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二章

「は?」

 最初に聞かされたとき、今日はエイプリルフールで、これは性質の悪い冗談なのかと思ってしまった。部屋の壁かけカレンダーをチラリと見るが、しかし今はまだ三月中旬。公に嘘をついていい日にはまだ少し早い。

 親父が入院した。

 電話の向こう側で母は、そう興奮気味にまくしたてた。

 あまりにいきなりな上、かなりテンパっているのだろう、母はひどく気が動転していて「ああもう、どうしよう」とか「これって労災? ねえ、どう思う?」と話が全く要領を得ない。

 その後三十分以上かけて聞き取った内容を要約すると、こうだ。

 親父は、元々腰の調子が良くなかった。といっても、日常生活や仕事に支障が出る程ではなく、重い物を持ち上げたりして腰に負担さえかけなければ、仕事もそのまま続けられる程度だった。

 しかし親父は、あろうことか製麺所から送られてきた麺の入ったトレイを一人ですべて持ち上げようとした。

 トレイは、いつもだいたい百食分はあった。俺だって運ぶ時は何回かに分けて運ぶ。一度に運ぼうとするなんて正気の沙汰とは思えない。

 聞けば、最初はそのトレイを三佐和さんが運ぼうとしていたらしい。しかし、それを見た親父が「女の子に重いもの持たせちゃ悪いから」と横からしゃしゃり出て、更にちょっと格好良いところを見せようとその場にあったトレイ全部を一気に持とうとして、案の定腰を破滅に導いた、ということらしい。

 阿呆か。

 情けなさに涙が出てきそうだ。自分の父を身内の恥なんて言いたくはないが、完璧に、恥以外の何物でもなかった。

 話し終わる頃には母も落ち着いてきたのか「まったく、年甲斐もなく。お父さんったら馬鹿なんだから……」とぶつぶつ言っていた。

 とりあえず、命に別状があるとかそういう重大な事態ではなさそうだし、俺にできることは何もなさそうなので、親父の事は母に任せることにした。面倒くさいを通り越して、もうなんか割とどうでもいい。自業自得だ。それしか言いようがない。

 用件を聞き終わって、電話を切ろうとしたその瞬間、母は「あ、ちょっとまって! まだ切らないで!」と引き留めてきた。

「何さ」

「お父さんがね、なんか、腰が治るまで、康が店のラーメンを作れ、って」

「はぁ?」

「入院って言っても検査入院だから、すぐ退院できるんだって。だから、退院するまでの間、店はお前に任せたって」

「いやいやいや、ちょっと待ってよ! ていうかいきなりすぎるでしょ色々と!」

「仕様がないじゃない。こっちだって急で大変なのよ」

 急で大変なのはわかるが、それにしたって意味が分からない。臨時休業にすればいいだけの話じゃないのか。

「大体退院するまでって言ったって、そんな状態じゃ退院してからも暫く安静にしてなきゃなんじゃない?」

「そうねえ」

「そうねえ、って……」

 暫くはそんな押し問答を続けていたが、「とにかくお願いね」と捨て台詞のように言って、母は電話を切り強制的に承諾させた。いや、ちょっと。何この理不尽。

 すぐさまかけ直すが「……おかけになった電話は、現在電源が入っていないか、電波の届かない……」と無情なアナウンスが聞こえるだけだった。

 電源切りやがった。

 携帯電話を片手に、暫く俺は、呆然と立ち尽くしていた。


「まあ、そんなわけで。当分の間は、俺、厨房に立つことになりそうです」

 とりあえず、呆けていても始まらない。

 遠くに飛ばしていた意識を取り戻した俺は、いの一番に三佐和さんへ電話をかけた。あの後も何度か母に電話をかけたが、徒労に終わった。家族は頼れない。今一番頼りになる人は、この人だった。

 三佐和さんは、申し訳なさそうに口を開いた。

「そうなんだ……。あの時の店長、妙に張り切ってたから。それでつい、麺を運んでもらうの、お願いしちゃったんだけど……。ごめん、私が悪かった。もっと気を付けておくべきだったね」

「いや、そんなこと全然ないです」悪いのは百パーセント親父だ。

「そうなると、困ったね。お店でラーメン作れるの、店長と新井君だけでしょ?」

「俺も得意なわけじゃ……」

「でも、出来るでしょ?」

「……まあ」

 三佐和さんに言われ、少し戸惑う。正直、ラーメンの調理は苦手だった。親父の手伝いでやっているうちに多少コツが分かってきた、という程度で、一人で店の味を出せるかというと、不安が残る。でも、この際だ。やるしかない。

「とりあえず、店長が退院するまでは新井君が調理をやった方がいいと思う。退院した後、お店を休みにするのか、それともそのまま営業するのか、改めて相談したらいいんじゃない?」

 話をまとめて、三佐和さんが暫定的な今後の方針を提案してくれた。

 そうなると、親父が退院するまでの数日間、俺は店の方にかかりきりになるということだ。調理に、店長としての業務。余裕なんてあるわけない。

 一つだけ気がかりなのは、あかりの事だった。

 あかりの家には、今でもほとんど毎日顔を出して、家事を手伝っている。といっても、家の主は最近リハビリの為に病院へ通い始めたので、昼間行ってもいない日の方が多かった。

 最近は合鍵を手渡されたので、本人不在でも勝手に家に上がって、掃除洗濯調理に買い物と済ませている。もはや勝手知ったる他人の家を地で行っていた。

 しかし、家業の方が忙しくなると、どうしてもあかりの家に行く時間を捻出するのは難しくなってくる。

「……心配なのは、例の後輩ちゃんのこと?」

「……はい」

 電話口で黙った俺に、三佐和さんが見透かしたように言う。流石の洞察力に、素直に頷いた。

「後輩ちゃんには悪いけど、今は優先順位ってものがあるよ。何を一番にしなきゃいけないか、新井君も、よく考えて」

 三佐和さんの言うことはもっともだ。納得はできないし、したくもないが、とにかく親父が帰って来るまでの間、店を守るのが最優先だ。

「……分かりました」

 渋々了承し、通話を切る。そのままケータイでメール作成画面を出し、『親父が入院した。暫く店が忙しくなるから、そっちに行けないかも。ごめん』と簡単に状況を書いて、あかりに送った。

 そして、ふう、と一息つく。怒涛だ。まるで押し寄せるように一気に現れ、そして退いて行った。いや、まだだ。まだ退いていない。大変なのは、これからだ。

 とにかく明日、長くても明後日くらいまで店を切り盛りすれば、親父は帰って来るはずだ。そうしたら、おとなしく腰が治るまで休業してもらおう。暫くすれば、直ぐに調子も良くなるはずだ。そうすれば、またあかりの手伝いに通う日々に戻れる。

 そこまで考えて、気が付いた。どうやら俺は、あかりに尽くすこの日々をいつのまにか楽しいと思うようになっていたようだ、ということを。

 初めは贖罪だった。いや、あかりがそれを望んでいなかったから、自己満足に近かったのかもしれない。

 罪悪感を紛らわせるために、身を粉にして尽くすことが正しいと信じていた。だけどいつしか、それは俺のやりがいへと変化していった。今だって事故のことを思い出せば、苦い思いが胸に広がる。でも、不思議と罪の意識はあの時ほど感じない。焦燥に似た不安は、もう欠片もない。

 俺は、自分に与えられた権利として、あかりの力になっていた。

 そこまで考えて、再び思う。早くこのゴタゴタを片付けて、あかりの元に行かなくちゃな、と。

 たった数日でも、今までほとんど毎日顔を合わせていた人に会えないとわかった瞬間、俺はやはり多少の寂しさを覚えていた。

 ふと時計を見ると、あかりにメールを送ってから、一時間ほどが過ぎていた。随分長いこと考え事をしていたもんだ。

 何となくケータイに目をやり、メールの新着問い合わせをする。

 新着メールは、ゼロ。

 あかりからの返信は、来ていなかった。


 翌日。

 昼飯時のラーメン屋『あら井』は、予想通りに怒涛の忙しさだった。

「注文入りまーす! カウンター席がチャーシューメンと半ライス、二番テーブルがラーメン大盛り二つに餃子一皿!」

「はーい!」

 三佐和さんが注文を取り、俺がそれを受けて調理する。出来上がったら、席にそれを届ける。

 それだけだ。

 それだけの事だったが、如何せん人手が足りない。小さな店とはいえ、現在の従業員は俺と三佐和さんの二人のみ。しかも一人で厨房をやるのが始めてな俺は、思うようにも効率よくも働けない。結果、客の回転は悪くなり、さらに忙しくなるという悪循環だった。

 ラーメンを作る。客が食べる。またラーメンを作る。別の客が食べる。終わりがないんじゃないかと思えるくらい、客が途絶えない。うちはそれなりに繁盛てはいるが、決して人気店ではないし、隠れた名店扱いされているわけでもない、ただの地域密着型のラーメン屋だ。なのに、入り口には、最後尾が見えないくらいの長蛇の列ができていた。

 やっと客足が落ち着いてきた頃には、既に午後二時半を回っていた。

「お疲れ様、新井君……」

「お疲れ様です、三佐和さん……」

 客がいなくなったテーブル席に音を立てて腰かけて、お互い顔に疲労の色をくっきりと見せながら労い合う。だけど、休んでいる暇はない。夕飯時になればまた紛争地帯のような慌ただしさで、てんやわんやになるのは目に見えている。今のうちに、出来る限りの仕込みは済ませておかなければ。

「これが閉店まで続くのか……」

 ついつい弱音がこぼれてしまう。

「もっと言えば、明日もこんな感じかもね」

 しかし、そんな弱音も許さないという風に、一緒に昼飯時を戦い抜いた戦友は冷たく言い放つ。

 勘弁してほしかった。


 忙しい時間は、あっという間に過ぎて行って。

 気が付けば、夜十一時。閉店時間になっていた。

「やっと終わった……」

 真っ白に燃え尽きたボクサーよろしく項垂れながら、一人ごちる。

 もう限界だった。たった一日だけで、いつもと比べ物にならないくらいの、この疲労感。

 今すぐ布団に入りたい。そしたら、二、三日寝続けられる自信がある。それくらい、精も根も尽き果てていた。

 親父はいつもヘラヘラしているように見えて、毎日こんなハードな仕事をしていたのか。いつも締りのない顔で三佐和さんを眺めて、いい加減な冗談ばかり言っていると思っていたのに。

 なんだか、言葉だけでなく、体感として親の偉大さが分かった気がした。

 よし、と気合を入れ直して、立ち上がる。いつまでも放心しているわけにはいかない。ここで挫けたら、親父に負けた気がして癪だ。

「あれ、新井君、まだなんかやること残ってるの?」

 振り向くと、もう帰るところだったんだろう、三佐和さんは帰り支度を済ませて店の勝手口に立っていた。

「ちょっと明日の仕込みだけやっちゃおうかと。今日一日、一人でやって要領も分かってきたし、多分そんなに時間かからないと思って」

「じゃ、私も手伝うよ」

「大丈夫ですよ。三佐和さん、先に上がってください」

「でも……」

「明日も過酷な労働に耐えてもらうんですから、ゆっくり休んで下さい。俺もすぐに上がりますから」

 肩すくめて、おどけるように言う。本当はついでにレジを締めて在庫と発注の確認もするつもりだったけれど、言うと無用の心配をかける気がしてあえて口には出さなかった。

「……。わかった。でも、無理しないでね」

 そう言って、三佐和さんは自分のカバンを漁りだした。やがてカバンから出てきたものは栄養ドリンクの小瓶だった。わざわざ低カロリーの商品を選んでいるところが女性らしい。

「ま、これでも飲んで頑張ってね」

 言うや否や、回れ右をして俺に背を向け、「じゃあね」と手をひらひらさせながら三佐和さんは帰っていった。……きっと俺がこれから無理しようとしているの、分かってるんだろうなあ。

 深呼吸を大きく一つして、気持ちを切り替える。さあ、もうひと踏ん張り。頑張ろう。

 気合いを入れ直し、まずは明日の仕込みに着手。……と、その前に。

 仕事に手を付ける前に、ケータイを覗き見る。

 メールは、まだ来ていなかった。


 次の朝は、テーブル席に突っ伏して寝ているところを、三佐和さんに肩を揺すられて目を覚ました。

「新井君。新井君ってば」

「……へぁ」

 寝起きで変な声が出てしまった。頭を軽く振って、寝ぼけ眼をこする。時計を見ると、午前九時半。営業開始まであと一時間半しかなかった。

「…………。んー?」

 記憶は、朝四時くらいまでは残っている。仕込みをして、レジを締めて、在庫と発注の確認をして、それで……

「って、うわっ!? もしかして寝落ちしてた!?」

「みたいだね。勝手口、空きっ放しだったから勝手に入ってきちゃったよ。よかったね、私が早めに来て」

 まったくもってその通りだ。今からなら開店準備も、まだ、何とか間に合う。でも、あと一時間起こしてもらうのが遅れていたらと思うと、背中に冷たい汗が流れた。

「すみません、すぐ準備します」

「いいって。それより、少し休んでおきなよ。こんなところで寝てたんじゃ、疲れ取れてないでしょ。朝の準備は私がやるからさ」

「大丈夫です。ぐっすり寝てましたから。むしろ体を動かしていた方がいい感じにほぐれてくるような気がします」

 立ち上がって伸びをするだけで、体中の関節がバキバキと音を鳴らした。

「とか言っちゃって。どうせ遅くまでずっと頑張ってたんでしょ?」

「大したことないですよ」

 軽く言ってみるが、三佐和さんは笑わない。むしろ俺を量る様に、じっと見つめてきた。こっちも目をそらさないで見つめ返す。

 やがて三佐和さんはため息を一つ吐いて、呆れるように言ってきた。

「まったく。大変な時は、ちゃんと人に言うんだよ?」

「すみません、心配かけて。ありがとうございます」

「心配にもなるよ。新井君、馬鹿正直というか、糞真面目というか。一つに打ち込むと、周りが見えなくなる、なんていうか、そういうタイプだから」

「そんな事ないと思いますけど……」

 何だか、前にも同じようなことを言われた気がする。頑張り過ぎない方がいい、とかなんとか。三佐和さんには、俺がそんな風に見えているんだろうか?

 微妙に腑に落ちなかったけれど、気が付くと、三佐和さんはさっさと店の開店準備に取りかかっていた。慌てて俺も仕事に就く。

 めまぐるしい一日が、また、始まる。


 そして、昼食時。

 またも地獄の忙しさの中、たった二人で奮闘していた。

 しかし、昨日一日で大分仕事の要領はつかんでいた。客の回転も良く、長蛇の列を作るのは何とか回避している。それでも、相変わらず客足は引かず、ひっきりなしにやってくる。終わりのない戦いを延々やらされている気分だった。

 加えて、今日はなんだか肩のあたりに鉄塊でも背負っているかのように、体が重い。まあ、あんな場所で、あんな風に転寝していたら、当り前と言えば、当り前だった。

 ずっしりと感じる体に鞭打って、なんとか息吐く間もないピーク時を乗り切った。

 午後三時くらいになり、そろそろ三佐和さんに休憩を取ってもらおうと思った時だった。

 店の戸がガラガラと開く音がした。店の営業時間は昼の部と夜の部に分かれていて、今はそのちょうど中間、貴重な下準備と休憩の時間だった。

 表にも、ちゃんと『開店準備中』の札がかけられているはずだ。それでもたまに間違えて入って来る客がいるので、その類だと思い「すいません、今は営業時間じゃ――」と言いかけて、思わず固まってしまう。

 親父だった。付添いの母も一緒だ。

 何の連絡もなしにいきなり帰ってきた親父は、「おっす、お疲れー。どう、ちゃんとやってるー?」と軽く手を挙げながら呑気に言ってきた。

 固まっている俺の代わりに、先に反応したのは三佐和さんだった。

「店長! もう腰は大丈夫なんですか?」

「いやー、三佐和ちゃん、ごめんね、迷惑かけて。何とか帰ってこれたよ。ハハッ」

 ハハッ、じゃないよ。

 ようやく俺も石化していた思考と体が元に戻ってきた。どうやら親父は、思ったよりも早く退院できたみたいだ。

 挨拶もそこそこに、親父が帰ってきた後、速攻で表のかけ札を『開店準備中』から『本日閉店』にし、急遽、ラーメン屋『あら井』の緊急運営会議を開くことになった。親父は「いいよ別に。普通に営業しなよ」と悠長に言ったが、そういうわけにはいかない。こっちは聞きたいことが山ほどあるんだ。

 渋々な様子の親父を無視して、とっとと閉店準備にかかる。

 長かった。

 たった一日半だったけど、頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい忙しく働いた。

 それも、これで終わりだ。

 不満やら、疑問やら。

 全部まとめて問いただし、早くこんな店長代理を辞めたくて仕方がなかった。

 

 最初に、取敢えず親父の話を聞くことにした。

「それでは、改めて。いろいろ心配かけて、申し訳なかった。ついつい年甲斐もなくハッスルしちゃって」

「本当よ」

 母がボソッと言う。目が笑っていない。怖い。

 しかし親父は全く気にした様子なく、素知らぬ顔で話を続けた。

「今も実はコルセットを付けている。が、無茶をしなければこれもすぐ取れるだろう、と医者は言っていた。まあ、長くても一週間くらいだと思う」

 とりあえず、安心した。なんだかんだ言っても、実の父だ。大事に至らなくて何よりだ。

 親父は話を続けた。

「仕事の方も、簡単な作業くらいならできるだろうが、本格的に一人でやるとなると、厳しいかもしれない。それで、だ。康。お前、また暫く厨房をやってくれないか」

「は? いやいやいや。勘弁してよ」

 むしろそれを回避するために俺はこうして親父の前にいると言っても過言ではない。

 しかし、親父は譲らない。

「そうは言うが、厨房ができるのは俺とお前だけだろう。俺が駄目なら、お前がやるしかない」

「じゃあ、臨時休業でも何でもすればいい。店長が調子崩してるんだ。充分理由になるだろ」

 もちろん、俺だって譲る気はない。徹底抗戦の構えだ。

 親父は遠くを見る様に目を細めて、諭すように話し出した。

「理由は主に二つだな。まず一つ目。康。元々お前には、そろそろ一人で厨房を任せようと思っていたんだ」

「……初耳だ」

「そりゃそうだ。初めて言ったからな。でも本気だぞ」

「でも、なんで」

「流石に俺も年だからな。一人で厨房をやるのはきつい。それはお前もよく分かっただろう?」

 親父の言葉に、黙って頷く。そんなの、この二日間で嫌というほど味わった。親父は満足そうにニヤリと笑い、言葉を続ける。

「なら、説明はいらないだろ。もちろん、本当はこんな風にいきなり任せる予定じゃなかった。最初は俺がフォローしながら、ゆっくり育てるつもりだった。だけどその矢先に、腰をやっちまってな。だが、これはチャンスだとも思った。多少スパルタになるが、ここでお前に頑張らせるのもいいんじゃないか、ってな。実際、悪戦苦闘しながら、それなりに上手くやってたんだろ?」

「……」

「もう一つは、客の事だ。うちは地域密着型の店だからな。長年の常連がそれなりにいる。みんなこの店を気に入って来てくれている。それなのに、俺の都合で長いこと休んでいたら、向こうにとっちゃ寂しいだろう? それに、俺のラーメンを食べ慣れた常連の舌でも、お前のラーメンは受け入れられていたんだろ? だから、自信を持っていい。できるよ、康。お前なら。明日からはちゃんと俺がフォローする。だから少し、俺に楽させてくれないか」

「……でも」

「頼む。バイト代も弾むから」

 その一言に、ピクッ、と思わず反応してしまう。そして、聞いてしまう。

「…………。どのくらい?」

「厨房の時は自給三百円アップ、でどうだ」

「乗った」

 俺は即決した。

 こうして、また明日からの厨房生活が決まったのだった。


 時間は、いつの間にか夜へとなっていた。

「新井君、本当によかったの?」

 明日の準備をしながら、三佐和さんが聞いてくる。結局今日の午後は臨時休業のままにした。時間も中途半端になってしまったし、その分、明日はフルタイムで営業する予定だ。

 そういえば緊急会議の時、三佐和さん全然喋ってなかったな、とふと思う。まあ、面子的にいっても、他は皆うちの家族だったから、他人の家族会議に居合わせたみたいで発言し難かったのかも知れない。

「何がですか?」

「決まってんじゃん、バイトの話。本当に厨房やる気なの?」

「そのつもりですけど」

「自分の時間とか絶対減るよ? 例の後輩ちゃんとかはいいの?」

「何とかしますよ」

「…………。さっきの話の流れからして、新井君、お金が欲しいからオッケーしたの?」

「まあ、そんなところです」

 言いながら、あかりの、あのゴミ捨て場に置き去りにされていた木目調のギターのことを思い出していた。

 あの後、俺はこっそりギターを回収して、楽器店に持ち寄り、修理が可能かどうかを聞いてみた。

 楽器店の店員は、可能だが、結構な額の費用がかかる、と言った。

 そもそもギターの値段さえよく知らなかったので、修理にいくらかかるかなんてもちろん知っているわけがない。試しに見積もりを出してもらうと、予想よりもかなり高めの金額だった。その後で店内を少し見て回って分かったが、他のギターなら一、二本買ってもお釣りが出るくらいだった。さすがにポンと出せる金額じゃない。

 とりあえず修理は保留にしてもらって、壊れたギターは俺が一時預かっている。新しいギターを買った方が安くつくなら、もしかしたら、それでもいいのかもしれない。でもそれは、なんだか違うような気がした。

 あかりがあのギターにどんな愛着を持っているかは知らない。何の拘りも持っていないのかもしれない。だけど、そこまで考えて、初めてライブに言ったあの時の、あかりの姿が唐突にフラッシュバックする。

 リズム隊に合わせてギターをかき鳴らすあかり。

 悲鳴のように唸るギター。

 演奏の燃え盛るような熱。観客の迸るような熱。熱、熱、熱。

 今思い出してもあの時の興奮がよみがえってくる、あの、光景。

 あの光景には、あの、木目調のギターじゃなければ、似合わない。そんな気がした。

 修理費用を稼ぐには少なくとも、一、二か月はがっつり働かなければいけない。いや、それでも厳しいくらいだ。なので、厨房業務は大変だが、時給アップは非常に魅力的だった。

 三佐和さんはため息を一つ吐きながら、仕事の手を止めて言ってきた。

「何にお金使うか知らないけど、程々にしときなよ?」

「すみません、いつも心配かけて。ありがとうございます」

「いやまあ、私は別にいいんだけど」と表情は変えず、しかし少しだけ頬を赤くして、三佐和さんは仕事に戻って行った。意外に照れ屋なのかもしれない。

 さて、俺も頑張るか、と大きく伸びをする。そのとき、不意に視界がグラリと揺れた。

「……ぉお?」

 咄嗟に壁に手を付いてバランスを取る。どうやら立ちくらみのようだった。この二日間ろくに休めていないので、疲れが出て当然と言えば当然か。

 だけど、こんなところでへたりこんでいるわけにはいかない。

 気を取り直して明日の仕込みを再開しようとしたとき、ポケットに入れていたケータイが短く揺れる。メールだ。

 差出人は、落合あかり、となっていた。

 やっと、返事が来た。なんだか随分長いことあかりに会っていないし、連絡も取っていなかった気がする。実際はほんの二、三日だけど、それまで殆ど毎日顔を合わせていたので、メールを貰っただけで、何故か懐かしい気持ちにすらなっていた。

 逸る気持ちを抑えて、メールを開く。

 内容はたった一行だけ、


『分かった。大変だろうけど頑張って。次はいつ会える?』


 と書いてあった。

 もう、この一文を読んだだけで自分の顔がニヤけてくるのが分かる。察する、とか、汲み取る、とかそういうのが苦手な俺ですらすぐに気付いた。

 それだけ、このメールの短い文面からは「早く会いたい」という気持ちが滲み出ていた。

 俺だけじゃなかった。あかりも、俺に会いたいと思ってくれている。

 それだけで、不思議と疲れ果てていた体に元気が漲ってきた。

 きっと、他人が見たら不自然なくらい頬を緩ませていただろう。自分の仕事に戻った三佐和さんを盗み見るが、幸い俺の方は見ていないようだった。

 仕事中ということもあり、手短に『いつになるかは分からない。ごめん。都合が付きそうだったらまた連絡する』とだけ返事を書いて、返信した。

 本音を言えば、一瞬でも早くあかりの元に駆けつけたかった。だけど、あかりは今、リハビリを受け、右腕が再び動かせるようになるよう一生懸命頑張っている。前を向いて、進み始めている。

 なら俺は、あかりが歩き続けられるように、そして歩いた先に、昔と同じ光を与えられるように、自分にできることを精一杯やるだけだ。

 あかりの生活をフォローして、ギターを直して。

 プロのギタリストが夢だと言った彼女。

 いつかまた彼女の右腕が動くようになったとき、ちゃんとまっすぐ夢を追える様に、俺は、がむしゃらに頑張ることを、密かに誓った。


 それからみっちり一週間、親父の指導の下、俺は厨房に立たされ続けた。

 親父に言わせれば、「慣れてきて流れが分かるようになれば大して大変じゃない」ということらしい。でも俺は、未だにそうは思えない。四苦八苦の毎日だった。

 いつもの閉店時間、先に仕事を上がる三佐和さんを見送って、明日の仕込みをしようとしていた時だった。

 不意に三佐和さんが立ち止まり、俺の方を向き直してきた。

「新井君、今度の休み、暇?」

「え?」

 不意に尋ねられて、一瞬、意味を量りかねる。が、三佐和さんは構わず言葉を続けた。

「明後日って店の定休日だから、休みだったでしょ? 実は私、ちょっと買い物に行きたい所があって。だから、良ければ付き合ってほしいんだけど、駄目?」

「買い物、ですか」

 もちろん、こんな美人の誘いとあれば俺も吝かではない。でも、今度の休みは、久しぶりにあかりの所に顔を出そうかな、と丁度思っていたところだった。

「そ。……話したいこともあるし」

 少し考えて、あかりには申し訳ないが、三佐和さんの誘いを受けることにした。思えば、三佐和さんには俺が大学に入ってから今までずいぶん世話になっている。特にうちの店でバイトを初めてからは、ほとんど毎日働きに来てくれて、手を合わせたい気持ちでいっぱいだ。ここら辺でそろそろ恩を返しても、バチは当たらないだろう。

「分かりました。明後日、どこで待ち合わせます?」

 返事をすると、ぱあっ、っと三佐和さんが笑顔になる。あまり感情を見せないというか、表情に出さない人だと思っていたから、それを見て、内心小さく驚いた。

「ありがと。じゃ、昼二時に、ショッピングモール集合でいい?」

 ショッピングモール、と聞いて再びあかりの事を思い出す。

 彼女の車イスを初めて押して買い物に言ったあの日から、あかりと二人で買い物に出かけるときは、決まってショッピングモールに行くという半ば暗黙の了解のようなものができていた。

 だから少しだけ、あのショッピングモールに誰かと二人で行く、ということに抵抗があった。なんだか、あの日見た我儘で可愛いあかりや夕日の綺麗さを、別の思い出で上書きされるような気がした。

「……駄目?」

 迷っていると、三佐和さんは心配したのか改めて聞いてくる。

 何を迷っているんだ俺は。そもそも買い物に付き添うだけでどれだけ大層に考えているんだ。

「いえ、大丈夫です。それじゃあ、明後日の二時に、ショッピングモールで」

 努めて笑顔で言って、三佐和さんとの約束を取り付けた。


 そして、当日。

 約束の日は、外に出なければ損なんじゃないかと思えるくらいの快晴だった。

 でも、こんなにいい天気なのに室内にいるというのは、これはこれで贅沢な休日の過ごし方なのかもしれない。そんなことをボーっと考えながら、三佐和さんの後を追うようにしてショッピングモール内のテナントを巡った。

 俺を誘った当人は、アクセサリーや小物を数点買っただけで買い物に満足したのか、「せっかく良い天気なんだし、ちょっと外に出ようよ」とフードコートにあるオープンカフェを指差した。

 二人で暖かい陽気の中、コーヒーを飲む。なんだか、のんびりとした休日は久しぶりな気がした。

 カップを両手で持ちながら、三佐和さんは「ごめんね」と前置きしてから話しかけてきた。

「今日はわざわざ付き合ってもらっちゃって、ありがとうね」

「そんな、全然。いい気分転換になってますよ」

「そう? なら良かった。だってそのために今日呼んだんだし」

「…………。え?」

 三佐和さんと目が合う。相変わらず真意が読めない表情をしながら、軽い口調で言葉を続けてきた。

「新井君、今日は例の後輩ちゃんの所に行こうとしていたでしょ?」

「はあ、まあ」

「でしょ。だから、今日は強引にでも休んでもらおうと思って、こうして誘ったの」

「俺があかりの所に行かないように、ですか」

「そゆこと」

「どうしてまたそんな……」

「だって」

 そこで、三佐和さんはいったん言葉を区切って、

「新井君、このままだと、きっと潰れるよ」

 はっきりと、俺の目を見ながら、言った。

 一瞬、何故そんなことを言われるのか分からなかった。分からないのに、息が詰まったように、言葉が出ない。視線を離せない。まるで見えない蔦で絡まれているような、そんな感覚。

 何も言わない、いや言えない俺なんてお構いなしに、三佐和さんはコーヒーをテーブルに置き、黒髪を手で梳きながら続ける。

「新井君、何でか分かんないけど、今すっごくバイト頑張ってるじゃん。頑張り過ぎて、無理が出るくらいに。こんなんで後輩ちゃんの所にまた通うようになったら、間違いなく限界を超えちゃうよ?」

「別に、そんな無茶はして――」

「してるよ。この前、厨房でフラついてたじゃん」

 前に立ちくらみがあったことを言っているのだろうか。誰にも見られていないと思っていたのに、流石三佐和さんは目敏かった。

「……大丈夫ですよ、あれくらい」

「今はまだね。でも、この先必ず無理が祟る」

「たとえ俺が倒れたとしても!」

 思わず、声が大きくなる。

「それでも俺は、やらなきゃならないんです!」

 あかりの右腕が治るまで。

 俺は、身の回りの手伝いをして。いっぱい稼いで。ギターを直して。あかりが夢を、もう一度追いかけて。

 その為に俺は、今できることを全て、全力でやり切らなければいけない。

 言い切った俺に少し面食らいながらも、三佐和さんはすぐに表情を戻し、溜息を吐きながら、冷静に言った。

「どうして?」

「どうして、って……」

「何で新井君、そんなにその後輩ちゃんに一生懸命になるの?」

「そんなの、当り前ですっ! それは――」

 ――それは。

 それは、何だ?

 罪悪感か。責任感か。それとも、それ以外の何かなのか。

 あかりを助けなきゃ、という衝動があって。それは、決して俺を立ち止まらせてくれなくて。

 そして、走り続けなければ、頑張り続けなければ、何故か、心の大事な部分が折れてしまうような気がして、何で走り続けるのかという根本的な事を見ずにいてしまっていた。

 もう一度、自問する。

 俺は、なんで、こんなにも、あかりに尽くすんだ?

「……俺は」

 自分でも、何を言おうとしているのか分からない。言葉なんて出てこない。しかし、答えは確実に、今、求められていた。

「俺、は」

 自分でも分からない何かを言いかけた、その時だった。

「――何してんの、康さん」

 二人がけの席に、俺でも三佐和さんでもない声が、突如、割って入ってきた。

 聞き覚えのある声だ。と言っても最近久しく聞いていない、懐かしささえ感じる、声。

 だけど声色は、そんな思い出に浸れないくらいに、冷たい。

 振り向くと、声の主――あかりが、そこに、立っていた。


 張り詰めた空気が、俺たち三人だけを包むように漂っていた。

「あかり……」

 思わず、声が漏れる。

 あかりはイスに座ったままの俺と三佐和さんをじっと見下ろし、視線だけで射殺せそうなくらいに睨みつけていた。急な登場に流石の三佐和さんも面食らった表情をしている。

「どうして、ここに」

 親の仇を見るような視線を受けながら、辛うじて、それだけ聞けた。

「私が来ちゃいけないの?」

 しかし返事はぴしゃりと音がしそうなくらい、どこまでも澆薄だった。

「いや、でも、どうやってここまで」

「これ」

 俺が疑問を口にすると、あかりは抑揚のない声で短く答えて、腋に挟んだ松葉杖をトン、っと軽く地面に打ち鳴らした。それを使って一人でここまで来たというのか。

「嘘つき」

「え?」

 唐突に。本当に唐突に。そして憎々しげにあかりは呟いて、更に言葉を続けた。

「康さん、バイトが忙しくなるから、お父さんが入院したから、うちに来れないってメールに書いてたじゃん。なのに何? 買い物楽しんで、女の子とお茶して。それって忙しいとか入院とか全部嘘だったってことでしょ?」

「違う、嘘じゃない。そうじゃないんだ」

「じゃあなんで私を放ってこんなところで遊んでるの!?」

「――っ」

 耳をつんざくような怒号。周囲の客が一斉に俺たちのことを見る。それでも収まらないらしい怒りは、洪水のように言葉として溢れてきた。

「嫌になったんでしょ!? 面倒臭くなったんでしょ!? 私のところに来るのが!」

「あかり、お、落ち着いて。とにかく、話を……」

「うるさい!」

 興奮したあかりを何とか収めようとするが、俺の言葉は、今のあかりには、届かない。

「酷いよこんなの! 最低の嘘だよ! 最低、最低最低最低! 康さんの馬鹿!」

 髪を振り乱し、荒い息づかいでまくし立ててきた。

 あまりの剣幕に、こっちも冷静でなんていられない。

 手が付けられないくらいのヒステリーっぷりに、どうしたらいいのかわからず、俺はただオロオロと慌てることしかできないでいた。

 カフェの客達は遠巻きに見ながら「何? 痴話喧嘩?」「やっだぁ最悪ぅ」と好き勝手に騒いでいる。

 その時、ガタッ、と周囲の喧騒に紛れて物音がした。

 音の方に目をやると、あかりが現れてから今まで沈黙を守っていた三佐和さんが、イスから立ち、キッと鋭くあかりを睨んで、言った。

「随分と自分勝手なお姫様ね」

 その一言は、俺に向いていた矛先を変えるのに、充分過ぎるものだった。

「何、あんた」

 初対面であろう相手なのに、構わず食ってかかるあかり。しかし三佐和さんも表情を変えず真正面から対峙する。

「はじめまして。私、羽生三佐和。新井君の先輩で、あなたが抜けた代わりにラーメン屋でバイトしてるの」

「ラーメン……『あら井』?」

「そ。それで貴女は、事故で右腕が、っていう噂の後輩ちゃんね?」

「……」

「新井君には貴女とのことでたまに相談を受けてたりしたの。で、今日のところも、そのオマケって感じかな」

 あかりも三佐和さんも、お互い視線を逸らさない。目線こそ鋭いが、三佐和さんは感情が見えない顔で、片やあかりはまるで対比するように魂をむき出しにしたような憎々しい顔をしていた。

 向かい合う二人に挟まれるかたちの俺は、ただ事の成り行きを見守るしかなかった。

 三佐和さんは言葉を続ける。

「こんな形で会うことになるとは思っていなかったけど……丁度良かった。貴女にひとこと言っときたかったの」

「……何」

「単刀直入に言うけど、これ以上、新井君を追い込まないで」

 予想外の言葉に、思わず三佐和さんに目をやる。が、当の本人は変わらず、読めない顔であかりにまっすぐ話し続けた。

「新井君、本人は大丈夫って言ってるけど、大分限界に近づいてる。多分バイトの疲労と、貴女の事での心労との両方が原因だと思うけど。このままじゃ新井君、壊れちゃうよ。勘だけど、今バイトをすっごい頑張ってるのも貴女絡みっぽいし。ちなみに、新井君のお父さんが入院したのは本当だから」

「三佐和さん、そういう話は、今はちょっと」

 誤解を解こうとしてくれるのは助かる。だけど、何だか嫌な予感がする。その言葉の先を言わせてはいけない気がして止めようとするが「止めないで。言わせてよ」と一蹴された。

「気付いているんでしょ? 新井君が貴女にかかりっきりでろくに学校も行けてないし、休日らしい休日がないことも」

「それは俺が頑張れてないだけで――」

「新井君は少し黙ってて。それに、今はお店の事もあって特に大変な時期なの。貴女の右腕の事は確かに不幸なことだと思うし、同情もできる。でも、少しでもいい。いい加減、新井君を自由にしてあげてよ」

「わ、私は別に、康さんに何も強要して……」

「してない、と?」

「……して、ない。康さんが勝手に、私の世話を焼きに来ているだけ」

 弁解もたどたどしく、あかりの口は、最初に比べて明らかに重くなっていた。しかし、それでも退く様子はない。また視線に怒りをたぎらせて言い返す。

「ていうか、大体あんたには関係ないでしょ! これは私と康さんの問題なんだから、横からしゃしゃり出てきて知った風なこと言わないでよ!」

「関係あるよ、新井君から相談受けてるんだから」

「……よく言うよ」

 不意に、あかりは不敵な笑みを浮かべた。その見透かしたような笑みに、三佐和さんは露骨に顔をしかめた。

「要は嫉妬してるんでしょ? 康さんを独占している私が、ムカつくんでしょ? 分かるよ、私も女だもん」

「えっ――」

「なっ――」

 俺と三佐和さんが同時に言葉を無くす。あかりは急に、いったい何を言っているんだ?

 唖然とする俺たちに構わず、嫌らしい笑みのまま言い放つ。

「どうせ今日だって、適当な理由付けて康さんと一緒にいたかっただけなんでしょ? それをさも康さんのため、みたいな言い方してさ。そんなんで槍玉に挙げられてもマジ迷惑」

「そんなわけないでしょう!」

 三佐和さんは珍しく顔を真っ赤にして、必死に言い返す。それはまるで、図星をつかれ、焦って取り繕っているかのようにも見えた。

「貴女は新井君が心配じゃないの!? 変な勘ぐりして、本気で怒るよ!」

「それはこっちのセリフだよ! 言い当てられたからってキレるとか最悪! 嘘つき! 康さんもあんたも、皆みんな嘘つき!」

「このっ……! いいかげんに――」

「二人とも、もうやめてくれ!」

 怒号による罵声の応酬のなか、俺はその場にいた誰よりも大きな声で、言った。

「もう、やめてくれ。俺が人一倍頑張れば済む話なんだ。……あかり。寂しい思いさせてごめんな。もう、そんな思い、させないから。……三佐和さん。心配してくれてありがとう。でも、俺なら本当に大丈夫だから――」

 そこで一呼吸おいてから、

「――だから、お願いだから、もう、やめてくれ」

 と、繰り返した。

 辺りは、水を打ったようにシンと静まり返っていた。二人とも、周りの野次馬でさえも、うつむいて黙っている。

 ややあってから、三佐和さんがおずおずと口を開いた。

「新井君は……」

 見れば、三佐和さんは目に涙を浮かべ、泣くのを必死で堪えているようだった。

「新井君は、じゃあ、このままずっとこの子に縛られて生きていくの? 一生負い目を感じたまま、贖罪をしていくっていうの? ……そんなの……」

 三佐和さんの目から涙が零れ、声が震える。必死に我慢していたであろうものが、ついに限界を迎えた瞬間だった。

「そんなの、新井君が可哀想だよっ!」

 言うや否や、涙を拭おうともせず踵を返して走り出した。脇目も振らず走るその姿は、見る見るうちに遠くなっていく。

 三佐和さんが走り去った後には、あかりと俺と、静まり返ったギャラリーだけが残されていた。

 やがて静かだった他の客達も次第に騒がしさを取り戻していく。何となく会話の端々に「うわぁ。何あれマジすげえ」とか「修羅場とか余所でやれっての」とか聞こえたような気がして非常に居心地が悪い。

「……いいの? 追わなくて」

 あかりもばつが悪い顔をして俺に言ってきた。

「三佐和さんには今度謝っとかなきゃな」

 そう言って、あかりの頭にポンと手を置く。

「帰ろうか。騒がしくしちゃったし、あかりも疲れたでしょ」

 できるだけ優しい顔を作ってみるが、上手くできている自信はなかった。

「……。うん」

 オープンカフェを離れ、ショッピングモールを出る。その間、あかりは一言も喋らなかった。

 この何とも言えない沈黙が、今の俺たちの関係を、物語っていた。


 その夜は、久しぶりにあかりのアパートに行った。十日ぶりくらいに見た彼女の部屋は、年頃の女の子には似つかわしくないほど乱雑に散らかっていた。

「なんという汚部屋」遠慮なく口に出してみた。

「う、うっさいなっ。ほら、いいからかさっさと片付けちゃってよっ」

 急かされ、のろのろと片づけを始める。山積みのペットボトルを片っ端からビニール袋に放り込んでいくと、あかりはソファに浅く腰掛け、「あの人、羽生って言ったっけ」とまるで独り言のように呟きだした。

「ムカつく言い方だったけど、あの人の言うこともよく分かる。康さん、久しぶりに見たら、顔色すっごい悪いんだもん」

「元々こんなもんだよ」

「だから、暫く私のところ、来なくてもいいよ。さっきは頭に血が上ってあんなこと言ったけど、実際問題、我儘言ってるのは私の方だし」

 俺の軽口をスルーしてあかりは言った。

「だから、さ。康さんもこんな面倒な女にいつまでも変に義務とか感じてないで――」

「義務じゃない」

 あかりが言い切らないうちに、言葉をかぶせる。瞬間、それまでどこを見ているのか分からなかったあかりの視線は、俺へと注がれる。

「義務じゃないさ、あかり。これは俺の権利だ。俺の意志でやってるんだ。だから、誰に何を言われてもやめる気はないよ」

 嘘じゃない。

 これが今の俺の、偽りない気持ちだった。

「…………はぁ。康さんってさ」

 あかりは視線を落としてため息を大きく一つ吐いて、少し呆れているようなジトッとした目つきで改めて俺を見てきた。

「不器用っていうか、なんていうか。……ばか?」

「そんなの、今更だろ」

 胸を張って言い切ると、「ばーかっ」とあかりは吹き出すように笑った。

 そうだ。これでいいんだ。

 目の前で、あかりが笑っている。

 それ以上、今の俺が求めるものなんて、あるはずなかった。


 翌朝、出勤してきた三佐和さんに、開口一番謝った。

「昨日はすみませんでしたっ」

 どんなに気まずくても、その時は確実にやってくる。

 だったら、こういうことは先に謝ってしまった方がいい。時間が経つと、余計言いにくくなるだろうから。

 当の本人といえばケロリとしたもので、昨日の事なんてなんでもなかったようにいつも通りの無表情っぷりだった。

「こっちこそごめんね。なんか変に熱くなっちゃって。あのあと一人で反省会開いちゃったよ」

「そんな、全然」

 何が全然なのか自分でも分からなかったが、咄嗟に口から出てきてしまった。

 三佐和さんはくすくす笑いながら「ま、そういうことで。昨日の件はおしまい。お互い引きずってもつまんないだけでしょ」と朗らかに言った。

 何となく引っかかる感じはあったが、あえて話題に出して空気を悪くすることもないだろうと思い、口を噤んだ。それからお互い、まるで本当に何事も無かったかのように昨日の件には触れず、仕事に没頭した。

 途中、また何度か眩暈に襲われたが、きっと口に出してしまうと、また三佐和さんに無用の心配をかけてしまう。何でもない振りをして仕事を続けた。

「気張らないとな」

 厨房で中華鍋をふるいながら、誰に言うでもなく一人ごちる。

 もうすぐ、四月。

 あの事故から、早くも二か月が経過しようとしていた。


 四月に入っても、相変わらずの日々だった。

 毎日朝早くから夜遅くまでぶっ続けで働く。休日や空いた時間を使ってあかりの家で家政婦よろしくいそいそと家事をする。

 眩暈の回数は、日に日に増えていった。酷い時は、三十分間隔でクラクラときたりもした。

 ここまで来ると自分でもまずい気がしてきて、一回病院に行った方が良いんじゃないだろうか、と思うようになっていた、その、矢先だった。

 朝起きた瞬間から、自分の異変に気付いた。

 体が重い。頭も痛い。いつもの眩暈なんて優しく思えるくらい、世界がぐるぐるとまわっている。

 ベッドから起きだそうと体を起こすが、それ以上体を動かすことができない。まるで立ち上がり方を忘れてしまったかのように、力が入らない。

「っつ……。どうしたってんだ、一体」

 声に出してみるが、まるで遥か遠くで喋っているみたいに音がはっきりしない。そのくせ、甲高い耳鳴りが気に障るくらい五月蝿く聞こえる。

「……とにかく、準備、しなきゃ」

 それから着替えて店に出るまで、たっぷり一時間はかかった。時間的にもそろそろ朝の仕込を始めないとヤバい。店内では、既に親父と三佐和さんが開店準備を始めていた。

「康、遅ぇぞ。早く仕込みに入れ」

「おはよう。……新井君?」

 親父はこちらをチラリとも見ようとせず忙しそうに準備していたが、目敏い三佐和さんは一目で俺がおかしいことに気付いたようだった。駆け寄ってきて、額に手を当てる。

「ちょっと新井君、大丈夫? 顔真っ青だよ? なんか目の焦点合ってないし」

「大、丈夫、です」

 つっかえつっかえ、返事をする。もう声を出すのも億劫だった。流石にこの状態で仕事ができるとは自分でも思えない。親父に、悪いが今日の仕事は休ませてくれ、と言おうとした。

「親父。今日、しご、と――――」

 だけど、言えなかった。

 言い切る前に、今まで経験したことがないくらい、大きな眩暈が来た。世界が大きく回って、上下左右が分からなくなる。じわじわと視界が白く、狭くなっていく。

「新井君!?」

 遠くで、三佐和さんの声が聞こえた。気が、した。

 だけどそれは一瞬で、聞こえていたはずの全ての音が、奥から聞こえる耳鳴りにかき消されていく。

「――! ――っ!」

 かすかに、声がするような雰囲気は感じる。でも、もはやだれが喋っているのかすらわからない。視界はホワイトアウトして、真っ白になったかと思うと、まるで電源が落ちるように、一瞬で暗転した。

 そこで、俺の意識は、途切れた。


 気が付いた時には、ベッドの上だった。

「新井君!」

 三佐和さんが覗き込むようにして、俺を見ていた。

「三佐和さん……?」

「よかった、本当によかった……! もう目を覚まさないんじゃないかと思ったよぉ」

「ここは……? ていうか俺、何で寝て……」

 ぼんやりと、思いだす。

 確か、朝起きたら体の調子が悪くて、それでオヤジに仕事休ませてもらおうとして、それで。

 それで、……それからの記憶が、なかった。

「病院だよ。もう、びっくりしたよ。朝の準備してたら急に倒れちゃうんだもん」

「倒れた? 俺が?」

「覚えてない? 新井君、お店に出てきた時点で、もうすっごく顔色悪くてさ。で、倒れた後に救急車呼んだりして、もうてんやわんや」

「……そうだったんですか」

 すみません、と小さく謝る。どうやらまた、三佐和さんの世話になってしまったようだ。

「そんなの全然いいんだよ。それより、体は? 調子、どう?」

「今のところは、特に」

 とりあえず今のところ、朝起きた時のような倦怠感は感じない。病室の時計を見ると、もう夕方と言って差し支えない時間だった。

「俺、半日近く寝てたのか」

 独り言のつもりだったが、三佐和さんは相槌を打つように頷きながら答えてくれた。

「先生が言うには、過労だって。相当疲れが溜まってたみたい。二、三日は安静にしてなって言ってたよ」

「……過労」

「あとは精神的な疲れもあるかも、って。……多分、例の後輩ちゃんので」

「……」

 実際、重石に感じていた時期もあったので、反論できず、押し黙る。

 しかし、過労。そんなものに自分がなるなんて。でも、心当たりがないわけじゃない。ここ最近の忙しさは、確かに相当きつかった。

「ごめんね」

 何故か三佐和さんが、唐突に謝ってきた。

「私、甘かった。新井君が無理してることも、いつか必ずそれが表に出てくることも、分かってた。それでも、新井君の好きにさせてあげようって、納得ができる方法を取らせてあげようって思って、放っといてた。今思えば、無理矢理にでも休ませるべきだった」

「そんな! そんなことないです!」

 即座に否定する。

「俺がちょっとバランスを間違えちゃったんです。若いから少しくらい無理がきくとか、甘いこと考えちゃって。すみません、心配かけて」

 ベッドから上体を起こして、頭を下げる。先輩は悲痛な面持ちのままだ。

「そのバランスを間違えてるのに、私は気付いてたの。でも、何もしなかった。やっぱり私も良くなかったよ」

「いや、だから別にそんな事――」

 話が堂々巡りし始めたところで、突然、病室のドアが大きな音を立てて開いた。

「康さん!」

 息を切らしながら、切羽詰まった表情で、あかりが入ってきた。

「康さん大丈夫!? 倒れたって聞いて――」

 そこまで言って、あかりは病室にいるのが俺だけでないことに気が付いた。

 三佐和さんと、あかり。二人の視線が、交差する。

 カフェでの一件が思い起こされる。病室に嫌な緊張感が走った。

「……お久しぶり。何しに来たの?」

 先に口を開いたのは三佐和さんだった。口調はかなりつっけんどんで、明らかに敵対心を見せていた。

「何しにって、その……倒れたって聞いたから様子を見に」

「そう。わざわざどうも。それならもう大丈夫だから」

 髪をかきあげながら、三佐和さんが答えた。視線は鋭いままだ。

「でも悪いけど、少し席を外してもらっていいかな。新井君には、もう少し休憩が必要みたいだから」

「えっ」

 思わず声が出た。せっかくあかりがお見舞いに来てくれたのに、先輩は何を。

「新井君、やっぱり無理が祟ったみたいで。バイトと、貴女の世話に疲れちゃったの。だから少し休ませてあげた方が良いの。分かるよね?」

 三佐和さんの、にっこりと柔和な笑顔。だけどその裏からは、得体のしれない圧迫感を感じる。余りの迫力に、俺もあかりも、何も言えないでいた。

「ああ、心配しないで。暫く休めば大丈夫って、お医者さんも言ってたらしいから。だから私、新井君が回復するまで、ずっと付き添って、看病してあげるつもりだから」

「ちょ、三佐和さん!?」

 自分の事なのに、初めて聞く情報が次々と湧いて出てきた。付き添い? 看病? 三佐和さんが? 何故?

「だから、ね。もう何も心配しないで、貴女は自分の怪我の事に専念して。それが多分、新井君の為でも、貴女の為でもあるんだから。……だから」

 そこで一拍置いて、

「もう、新井君の所に、来なくていいから」

 と、表情は変えずに貼り付けたような笑顔のまま、三佐和さんは言い放った。

 その言葉に、只々口をあんぐりと開けて、阿呆のように呆然とするしかなかった。三佐和さんが何を言っているのか分からない。いや、言っていることは分かる。でも何故そんなことを言うのかが全く分からなかった。

「…………なに、それ」

 黙って聞いていたあかりも、いくらなんでも聞き流すことはできなかったんだろう。カフェの時と同じく、瞳に怒りを滾らせていた。

「大人しく聞いてりゃ、付け上がったこと言って。付き添って看病? 何言ってんだか。何の関係もない部外者がいきがってさ」

「別に部外者でもないでしょう。それに、私が新井君の看病するの、そんなに変?」

「当り前じゃん。ていうか何であんたが康さんの看病するの?」

「私、新井君が好き。だから彼の力になりたい。じゃ、駄目?」

「なっ――!?」

 三佐和さんの余りに直球な言葉に、あかりと俺は同時に上げた感嘆符がみごとにハモり、そして言葉を無くした。

「新井君には誰かの助けが必要。私は新井君の力になりたい。ただそれだけ、何もおかしいことはないでしょう。……それで? 貴女はなんで、ここにいるの?」

「なんで、って……」

「お見舞い? それなら済んだでしょう? だったらもう用はないんだから、さっさと帰ったら?」

「それは、その、私も……」

 康さんの力に、と言いながらあかりは徐々にモゴモゴと口ごもり、最後の方は消え入りそうなくらいに小さな声で言った。

 そんなあかりを小馬鹿にするように、三佐和さんは鼻で笑った。

「力になりたい、って? でも、言っちゃ悪いけど、片腕が動かない貴女に何ができるっていうの? むしろ、今まで散々新井君に頼ってきたんでしょ?」

「ちょっと、三佐和さんっ」

 流石にそれは言い過ぎだ。止めに入ろうとするが、三佐和さんは何かのスイッチが入っているかのように、少しも言葉を止める気配がなかった。

「人の罪悪感に付け込んで、ただ依存して。ただそれだけの貴女が、力になりたい? あまり笑えない冗談は勘弁してよ。ていうか、新井君が倒れた原因の一端は貴女にあるのに、よくこうしてノコノコと顔を出せ――」

「三佐和さんっ!」

「――っあ」

 腹の底から声を出す。三佐和さんは怒鳴られてやっと自分が暴走していたことに気が付いたのか、ハッと息をのみ口を噤んだ。

 だけど、もう、遅すぎた。

 あかりは無言だった。わなわなと小さく震えながら、声にならない嗚咽を微かに漏らし、青白い顔で目を見開いていた。

 てっきり怒り狂ってカフェの二の舞になるのかと思っていた。だけど、あかりの顔に浮かんだのは、怒りではなかった。けれど、俺はその表情を知っている。事故後のあかりと、鏡の中の自分が見飽きるくらいに見せつけてきた顔だ。

 絶望。

 その顔にはただひたすらに、底の見えない絶望が浮かんでいた。

 やばい。何がと言われても答えられないが、俺の直感が告げていた。今、あかりを独りにするのは、絶対に、やばい。

 考えるより先に体が動いた。ベッドを這い出てあかりの肩を掴もうとする。が、肩に触れるその瞬間、タッチの差であかりは身を翻して俺の手を躱した。

「あかりぃ!」

 力の限りに叫ぶ。だけど、呼ばれたはずの少女は、一度も振り返らず、逃げるように病室から飛び出ていった。

 病室から出ていくその一瞬に、あかりの瞳に、涙が流れていたような、気がした。

「――待って、あかり!」

 殆ど反射的に、後を追おうと駆け出そうとしていた。しかし一歩を踏み出す前に、腕を強く引っ張られる。振り向くと、三佐和さんがひどく焦った顔で俺を引き留めていた。

「新井君!? ちょっと、どこに行く気なの!」

「あかりの後を追いに!」

 問いと同時に答える。でも、それでも俺を病室に繋ぎ止めようとする力は緩まない。

「何言ってんの! 新井君、自分の体のこと分かってんの!? 勝手に出歩いて良いわけないでしょ!」

「それでも!」

 三佐和さんから視線をそらさず、まっすぐに見つめる。

「それでも、行きます。これは譲れません」

 たったこれだけの短い言葉で、どれだけ俺の意志が伝わるのか怪しいものだ。不器用で愚直で要領が悪い。だけどしょうがない。それが俺だ。自分の言葉で、自分なりに、自分の気持ちを込めて、力強く言い放つ。

 三佐和さんは目をそらして暫く困ったように逡巡した後、やがてこちらを吹っ切れたような顔で見つめ直し、強く握っていた手をそっと放した。

「……わかった。病院の人たちには、私から上手く伝えとく」

「ありがとうございます!」

 今度こそ、走り出した。途中でいろんな人から奇異の目で見られたり「廊下は走らないでください!」と怒られたりしたが、構うものか。

 病院を出ると、街並みを背景に刺すような夕日が目に入ってきた。それはあかりと二人でいつか見た時と同じく、世界中をオレンジ色で美しく染め上げていく。

「待ってろ、あかり」

 誰に言うでもなく一人ごち、俺は夕暮れの街を駆け出した。

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