第九十話 プロローグの終わり
俺は準備に手間取っていた。
ぎりぎり間に合うかどうかといった所か。
俺はもうなりふり構っていられない。
姿は既に変態し、成体のそれだった。
「そこを通せ」
姿を隠す様な事は何もせず、教会の門を叩く。
兵士と思われる者が入口を守っていたが関係ない。
「モ、モンスターが!
ここを通す訳には行かない!」
「なら押し通るまでだ」
俺は無視してそこを通る。
体を兵士の手によって左右から槍で突かれるが何の問題も無い。
槍が折れただけだ。
「なっ!」
それで兵士は諦めたようだ。
どこかに立場が上の者の判断でも仰ぎに行ったようだった。
俺は全てを無視して突き進む。
遂には洗礼の場所と思われる所へたどり着く。
そこでは見知った人物が待っていた。
「……少し見ない間に男前になったね」
それはエレクトだった。
「お前も俺の邪魔をするのか?」
「いや、私はただの招待客だよ。
ここの守りは頼まれていないから君の邪魔はしないよ」
ならどうして俺を前に立っているのか。
「少し話をしたかっただけなんだ。
……出来ればあまり大事にはしない様に頼むよ。
それだけを言いにきた。
本当にそれだけさ!」
「善処するよ」
俺は短くそう答えた。
もう時間が無いからだ。
洗礼の場には大勢の人々が揃っていた。
地位の高い者、教皇や枢機卿と言った者もいるのだろうか?
まぁそんな事はどうでも良い。
俺はその中央へと進んで行く。
もう洗礼は始まっていた。
中央ではシャルが手を組み地面に膝をついていた。
祈りの姿勢とでもいうべきか?
その下の地面にはどこかで見たような魔法陣が描かれていた。
洗礼の、神から加護を得る為の何かだろうか。
中央にたどり着いた時、事態を察した周りの者達が騒ぎ出していたが無視した。
そんな事よりシャルだ。
シャルに話しかけようとして、俺は止めた。
目の前にシャルはいるが……ここにはいない。
それが俺には分かったからだ。
魔力だけ、精神だけと言うべきか。
シャルのそれはここでは無いどこかへと行っていた。
目の前にあるのはシャルの体だけだ。
……転移では行けない。
そう直感的に俺は悟った。
魔力だけの、精神だけの存在となってそこへ行くにはどうするか?
答えは簡単だった。
同じ洗礼の儀式を行えば良い。
目の前の魔法陣を使えば良いだけだ。
それはマジックアイテムを使うのと、さほど変わらない。
問題は魔石だ。
そんな物はもうマジックボックスには一欠けらだって入っていない。
どこかから奪うか?
魔石のある場所は分からないし、そんな時間もない。
だが……魔石はあった。
ここにあるじゃないか。
俺は自分自身の魔石を使う事にした。
初めて自分がモンスターで良かったと思った瞬間かもしれない。
俺は全てを掛けてシャルに会いに行く。
◇◇◇
そこは迷宮が崩壊した時に近かった。
真っ黒か真っ白の差しかそこにはなかった。
そんな中でもシャルの存在だけはハッキリと分かる。
そしてもう一つの大きな存在もだ。
それは大きな人型だったと思う。
どことなく神々しさを感じる事が出来た。
……気分だけだが。
『シャル!
そんな奴に願いを言う事は無い!
どんな願いだって俺が叶えてやる!』
俺は魔力だけ、精神だけの存在となってそこへ行っていた。
そしてその存在の形は……人間のそれに近かった。
『……ドラゴンなの?
……こんな所まで来るなんてもう。
しかもその体は何?
心は人間でした?
……人間好きにも程があるわね』
こんな所でもシャルは厳しかった。
逆にそれが俺を安心させる。
『無礼な者よ。
二人同時に洗礼など初めての事だ』
それは何だろうか。
神様とでも呼んで欲しいのだろうか?
『お前に用は無い。
シャル、戻ろう。
伝えたい事が沢山あるんだ!』
『どうしてこんな所でそんな事を言うの?
時と場所って物を考えなさいって教えたわよね!?』
『……無視されたのも初めてだ』
神? が少し可哀想だったが、今はそれどころでは無い。
『俺はもう決めたんだ。
たとえ神にだってシャルは渡さない。
加護なんて必要ない。
俺がいれば十分だから!』
『貰える物は何でも貰えって教えたわよね!?』
『……お願いだから話を聞いてくれない?』
神は少し悲しげにしている様に感じられた。
あーもうまじ神とか邪魔だから。
そしていつの間にか神からは神々しさなど感じなくなり、ただの子供の様に思えた。
その悲しげな子供に俺は答えてやる事にした。
『何だよ、早く言えよ』
『はぁ、さっさと加護くれない?』
俺とシャルのこの態度はちょっと酷かったか?
『……君に加護を上げる事は出来ないよ』
『ちょっとそれはどういう事よ?』
『……君は少し変わった存在だからねー』
『そんな事知らないわよ!
神なんでしょう?
何とかしなさいよ!』
『どうにもならないよ。
君は選ばれた者だからねー。
……神の願いを聞いてもらうよ!』
『何よそれ!
私が願いを叶えて欲しいって言ってるのに!』
『世界を救ってほしい。
それは君が望もうと望まないとそうなると思うけどね』
『話を聞きなさいよ!
それは神の仕事でしょうが!』
『いやそうなんだけどね。
本当ならその為に加護とかあげるんだけど……君にはもう必要ないから!』
『何言ってるのよ!
それは私が決める事よ!
必要だから、絶対必要!』
シャルが駄々をこね始めた。
あまりの事に幼児退行でも起こしているのだろうか。
『君の願いはそこの存在と一緒に居れば何時か叶うよ。
……多分ね』
『最後の言葉が余計よ!』
『大丈夫だ! 俺が必ずシャルの願いは叶えて見せる!』
そして元の体へと魔力と精神が戻って行くのが感じられた。
これで洗礼は終わりと言う事なのだろうか?
『ああ、忘れるところだった!
これは神からの餞別だよ!』
そして神との話はそこで終わりだった。
……神の奴、命拾いしやがった。
もし何も渡さなかったらシャルの手によっていつか酷い目に遭わされていたはずだ。
餞別は加護では無い。
魔力を感じないからな。
きっと肉体へと戻ったら伝説の剣の様な物が手に握られているとかだろう。
『ドラゴン!
戻ったら覚えときなさいよね!
今度と言う今度は絶対に許さない!』
最後の最後までシャルはシャルのままだった。
……神の加護、影響などは全く受けていない。
それだけは分かった。
◇◇◇
洗礼から戻った時、俺達は大勢の兵士に囲まれていた。
だが洗礼は神聖な儀式だからだろうか?
俺達に触れる者や近づく者は誰もいなかった。
洗礼が始まった時、そのままの状態だった。
そして俺の手には……銅貨が一枚……握られていた。
きっとシャルの手にもあるのだろうな。
……神の奴、ふざけやがって!
いつかの賽銭を返しただけかよ!
「……神の奴、覚えておきなさいよね……。
だけど今は……ドラゴン! アンタねぇ……」
戻ると同時にシャルは怒り狂っていた。
握られた銅貨が潰れてしまうのではないかと思えるほど……拳を握りしめながら。
きっと神の分まで俺は責められるのだろう。
だがシャルが俺の姿を見ると直ぐにそれは……収まっていった。
いや別の感情が怒りを上回ったのかもしれない。
「……シャル、済まない。
でも俺はもう一瞬たりとも離れたくなかったんだ!」
「そんな事、より……その体は……どうしたのよ!!!」
俺は成体へと変態していた。
だがその体は見るも無残な状態だった。
角も牙も爪も、皮膚も血も、全てを失っていた。
……全てを金に換えたから。
シャルはそんな俺に近寄り、体を支えてくれた。
……実は立っているのも辛かった。
「シャルさん、それに使い魔さんですか?
これはどういう事でしょうか?」
そこにザフィーアが現れた。
洗礼を邪魔した事を言っているのだろうか。
「……シャルは連れて帰る。
洗礼を邪魔したのは謝る」
「そう言う事ではありません!
それにシャルさんは教会での奉仕活動をする約束になっています。
そう簡単に連れて帰ると言って通る物ではありません!」
それは知っていた。
だから準備してきたのだ。
「……これで足りるだろう」
俺は事前に迷宮でシャルが得た魔石を教会に運んでいた。
その時にいくら不足していたのか聞いていた。
……ほんの五億ギルだ。
俺はその分の大白金貨をザフィーアの前に用意する。
俺の体は結構高く売れた。
そして金を用意するのにフォーゲル商会には頑張って貰ったよ。
一日も掛からずに用意してくれて本当に感謝している。
「お、お金の問題ではありません!
この様な礼儀の無い行動はどう説明するのです!」
「……礼儀とは何だ?
俺は人間に敬意を払って話し合い、金を準備し、攻撃されても反撃しなかった。
それで人間は俺にどんな礼儀を見せてくれる?」
少し卑怯な物言いだったとは思う。
だが俺はもうどうあがいたってモンスターなのだ。
俺は自分がモンスターであると言う事を受け入れていた。
「そ、それは……」
ザフィーアは答えられなかった。
「……俺はこの場にいる全ての者を灰に出来る。
その上でどの様な礼儀が正しいか考えて欲しい」
「そんな強迫に教会は……」
「教会はモンスターを敵対視していないのか?
人間はモンスターを力任せに狩っているぞ?
その逆をモンスターがしたとしてそれは悪なのか?」
この問いには答えなど無い。
そこに明確な善悪などないのだから。
「……何もせず全ての者はここから去って欲しい。
そうすれば俺は何もしない」
「……分かりました」
俺の言葉は届いたようだった。
……半分脅迫だったがな。
その場には俺とシャルを残して誰も居なくなった。
多分、外には多くの兵士が詰めているだろうが。
「ドラゴンなのに……どうしてこんな事をするのよ!」
シャルは泣いていた。
俺はシャルの泣く所を始めて見たかもしれない。
シャルには俺の状態が手に取るようにわかるのかもしれない。
「俺はシャルを守ると決めたから」
「どうして今なの? もっと後でも良かったじゃない!」
「……たとえ神にだってシャルを渡したくなかった」
「馬鹿! 本気でそんな事思っていたの?」
俺はもう偽るのは飽きたから。
本当の事を言う。
本当の事が知りたい。
本当のシャルの願いを。
「……シャルは神に俺との繋がりを断つように願いたかったのか?」
これを聞くのが俺は怖かった。
自分から主人と使い魔の契約を破棄する事は出来なかった。
シャルと離れたら破棄出来るかもしれないと、家出をして試してみた事もあったが……無駄だった。
「……何を言っているの? そんな事頼まないわよ!」
それは本心だろうか?
「だって……シャルは俺の……」
俺が本当の事を話そうとした時、シャルが先にそれを言ってしまった。
「気付かないと思ったの?」
俺が今までずっと隠していたその事を。
「本当は私が貴方の使い魔だって!」
俺は初めから気付いていた。
だが言えなかった。
俺が主人で、シャルが使い魔だと。
あの日、初めて会った時、俺は召喚されたのでは無く、転移の魔法でその場に現れたのだと。
本当のご主人様の俺を差し置いて、様付けで呼ばれるエレクトを異常に嫌った事もあったな。
「そんな事ずっと前から気付いてたわよ!
私の異常な魔力に体力。
使い魔が受ける主人からの恩恵としか思えなかった。
大体において私なんかがドラゴンを使い魔に出来る訳が無い!」
それは俺と契約した恩恵だろう。
そして対価もあった。
「……それだけじゃない。
シャルが攻撃的になったり、たまに人間とは思えない行動を取ったりするのは……俺のせいかもしれない。
俺というモンスターとしての存在に影響を受けたとしか思えない!」
それは使い魔を主人に合うように変化させるという事だ。
人の言葉を話せないモンスターが使い魔になって人の言葉を話せるようになる。
それはモンスターが人に近づくという事ではないだろうか。
ならその逆は……人がモンスターに近づくという事になる。
「そんな事ない!
それは私が至らないだけ。
だって貴方は人間の心を持っている!
その貴方に存在が近づいたとしてもそれは人間と変わらない!」
俺は心は人間だと思う。
だが体はモンスターだ。
俺が肉体であるモンスターに心が近づいて行ったとしたら、それを代わりにシャルが受け持っていたとしたら。
……答えは出なかった。
「それに主人と使い魔は対等よ!
何方かが何方かになんて決まっていない!
むしろその両方に影響があるはずよ!」
俺は都合が悪いと周りを壊す。
周りを壊して自分に合わせた。
それはまだ俺が人間の時にも同じような事があった。
シャルは自分を壊す。
自分を壊す事で周りに合わせた。
それはシャルのこれまでの行動を考えれば分かる事だった。
そしてそれを契約してからは逆に行っていた。
シャルは俺の為に周りを壊す。
俺はシャルの為に……自分を壊した。
その結果がここにあった。
……俺はもう自分の力では立っていられなかった。
そして体を地面に横たえていた。
「……どうして?
貴方はドラゴンなのでしょう?
これくらいの傷、すぐに治せないの!?」
これは傷のせいでは無いようだった。
「……洗礼で、自分の魔石を使った……」
「どうしてそんな事……。
無茶に決まっているじゃない!」
生きたまま魔石を使う。
自分で魔力を使うのとは違ってそれは酷く疲れてしまった。
……もうほとんど体が動かせない程に。
「……少しだけ体を近づけてくれないか」
俺は最後にどうしてもやりたい事があった。
俺がシャルに想っている感情は恋よりも愛よりも……罪悪感が一番だった。
シャルをモンスターに変えたかもしれない。
シャルを無理矢理束縛していたかもしれない。
俺はその事がずっとずっと気になっていた。
シャルには何をされても俺は……何も言えない。
だがたった一つだけ、シャルにやり返したい事があった。
「何? これでいい?」
俺とシャルの距離は無くなった。
そして俺は……キス……をした。
初めて会った時、いきなりされたのは不本意だった。
次は俺からすると決めていた。
そしてあの時と同じように俺達を光が包んだ。
地面の魔法陣も光っていた。
それは洗礼の魔法陣だが、神との契約に使う物だ。
その魔法陣が反応していた。
……俺達は契約した。
今度こそ本当にシャルが主人で俺が使い魔だ。
それだけは手に取るように分かった。
「アンタは最後まで本当に……馬鹿なんだから……」
シャルは周りで何が起きているか気付いていないのかもしれない。
きっと今だけはシャルの中は俺の事で一杯のはずだから。
周りの事に気を付ける余裕が無い程に。
だがこれで……最後ではなかったようだ。
「名前を……読んでほしい……」
「あんな適当につけた名前で言いの?」
「ああ、それが一番だ。俺はシャルの一番だから……」
「ファースト……ファースト……ファースト!」
うん、感動的だ。
だがそれを台無しにしようか。
「んー、何か契約したら元気になった!」
「……はっ?」
静寂の中にシャルの間抜けな声が響いていた。
契約の恩恵だろうか。
シャルの魔力が俺に流れてきた。
それで何か……元気になった。
「今なら傷も治せそうだよ!」
そしてそれは再生と言うよりも、元々あった物が戻った様な感じだった。
俺は見る見るうちに元通りになる。
そこには完全な形で成体のドラゴンが存在していた。
「……私の感動を返して!」
最後はいつも通り……殴られた。嬉しい。
そしていつの間にか俺にはリボンが結ばれていた。
シャルがまた俺を必要だと思ってくれたのだろうか。
……これで本当に元通りだった。
◇◇◇
その後は兎に角、謝りまくった。
教会からその関係者に至るまでずっとだ。
幸いというか被害が特に何も無いという事で何かの罪に問われるような事は無かった。
……どっかの騎士団長が手を回したのだろう。
そして俺達が自由になった時。
本当に行く所が無かった。
「教会には居られないし、今更学園にも戻れない。
どうしよっか?」
「どこでも良いよ。俺はシャルについていくだけだ」
今度こそ本当にそう言いきれた。
「はぁ……そう言えばファーストはいくら持ってるの?
やっぱり先立つ物はお金よね!」
「ん? シャルから貰った大量の小銭だけだよ?」
「え? だってあんな大金をポンと教会に出してたじゃない!」
「あれで全部だよ? もう本当に何にもない!」
俺は本当に全てを売り払った。
それも結構ギリギリだったが。
……フォーゲル商会に足元を見られたのかもしれない。
「……良い考えがあるの」
「……やだ!」
それは絶対良い考えでは無いからだ。
シャルは危ない目をしていた。
これは本気の目だ。
だが絶対に教えない。
そんな事を聞いても売りたくなるだけだからな。
そして俺とシャルの行く先が決まった。
勿論、フォーゲル商会の所だ。
シャルは今までに見た事の無いくらい良い笑顔をしていた。
それはとても可愛かった。
そしてその声までもが可愛かった。
だが……その内容は真っ黒だった。
「いくらで売れるかしら?」
……いくら可愛くてもこれは酷い。
俺は可愛い事をもう少しも幸運とは思えなかった。
俺とシャルには切っても切れない縁がある。
それを幸運だと思える日は……もう少し先かもしれない。
第三章はあと一話、閑話を挟んで終わりになります。