第百三十九話 偽物の本モノ1
シャルの傷は思ったよりも浅かった。
だがすぐに治るという訳でも無かった。
「丁度良い機会です。
君達はゆっくりと休養を取るべきなのかもしれません。
後の事は私に任せておきなさい」
ベアイレ先生はアインツ王国とベンア竜帝国での交渉を一手に引き受けていた。
飛竜を借り受ける準備は着々と進んでいる様だ。
「……俺は一体何をしに来たんだろう」
「ブリッツ、気にするな。
それは俺も同じ事だ」
ブリッツとシュトゥルムが意識を失っている間に全ては終わっていた。
「お前達はまだ良い。
たとえ意識があったとしても出来た事は自分の不甲斐なさを思い知る事だけだからな……」
女メガネは意識はあったがブリッツ達と同じ様に何も出来てはいなかった。
「……ごめんなさい。
私が無茶したせいで……」
シャルは皆に謝っていた。
「……これは重症ですね」
ベアイレ先生の言う通り、シャルは重症なのかもしれない。
シャルが素直に謝るなんてあり得ない。
いつもならここで俺に拳が飛んでくるはずなのにそれすらない。
……体の傷より心の傷の方が皆は心配だった。
「シャルには俺がついているから」
そして俺に出来る事は一緒にいる事だけだった。
「……ありがと」
本当にシャルは重症だった。
◇◇◇
シャルはこれまでの生活とは全く違う日常を送っていた。
なんて言うか……老後と言った感じの日常を。
「ファースト、良い天気ね」
「ああ、良い天気だな。
今日は外へ散歩に出かけようか?」
「そうしようかしら?」
怪我をしているとは言え、それは歩けないほどでも無い。
ゆっくりと外を歩くくらいなら何の問題も無かった。
「ベンアの食事は美味しいわね」
「今度作り方を聞いて、シャルが作ってみたらどうだろう?」
「それは良いかもしれないわね」
食事は大抵、ベンアの者が運んできてくれていた。
だがシャルが自分で料理をする事もある。
仕事では無く、自分達が食事を楽しむ為に料理するのは久しぶりだったかもしれない。
「今までみたいに動いていないせいかしら?
あまり眠くないのよ……」
「シャルは怪我人なんだから早めに寝た方が良いよ」
「ファーストがそう言うなら……」
いつもならまだ起きている様な時間だが、今は休息を取る事を優先する。
シャルは今まで頑張り過ぎていたのだから。
「……ファーストも一緒にね?」
「ああ、俺も休むよ」
俺とシャルはゆっくりとした日常を過ごしていた。
何も急ぐ必要は無いのだから。
◇◇◇
俺とシャルが穏やかに過ごしている間、ブリッツ達は逆の生活をしていた。
「ディアマントさんは飛竜の扱いが素晴らしいですね!」
「竜騎士隊の隊長だぞ?
そんな事は当たり前の事だ。
……だがもっと言っても良いんだぞ?」
ブリッツはディアマントから飛竜の扱いを習っていた。
普通はそんな事を教えて貰えないはずだが、ディアマントは褒められるとすぐに調子に乗る。
教わりたくなくても教わる事になっていたかもしれない。
まぁ、ブリッツは本心からそう言っているのだから問題は無い。
「ディアマントさんは飛竜の力を最大限に引き出す動きをしています。
自分の力よりも飛竜の力を優先しているのです」
ブリッツに言わせると父とはまた違った飛竜の扱い方らしい。
ブリッツの父は自らの力を優先し、飛竜がそれを補助する様な形なのだと。
その事はあまり大っぴらに話す事は出来なかったがな。
「しかしそのやり方はブリッツには合わないだろう。
だが俺には合っているのかもしれない」
それはシュトゥルムだった。
シュトゥルムの風の魔術は飛竜を助けるのに相性が良いのかもしれない。
「お前達は学生とは言え、中々見所がある。
もし良ければだが……飛竜に乗ってみるか?」
「「はい!」」
ディアマントは二人に何かを見出したのかもしれない。
軽々しく飛竜に乗せるのは、さすがにどうかと思うがな。
……ディアマントが後でベーゼにこってり絞られたのは言うまでもない。
◇◇◇
女メガネもまた忙しい生活を送っていた。
「……ああ、ドラゴンか。
今は忙しくてな、相手はしてやれんぞ?
寝る暇も無いのは久しぶりだよ」
女メガネは膨大な資料に目を通していた。
それはベンア竜帝国が管理する領土内の事についての物だ。
「この国は広すぎる。
他の国全てを合わせてもベンアの方が広い。
まさかここまでの物とは思っていなかったよ」
ベンアはある一定の地域から先を封鎖している。
情報を公開していなかっただけでその地域はとても広く、この世界はまだまだ広がっていると言う事だ。
「ここにある資料が本当の事かどうかを確認するには更に時間が掛かりそうだがそれは後回しだ。
嘘の情報をアインツに教えても仕方がないからな。
今は得られるだけの情報を少しでも多く得ようと思う」
アインツは飛竜だけでなく、多くの情報を得る事になるのかもしれない。
その事がアインツにとってプラスになるかマイナスになるかはまた別だろうが。
◇◇◇
「生徒だけを置いて先に戻るのは少し心配ですが、私が戻る他ないでしょう」
ベアイレ先生はアインツに一度戻ることになっていた。
「ファースト君が戻ってくれたらとは思いますが……」
「シャルの怪我の事もあるが、シャル自身がまだベンアに残りたいみたいなんだ」
そう、なぜかシャルはベンアから離れようとはしていない。
ただゆっくりと過ごしたいだけなら良いのだが。
「君達には十分、活躍して貰いました。
これ以上は何も望んではいません。
自分達の事を優先して下さい」
ベアイレ先生はそう言ってアインツへと一足先に戻って行った。
まぁ、報告が終わればまたベンアへと来るらしい。
それに神速ならそれほど時間は掛からないはずだ。
◇◇◇
いつもの様に穏やかな時間を過ごしていると珍しい来客が俺とシャルに訪れた。
「少し良いだろうか?
お前達と話がしたくてな」
それはベーゼだった。
俺達の事を毛嫌いしている様に思っていたので俺は少し意外だった。
「もう知っていると思うし、改まって言う事でもないかもしれない。
だが一応礼儀として言っておく。
私の名はベーゼ。
ラヴィーネ様の護衛だ。
一応、親衛隊の隊長と言う役職になる。
ラヴィーネ様にそんな物は必要ないのだが、形式上はそう言う事になっている」
正直な所、どうでも良かった。
でも仲良くなっておいて損をすると言う事もないだろうし、話くらいは聞いてみるつもりだった。
「いきなりだが、お前達はいつまでベンアに居るのだ?
私としては正直、早く出て行って欲しいのだ」
……損をしてでも良い。
俺はベーゼとは仲良くなれないと確信していた。