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三 追随

 水木は晩餐用の準礼装に着替え、その消え入りそうな美しさが一層際立つように見えた。

 水木の部屋の前から、ホテル最上階の会場へ向かう専用エレベーターへ葛城と水木が向かおうとしたとき、向こうから既に昨日から見慣れた大柄の中年の紳士が歩いてくるのが見えた。

 業界随一の美術収集家の一人の両目に、フレームの裏側に宝石がネジのようにはめ込まれた老眼鏡を通じて、二人の美しい青年がこちらを見たのが映る。水木と似た服装をした美貌のモデルは水木より少し背が高いが、やはりごく細身の、しなやかそうな体つきをしている。

「学、疲れは取れたか?」

「・・・・」

「展示会では、絵よりお前のほうがずっと絵のようだった。あの衣装は、本当に素敵だね。」

「・・・・・」

 水木は返事はしなかったが、歩み寄ってくる巨体の紳士をじっと見つめている。

「あと一か月で、お前の誕生日が来る。私は約束したとおり、お前の独立をゆるすよ。淋しくなるけどね。」

「はい。」

「今日は、公の場でお前と一緒に過ごす最後の夜だ。頼みを聞いてくれるかな?」

「はい。東海林さんがいなければ、今の僕はありませんでした。」

 葛城はふたりの様子をじっと見ている。

「あの衣装をもう一度着て、今日の夕食会に出てほしい。ほかのモデルにも頼んである。衣装は今、私の部屋へ運ばせているよ。」

「はい。・・・・あの・・・」

 葛城は水木の代わりに言った。

「私も、水木さんと同行してかまいませんか?」

 東海林は水木の隣の、長髪の美青年に向かって答えた。

「もちろん、構いませんよ。」

 三人は専用エレベーターの前を通り過ぎ、最上階の客室へ上がるエレベーターホールへと向かった。

 エレベーターの扉が開く直前、インカムのイヤホンから高原の声を聴き、葛城は髪に隠したマイクから短く返事をした。

 東海林の泊まる客室は広々としたスイートだったが、室内にはその広さを忘れさせるほどの膨大な荷物が運び込まれていた。殆どは絵画のようだった。

「一緒に旅行する絵たちが年々増えてね。困ったものだ。」

 二人に応接セットのソファーへ座るよう勧め、自分も座ろうとしてすぐにドアのインターフォンが鳴り、出迎えに行く。

 男性の係員が衣装ケースを両手に持って入ってきた。

 入口を入ったすぐのところへそれを降ろさせ、東海林の指示どおり、係員の手でドア脇のコートかけのハンガーへ衣装が吊るされていく。

 係員はいったん廊下へ出て、次にかなりの大きさの姿見を、キャスターを転がしながら部屋に持ち込んだ。

「ありがとう。着替えも手伝ってくれるかな?」

「かしこまりました、東海林様。」

 水木が姿見の前に呼ばれ、葛城も傍まで歩いていく。

 係員に手伝われ、水木は中世の宗教家の扮装をした妖艶な美青年へと姿を変える。

 闇夜のような色のマントが、白い肌をくっきりと浮かび上がらせる。

 東海林の指示で傍らの台に置かれていたカメラを手に取った係員は、しかし撮影の前に東海林に目配せした。そのまま部屋の主に近づき、低い声で一言二言話す。

「なるほど」

 嬉しそうに目の色を変え、東海林が葛城のほうを向いた。

「そこの新米モデルさん、今日の展示会でもお願いしましたが、学と同じ衣装を着てくれませんか。一人より迫力が出るし、本人も気がラクでしょうし。それで、差支えなければこの部屋で一枚、記念写真を撮らせてくださいませんか。」

 葛城は上着を脱がないことを条件に承諾した。

 衣装ケースには同じ衣装がもう一着、用意されていた。展示会のときに使われたものだ。

 やはり係員が手伝った。

 頭から床まで達する漆黒のマントを羽織った葛城を見ながら、東海林は満足そうに笑った。

「展示会会場では遠くからでしたが、近くで見ると・・・・。君は学に似ているし、そしてもっと鮮烈だ。何も遮るものがない、目をつぶされるみたいな、美貌だね。」

 係員は二人を入口脇の広い壁の前に立たせ、何枚もシャッターを切った。

 葛城は、終始、この男性係員の様子に目を配る。

 部屋を出るとき、一言だけ係員は水木に耳打ちした。それはただの挨拶のようにも見えたが、一瞬で終わり、そしてそれが係員がした行動の中で唯一不審といえるものだった。

「それでは、これにて失礼いたします」

 係員は部屋を出ていった。

「いけないいけない、夕食会が始まってしまうね。」

「僕は、行かない。」

 葛城の隣に立ったまま、水木が言った。

 部屋の奥のクロゼットへ自分の上着を取りに行こうとした東海林の、足が止まった。

 ゆっくりと、巨体の紳士は水木のほうを振り返った。

「一階で、倫子を見たって。」

「・・・なにを、言っている?」

「僕を、迎えに来たんだ。やっと。」

「学!」

 東海林の滞在する最上階のスイートルームの入口ドアが、ぎりぎり視界に入る廊下の先で監視していた高原は、葛城からインカムへ何の予告もなかったにも関わらず、いきなり扉が開き水木が飛び出したのを見て度肝を抜かれた。

 水木は迷わずこちらへ向かって走ってくる。すぐに階段室へと消えた水木を追って、高原も階段を駆け下りた。

 二つフロアを降りたところで追いつき、腕をつかんで止める。

 水木は修道僧のような白い衣装を着て、しかし昼間のようなマントはつけておらず、そして足は素足だった。

「どうしました、水木さん」

「警護員さん・・・ホテルの人が、僕の家族が下に来てるって・・・・でも早くいかないとまたいなくなってしまう・・・・三階までつれてってください、そこからなら、行き方わかるんです。」

「・・・・・」

 高原は水木とともにエレベーターに乗りこみながら、再びインカムへ呼びかけた。葛城の返事はない。


 

 部屋のインターフォンを数回鳴らしたが返事がない。

 山添は、波多野に預かったマスターキーで扉を開けた。

 ツインルームにエキストラベッドを入れた室内に、変わったところはない。誰もいない。

 が、バスルームの中から微かなうめき声がすることに、すぐに山添は気がついた。

 バスルームの扉は、外から、見慣れた金具で固定し封印してある。

「これは・・・・」

 携帯している小型工具で、手早く金具を解除し、扉を開けた。

 バスルームの床で、両手両足を縛られて猿轡をかまされた茂が、入ってきた山添の顔を見てうめき声を大きくした。横向きに床に横たわるかっこうで、手足を縛ったロープの先は壁の手すりにしっかり括り付けてある。

「河合さん、なんということに」

「ううー、ううー」

「待っててくださいね、今ほどきますから。」

 小型ナイフで茂の縛めを解き、猿轡をほどいてやる。

「あ、ありがとうございます・・・山添さん・・・・」

「晶生ですね。」

「はい・・・」

「あの金具はうちの会社の警護員は皆使いますが、留め方でわかります。そしてこの念入りな縛り方は、晶生らしいです。」

「山添さん、もしかして波多野さんに?」

「はい、遠巻きにして、なにかあったら援護するよう指示を受けています。夕食会場にクライアントも怜も、そして晶生も現れないので、不審に思いました。クライアントの所属事務所の人に聞いたら、東海林さんのところへ後輩モデルと一緒に行ったとのことでした。しかしクライアントの都合で遅れるにしても、河合さんまでいないのは変です。」

 山添は茂が立ち上がるのを手伝う。

「で、まずここに来たというわけなんですが・・・・。晶生は河合さんを外したということは、今晩の襲撃が最初で最後、そして危ないものだと思ったんですね。」

「はい。」

「歩けますか?行きますよ。」

「はい。」

 二人は最上階のスイートルームへ続くエレベーターへ向かった。



 水木を追って部屋を出ようとした葛城を、東海林の腕がつかんだ。

「待て、学」

「・・・!」

「お前を殺すのは、もうやめようと思ったのに」

「東海林さん!」

「逃げようとさえしなければ、殺そうとなどしなかったのに」

 葛城は、目の前の巨体の紳士の両目から、正気が失せ常軌を逸した色がそれに取ってかわっていくのを見た。

 インカムから高原の声が入った。

「怜、水木さんが階段から階下へ向かった。追っている。お前は大丈夫か?」

 葛城の声は出なかった。

 黒いマントの上から葛城は両肩をつかまれた。

「お前を育て、守り、欲しいものは全て与えた。死んだ家族の分まで、愛情を注いだ。あいつらがお前を・・・・弄んだ罰を、お前が与えたことも、赦した。悪い仲間と、取り返しのつかない遊びをつづけていることさえも・・・・!なのにお前は、いつも、私よりも、死んだ家族のほうを愛している。」

「・・・・・」

「不自由ない金も送っている。使い道など一度もきいたことはない。」

「水木さんをモデル事務所で襲撃したのは・・・・、貴方ですね、東海林さん」

「お前はいつも、私の前から、いなくなる。」

「女性の名前で脅迫状を出したのも・・・。暴力団関係者へ殺害の援助をしたのも。」

「もう、どこへもやらない。学。どこへも。」

「・・・・・」

「ここでお前が死んだら、私は、もうあいつらにお前を殺せと言わずにすむ。お前は死に・・・私は殺人罪でつかまって・・・すべておわる・・・・・」

「・・・・・」

「お前を追いかけることを、もうしなくて済むんだ。」

 葛城はそのまま床へと、非常な力で仰向けに押し倒された。



 三階でエレベーターホールは別館との乗り換えエリアとなり、左右へは長い通路が伸び、正面は地下へのエレベーター、後ろが階段室という構造だった。

 高原はホテルの平面図は頭に入っていたが、クライアントが行きたいという一階ロビーへそのまま案内することを躊躇した。

「警護員さん、あのエレベーターに乗せてください・・・はやく」

「水木さん、・・・やはり危険です。」

「どうしてだめなんですか・・・」

 水木の追い詰められた、尋常でない目つきに一瞬沈黙したが、すぐに高原は体をかがめ、自分よりずっと背の低い水木の顔と水平に目が合うところまで身を低くして、言った。

「一緒に来てください。夕食会場へ向かいます。着替えは電話で用意させますから。ここにいては危険です。」

 それは、通常の高原には、決してありえないことだった。

 予定外の場所で、無用な数分間を過ごすこと。そして、なによりも、襲撃ポイントをつくりだしてしまうこと。それが発生した稀有な瞬間を、つかれたことを数秒後に高原は思い知った。

 階段室から廊下へ従業員が一歩足を踏み入れ、高原が振り向く隙をほぼ与えず、組み合わせた両手を高原の後頭部へ振り下ろした。

 その両手は高原の首の下辺りを一撃し、高原は床へ片膝をついた。

「ふうん。よくぞ急所を外したね。でもちょっと、・・・動けないでしょう?」

 金茶色の髪を肩近くまで伸ばした、ホテル従業員の制服姿の青年は、楽しそうに高原を見下ろした。

「・・・・」

 後ろ手にエレベーターのボタンを押しながら、深山は細い銀色のナイフの先端につけたメッセージカードを、水木のほうへと向けた。

「水木さん、行きましょう。倫子さんが、待ってますよ。」

 水木は深山のほうへ歩き、腕をつかまれた。

「階段より、エレベーターがいいですよねえ。それじゃあ。」

 二人を吸い込むようにしてエレベーターの扉が開き、そして閉まった。

 床に片膝をついたままの姿勢で、高原の右腕が弧を描き、ごく細いスリングロープの先端がエレベーター扉の内側へと飛び込み、エレベーター内でその天井まで達し止まった。

 深山は下がるエレベーターの中でそれを見上げ、苦笑した。

「たいしたもんだね。いいよ、追いかけておいで。一緒に殺してあげる」

 スリングロープがその総延長の半分伸びきる直前で腕から外し、止まったところでその長さを見て、高原は頭をふりながら立ち上がり、もう一度インカムへ呼びかけながら階段室へと向かった。



 床へ仰向けに押し倒した葛城の顔を見下ろす東海林の両目は、葛城を通して、水木を見ていた。

 その両手が葛城の首に回る。

「お前も、わたしのたくさんの美術品と同じように・・・いつまでもいつまでも、わたしのものだ。」

「・・・・・」

「終わりは、永遠だ。わたしも、そうだ。」

 葛城の首を、東海林の巨大な両手がぎりぎりと締めていく。

 葛城の両手が、反射的に抵抗しようと床を離れかけたが、すぐに再び床へと落ちた。

 茂と山添が東海林の部屋にマスターキーで踏み込むと、そこには、床に苦悶の表情で横たわる葛城と、その首を絞める東海林の姿があった。

 茂は東海林に横からほとんど体当たりに近いかたちで飛びかかり、一緒に葛城の向こう側の床に倒れ込んで後ろからビニールテープで手足を拘束した。

「この、クソ変態じじい!」

「河合さん、言葉遣い!」

 警護員の勤務中の暴言は禁じられている。

「わかってます!」

 茂が拘束した東海林をうつぶせのまま部屋中央近くへ引きずるのを見届け、山添は床に仰向けに倒れたままの葛城へと駆け寄る。

 葛城は、そのまま意識を失った。

 山添は葛城の呼吸と脈拍を確認し、ほっと息を吐き出したが、すぐに葛城の両頬を両手で抱くようにして叫んだ。

「・・・・この、クソバカ野郎!」

「山添さん、言葉遣い!」

「わかってます!・・・・怜、お前、なんで反撃しなかった!」

 山添は、目を閉じ昏倒したままの葛城の、耳に届かないと知っていても、怒りで叫ぶことを抑えられない様子だった。

 どんな態勢であろうと、相手との体重差がどのくらいであろうと、少なくとも自分自身が襲撃されたときの反撃方法は警護員として最低限のスキルである。

 葛城が、抵抗できなかったのではなく、抵抗しなかったということは、明らかだった。

 茂は葛城のインカムを取って装着し、高原に呼びかけようとしたが、それより先に高原の声が入ってきた。

「怜、聞こえているか?大丈夫か?」

「高原さん、河合です!」

「・・・・お前、なにしてる!」

「葛城さんのインカムから話してます。葛城さんは東海林に襲撃されて、意識を失っています。」

 一瞬、高原の言葉が詰まった。

「・・・怜の、状態は?」

「心肺ともに正常で大きな負傷もありません。東海林も取り押さえました。」

「わかった。」

「しかしクライアントが行方不明です」

「今俺が追っている。ひょっとしてそこに・・・」

「はい、山添さんもいます。」

「わかった。河合はホテルの従業員へ警察を呼ぶよう伝えろ。それから、怜を頼む。崇は可能なら俺の援護に入ってくれ。クライアントは襲撃犯とともに地下一階へ向かっている。地下一階にあるのはプールだけだ。」

「わかりました。」



 高原がクライアントと襲撃犯を追跡しているコースは、宿泊客が部屋からプールへ向かうルートだった。

 山添は、記憶にあるホテル平面図から考え、東海林の客室から最も早くプールへ到達できるルートは、ホテル車寄せから前庭の芝生を抜け、石段を降りて柵を乗り越えるコースであることから、その道をとった。

 プールのレベルは地下一階だが、サンクンガーデンのようになったそれは、地上にあり、夜空を反射した美しい水面を湛えていた。

 フェンスの手前で、山添は目の前に現れた長身の男性に、山添の顔色がたちまち変わった。

「こんばんは、大森パトロールの山添さん。」

「・・・・」

「その節は、お世話になりました。というか、お世話しました、ですかね。」

「・・・・」

「月ヶ瀬さん、一命を取り留めはったみたいで、よかったですな。」

「水木さんを狙っているのはやはり貴方がただったんですね」

「我々だけじゃないですけどね。あ、だめですよ」

 脇をすり抜けようとする山添の前に、酒井が一歩足を横に踏み出し、右手を伸ばす。

「・・・・」

「大森パトロール社の上級警護員さんともあろう方が、相手の実力がわかりませんか。しかも一度、お手合わせまでした仲やのに。無駄なことはなさいますな。」

「貴方が門番をしているということは、本当にここが殺害現場になるんですね」

「ひとの仕事を邪魔してはあきませんからね。ここで足止めさせてもらいます。」

「・・・俺を足止めすると言いますが、それはつまり、あなたが足止めされているということですよ。」

 酒井は目の前の、青年というより美少年という形容がふさわしい、愛らしい童顔をした警護員を憎らしげに見下ろした。

「こんなときでも、口の減らないひとやね。あのときやっぱり、殺しといたらよかったかな。」

 再び坂の下のプールを見降ろした山添はあっと声を上げた。

 プールサイドには、いつの間にか、水木学が一人で立っていた。

 そしてしばらく後、足下の地下一階出口から、水木同様、こちらへ斜めに背を向けるかたちで高原がプールサイドへと足を踏み入れたのが見えた。



 高原が地下一階のプール入口を抜け、夜空と水面が大きく広がる空間へ出ると、クライアントがひとりで、夜の、プールサイドに立っているのが見えた。

「水木さん!」

 高原の呼びかけに、少しの時間をかけて反応し、水木が振り向いた。白い衣装の素足に巻きついているものを認め、高原が顔色を変えて一歩踏み出した。

「いやだ、東海林、来るな。来ないで。」

「水木さん。落ち着いて。私は東海林ではありません。あなたのボディガードです。」

「来ないで・・・」

「あなたに、なにもしない。あなたのしてほしくないことは、なにもしません。」

「来ないで!」

 クライアントの足が、何かに引きずられるように取られた。水木は仰向けに転倒し、そのまま脚から引きずり込まれるようにプールへ落ち、水面下へ沈んだ。

 ごく細いチェーンが光を微かに反射し、解き放たれた水中から飛び込み台の手すりを経由して、地上へ飛び戻るのが見えた。

 そしてその銀色の鎖の紐は、まだ任務を終えたわけではなかった。

「追ってこなければ、死なずに済んだのに。」

「・・・・!」

 高原の首に巻きつけた美しい銀色のチェーンを締め上げ、背後の青年が、息がかかるほど高原の横顔に顔を寄せて、ささやいた。

「クライアントと同じプールで死ねるのは、警護員としては、やっぱり本望?」

「・・・・・」

 高原の体を、首を締め上げたまま深山はゆっくりとプールの水際まで引きずっていく。

「警察と従業員を呼んだ。逃げられないよ。」

「まだそんな元気があるの。」

 薄い手袋をした両手を深山が鎖の持つ位置を最後の場所へとずらしたとき、高原の左手が大きく弧を描いた。

 左のスリングロープを高原が投げ、クライアントの服に先端が届くとさらにロープを大きく伸ばして反対側へ振り、ライトアップ機材の支柱を経由して深山の背後からロープを回り込ませた。

「くっ!」

 後ろ向きにプールへ飛び込んだ高原に、首に回したチェーンごと腕をとられ、深山は高原と共に、ライトを反射する水の中へと沈んだ。

 高原が仕掛けたスリングロープは照明機材の支柱を滑車のように滑り、高原と深山が水面下へ落ちたと同時に、水木の体をプールサイドへと引き上げた。

 深山は高原の腕を引きはがそうとしたが、高原の両手の恐ろしい力がそれを許さなかった。

 そのまま深山は高原の首に巻いたチェーンをさらに強く締めた。

 水中で、深山は、苦痛の表情で両目を閉じた高原が、再び微かに目を開き、こちらを見たのがわかった。


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