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女流

「賊!?賊って何よ!」

アクアは恐怖を怒りに変えて狭いこの空間で叫ぶ。耳に響く音に顔をしかめたアレンはどうにか笑顔を彼女に向ける。

「賊は家々を荒らし、金品かっさらって移動する集団です。泥棒より厄介なのは暴力を平気で使うところですかね」

「知ってるわよ!」

丁寧に説明したというのに、アクアの態度は不機嫌なようだ。アレンは自分は喋らない方がよいと判断して押し黙った。

彼女は多分、ヒステリーだ。

「どうしてここに…今までそんなことなかったのに……」

今までなかった?

それは聞き捨てならなかった。

「一度も?」

「一度も、よ!私のお父様の時は本当に……」

「前王の死は残念です。生前の統治の素晴らしさは教皇様も感心しておりました」

パティアの王は数年前に代替わりしている。

前王はパティアの自然と街と民の笑顔が宝物だと言っていた。その通り前王は何かを企画すれば民と共に動き、その夜は冗談も交えて酒屋で酒を飲んで笑いあった。彼の周りには本当に笑顔が絶えなかったと聞く。民は彼を信頼し、彼と一緒にパティアの全てを愛し守った。

そして、山賊はもともと村を追われた者達の集団だったから、寧ろパティアの王を尊敬し、暗黙のルールのようにパティアが襲われることはなかった。

そのパティアに賊。

確かに今の王からはあまりよい噂を聞かない。

だからと言って、前王の宝物の自然も街も民もまだ残っている。不謹慎だが、襲うとしても城の方ではないだろうか。

「そうよ……遺されたパティアは私達の誇り…」

「ええ。そうすると……もしかしたら賊とやらの目的は別なのかもしれません」

「別って?」

「そうですね………すみません!お忙しいところ申し訳ないのですが…―」


まさかと思う可能性が一つある。その可能性を潰すには情報がいる。喩え、潰すことにならずとも…。


アレンは牢の外へと声を張り上げた。


「トイレ行きたいです!!!!」


紳士としては、

“膀胱炎になりそうです”

か、

“下半身に少々違和感があります”

辺りで直接的な言い方は避けたかったところだが、賊だ賊だと騒ぐだけで肝心なことを言わない警備員を呼ぶにはこちらの方が相手も分かりやすいだろうと思った。

「ちょっと!何言い出してるの、変態!」

「その汚名、甘んじて受けます」

トイレ行きたいだなんて紳士として恥ずかしい。しかし、これは自らの使命遂行に必要な栄光ある恥だ。

と、慰めておこう。


「兄ちゃん、トイレならそこにある。今は忙しいんだから、呼ぶな」

警備員はそう言って、牢の壁にぴょこんと出ている皿みたいなのを指した。薄汚れたそれには小さな穴が空き、そこから繋がれたホースが壁を通して外へ向かっていた。もっと簡単に言えば、排水できる洗面器が壁から飛び出ていた。

それを省略して言えば、

『トイレ』

だ。


“だがしかし”、


「なんて逆接(・・)を使う必要はありません!あんなとこでしたら今度こそ正真正銘の変態露出狂です!!」

「誰も兄ちゃんのなんか見ねぇからよ。それに、兄ちゃんは変態であっても、見られなきゃ露出狂じゃねぇ」

なんていう言い種。

公職の人間がこんなのでいいのだろうか。この警備員は何を言っても通じそうになく、それを感じてか、流石の強気なアクアの表情も渋り、完全な疑いの目をアレンに向けている。


するわけないでしょう!?

と、叫んでもいいが…―


アレンは勿論、別にトイレが本気でしたくで警備員を呼んだわけではないので、どこまでも能天気なこの牢で呼吸を整えた。

「まぁ、そこは置いといて」

「置いとかないでよ!」

アレンにとって必要のないところで突っ掛かってくるアクアを、彼は早々に流す。今は男女が同じ部屋でトイレのプライバシーのない牢屋なんてどうでもよい。武器がこの頼り無い拳だけの現在、賊の存在は一番重要だった。

「忙しいのは先程の賊ですよね。外で叫んでいるのが聞こえました」

「大丈夫だ。なんかパティアを抜けて行っただけみたいだし」

「抜けた?」

「東の森へとな。だけどま、あれが賊とは言いがてぇ…―」

「言い難いとは?」

「女子供付きの賊ってなんだ?そういうわけで、そこの姉ちゃんなら分かるだろう?慣れてないから、皆して賊達に鋭利な農具向けられてパニクってる。てわけで忙しい」

「農具って…?農民が賊行動?」

「知らん。でも、サラ様の国が侵されなくて良かった。正直……今は…―」

警備員はアクアの顔を見て言葉を止める。アレンが振り返れば、彼女は立てた膝に掛けた毛布に顔を埋めていた。

「…それじゃあ、トイレはそこ。大人しくするんだぞ」

警備員はアクアに視線を送ってから牢を離れて行った。



さて、不可思議な動きをする賊の目的は何か。


「ねぇ」


「え?あ、マーティリエさん?」

アクアがじっと考え込むアレンを見ていた。アレンは胡座を正すと彼女を見返す。

彼女の目元には微かに隈。

アレンは喩え彼女にも責任があろうと、女性を狭く換気の悪い部屋に男と二人きりにしてしまったことに罪悪を覚える。男としては女性と一緒にいられて嬉しくないと言えば嘘になるが。それもフローラ似の女性だし。

しかし、同じ状況のアレンよりアクアの方の疲労は半端ないはずだ。

「さっきのは少しばかり礼の欠けた言葉でしたね」

アレンはアクアの気を紛らわそうとする。けれども、彼女の反応は冷めていた。

「事実だからしょうがないわ。でも……王様は…悲しい人だから」

アクアの微笑。

それはとても儚かった。

「マーティリエさん…」

「それでさ、パティアの東の森って、あんたの話が正しいとして商団がいる場所じゃない?」

“それでさ”の後からは彼女の笑みは消え、いつも通りの愛想がない…とまでは言わないが、まぁ、そうなっていた。

「えっと…東ですか?」

「そうよ。方角ぐらい分かるでしょ。東にはこことリエトラテとを結ぶ森だけよ。それとも嘘?」

「嘘じゃありません!でも、山賊ならまだしも、農民ならば何故俺達の居場所が…」

「なら、ほっといていいの?」

それは……。

「よくないです」

賊の進行方向にシュヴァルツ商団があるのなら、行かなくてはならない。ただでさえ、隠密に合わせてそれなりの数にしたというのに。

「行かなくては」

「どうやって?」

………………ですよね。

結局、その一言に行き着く。

アレンはガチャガチャと鎖を引くが、堅い壁に嵌め込まれた鎖はびくともしなかった。

「あんた、何か策ないの?怪力とかないわけ?」

「怪力って……あなたじゃないん…―」


ゴツッ


アレンの頭上からクリーンヒット。

「私のどこが怪力馬鹿よ!」

撃沈されて泡を噴くアレンの前に仁王立ちするはアクア。

アレンは動いてもいないのに何故か揺れて歪む視界で再来した鬼を見上げる。そして、遺言でも遺すような苦痛に満ちた顔で囁いた。


「……………怪力馬鹿とは……言ってないです…」





彼女の証言によると、アレンの言動に無意識の内に手足が動いていたようだ。そうして、いつの間にか両手同士、両足同士を繋げていた鎖が切れていたようだった。

もしや、本当にこの人は怪力馬鹿ではないかと思う。

絶対に口に出して言えはしないが。

「あのー…お願いが…」

「何?」

「この鎖を外したくて」

「無理」

即答。

聞かなきゃ良かったと思った。

「でも…」

毛布に身をくるんでベッドに腰掛けるアクアは出入口を一瞥する。

「でも?」

アレンは聞き返すが、言いづらいのか、彼女は無言で俯く。

「あんた…強い?」

一瞬、耳を疑った。

何故あなたが顔を赤くしてそんなことを聞く!?と本気で驚いた。

「それなりの体術は身に付けています」

シュヴァルツ商団で護衛の仕事を得ているのだから。

不意打ちではアクアに劣るかもしれないが…。

「なら、……い、いい?」

「?」

「私が見張りの注意を引くから…」

「俺が見張りをはっ倒す?」

と、言いたいのだろうか。

「そうよ。一発かましてくれればいいの」

始まった。

彼女は少々…口が悪い。



「これ、固くて無理。私のは古くなって錆びてたから簡単だったけど」

あっさり手を引く彼女。

そこまでは期待していないが……いや、結局は期待していた。あんな光景を見せられたら期待もしたくなる。

しかし、無理なら無理でいい。彼女の手を借りられるだけで十分だ。

ふと、甘い香りがすると思えばアクアはアレンに密着にちかい形で近距離に座っていた。

心の片隅でだが、つい、不浄の念に駆られた。

しかし、それはほんのつい(・・)であって、悪意はない。と、断言したい。

というぐらいのついだった。

「何を?」

「こうやって座って叫べば、私の優しさに漬け込んで、ちょっとした拍子に私に乱暴したって形になるかなって。そしたら、私は外に出る機会を得れるわ」

そうやって語る彼女には絶対に優しさはない。

「待ってください!俺の靴!踵に!」

勝手に変態にでっち上げられたくはない。

「踵?」

「踵のナイフを…」

「はぁ!?なんてとこに隠してるのよ。…!ここにもある」

アクアはアレンの踵で光るナイフだけでなく。ズボンの背中にまで隠されていることに口を開く。そして、はっきり言って彼女はアレンから逃げた。

「変質者!一体何者よ!」

とてつもなく警戒されている。

「だから、シュヴァルツ商団護衛、アレン・レヴァラントです!」

何度も言っている。

が、

「暗殺者でしょ!マフィア!?騙したのね!」

なんて言い様。

アレンはキレそうになる頭を振って、どうにか自分を落ち着ける。

女は見掛けによらないと言われるが、それこそ、騙しだ。おしとやかな顔で平気で暴力するし、一方通行が基本。きっとあれだ。心臓にだけでなく頭にも弁があるのだ。恐ろしい。

「暗殺者でもマフィアでもありません。俺はれっきとした教皇様に職を貰う、シュ、ヴァ、ル、ツ、商、団、護、衛、ですっ!」

「信用できないわ!人殺し!」


人殺し?


彼女は冗談混じりの問答気分だったのだろう。彼女の声音には明るさが出ていた。こういうことで緊張がほどけてきたのかもしれない。

しかし、アレンにはこれだけは許せなかった。



“人殺し”



…―ああ、そうですよ―…

…―俺は所詮、人殺しだ―…



微かに目の前の細い骨と肉の棒を手で握りしめたいと思った。

アレンは妙に澄まされた耳でとある衝撃で鳴った鎖の音を聞いた。そのことに彼はフローラ以外の自分の暴走を抑えるものがあると分かって口を閉じた。

同時刻、異様な気配を感じてか、アクアの表情が引き締まる。彼女にとっては軽い一言がアレンにとっては重いのだと分かったようだ。

「人殺しは…言い過ぎたわよ……」

「……………」

「…………あなただって…そんな怖いもの身に付けてるから…」

「…………いいですか」

「な、何よ……」

「……俺を変態だろうが変質者だろうが言うのは構いませんが、俺は仲間を助けに行きたいんです。あなたもここから出たいのでしょう?外に出られたらあなたには絶対に関わりません。あなたにもあなたの生活にも今後一切関わりません。もし、それでは気が済まないのなら、俺にはこの体一つしかありませんが、できることはなんでもします」

アクアが謝られているというのに強い打撃だったのか、なんでもない宙を見る。

「それと、さっきはすみません。ナイフを取ってくれなんて、男所帯なせいか気遣いできませんでした。俺一人で外します」


ガチャン。


「え?」

重い鎖が冷えた石に落ちる音。アクアが振り返れば、鎖は綺麗な切り口と共に切れ、バラバラと細かく切り分けられて落ちていた。

「あんた……どうやって」

「罪を犯した人間の末路ですよ」

消え入りそうな彼の独白。


枷の一部だけを残して鎖が切れたアレンは呆気に取られるアクアの前で膝を突いた。アクアは後退りする。

「………な…何…?」

「騎士の契約は絶対。俺はこの場であなたに忠誠を誓うと約束します。あなたの望む外へと出れるまで」

「忠誠!?要らないわよ!」

「いえ、こうすれば俺自身が安心なので。契約を破って騎士を下ろされることは俺にとって死に等しいですから。俺は死にたくないのであなたを護りますよ」

契約をすることで義務にすれば、もう怒鳴ることもないだろう。苛立つことも。

またニコニコと自称紳士用の笑顔を作ったアレンはアクアを見詰める。そして、アクアは拒否は不可能だと悟って溜め息を吐くだけで暫しの我慢だと思い込むことにした。




「行くわよ」

「ええ。でも、どうやって呼ぶんですか?それっぽい言い訳がないと」

「任せなさい。取って置きがあるわ」






そして彼女は、



「トイレっ!!このままじゃ漏れちゃうわ!」


と、叫んだ。

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