、出てくるのは雪と風のことばかり。

すると、物書きの青年は少し考える素振りを見せて、そうだ、と思い付いた様子で一つ提案をしてきた。



「では、暖まる話でもしませんか?」



「暖まる話?」


記者の男と、口が揃った。

暖まる話とは、いったいどのようなものだろうか。


物書きの青年が説明するに、温泉や観光地に行ったつもりで話をする遊びらしい。


「実際にある地名でなくてもいいんです。雲の上とか、天国とか地獄でも良い。そこに行って、暖かい温泉や、美味しい食べ物を食べたつもりで話をするんです」


なんとも頓狂な遊びである。しかしこの青年、物書きともなれば面白い話を聞かせてくれるかもしれない。

記者の男も同じのようで、「先生の話す温泉なら楽しそうですな」と、乗り気のようである。



物書きの青年はまだまだ沸きそうもないヤカンをちら、と見て、少し考え、では、と話はじめた。


「そうですね、まずは私が言い出した事ですし、私からお話致しましょう。拙い話ですが、ご容赦を」



なにやら、年甲斐もなくわくわくしてきた。いったい、どこにつれていってくれるのだろうか。



「これより参りますは『地獄の湯』。皆様、お足もとにお気をつけくださいね」

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