不審者
「東の大地メテルの中央に位置する商業都市グレスリアに本部を置くシュヴァルツ商団の者です」
紳士として折り目正しく頭を下げたアレンを何故か事情聴衆に同席しているアクアが睨んだ。
「なにがシュヴァルツ商団よ。どうせ、その名前はウソっぱちでしょ」
アクアは口元を隠すことも笑う。
「フローラの顔ではしたないレディはやめてください!」
そんな彼女の前で紳士アレンは悲痛の叫びをあげた。大袈裟なのか、生粋の紳士なのか……。
アクアがみるみるレディからかけ離れていく途中で、警官が驚きの声を出した。
「シュヴァルツ商団!?」
「何よ。本当にあるの?」
警官はとんでもないとばかりにアクアを見る。彼女は警官のあまりの顔にそっぽを向いた。
「シュヴァルツ商団と言えば、メテル…いや、世界で一位二位を争う商団だよ。噂じゃあ、商い一つでこの世界の経済を簡単に変えてしまえるとか」
「うそ……」
アクアはついアレンを見る。アレンは正常なフローラの姿が見れて、「そこまで影響力はありませんよ。小国を1個作ったり消したりできるぐらいです」と、にこにこと微笑んだが、アクアにはそれが見下されているようにしか聞こえなった。彼女は机を挟んで座るアレンに身を乗り出すと、思いっきり嫌な顔をしていーっと歯を見せる。
「はしたないですって!」
「煩いわ!この変態がその有名なシュヴァルツ商団の一員?有り得ない!商団の名前なんて誰でも言えるわよ。何でこの街に来たのよ!」
「誰でも言えると言うけれど、貴女は知らなかった。商団の目的は勿論、商いです」
「っ!!」
自慢気に言うアレンに返す言葉が出てこなかったアクアは顔を赤くした。
「ということで、俺は帰ります。団長が待ってるんで」
「ちょっと待ちなさい!」
しかし、立ち上がってドアに向かおうとしたアレンに彼女は口を開く。
「何ですか?」
「シュヴァルツ商団があるのは分かった……でも、あんたがその一員とは分からない!」
これには一票。警官もアクアの主張に頷いた。
「シュヴァルツ商団で何やってるのよ」
これはまずいかも。
アレンの笑顔がひきつった。
あれを言及されたらこちらの身分が証明できなくなる。
「護衛です」
それでも、平静を装う。
あれについて訊かれる前に商団の者だと納得させればいいだけだ。
「あんたみたいのが?どうやって」
「これで」
アレンは細剣を鞘ごと腰から抜いた。一時預りになりそうだったのをどうにか頼み込んで、身に付けていられたものだ。どうせ、餓鬼の玩具程度にしか思われていなかっただけだろうが。アクアが一瞬、刃物を目にして眉がぴくりと動く。
レディが怖がっている!
と、アレンは彼女から慌てて遠ざけた。
「ここに商団の証が刻まれてます」
逆さのクロスにS。団長への誓いの証。
アクアは刀装具の小柄に刻まれている証を一瞥すると、腕組をして更に目付きが酷くなった。
「あんたが泥棒じゃないとは限らない。他には?」
「このコートかな」
コートの襟にも証が青い刺繍で縫われている。この色は団長が一人一人に決めた色だ。
そして、これで終わりだ。アレンに身分を証明できるものは。
「さっきの言葉を返すわ」
やはりきた。
残っている道はこれしかない。
「警官さん、これじゃあ何を出しても泥棒扱いで埒が明かないじゃないですか。それに、シュヴァルツ商団の団員の私物が泥棒されるなんてないと思うんですが」
警官の方を落とすしかない。
警官はう~んと唸ると、気だるそうに欠伸をしてから「そうだなぁ」と呟いた。本当に捕まえるのはアクアではなく警官。警官が面倒だとでも思って帰してくれればそれでいい。
団長に殴られるのはもう諦めたが、まだ殺されはしないだろう。これで帰れる。
そうアレンが確信した時だった。
「身分証は?……そうよ、商いをしに来たのなら持っているはず。だって、商団の一員なんでしょ?」
……………………。
持っていない。
これが答えだった。確かに数日前に一人一人に身分証を持たされた。団長になくしたら死ぬぞ。などとまで脅しをかけられて。
しかし、そこまで言われたら身分証は商団内にあった方が絶対に安全だと思い、置いてきた。普通なら墓参りに来ただけで身分証の提示を必要とする場面なんてないのだ。しかし今は物凄く必要だった。
このままだと、本当に死んでしまうかもしれない。
「えっと…………置いてきてしまって…」
「そう」と、彼女は眩しいかぎりの笑みを見せた。嫌がらせの意味でだが。
「持ってないんだ。じゃあ、あんたは罪人ね。変態」
「でも、商団は来てます!パティアとリエトラテの間の森に……」
「それで?」
「?」
そんなの……。
アレンは首を傾げる。
「で?私達にそこまで取りに行けと?」
女性に取らせてしまう手間と、自らの命を比べたら…―
そんなの決まっている。
「ええ」
勿論、自分の命だ。
ゴンッ…―
頬を殴られた。そして、アレンは椅子から落ちた。
「いっ…た」
「一度痛い目見とく?大丈夫、男でしょう?」
男だから何が大丈夫なのだろうか。痛いのは男でも痛いだけだ。
「ちょっと……危ないですよ。俺、平和主義で暴力反対…―」
「何よ!変態!!」
振り上がった拳はプルプルと震えている。警官は慌ててアクアの止めに入った。
「変態!変態!変態!変態っ!!」
そう叫ぶ彼女の目許の動きを感じたアレンは立ち上がり、頭を下げる。
「ごめんなさい。本当に貴女が知り合いにそっくりで、勘違いをしてしまいました。本当にごめんなさい」
これしかアレンには謝ることができない。男に恐怖している女性をいきなり抱き締めてしまったことは謝れば、逆に嫌悪が増してしまうだけだ。体以外は全て商団から譲られたものであり、お詫びと言って渡せるものもない。それに彼女は絶対に受け取らないだろう。
アレンは頭を下げて動かない。
「アクアさん、本当に本当に申し訳ありま―」
「あんたが私の名前を呼ばないで!!!!!!」
アクアの本物の怒りだと認識した時には既に遅く、彼女は止める警官を思いっきり突き飛ばしてアレンに殴りかかってきた。これはレディファーストがどうだかは関係がない。力を使う者は女子供でも同じだ。
皆、敵だ。
アレンは風を切る拳を難なく受け止めた。
「……マーティリエさん、戦う意思のない人に手をあげることはその人を侵略することと同じです」
「な、何…大袈裟よ」
アクアは急に真顔になるアレンに勢いを削がれる。しかし、あくまでアレンは真剣だ。
「大袈裟ではありません。今、北の大地リーベラでは土地だけではなく、民の心までが侵略されているのです」
この説教くささがいけなかったのだろう。アクアが拳を引っ込めると、閉じた唇を震わせてから大口を開けて叫んだ。
「私達には関係ないわ!北の小国同士の争いなんて!全くの無関係よ!!」
海を隔てた大地で苦しむ人々を彼女は無関係と言う。カタカタと音がして発信源を探せば、無意識のうちに刀に掛けた手が振動していたことにアレンはもう片手で抑えると、焦る自身の胸を押さえた。警官のおじさんが不審な顔をするが、アレンは咳払いで誤魔化す。
「関係ない?貴女と同じ年頃の女性が殺され、いえ、それ以上の辱しめを受ける。多くの人が死んでいるんです。そして、この争いに乗じて奴隷商が動いているという情報もあります」
奴隷商はシュヴァルツ商団の敵と言っても過言ではない。材料費という名の奴隷代がほぼゼロなため、売った金のほんの一部で何も知らない貧困層の者を仲介役に使い、どうしても上が分からない。そして、消しても消しても湧いて出てくる。忌々しい連中だ。と、リヴァは言う。
「アクアさん、ここパティアで買われた人もいるんですよ」
これ以上は商いの本来の目的に繋がるため話せない。
「拳は立派な武器です。分かって下さい」
これはアレンなりの精一杯だったのだ。
が、
「煩い!!!!」
アクアは少しばかり、レディより短気だったようだ。
彼女の下ろされていた拳が青年の顎を捉えた。
「え!?」
予想外の彼女の俊敏さに、アレンは後方へと難なく吹っ飛んでしまった。受身も取れずに彼は狭い取調べ室の壁に背中を打ち付ける。
「お、おい!容疑者君大丈夫か!?」
一応、容疑者を心配してくれる警官。
「容疑者君は今までで一番嫌なあだ名になりましたけど、俺は彼女の意識の方が大丈夫か聞きたいです」
一市民が武術をこなしているなど、それも、女性が型どおりに動いたことにアレンは唖然とする。
「つかぬことお伺いしますが、彼女、男……なんて、ありませんよね」
完全に正面を取られた。
護衛という職をもらいながら、油断していたとはいえ、正面からもろに…。
「残念ね、私は女よ。私のアッパーはどうだったかしら?護身用にボクシングというものをおじい様に教わっといてよかったわ。あの時はやり損ねたけど」
アクアはキレていたようだ。
「道理であなたのそれは痛いわけですか」
「私、あなたが許せないの。変態はこの世の全ての女性の敵。私、他のか弱き女性に代わって、ひとりでも多くの変態を消し去るのが使命だと感じているわ」
薄笑いし、彼女は一つの椅子の背を掴む。
アレンもこの異常事態には苦笑いしかできず、警官はアレンの背後にさりげなく逃げる。
「使命ってそこまで……殺人はそれこそ、許せないと思いますけど…」
この反論ももう掠れ声だ。
「天から今先程、告げられたのよ。あなたなら殺っちゃっていいわ。みたいな」
「ないない!神はそんなに軽く言いませんって!!」
ふふふ…。
アレンの目には彼女が悪魔に変化していくように見えた。ずるずると椅子を引き摺り、影がアレンの顔に達する。
これはもう……………。
「鬼だぁ!!!!!」
「変態は消えなさいよ!!!!!!」
椅子が振り下ろされ、団長の顔と彼女の笑顔が重なった。
「危なかった…」
そこに転がるのはばらばらになった木片と女性。そして、つい抜いてしまった刀。
アレンは抜刀してしまったことを内心で謝りながらも、命を繋げたことに安堵していた。
「お…俺は生きているのか?」
もぞもぞとアレンの背後で警官が顔を出し、
「これは…」
粉々の椅子。
倒れている女性。
おじさんはアレンを見詰めた。
「怖かったですね」
アレンは室内のぐちゃぐちゃには触れずに言う。
「そうだね」
あははは……。
互いに空笑いすること数分。
「あはは……それじゃあ、後始末がんばってください、警官さん」
「そうだね、容疑者君」
カチャン。
そして、アレンの右手には手錠。
「え?何かの間違いでは?捕まえるのは寧ろ、彼女でしょう?」
「そうかな。確かに君も彼女も容疑者だね」
「はあ!?」
カチャカチャと鳴らしても手錠は本物だ。アレンは逃げようとダッシュするが、手錠のもう片方は女性、アクアに繋がっていた。彼女はアレンの峰打ちで気絶したまま動かない。
アレンは今度こそ盛大に笑うと、涙目で警官を力なく見た。
「因みに、罪状は?」
「君は多分痴漢と、器物破損。彼女は…殺人未遂かな」
そして、彼と彼女はちゃっかり捕まってしまった。