前後不覚
「俺はシュヴァルツ商団の者だって……」
アレンの言葉が虚しく響いた。
角石を積み上げ固めた質素で頑丈な小部屋。そこにアレンはいた。照明はなく、腕一本入れるのも困難な小さな窓というより穴から入る月明かりだけが狭い室内を薄暗く照らしていた。そして、季節は春だが、とある事情でコートを奪われた彼にとって夜は極寒であった。
そう、ここは所謂“牢屋”だ。
その一角でアレンは縮こまる。
「だから、俺は商団の者です」
これで何度目かの訴えだが応答なし。というより沈黙。この部屋の構造なのか、牢屋内でしか声が響かない仕様のようだ。
忌々しい。
アレンは曲げた膝に顔を埋めると、深く深く溜め息を吐いた。
「団長に殺される……」
フローラへの花を手向けた後、アレンはそろそろ団長の怒りが爆発しかけているだろうと来た道を急いでいた。そこでたまたま目に入ってしまった。
そう、たまたま……。
「…………フローラ!!」
見慣れ、求め続けた彼女の後ろ姿が人々の間から見えた気がした。もう誰の前にも現れるはずのない凛とした彼女の姿だった。
輝きを放つ茶髪。短く切られたそれは見違えるはずがなかった。
アレンはこの世にはいないということを忘れて真っ白になった頭で彼女を追っていた。人混みを掻き分け、謝罪もなしに一心に彼女に触れようと手を伸ばす。
「フローラ!」
喜びでフローラの名を大声で叫び、目の前の彼女の肩を掴む。彼女はピクリと体を震わせて振り返った。
「フローラ!俺は……―」
「……誰?」
その顔はフローラとそっくりだった。しかし、目付き、口調はまったく違った。フローラの愛に満ちた目も声もそれとは真逆であった。だが、アレンにはそんなことは関係がなかった。というより、彼女だと確信して気付かなかった。
「今度こそ俺は……君を守り続ける」
「はい?」
礼儀正しくきっかり頭を下げたアレンの態度に彼女は数歩後退りする。
「一体何なのよ」
「フローラ、君に会いたかった」
その時、アレンはまた後退りした彼女を街中で抱き寄せた。
「なっ!!?」
彼女の口がパクパクと開閉する。そして、
「…………こっ……この…」
彼女の痺れきった脳が徐々に動き出した。赤く色付いていく頬。
絞り出される声は高音域でアレンは益々、フローラと勘違いしていた。更に強く彼女を抱き締める。
「…………このっ―」
次の瞬間、忠誠を誓った彼女に出会えたと思っていたアレンには信じられないことになった。
この変態野郎!!!!!!
怒声と同時にアレンは物凄い力で突き飛ばされた。元騎士でありながら、不様に尻餅を突くアレン。
そうなってやっと、彼は気付いた。
彼女はフローラではない。
「き、君は……」
彼女は目尻を釣り上げ、両手を腰に当てて言った。
「私はアクア・マーティリエ。ここパティアの一市民よ!この変態!!」
それはそれは驚き。アクアと名乗った彼女はよく見れば、フローラと似ているのは顔だけで雰囲気以前に髪が腰までと長い。
そして、彼女はフローラと性格も違った。
「……俺には名前があるのですが」
「ふうん……」そう言うと、突き飛ばされ茫然自失のアレンに上から冷たい視線を向ける。
「じゃあ、名前は?」
アレンはアクアの氷の目線に肩を竦めながらも口を開いた。
「……ア…アレン・レヴァラント」
しかし、誤解を晴らすために名前を言ったのは間違いであった。アレンはここがパティアであり、周辺国にある点で有名であることを思い出すべきだったのだ。
ガチャン。
ガチャン?
「………はい?」
そんなアレンの腕はアクアに掴まれたかと思うと、手錠が掛かっていた。
「えっ?……あ…え?」
彼の頭が理解していく。彼女はニヤリと笑みを浮かべると、アレンの胸を押した。
フローラがなんか……変。
受け身を取れずに後ろに倒れたアレンは起き上がろうと地に手を突こうとして、今の状況が完全に分かった。
「ええぇぇぇえ!!!!?」
「パティアは自立をモットーとしてるから市民はこういうことしてもいいのよ。変態を捕まえてもね」
と、アクア・マーティリエは自慢気に言った。