第八十八話 交渉
俺とシャルは事前にお金をおろしてきていた。
フォーゲル商会からもお金を受け取り、それは予想以上に多かった。
「こんな事なら全額フォーゲル商会に預けるべきだったのよ!」
「結果だけを見たらそうだけど、結構危ない賭けだったんだよ?」
儲けるための必須条件である戦争は起きた。
だがそれは一時的な物で、それ程長くは魔石の高騰は続かなかった。
しかもタイミングは結構ギリギリだった。
ほんの数か月遅れたらどうなっていた事か。
そしてマジックボックスの中身も全て売り払い、硬貨へと変えていた。
残ったのは刀と盾と売れもしない雑貨の類だった。
そしてこの二年でシャルが貯めた大量の魔石は別の用途に使われる事になっていた。
既に別の場所へと魔石は移してある。
「でもまぁ、お金はこれだけあれば十分でしょう」
「そうだな、初めはこんなにもお金が貯まるとは思わなかったよ」
そして万全の準備で学園の一室へと向かう。
そこで……シャルの進路が決まろうとしていた。
◇◇◇
その部屋にはシャルの父、フェアラート・フルスとケーゼ・ブラゼン、そしてケーゼの父が待っていた。
「シャルです。お初にお目にかかります」
「私はミルヒ・ブラゼンだ。
お前がシャル・フルスか。
そしてその使い魔……か。
確かに良い目をしている。
息子が気に入るのも分からんでも無いな」
ケーゼはシャルの事を父親のミルヒに何と説明していたのだろうか。
「シャル、久しいな。
元気にしていただろうか?
父にもっとよく顔を見せて欲しい」
「……お久しぶりです」
シャルの父、フェアラートがシャルに近づく。
その表情やしぐさは本当にシャルを大切に思っているようにしか見えなかった。
そして話は皆が集まった理由へと変わっていく。
「今日は婚姻の手続きも準備はしてあるが……」
ミルヒは此方の事を知っているような感じだった。
「その必要はありません」
俺はシャルの言葉に合わせるようにマジックボックスから十枚の大白金貨を取り出す。
これで一億ギル。
こんな大金は持ち歩くのが怖い。
マジックボックスに入れているからあんまりその実感は無かったけどな。
「噂には聞いていたが……本当に準備するとはな。
この歳で大した物だ」
ミルヒはシャルを褒めていた。
どこか余裕のある感じで。
「シャル……お前は本当に……」
フェアラートはどこか複雑な表情だったが、ある程度は把握していたのだろう。
……次なる一手を準備していた。
「……これがブラゼン公爵との契約書だが……一枚では無い」
フェアラートは一億ギルの借用書以外にもう一枚準備していた。
その内容は二億ギルを借り受けると言った物で返済日は今日になっていた。
作成日は二年以上前だ。
あの実家へ帰郷した時には既に作成されていたという事だ。
そして利息等はないので二億ギルそのままだ。
……俺とシャルはある程度予想していた。
だが実際に目の当たりにすると落胆しか感じなかった。
「……これはどういう事でしょうか?」
「これが今フルス家が抱えている借金だ。
支払わない場合は娘を差し出す事になっている」
フェアラートが淡々と説明する。
「このような事!」
「お前は黙っていなさい」
ケーゼが何か言いたげだったがミルヒに止められる。
「私は聞いていませんが?」
「もうずっと前から言っているだろう。
お前はブラゼン公爵の元へ行くのだ!
それが一番良い事だと!」
フェアラートの主張はずっと変わらなかった。
そしてそれはこの場にいるミルヒも認めた事だった。
異を唱えても誰もそれを聞いてはくれないし、認められない。
……ならどうするか?
「ここで良かったかな? 少し失礼するよ」
その場にもう一人、此方から招いた人物がいた。
「やぁ、これは皆さんお揃いで。
お初の方はおいでませんが、改めて自己紹介を。
エレクト・フェーブスだ。
今日は立会人をさせて貰いに来たよ」
公爵と同等か、更に上の立場の人間。
騎士団長を呼ばせて貰った。
◇◇◇
「……金だけでは無く、人脈も持っているか」
ミルヒが更にシャルを褒めていた。
「騎士団長、ご足労願い恐縮です」
「気軽にエレクトでも良いんだよ?
……様は付けなくても良いからね」
シャルの挨拶にエレクトはおどけて見せる。
相変わらず腹の立つ奴だな。
そしてエレクトに簡単にこれまでの事を説明した。
「えーっと、この借用書は酷いな。
一応公式な物だけど……返却はフルス家になっているね。
これはシャル君一人で返さなくても良いんじゃないかな?」
「それは……」
フェアラートが言いよどむ。
「フルス家は確かシャル君の他に息子が二人、娘も一人いたよね?
これに当主と奥方も含めれば……」
シャルに返却を迫るならその他にも分散しろと言う事だろうか。
「んーでもやっぱこれは当主と息子二人で返すべきじゃないかな?
息子の方は跡継ぎの一人だけでも良いと思うけどね。
その前にある一億ギルだってちょっとどうかと思うよ?
幾ら魔術師だからと言って学園を卒業と同時は無茶が過ぎるのではとね」
誰も言い返す者はいなかった。
だが別の方向での質問はあった。
「国がその者達を欲しているのか?
確かにそれ程の力があると思えない事もないが……」
「公爵様なら話しても良いかな?
他言無用でお願いしますが……私より強いですから!」
「「「なっ!」」」
その場に居た全ての者が驚いていた。
そしてそこからは今回の件での落とし所を探す事になって行った。
考え込んだミルヒが発言する。
「……娘がもう一人いるらしいな」
「はい。ですが……魔術師ではありません」
「ふむ……それではあまり意味がないが……」
それはクラハの事だろうか。
そしてクラハは魔術師では無いが同じフルス家の者だ。
ブラゼン公爵としては縁を結んでおくだけならクラハでも問題ないのかもしれない。
そしてその縁とはこの場合フルス家では無くシャル個人との縁と言う事なのだろう。
「ファースト……」
シャルは俺に促した。
それは仕方のない事だった。
「……父上、いえフェアラート・フルス。
私は今日よりただのシャルです。
今までもそう考えてきましたが、今日この時から名実ともにそうあろうと思います」
「な、何を急に言っている!」
驚くフェアラートの前に俺は白金貨を二十枚用意した。
「これは!?」
それは三年時から貯めてきた物だった。
当初は迷宮で手に入れた武器で持ちきれない分を密かにマジックボックスに入れていた。
勿論、マジックボックスの収納上限を周りには偽っていた。
それは各階層で約九十本程の武器、合計では八百本を超える物だった。
その武器をキルシュをはじめ、各クラスメイトに各地で売りさばいて貰ったのだ。
そのお金は俺のマジックボックスの中にずっとしまってあった。
だが四年時の初め、フォーゲル商会から投資の話が持ち上がった。
そこでシャルはしまっておくくらいならとその全てを預ける事にした。
借金分の一億ギルを除いてもその額は……一億ギルを越えた。
そしてこれまでに二度の戦争と言える物が起きた。
そのいずれでもフォーゲル商会は魔石の売り買いを行った。
それにより倍する金額を手に入れる事に成功していた。
それがこの二億ギルだ。
とんでもない利益率だが、きっと死ぬ気で頑張ったんだろうと思う。
キューケンとオイルが少し窶れて見えたからな……。
「二億ギルあります。これで問題ないでしょう」
「私の来た意味がなくなってしまったよ」
「底が知れんとはこの事か」
これにはエレクトも呆れていた。
もうミルヒは手放しで褒めていた。
「シャル……お前はもう私をとっくの昔に越えていたのだな。
息子の何方かには自分を越えて欲しいと願っていた。
だがまさか娘のお前に先を越されるとはな……」
フェアラートは何かを悟ったようだった。
「……金で判断したのではない。
その力があるという事で判断した。
お前はもう私よりも……ずっと上にいるのだな。
なら……お前の判断はきっと私より正しいのだろう」
フェアラートはやっとシャルの事を認めたのかもしれない。
娘として、魔術師として……そして一人の人物として。
「ブラゼン公爵、申し訳ありませんが、このお金を返却する事でお許しください」
それは俺が準備した物とはまた別のフェアラートが懐から取り出した硬貨だった。
「この金はシャルの物だ。
受け取る事は出来ない。
それ程までに私は落ちぶれてはいない」
「いえ、お受け取り下さい。
新しい領民がまだ苦しい生活をしているはずです。
お金は幾らあっても足りないはず。
……同じフルス家の者としてこれは譲れません」
それはシャルが折れた瞬間でもあった。
シャルはまだフルス家の人間だと言う事だった。
「ですが……クラハを私と同じ目に遭わせた場合は許しません」
フェアラートが冷や汗を流していた。
……実の娘にビビるなよ。
「分かった。言う通りにする……」
フェアラートは少しだけかっこ悪い返答になっていた。
「仕方あるまい。今回はこれで引くとしよう」
それはミルヒの言葉だった。
だがそれで引かない者もいた。
……ケーゼだった。
「シャル!
金などどうでも良い、私の元へ来い!
……と今は言っても無駄なのだろうな。
何時でも良い、気が向いたら私の元へ来い。
それなりのもてなしをして迎えてやる。
別に俺に尽くせという事では無い。
……友人として顔くらい見せろという事だ」
「……ええ、それくらいなら構わないわ」
初めはケーゼの顔を見るのも嫌だった。
だが今はそれ程でもないと思えるから不思議な物だ。
「……私は一体何の為に来たのだろうね?
まぁそこまでシャル君達を送らせて貰おうか」
エレクトだけが俺とシャルに付いて来た。
その他の人物とはここで別れる事になる。
だがそれは永久の別れにはならないのだろう。
◇◇◇
「送るといってもどこに送ろうか?
また私の屋敷で世話をしても良いのだがね」
エレクトにとってはここからが本題だったのだろう。
「一端寮の部屋に戻ります。
送って貰うほどの事でもありませんが……」
「そう言わずにとは言わないが一つ聞きたい。
……君はどこへ向かうんだい?」
寮の部屋という答えを求めているのではない。
これからの進路という物だろうか。
そしてそれはもう決まっていた。
俺はシャルから既にその先を聞いていた。
「冒険者ギルドの職員になろうと思っていました。
色々な情報が一番集まる所だからです。
漠然とした答えかも知れませんが、世界と言う物を知りたいのです。
ですが誰かに邪魔をされたようで……」
それは多分、エレクトか国からの差し金だった。
……護衛裏切りの事件を利用したのかもしれない。
冒険者ギルドには既に手が回され、シャルが行く事は拒否されていた。
やんわりとだがな。
「情報なら私が何でも教えてあげるよ?
冒険者ギルドから得られる情報だってそのほとんどを知る事が出来る」
「騎士団長でも知らない事はありますよ。
……私の行き先も知らないようですし」
「これは痛い所を突かれたね。
ではその知らない事を教えてくれるかい?」
それは仕方なく選ばれた事なのか、そこでなければいけない事なのか。
「……教会に行こうと思います」
それはシャルとは無縁な慈悲と自愛に……殴られた。酷い。
そんな意外そうな顔をしていただろうか。
お金とはあまり関わりの無い所に思えた。
「……意外といったら失礼になるかな」
エレクトも同じ意見の様だった。
「いえ、実際に教会の考えはあまり好きではありませんので。
……理由は洗礼です」
「それこそまさに意外という物だよ。
それには多額のお金が掛かるはずだ。
まだお金を準備していたとはとても思えない」
「魔石を自力で集めました。
それでも全然足りませんでしたが。
結局、洗礼後に教会で奉仕するという事になりました」
それは奉仕という事になっているが、実際はまた長い借金生活と言う事だ。
だが洗礼を受ければシャルならきっと加護を受ける事が出来るだろう。
教会はそれを考えてシャルが奉仕する事を望んだのかもしれない。
それに既に大量の魔石を持ち込む事でその力も示している。
「君達は争い事を好まないのだったね。
きっとそれには教会に行く事が正解なのだろう。
……教会での奉仕が終わったらまた誘わせて貰うけどね」
「……その時はまた考えさせて貰います」
エレクトは諦めていないようだった。
だが一先ずは納得したという事だろうか。
「最後にお願いがあります。
寮の部屋に寄った後、教会まで送っていただけますか?」
「ああ、勿論だよ。
今日はずっと君についているつもりだったからね」
そしてそれは……分かれの時が近づいているという事だった。
◇◇◇
「今日でこの部屋ともお別れね」
「……そうなるな」
エレクトは部屋の外で待っていた。
荷物を準備するそのほんのわずかな間だけ俺達は二人っきりになれた。
「そしてファーストともお別れね……」
「……そうなる……のか」
それはもう何度も話し合った事だった。
俺はシャルを説得する事が……出来なかった。
「これももう必要ないわね……」
シャルは俺からそっとリボンを外した。
それがどうしようもなく俺は悲しかった。
「ファースト……いえ、もうこの名前は必要ないわね。
ドラゴン!
貴方には感謝してる。
周りには貴方は旅に出たと伝えるわ。
それで煩わしい勧誘は減るはずよ。
もしそれでも困った事があったら私でも騎士団長でも頼って良いから。
これからは自由に生きて!」
これが俺とシャルが話し合って出した結論。
別々の道を進もうという物だった。
迷宮へ帰っても良い。
人間と共に生活しても良い。
その為の準備はもう整っていた。
俺は一人でも十分生きていける力があるのだから。
「マジックボックスの中身を出して。
もうほとんど何も入っていないかもだけど」
俺はマジックボックスの中身をすべて出した。
刀と盾、わずかなお金、日用品や雑貨、それだけだった。
「これで貴方は何にもない零からの始まりよ!
その始まりに私がしてあげれる事はこれくらい」
そう言ってシャルは貨幣を俺に渡した。
それは銅貨や銀貨ばかりだったが……結構な数だった。
「少ないけど餞別よ! 文句なんて聞かないからね!」
そのお金に俺は文句など何も無かった。
その貯金箱にでも貯めていたかのようなお金はシャルが働いて手に入れた物だった。
迷宮などで戦って得た物では無く、学園の食堂で働いて貯めたお金だ。
俺はそれを知っていた。
これがシャルにとってどれだけ価値のあるお金かと言う事を。
「さぁ、飛び立って!
私は貴方が飛ぶ所が好きよ!
最後にそれを見せてほしい」
シャルは部屋の窓を開けた。
本当にこれで最後と言う事なのだろう。
だが俺はそれでも諦めきれなかった。
最後の説得を試みる。
「俺は……シャルと共に行きたい……」
シャルは少しだけ悲しそうな顔をした。
「ごめんなさい。
貴方とは……住む世界が違うの」
答えは変わらなかった。
そんな事は分かっていたが言わずにはいられなかった。
「そんな顔しないで。
最後は笑って別れたいわ」
シャルは笑顔を作っていた。
俺は笑顔が作れただろうか。
ドラゴンの顔色なんて自分でも分からないが。
「……さよなら、ドラゴン。
またいつか会いましょう」
「ああ、またな……」
俺は飛び立った。
その空は何時もより高く感じた。
◇◇◇
「お別れはすんだかい?」
「……盗み聞きは良くありませんよ」
エレクトは全てを知っていたのかもしれない。
「さぁ、教会へ行きましょう。
あ、これ持つの手伝ってくれます?」
「……私は雑用係の様な物だけど、本当に雑用をさせられた事はあまりないんだよ」
エレクトはその大きな盾を持たされていた。
シャルはいつも通りだった。
俺もいつも通りに振る舞えば良い。
これが最後の別れという訳でも無い。
また会いに行けば良いのだ。
ただ俺とシャルの進む道が違うというだけだ。
そんな事を言ってはみても簡単には……割り切れなかった。