人形のまち
アルルという少年がいました。
アルルのお父さんは行方知れずで、お母さんと2人で暮らしていました。
アルルは幼い頃、女の子の人形を拾いました。それを大切に部屋に飾っています。お母さんには秘密です。なぜなら、その人形は人間のように動いて喋る人形だったからです。
アルルのお母さんは[呪い]にまつわるものを嫌っていました。髪の伸びる人形なんて持ってのほかです。見つかったら捨てられてしまいます。
アルルは人形にメイという名前をつけました。メイは緑色のドレスを着た金髪の女の子です。
アルルはある雨の日に街の細い路地に捨てられていたメイを拾いました。その時のメイは髪は泥まみれで、服のボタンもいくつか取れていて、酷い有り様でした。とても見ていられなかったアルルは持ち帰って直したのです。すると、メイはありがとー、とアルルに言いました。それが2人の出会いです。
ある日のこと。
アルルは体調の悪いお母さんのために薬を買いに行きました。
家に帰ると、お母さんがメイを握り締めて待っていました。
「メイ!」
「やっぱりか」
慌ててメイに駆け寄ろうとするアルルに嗄れたお母さんの声が降ってきました。
「お前、こんなものを家に持ち込んで……わかっているのかい?これは呪いだ。災厄をもたらすものなんだよ?こんなもの、捨ててしまいなさい!」
「そんな!メイは呪いなんかじゃない、災厄なんかじゃないよ!メイはとっても優しい女の子なんだ。僕の友達なんだ。捨てるなんてできないよ!」
「知ったことか!ごほっごほっ」
「母さん!……大丈夫?」
口を押さえた手を見ます。赤いべとべとしたものがついていました。
「ほら見ろ。これもきっとこの呪いの人形のせいだ!」
「違うよ。母さん、この薬を飲んで?病気は薬で良くなる筈だから」
アルルがお母さんに薬と水をあげますが、お母さんはそれを振り払いました。
「もう手遅れだ!知ってる……医者にもう一年ともたないと言われていることくらい……」
「母さん……」
「全部、この呪いの人形のせいだ!こんな人形なんか……!」
お母さんは窓の外にメイを投げてしまいました。
「母さん、なんてことするんだ!メイ!」
アルルはメイを取り戻しに外へ出ました。
「呪いの人形をわざわざ拾いに行くなんて、全く、馬鹿な子だね……うっ……」
その言葉を最期に、お母さんは倒れてしまいました。
アルルはメイの落ちた方向に走りました。けれど、そこをちょうど馬車が通りかかります。アルルは止まらざるを得ませんでした。
馬車の通ったあとには、何も残っていませんでした。
メイは?メイはどこに行ってしまったんだ?
アルルはあちこち探します。けれど、結局メイは見つからず、家に帰ると、お母さんが倒れていました。
アルルはこの日、全てをなくしてしまったのです。
さて、メイは知らない天井のところで目を覚ましました。
「ふえ?ここ、どこ?」
「馬車の中よ」
知らない女の人が答えました。
「……お姉さん、誰?」
「私はヴィーナス。旅をしているの。あなたは?」
「わたし、メイ。ねぇ、アルルはどこ?」
「アルル?」
「アルルはメイのともだちなの。メイ、アルルのところに帰りたい」
「そっか……でも、メイちゃん、一体何があったの?道で泥んこになって落ちてたのよ?」
「それは、アルルじゃないの。アルルのお母さんなの」
メイはヴィーナスに訳を話しました。
「そっか。わかったよ。メイちゃんをアルルくんのところに届けてあげる。まだ街からそう遠くは離れてないから、1日もあれば戻れるよ」
「ありがとー!」
メイは1日眠っていたので、街に戻れば、ことが起きてから2日経っていることになるのですが……
次の日。ヴィーナスの言った通り、元の街に着きました。メイはヴィーナスをアルルの家に案内します。
「ここだよ!ここ」
「うん。ごめんください!」
ヴィーナスが声をかけます。しかし、返事はありません。もう一度言います。……やはり返事はありません。
「どうしたんだろう?なんか、いないみたいだよ?」
「ふえ?」
メイも首を傾げます。そこに通りすがりのおばさんが声をかけてきました。
「そこの家にはもう誰もいないよ。お母さんが亡くなって、一人息子のアルルくんは人のよさそうな男に引き取られていったよ」
「あらまあ……」
それは大変でしたね、とヴィーナスが言いますが、おばさんはいやいや、と続けます。
「どうせこの家は村八分だったんだ。みんな表立って言わないけどね、いなくなってせいせいしてる人の方が多いよ。何せ奥さんが呪いだの何だのと騒ぐ気味の悪い人でねぇ……アルルくんはいい子なんだけど、やっぱり、ねぇ」
そうですか、とヴィーナスは軽く相槌を打って、おばさんにお礼を言いました。
「残念。アルルくん、ここにはいないみたいね」
「うん……」
メイはしょんぼりしました。アルルに会えなかったのもそうですが、アルルのお母さんが亡くなってしまったというのもショックでした。
アルルのお母さんは元々病気がちで、働くことができませんでした。代わりにアルルが時々働きに出ていました。
それでも稼ぎはあまりよくありません。だからお母さんはアルルにもっと働けと言っていました。
どんなに酷いことを言われても、アルルはお母さんのためにと頑張りました。アルルはお母さんが大好きでしたから……
アルルのことを思うと、メイは少し悲しくなります。綿しか入っていないはずの胸がぎゅっとなって苦しくなります。
「アルル……」
メイがお母さんに捨てられた時だって、お母さんの側にいたかった筈なのに……
「メイちゃん、大丈夫よ。ここでは会えなかったけど、探しましょう、アルルくんを」
しょんぼりするメイにヴィーナスは言いました。
「いいの?」
「もちろん」
そうしてメイとヴィーナスは旅に出ました。
アルルはメビウスという男の人に、ある街に連れて来られました。
その街には誰もいません。いいえ、誰もいない訳ではありません。ただ、人間ではないのです。
「人形の、まち……」
街を歩くもの、家を直すもの、全てが人形だったのです。
「そうですよ、アルル様。ここは人形たちが住まう街。人形たちはどれも、呪いを受けた悲しい人形ばかりです」
メビウスが言いました。[呪いを受けた悲しい人形]という言葉がちくりと胸に刺さります。
「……人形たちは、ここで何をしているの?」
「暮らしているのです。持ち主に捨てられ、行き場を失ったものたちですので……」
アルルの頭にメイの姿が浮かびます。
「アルル様には、ここで働く人形たちの修繕をお願いしたいのです」
「……修繕?直すの?」
「はい。ここはあなたのおじいさまが作った街ですので、代々、人形たちの修繕は当主自らが行っておりました」
「ということは、父さんも?」
アルルが訊くと、メビウスは暗い顔で頷きました。
「もしかして、父さん……」
「はい。先代様は先日……」
それで、アルルが必要になったのです。
アルルがどうしようか迷っていると、1人の人形がやってきました。
「すみません、腕がうまく回らないのですが、診てもらえませんか?」
アルルは困りながらも、その人形の肩がおかしな形で固まっていることに気づきました。
服を脱がせて見ると、肩の関節部分の球体が外れていました。
「これでいいんじゃないかな?」
「ありがとうございます!これで仕事に戻れます!」
「先生、うちの坊やの足も診てください!」
「娘の目も!」
次々と人形がアルルの元に押し寄せてきました。
アルルは困りながらも、どこか嬉しくありました。
ここならきっと、メイも一緒に暮らせる……!
アルルはこの街で暮らすことにしました。
メイはヴィーナスとアルルを探して旅をしていました。
しかし、アルルの手掛かりはなかなか掴めません。人々が喋る人形のメイを怖れて逃げてしまうのです。
「困ったわね……」
「……メイが呪われてるのがいけないのかな……」
「メイちゃん」
しょんぼりするメイにヴィーナスは言いました。
「呪いは悪いことじゃないわ。確かに、呪いは人に悪さをする。でも、のろいが転じてまじないになることだってあるの。だから、気にしなくていいのよ」
「まじない?」
「うん、おまじない。のろいは人に悪さするけど、おまじないは人の心を治すことができるの」
「心を……治す……」
メイはアルルを思い浮かべました。
「……メイ、アルルのおまじないになれるかなあ?」
「きっとなれるわ。ううん、もうなってる。お友達は一番のおまじないだもの」
けれど、ヴィーナスは感じていました。メイにかかっている呪いは、まじないに転じることはないと……
ヴィーナスは呪いを解く専門家でした。出張で色々なものの呪いを解いて回っていたのです。その旅の途中でメイに出会いました。
多くの呪いを見てきたヴィーナスはメイにかかった呪いの深さに、会った当初、驚きました。本当なら当の昔に呪いとしての本領を発揮していてもおかしくないほどのものでした。
それがなかったというのは、きっとアルルくんのお蔭なのね……と微笑ましく思っていました。
でも、旅の途中で呪いが発動したら……ヴィーナスは立場上、呪いが人に害を成すのを止めなくてはなりません。だから、メイの呪いも解き放たれた時は、メイの呪いも解かなくてはならないのです。
けれど、呪いを解いたら、きっとメイは動かなくなってしまうでしょう。
ヴィーナスは迷いながらも旅を続けました。
メイは夜、眠れない日々が続いています。人形のメイは眠れなくても困ることはないのですが、アルルと一緒にいた時は夜は一緒に眠っていました。
なんだか、すーすーする……
綿しか入っていないはずの胸を見ます。アルルがいつか直してくれたボタンがありました。
「アルル……会いたいよ……」
人形なのに、涙が出そうだよ……
そんなメイをヴィーナスはそっと見つめることしかできませんでした。
「不思議だなぁ」
アルルは街の人形たちの修繕をしながら呟きました。
「どうしました?アルル様」
「うん、いや、ここにいる人形たちが呪われてるなんて、とても思えなくて」
どの人形も人間と同じように、働いて、家に帰って、家族と一緒に暮らしています。とても幸せそうで、呪いとは無縁なようにさえ見えます。
メビウスは答えました。
「彼らは呪いを乗り越えたのです。辛く苦しい呪いを乗り越えて、今のこの生活を手に入れたのです」
「……メイも、この中で暮らせるようになるかな?」
「もちろん、呪いを乗り越えることができたなら、きっと」
アルルは人形を直すという仕事のため、この街を離れることができなかったけれど、メビウスに頼んでメイを探していました。
「そうそう、メイ様について、有力な情報を手に入れました」
「本当?」
「はい。何でも、近くに喋る少女の人形を連れた旅の女性が来ているとか」
「メイ、人に拾われてたんだ……」
アルルはほっとします。
「どうなさいますか?街のものたちに断って、明日、その街に行くのなら、そのように手筈を整えますが」
「うん、行くよ!だってメイに会えるかもしれないんだ!」
「かしこまりました」
「メイちゃん、いいお知らせだよ!」
その朝、ヴィーナスは喜びいさんでメイを起こしました。
メイはやはり眠れずきいましたが、ヴィーナスの声にはっとします。
「どうしたの?」
「この近くに人形たちの街があるらしいの。人のよさそうな男の人が管理しているみたいなんだけど、そこに最近男の子が住み始めたんだって。ちょうど、アルルくんと同じくらいの年の子が!」
「えっ!もしかして……」
「うん、アルルくんかもしれない!それに、今日その子がこの街に来るって!」
寝不足で鬱々としていた気分が吹き飛びました。メイの目がきらきら輝きます。
「アルルに会える!」
「うん、そうだよ。だから元気出して、準備しよ!」
街に馬車がやってきました。この辺りではあまり見かけない立派な装飾が施された馬車です。
物珍しさに人が集まってきました。メイとヴィーナスもその中にいます。
「あれかな?」
「うん、きっと」
馬車の出口が開きました。まず中から片眼鏡の男の人が出てきました。続いて、少年が出てきます。
「アル」
「出て行け!」
メイが名を呼ぶ前に、そんな怒号があがりました。
「呪いを守る気狂い野郎どもが!!」
アルルが驚いたように目を見開き、それから切なそうに顔を歪めるのが見えました。
「前の当主や先々代の当主はどうした!おい、そこの片眼鏡。知らないのか!?」
「先々代様も先代様も、お亡くなりになられました。このアルル様が現当主でございます」
「こんなガキがか!?ふざけるな!あの呪われた木偶どもが、いつ呪いを撒き散らすともわからないのに、それをこんなガキがだと!?俺たちを何だと思ってやがる!?」
「「そうだそうだ!!」」
街の人々が声を揃えて言います。遂にはアルルたちに石を投げ始めました。アルルたちはその場から動けずにいます。
「痛っ……!」
石の一つがアルルの頭にぶつかります。それを皮切りにどんどん騒ぎは大きくなっていきます。アルルに次々と石が当たり、傷が増えていきます。
メイは我慢の限界でした。ヴィーナスの肩から降りて、人垣の前に出て行きました。
「やめて!アルルをいじめちゃだめっ!!」
突然、騒ぎの渦中に現れたメイにアルルは喜びと同時に驚きを覚えました。
「メイ……」
「みんな、アルルをいじめないで!アルルはなんにも悪いことしてない!メイを助けてくれたの!だから、やめて!!」
メイが現れたことで、騒ぎは一旦鎮まりました。しかし、それも一時のことで、次に訪れたのは恐怖の渦でした。
「わぁぁあ!呪いだ、呪いの人形が現れたぞ!!」
「悪魔め、元々私たちに呪いを振り撒く魂胆だったんだな!」
「失せろ!いなくなれ!」
メイは呆然としてしまいます。そこへ再び石が投げつけられます。
「メイ、危ない……!」
はっとしたアルルがメイを庇って前に出ます。
「メイ……大丈夫……?」
「あ……アルル……」
アルルは血だらけです。それでも、メイに石が当たらないように覆い被さっています。その体の向こうからは石の当たるごつごつという音が聞こえてきます。
「アル、ル……」
「大丈夫だよ、メイ。……メイ?」
アルルはメイの異変に気づきました。瞳から光が失われていたのです。
「メイ?……メイ!」
「アルル、をいじめ、る、やつ……アル、ルをいじめ、るやつ、なんて……」
「メイ、メイ!」
アルルの声色の変化に、少し遅れてヴィーナスが異変を感じます。
まさか、こんな時にーー!?
「アルルをいじめるやつなんてーーーーーー消えてしまえーーっ!!」
メイの中にあった呪いの力が解き放たれてしまいました。
黒い靄のようなものが出てきて、石を投げつけていた街の人々にまとわりつきます。人々は振り払おうとしますが、靄は体の中に吸い込まれるように入っていきます。
靄が体に入ってしまった人は苦しんで倒れていきます。
アルルやヴィーナスの方には来ませんが、これは呪いとしてはかなりまずいです。「メイ!どうしちゃったんだ、メイ!」
ヴィーナスはメイに呼びかけるアルルの元に向かいました。
「君がアルルくんね?」
「あなたは?」
「メイちゃんとあなたを探して旅をしていた者よ。呪いにちょっと詳しい仕事をしているの」
[呪いにちょっと詳しい仕事]という言葉にアルルの顔が翳ります。
「……やっぱり、これはメイにかかった呪いなんですね」
「残念だけど、その通りよ。……しかも、呪いはかなり大きい。元に戻すのは難しいと思う」
「そんな……!呪いは乗り越えられるものじゃないんですか?」
アルルの脳裏には呪いを乗り越えて幸せに暮らす人形たちが浮かびました。
「呪いが大きければ大きいほど、乗り越えるのも難しいわ。このまま乗り越えられるのを待つ訳にもいかないの。メイちゃんの呪いは人を死なせてしまうかもしれないから」
アルルは必死にメイを助ける方法を考えます。
「呪いを……呪いを解くことはできないんですか?」
「できるけど……呪いが解けると、メイちゃんはただの人形に戻るわ。喋ることも動くこともできなくなる。それでもいいの……?」
アルルの時間が止まります。
メイと、話せなくなる……?メイと、触れ合うこともできなくなる……?
しかし、迷っている時間はありませんでした。
そして、アルルはーー
「ーーィーー!メイ……」
遠くでメイの名を呼ぶ声がします。
アルル……
名前を呼ぼうとして、声が出ないことに気づきました。そういえば、顔も見えません。
あれ……?わたし……もう、喋れないの……?アルルの顔も見られないの……?
いやだよ……寂しいよ……悲しいよ……でも、あれ……?胸の、ぎゅってなって苦しいのがない……そっか、わたし……心もなくなって……いくんだ……
ああ、アルル。会いたかったよ……でも、さよなら。さよならしたんだね……さよなら……わたし、のろいからおまじないになれなかったんだ……だから、消えるんだ……ごめんね、アルル……あなたの心を……治し、たかった……
あれ……?わたし、自分のこと、もっと違うふうに呼んでた……なんでだろう、思い出せない……わたし、名前も忘れちゃっ……
「メイ!」
!?
ーーはっきりと、聞こえました。
メイ……そうだ。メイ。これが、メイの名前……!
アルルがつけてくれた、大切な名前!!
それに気づいたメイは目を開きました。
「メイ!」
「アルル……」
アルルはメイが目を開けたのを見て、メイを思い切り抱き締めました。
「メイ……!よかった……よかった……!」
「アル、ル……く、苦しい……」
「ああ、ごめんっ」
アルルは一度メイを離し、そして優しく抱き直した。
「アルル……メイ、会いたかったよ……」
「うん、僕もだよ……」
「でも、どうして?メイ、もう戻れないと思ってた」
「それは、アルルくんが諦めなかったからよ」
ヴィーナスが入ってきました。メイにあの時のアルルの選択を話しました。
「じゃあ……メイの呪いを封じることはできますか?」
それを聞いた時、ヴィーナスは驚きました。アルルがその方法を知っていたこともですが、その方法を選んだことに。
「できるわ。でも、それはメイちゃんそのものを内側に閉じ込めことになる。……呪いを解くより残酷な結果だと思うけど……」
しかし、アルルの瞳からは迷いが消えていました。
「いいえ。いなくなってしまうより、ずっといい!それに、メイはきっと、僕が呼べば答えてくれるから……!」
そうして、呪いを封じ、アルルはメイに呼びかけ続けていたのでした。
「前例のないことよ。驚いたわ。こういうのを奇跡っていうのね……って、聞いてない……」
ヴィーナスが苦笑いする脇で、アルルとメイは再会の喜びを噛みしめていました。
「アルル、ありがとー」
「メイ、ありがとう」
これからはずっと一緒だよーー