第百五話 柄袋
ハトノ将軍、クノッヘンとシャルは対峙していた。
「準備は出来ているか? どこからでも来るが良い」
クノッヘンは余裕の表情でシャルを見下ろしていた。
シャルとは体格が大きく違う。
だがそれだけでなく所詮小娘と気持ちの上でも見下しているのだろう。
対峙している場所はこの間、勇者と将軍が訓練をしていた場所だ。
少し離れた所からはハトノ代表のアルタールと議員達だろうか? 役人達がその光景を見つめている。
その傍らには酒や料理が用意されていた。
余興のつもりなのだろうな。
そこから更にもう少し離れた場所では勇者、その人もこの余興? を見つめている。
丁度この前とは逆の立場とでも言えば良いか。
勇者の傍には美しいドレスを身に纏った女性が取り囲んでいる。
当然、その女性自身も美しかった。
これまた当然ながらシャルの方が美しいのは言うまでも無い事だ。
……身びいきがすぎたか。
シャルとクノッヘンの対決を各国の護衛達にも見せる事で、これから先の交渉事を牽制するつもりなのだろう。
それはクノッヘンが圧倒的勝利を得る事でより効果があるのかもしれないな。
それにしても勇者は……困っているようだ。
自分の置かれた立場にもううんざりといった表情を見せている。
だが強く拒否する事も出来ないのか苦笑いを浮かべながら女性達の相手をしているようだ。
……贅沢な悩みだな。
まぁ、変わって欲しいとも思わないが。
「私から攻撃しては防御を見せる事が出来ません。
どうぞ将軍から先に攻撃して下さい」
おっと、今はシャルとクノッヘンの対決だったな。
シャルはいつも通り強気だ。
いつもより言葉も挑発的で……いやこれもいつも通りか?
「……冗談を言っているのか?
それともその盾に絶大な力でもあると言う事か」
シャルはアインツ王国の紋章入りの盾を持っていた。
その盾にはアインツの紋章、一本角のユニコーン? が描かれていた。
ちなみにハトノの紋章は……タコ? なのだろうか、あまり格好良くは感じない。
おっと、またどうでも良い事に気を取られてしまった。
シャルの盾は女メガネの提案で持つ事になった。
アインツの代表と言う意味を強く見せたかったのかもしれない。
……盾なんてシャルには必要ないからな。
「これは飾りの様な物です。
この剣と同じ……ね?」
シャルは更に剣を鞘から抜き、クノッヘンにその刀身を見せる。
装飾はそれなりの物だが刀身はただの木、シャルの持つ剣は訓練用の木刀だ。
「力試しとは言え、好きな得物を使う様に言われたはずだ。
……そうか、訓練と言う事で本当の力を見せれなかったとでも言い訳するつもりか。
それならそれでも良い。
そんな事言えぬほどに叩きのめしてくれよう!」
クノッヘンは巨大な斧を振りかざして見せる。
それはシャルの木刀とは違い、本物の武器だ。
重量感が半端なく、振るうだけでその恐ろしさが伝わってくるようだった。
そして斧は普通の武器では無い。
マジックアイテムだろう。
効果のほどは戦ってみないと分からないが。
「この場は言葉では無く、力で語り合って貰いましょう。
どうぞ早く始めて下さい!」
アルタールが勝負を急かす。
シャルの挑発的な物言いはクノッヘンだけに向けた物では無い。
ハトノ国事態に向けられた物だったのかもしれない。
それをアルタールは感じ取ったのだろう。
アルタールの声を皮切りにクノッヘンはシャルに襲い掛かる。
「死ね!」
おいおい、死ねってそれは無いだろ。
クノッヘンは此方が思う以上に怒っていたのかもしれない。
一国の将軍が安い挑発に簡単に乗って良いのだろうか。
それとも双方が国の威信を掛けているこの場では当たり前の事なのだろうか。
クノッヘンは斧を大きく振りかぶり、シャルの真上から振り下ろしていた。
その速度は考えられないくらい早かった。
クノッヘンの実力なのか、斧のマジックアイテムとしての効果なのか。
シャルはその斧を剣で受け止めた。
斧と剣が接触した瞬間、轟音と共にシャルの足元、地面には窪みも発生していた。
シャルは受け流したのでは無く、受け止めた。
それも盾では無く、木刀で。
「軽いわね。マジックアイテムの効果なの?」
マジックアイテムとしての効果は斧の重さを無くすものなのかもしれない。
だが軽い訳が無い。
シャルの足元の地面には窪みが発生しているのだから。
クノッヘンは驚愕の表情を見せながら、咄嗟に後方へと距離を取っていた。
得体のしれない力を持つシャルを警戒したのだろう。
先程までの余裕や怒りの感情はそこにはもう無い。
「……お前は人間か?」
「人間だけど……魔術師よ」
クノッヘンの問いにシャルは答える。
言葉だけでなく、魔術でも。
視界全てを覆い尽くすような大量の氷の矢がクノッヘンを襲っていた。
それはアイスアローの嵐、魔術による攻撃だ。
だがクノッヘンも魔術師の様だ。
片腕を前に突き出し、アンチマジックフィールドを発動した。
その効果で全ての氷の矢を防ぎきる。
しかし最後の矢、シャル自身の突進は防ぐ事が出来なかった。
ただクノッヘンはそのまま攻撃を喰らう訳では無かった。
シャルの剣に斧を合わせていた。
先程とは逆にシャルは勢いよく剣を振るっていた。
その分クノッヘンは後方へと吹き飛ばされる事になる。
木刀と斧がぶつかり、なぜ剣が折れないのか。
それは魔術による強化が施されているからだった。
氷の剣と言えば分かりやすいはずだ。
そしてそれをクノッヘンはアンチマジックフィールドで無効化する事は出来なかった。
アンチマジックフィールドとは魔力での空間支配の様な物だ。
魔力と魔力のぶつかり合いだ。
自分自身に近い方がより強力だが一度魔力を変化させている分、攻撃する方が有利だと言える。
その為、実際は魔術の攻撃には魔術を使用してぶつけるのが一番効果的だ。
矢を防ぐために壁を作る、と言った感じに。
ただ魔力を放出するだけのアンチマジックフィールドの方が発動が早い分、咄嗟の防御には向いている。
クノッヘンにはシャルの氷の剣を無効化するだけの魔力を持ち合わせてはいなかった。
咄嗟に魔術で壁を作り出す時間も無い。
ここまではシャルの圧勝と言える内容だった。
そしてまだ終わりでは無い。
後方へと距離を取った形になったクノッヘンにまた氷の矢が襲い掛かる。
「ちっ! アースウォール!」
先程とは違ってクノッヘンは土の壁を魔術で作り出し、氷の矢を防いだ。
クノッヘンの行動は同じようにシャルが突進してきた場合、不利だと悟ったからかもしれない。
だがシャルの狙いはクノッヘンをこの場に留める事にあった。
クノッヘンは不意に影に包まれた。
頭上から氷の塊が落ちて来たのだ。
それはとても巨大でクノッヘンは避ける事が出来ない。
「がぁっ!」
クノッヘンは咄嗟に斧を捨て、両手でその塊を支える。
それは成功したが……終わりでもあった。
その塊は一つでは無く、その更に上からいくつも落ちてくる事になる。
その度にクノッヘンは押し殺す様な声を上げる。
最後には声もあげれなくなっていた。
クノッヘンは完全に身動きもとれず、ただ氷の塊を支えるだけだ。
「見下してばかりで上が見えなかったの?」
シャルの挑発にも答える事が出来ない。
それは何の攻撃も受けていないアルタールも同じだった。
あまりの事に言葉も無いようだ。
そしてアルタールだけでなく、勇者やその取り巻き、ハトノの議員達も同じだ。
驚きの表情まで同じで少し笑えてくる。
シャルはクノッヘンに歩み寄り、ただの木刀を首筋に当てた。
「実力は分かって貰えた?
まだ分からないなら止めを刺してあげましょうか?」
もう魔術での強化もしていないただの木刀だ。
だがその恐怖はどんな切味の剣にも劣らない物だった。
クノッヘンはシャルの問いに答えない。
答えれないのかもしれないが。
アルタールは何も言わない。
ただただ唸っているだけだ。
「……そう。ならこれで終わりね」
シャルはクノッヘンから離れる。
止めは追加で落ちてきた氷の塊だった。
クノッヘンの限界を超え……押しつぶされる。
まぁ、氷の塊では無く、ただの水だったがな。
氷の塊が水に変化し、流れ落ちてくる。
クノッヘンは潰される事は無かったが、水の重みで地面に平伏す事になった。
シャルはそのままアルタールに歩み寄っていた。
「自分達の置かれた状況をよく考えた方が良いのではないでしょうか?
危機感が足りません。
もしモンスターが襲ってきた場合、ハトノ国だけで対処できますか?
自分を、勇者を、そして民を守る事が一番重要な事です」
シャルは木刀の切っ先をアルタールに突き付けていた。
シャルは今、アインツの王都が襲撃された時の事を思い出しているに違いない。
少なかったとはいえ、犠牲は出た。
建物だけでは無い。
兵士や民にも当然それは及んでいた。
「……護衛に付いては再考する事を約束する」
アルタールはこの期に及んでも即断はしなかった。
それは正しい行動とも言えるが、それでは間に合わない事もある。
アインツの王都襲撃がそうであったように。
「その思慮深さが時に犠牲を増やします。
勇者を守る事も大事ですが、民が一番苦しんでいると言う事を忘れないで下さい」
シャルは俺と同じ事を考えているに違いない。
ハトノの民は苦しんでいるはずだ。
ハトノはまだモンスターを撃退した訳ではないのだから。
「その両方を守れていない事を自覚すべきです。
私がその気なら勇者はもう……亡き者になっています」
シャルはここで勇者の方に視線を移す。
そこでは真っ黒なモンスターが勇者の首筋に牙を剥けていた。
「ぎゃうぎゃう!」
モンスターの恐ろしさは表現できただろうか?
俺はシャルとクノッヘンの対決の間、勇者の傍でずっと待機していた。
その事に誰一人として気付いていない。
今、この瞬間まで。
それに気付いた者達は咄嗟に勇者から一歩離れた。
……これが現実だ。
本当に勇者の為を思っている者は少ないと言う事だった。
「勇者様!」
美しいドレスに身を包んだ一人の女性だけは勇者と俺の間に割って入っていた。
自分を盾の様にし、勇者を守ろうとした。
誰一人として勇者の事を思っていないという訳では無かった。
全く救いようがない訳では無い。
ただそれは小さくて弱い。
ハトノどころか勇者一人を守る事すら出来ない程に。
ハトノはアインツと同じ道を選びそうだ。
シャルもまた同じ道を選ぶのだろうか?
民だけは助ける道を。
そこに勇者は……まだ含まれていない。