第百三十七話 年上の幼きモノ5
シャルはラヴィーネを真っ直ぐに見ていた。
シャルの挑発とも取れる言葉にラヴィーネが答える。
「ほぅ?
……いいじゃろう。
人の身でドラゴンの相手をする事など出来ぬ。
死んでから己の無謀を嘆くが良いわ!」
「シャル、やめるんだ!
ラヴィーネは俺が止める。
何とかこの場から逃げてくれ!」
結果なんて分かり切っている。
俺ですら勝てるかどうか分からないのにシャルに勝てるはずが無い。
「ファーストは手を出さないで。
これは私とラヴィーネの問題なの」
シャルは本当に一対一で戦うと言うのか。
それは他のベンアの者達に手を出させない為かもしれない。
だが俺も手が出せないのでは意味がない。
「主人と使い魔、同時に相手をしてやっても構わんぞ?
どちらにしろ勝つのはわらわじゃからの」
ラヴィーネは余裕を見せる。
俺はその言葉に甘え、シャルと協力してラヴィーネと戦うべきだろうか?
シャルの言葉通り、一対一で戦わせるべきか?
それとも……俺は真剣に考え抜いた。
出した答えは……非情な物だった。
「シャル、無理はするなよ?
俺の事を諦めても良い。
離れても心は常に一緒だから……」
俺が言葉の上だけでも、ラヴィーネの物になると言えば良いのかもしれなかった。
そうすれば無用な戦いは避けられるだろう。
だがそれではシャルを傷つける事になる。
戦いで負う傷よりも、もっと酷く。
それにシャルは戦わない事を選べない。
出来る事があるのにしなかったら後で必ず公開するからだ。
それが俺には分かってしまう。
励ましても駄目だ。
シャルが勝つ事を期待していると思わせてもシャルが負けた時、余計に傷つくからだ。
俺が出来る事はシャルを想う事だけだった。
……既に俺はシャルの負けを確信していた。
「もっと気の利いた事を言いなさいよね」
俺は……何も思いつかなかった。
「なんじゃ?
主人のシャルだけか?
これではわらわの力を見せる前に終わってしまうのぅ」
ラヴィーネは挑発している訳では無い。
本当にそう思っているだけだろう。
「……場所を変えない?
それなら思う存分、力を発揮できるでしょう?」
シャルは何故かそんな提案をしていた。
場所はどこでもあまり関係ないはずだが……。
「良いじゃろう。
少し離れた所に丁度良い場所、何も無い平原がある。
そこでならそちも足がつくじゃろうしの」
ベンアの兵士達が道を開ける。
その先は外へと続いていた。
だがここは地上からとても高い場所で……歩いては出れない。
「先に行っておるぞ。
……ファーストならわらわのいる場所など、すぐに分かるじゃろう?」
「……ああ」
ラヴィーネは外へと、空へと消えて行った。
ベンアの兵士達はそれを静かに見送っていた。
ラヴィーネは俺達が逃げるとは考えないのだろうか。
逃げてもすぐに見つかるのかもしれない。
そしてそれが愚策である事は分かっている。
「ファースト……送ってくれる?」
「……ああ、勿論だ!」
俺の背にシャルが跨る。
シャルは少しだけ震えていた。
外の高さが怖い訳では無い。
ラヴィーネとの戦いが怖い訳でも無い。
……これが最後になるかもしれないのが怖い。
それは俺も同じだった。
俺とシャルはベンアの兵士に邪魔される事無く、ラヴィーネと同じ様に静かに見送られた。
だがその視線は蔑みとも憐れみとも取れる物だった。
女メガネとベアイレ先生はブリッツとシュトゥルムを運び、既にこの場には居ない。
今は俺達と同じ様に邪魔されない事を祈るだけだった。
◇◇◇
戦いの場所ではラヴィーネが人の姿へと擬態して待っていた。
他には誰も居ない。
伏兵が居ない事は俺の感覚で確認出来ていた。
本当に一対一の戦いだ。
「早かったのぅ。
もっとゆっくりでも良かったのじゃぞ?
……最後の空になるのじゃから」
ラヴィーネもこれが最後と言う事が分かっていた。
場所の移動を受け入れたのは、慈悲からだろうか。
「貴方こそ良いの?
遠慮せず、本来の姿になっても良いわよ?」
「この姿の方が戦いになるはずじゃからのぅ」
「……手加減した事を後悔させてあげる」
シャルは完全にラヴィーネに見下されていた。
それをシャルは言葉ではどうする事も出来ない。
この場は力でどうにかするしかないのだから。
「さーて、準備は良いかの?」
「……いつでも良いわよ」
シャルはその手に何も武器を持っていない。
「素手でわらわと戦うのか?」
「武器など不要!
己の力のみで十分よ!」
「ここまでくると挑発とは思えん。
その心意気や潔し!
わらわもそれに答えようぞ!」
シャルは本気で刀も盾も使わないつもりだ。
ドラゴン相手にそれは無謀としか思えない。
「御託はもう良いわ。
さっさと始めましょうか!」
「ならば……わらわの力、とくと味わえ!」
先に仕掛けたのはラヴィーネだ。
その力は一瞬にして周りを氷に包まれた銀世界へと変えた。
……転移では無い。
だが転移と間違えるほどの変わりようだった。
古代竜にも得意な属性はあるのかもしれない。
そしてラヴィーネのそれは青の氷属性だろう。
……シャルと同じ属性だった。
「ふふふ、寒かろう?
この場では立っているだけでも、そちはいずれ死ぬ。
今ならまだ見逃してやらんことも無いぞ?」
「これくらい……慣れっこよ!」
シャルはその手に何も持っていない。
しかし、今は氷の剣を手にしていた。
「わらわと同じ属性か。
本当、可哀想になるのぅ。
……氷でわらわを傷つける事は不可能じゃ」
シャルとラヴィーネの相性は最悪だった。
しかもラヴィーネはシャルと同じ様に氷の剣を作り出していた。
「わらわを魔力だけの魔物と同じに思う出ないぞ?
剣術も少々嗜んでおるからの」
シャルはその言葉を確かめるつもりなのか、剣による近接戦闘を仕掛ける。
剣術では一般的に体格の差でシャルが有利のはずだ。
しかしシャルの斬撃は全てラヴィーネに受け止められる。
その小さな体でもドラゴンの力は健在だと言う事だろうか。
「中々やるのぅ。
では……これはどうじゃ?」
ラヴィーネはもう一本、氷の剣を作り出す。
二刀流、それは普通扱いが難しい。
たった二本の剣を別々に動かす事すら人には難しい事だ。
だがドラゴンならそれは容易い。
持って生まれた力が違うのだから。
「それくらい誰だって出来るわよ!」
シャルも同じ様に二本目の剣を作り出す。
シャルはこれまでの弛まぬ修練で二刀を扱う力を手に入れていた。
二本の剣が別々の生き物の様に動く。
二人で四本の剣が絡み合う様に動いていた。
「見事じゃ!
剣捌き、体捌き、足捌きも素晴らしいのぅ。
だが……そこまでじゃ!」
ラヴィーネがシャルの足を掴み、転倒させる。
それは……尻尾で行われた。
部分的な擬態解除の様な事も出来るのか。
その尻尾は不釣り合いに大きい物では無く、少女の体に合った大きさだった。
「くっ! ドラゴンって言うのは姑息な事ばかりする!」
シャルは倒れたままで何とかラヴィーネの剣を躱し、受け止める。
「わらわは確かにドラゴンじゃ。
だが姑息とは心外……じゃ!」
ラヴィーネは炎のブレスまで吐いてきた。
シャルは躱し切れず、体の一部が黒焦げになっていた。
だがなんとか立ち上がる事には成功していた。
炎のブレスはラヴィーネの動きを制限していたからだ。
その小さな体ではブレスを吐きながら剣を振るう事など出来ない。
「わらわとした事が……。
この銀世界では炎の威力が落ちる。
その程度で済んで良かったのぅ」
ドラゴンのブレスは一撃必殺。
普通、当たれば終わりなのだから他の攻撃など考えなくても良いのかもしれない。
それに周りの冷気が炎の威力を下げただけでは無い。
シャルの一般的でない力も関係しているのかもしれない。
「……まだまだ!」
シャルは傷を負ってもまだ諦めていなかった。
また同じ様に剣での近接戦闘を仕掛ける。
今度は尻尾での攻撃も警戒していた。
「それにしてもよく動く!
ドラゴンの動きについてこれるとは称賛に値するの!」
ラヴィーネにはずっと余裕があった。
逆にシャルには全くそれが無い。
それどころか長引くにつれ徐々に体力も奪われていた。
剣での攻防だけのせいでは無い。
この一面の銀世界では強がった所でどうやっても寒さからは逃げられない。
しかしその銀世界が全てラヴィーネの物という訳では無かった。
ほんの一部だけ、ラヴィーネの足が捕われるくらいの僅かな部分だけはシャルの支配する領域だった。
「なっ!?」
ラヴィーネは文字通り、足を掬われた。
「はぁぁ!」
ラヴィーネの一瞬の隙を突いたシャルの渾身の一撃は……空を切る。
「今のは危なかったのぅ。
だが……まだまだじゃ!」
ラヴィーネは空を飛んでいる。
今度は背中から羽が生えていた。
「その擬態が恨めしい。
最初からドラゴンの姿の方がまだ戦いやすいわ」
擬態の姿で後悔したのはシャルの方だったかもしれない。
そしてもう後悔する時間すらあまり残っていなかった。
シャルは肩で息をしていた。
限界はすぐそこまで来ている。
「よくぞここまで戦って見せた!
……もう楽になるが良い」
ラヴィーネは空中から、シャルの上から攻撃していた。
そんな場所からの攻撃に対処できる剣術はあまり無い。
……シャルは徐々に斬撃を喰らう事になった。
「これで……終いじゃ!」
ラヴィーネはシャルの剣を叩き折った。
魔力の差がそのまま剣の強度の差になったのかもしれない。
武器を失ったシャルはラヴィーネの一撃をまともに喰らう。
それはすれ違いざまの背中への一撃だった。
「くっ!」
気が付けばシャルの周りは赤く朱の色に染まっていた。
それでもシャルは倒れない。
「……もう良い。
そちの気持ちは本物じゃ。
これ以上は取り返しのつかぬ傷になる。
これが最後じゃ……諦めよ」
ラヴィーネは自分の力をシャルに見せれば諦めると考えていたのだろう。
だがシャルは絶対にあきらめない。
その事も薄々気付いているはずだ。
ラヴィーネが本当に俺を手に入れるにはシャルを倒す、いや殺すしかない所まで来ていた。
「……私の負けよ」
でもシャルは負けを認めた。
信じられない事だったが、俺は安堵していた。
「でも知ってる?
ファーストは胸の大きな人が好きなのよ?
……そこは私の勝ちね」
こんな時になんてくだらない事をと思うかもしれない。
だがモンスターは感情に左右されやすい。
そして特に身体的特徴には誇りを持っていた。
……ラヴィーネを怒らせるには十分だった。
そしてこの状況での挑発は自殺行為だ。
「くだらぬ事を……」
だがラヴィーネは至って冷静だった。
「その乳房は要らないと言う事か?」
ラヴィーネは躊躇わずにシャルのその部分を切り落としていた。
冷静だったのは今までの戦いを楽しんでいた気持ちが消えただけで怒っていない訳では無かった。
そしてその幼い容姿に惑わされそうになるがラヴィーネはドラゴンで、モンスターなのだ。
モンスターは一般的に……残虐な部分が少なからずある。
服ごとその部分が地面に落ち、鮮血がラヴィーネに掛かる程、噴き出していた。
「……本当にくだらぬ事を。
一気に興が冷めてしまったのぅ」
ラヴィーネは切り落とすと同時にシャルを視界から外していた。
醜い物を見たくないのだろう。
その姿では無く、その心を。
だがその一瞬を突くようにシャルの拳が背後からラヴィーネを襲っていた。
「ぐっ!」
それはただの人の拳では無い。
ドラゴンの影響を少なからず受けた人の一撃だ。
本物のドラゴンのラヴィーネでもそれは痛みを受ける物だった。
苦悶の表情を見せながらラヴィーネはシャルから距離を取って体勢を立て直す。
その表情は痛みからくる物では無く、してやられた事に対する物かもしれない。
「なぜ……動けるのじゃ?
そちは人では無いのかのぅ?」
シャルは胸を……盛っていた。
死んだふり様に血と間違う様な赤い液体を服に入れる事で。
シャルは実際、それほど大きくないのだ。
その事は俺が一番よく知っていた。
「私は見かけほど大きくないのよ。
でも……尻尾や羽を隠す事に比べれば可愛い物でしょう?」
擬態はドラゴンだけの物では無い。
人のそれも日々進化している……のかもしれない。
「わらわはそちを甘く見ていた様じゃ。
人に合わせず、ドラゴンの力を初めから使うべきであったわ」
ラヴィーネは今度こそ本気の力を使う。
それは睨んだだけでシャルを氷像へと変えてしまった。
「……とこしえに氷の中で過ごすが良い」
ラヴィーネはいつでも簡単に勝つ事が出来た。
シャルはもう物言わぬ氷像だ。
……そんな事には耐えられない。
「……分かった、分かった!
だからそんな目でわらわを見るな!」
それはラヴィーネを懇願の目で見ていた俺の事だろうか?
それとも氷像となってもラヴィーネを睨み続けていたシャルの事だろうか?
そして……ラヴィーネはシャルを助けた。