友好同盟(2)
太陽は当然のこと、月も生い茂る木々に消されていて方角が確認できない。しかし、アレンの前を行くアクアは森に入ったところから妙に早い足取りだった。
「こっちでいいんですか?」
アレンがアクアに向かって叫ぶと、彼女は足を止め、アレンも直ぐに追い付き止まる。そして、アクアは不安げにキョロキョロと周りを見渡すアレンをキッと睨んだ。
「あんたねぇ、私に近道案内させておいて文句言うってどうよ」
本人達には次世代ファッションらしいが、“腰パン”とやらをするグレスリアの不良のような口調だ。下から睨み付け、相手の力量を測らずに安い挑発をしてくる。
因みに、そいつらに絡まれたアレンは片っ端から倒していった。『男は紳士であれ』、『不潔不要』、『誰に需要がある』を繰り返しながらじわじわと痛め付けた様はグレスリアで“絶対紳士”として称えられた。その後のアレンのお仕置きの詳細を語らない不良達は改心して、現在は港で荷運びに精を出している。
「文句は…ないです。すみません」
しかし、どんなに酷い口調だろうと、彼女の提案に頷いたのはアレンであり、アレンは道案内以前にここの地形を全然知らない。たとえ、暗くおどろおどろしい洞窟を何故か進んでいても、疑っては…………いけないのだ。
「ならいいのよ」
アレンが素直に謝ると、短気で早とちりするヒステリー気味のアクアが用意周到にランプを足元に翳しながら機嫌を直す。
一定距離以上近づくと怒られ、しかし、離れ過ぎると灯りもないまま洞窟で迷子だ。それは陽が昇っても闇の中に取り残されるということであり、街中で迷子より悲惨の一言に尽きる。
「雪石って知ってる?」
ふと、アクアがアレンに訊ねた。
「その名の通り、雪のように冷たい石ですよね。夏にはかなり重宝される」
冷たいだけなら大理石もそうだが、雪石には更に有名な性質がある。
「そして何より、雪のように降り、溶ける」
言葉を弾ませて、彼女は声を洞窟に反響させた。
「ええ。でも、どうして急に雪石ですか?」
「何?話の話題を振ってあげたのに」
アレンが首を傾げれば、アクアは再び機嫌を悪くしてむくれる。彼女の歩行速度が早くなったことに気付いて慌てて追い駆けた。
けれども、背中がどうにか見えるまで近付いたところで、何もできない。
アクアから振られた話題は今の現状とは無関係としか思えない雪石だ。振るなら振るで話題らしい話題を振るべきだと考えるアレンはおかしいのだろうか。そうしてうんうんと唸っていた間に、唐突に暗くなった。
「―……え?」
暗いというより闇だ。
完全に闇に取り残された。
反射的に手を柄に添え、姿勢を低くする。
まずは壁の位置を知る必要がある。
――………が、
アレンはすっ転んだ。
濡れた地に足を取られて無様に倒れた。
「ねぇ」
誰かの声。
斬られる。と、自身の最期を感じたアレンは俯せになった体の下で十字を切った。
ごめんなさい、フローラ。
俺はダサい以前に誰にも知られずにここで朽ちます。フローラだけは天から見ててくれるか。でも、そう考えればダサいから見ないで。
会いに行くよ。君に。
あ、アクアさんはどうしたんだろう。悲鳴の一つはあげそうだけど………もしかしたら…もう彼女は…………。ちょっと可愛いかもなんて思ったのに。
…………残念です。
また天で会いましょう、アクアさん。今度は変態扱いはしないでくださいね。
「ねぇ!」
ん?よく考えなくても、アクアさんは俺を置いてさっさと逃げたんじゃ……。
いや、そんな血も涙もない人じゃない………はず?
でもでも、少し前に俺を痴漢扱いして自分は一人で牢屋から出ようとしていなかったか?
だけど、女性だよ?女の人!紳士が自らを犠牲にして守らなくてはいけない淑女だよ!?
淑…女………ですか?
淑女……だ………はず。多分。かも?
「起きなさいよ!馬鹿アホアレン・レヴァラント!!!!」
『起きろ!アレン!』
「はいっ!!団長!!」
……………。
「………………アクアさん?」
上体を起こしたアレンは呆れ顔のアクアを見ていた。
「あれ?…………見える?」
薄暗いが確かに見える。
アクアが人工の小明を点けているわけでもないのに仄かに明るい。
「これは………雪?」
「雪石の生産はここと南の大陸、ミカミの皐月だけ。だから、滅多に見ることはないの」
「滅多に……って、これが……」
洞窟に降る雪。そして、異様だとしか言いようがないのに発光するそれは最高だった。
雪石は雪のように降り、溶ける。確かにそう言われていても、実際に見れる機会はほとんどない。雪石の生産には細かい温度が重要で先の2つの国しか適性せず、かつ、振る時期もごく限られた間だけ。
だから、地元住民や念入りに計画を立てて雪石を見るためだけに来た者ぐらいしか雪石の生産現場をナマで見ることはない。
それがこんなに美しいとは。
「これから徐々に降り積もって凍っていく」
「それでアクアさん、俺とか勝手にいいんですか?」
「だって近道だから」
山に登る理由に「そこに山があるから」みたいなものだ。
アレンはアクアの勝手と言えど、アレンの為の行動に小さく溜め息を吐いた。
「あんたは早く起きてよ。私達で気温上がってるんだから大雪になる前に出なきゃ。時々、冬になると生き埋めにされてた人とか出てきたりするのよ」
「ホラーですか!!!?」
「だから早くしてよ!」
よくよく注意すれば洞窟の中だが、粉雪からぼた雪に…………―
「マジで死にますか!?」
「マジで死ぬわよ!」
アレンは意識的にアクアの差し出された手を掴み、アクアは無意識に掴んできたアレンを引き上げる。
だからこそ、その時、アレンが小さく笑みを溢したことを彼女は知らないのだろう。
「いつまで掴んでるのよ!走りにくいでしょ!」
「な、殴らないでください!」
「アレン!!これ、アレンのせいですか!?」
「俺じゃないです!だけど、どっかで漏れてるのは事実です」
「は?それって…………それよりも、団長がカンカンなんですけど!外からも内からも……もうどうにかしてくださいよ!」
「団長が…………俺、今度こそ死ぬ。ああ、レイン。彼女は恩人のアクア・マーティリエさん。死ぬ気で守ってください」
「ちょ!?僕が逆に守って欲しいです!!!!」
「じゃあ、守ってもらうといいです」
なんせ、彼女は鬼のような怪力の持ち主なのだから。
不服そうな顔をしながらも、アクアはまだまだ子供みたいなレインと違って大人しくしていた。
少し前に木陰からみた賊は、やはりと言うべきか、農具を携えた農民……いや、槍と弓もあったから狩猟農民とも言える。
農具は商団を相手にする武器としては取るに足らないが、厄介なのは槍と弓。特にかなりの長距離攻撃を可能にする弓だ。今は彼らは絶対的な制限のある矢を温存しているようだが、何が有効か勘づくのも時間の問題。しかし、人数の差を考えて商団の後ろから奇襲をかけるなどと思い付かないだけマシだ。
アレンは目の前に集中する仲間の邪魔をしないよう遠回りをして駆けた。と、思ったら、
「えっ!?」
茂みから伸びた腕がアレンの首に掛かり、彼を地に投げ捨てた。
「っう…な、なんですか……団ちょ…………あ」
バキリボキリ。
馴れた気配に馴れた風に返せば、頬に土を付けたアレンは本物の鬼を見た。
「嗚呼、嘆かわしいなぁ!!」
バキリボキリ。
「だ、団長っ!?」
「この役立たずが!!!!!!」
「ひぃ!!!!!」
不吉な音を発てたシュヴァルツ商団団長のリヴァの拳は怯えきったアレンを再び地に突っ伏させた。額を打ち付けたアレンは暫くうーうーと唸り、そのまま停止する。リヴァはそんな彼を冷たく見下ろすと、首根っこを掴んだ。
「ぐえ!?」
「アレン、今の状況は分かってるな?」
「は…いっ…」
「私達は2割ピンチと言ったところだ」
どさりと投げられたアレンは軽く咳をしてズボンのポケットから出したハンカチで顔を拭う。そして、その表情は既に変化していた。
アレンは膝を突いて今の主に深く頭を下げる。リヴァは長い黒髪を風に靡かせて彼が掲げた刀を見詰めていた。
「相手には女子供もいる。どうする?」
「話し合いが一番穏便で俺達に有益な情報も得られます」
「と言うと?」
「彼らは多分、農耕と狩猟の北の民です。そんな彼らが真っ直ぐ俺達を襲いに来た」
「裏切り者がいるのは間違いない」
仲間だからではないが、シュヴァルツ商団の団員は何かを失ったり、何かを追いかけている者の集まりだからこそ、商団を裏切るような家をなくす馬鹿なことはしない。
第一、今襲われているのは商団だ。商団から物資を奪うのも潰すのも、普段なら有り得ない少人数で疲れも溜まってきた今が好機だが、その分、リスクが高い。逃げてもこの人数ならすぐ分かる。
そして、もし仲間を危機に晒して逃亡なんてした者は二度とグレスリアの地は踏めないだろう。リヴァが絶対に赦すはずはない。リヴァと対峙して原型も残らなくなるくらいなら、裏切って逃げる意味も価値もない。
そうなると、一番可能性の高い裏切り者は……―
「最初から交渉なんてする気はなかったんですよ」
頭を下げたまま言葉を地に吐き捨てるアレン。
「アレン、根拠のないことは口にするな」
そんな彼の頭をリヴァは優しく触れた。
「だって……!」
「今、お前がすべきことはなんだ?文句か?」
アレンの頭がふるふると左右に振られる。
そうだ。
すべきことは決まっている。
「俺はシュヴァルツ商団の護衛、アレン・レヴァラントです。だから俺は団長のあなたの望む通りに戦います」
護衛は武器。
シュヴァルツ商団の武器。
リヴァがアレンの刀に指を滑らせた。
「ならば、私はお前に刀を振ることを許そう。アレン、道を開け」
仲間の為に道を開く武器。
「分かりました」
アレンは立ち上がった。